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第七十四話 覚醒

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「ああ…。楽しみだねえ。その小綺麗な面が苦痛と絶望で歪ませるのはどれだけ楽しいだろうねえ。あんたがもうちょっと成長した餓鬼だったら売りつける前にあたしが味見してあげたかったのに。」
「ッ…、な、何をする気だ…!」
払いのけたくても女の顎を掴む力が意外に強いのと両腕を拘束されているせいで碌に抵抗もできない。アルバートは女を睨みつけるしかできない。
「フフッ…、今に分かるよ。そこでじっくりと見ているがいいよ。…お前達、例の物を持ってきな。」
そのまま女は男達に命令した。すると、男の一人が黒い鍋のようなものを運んできた。中からはジュウジュウと焼け焦げた音がして、金属製でできた棒のようなものが突き刺さっていた。アルバートはそれが何であるのか薄々と勘づいた。あれは、恐らく焼き鏝。奴隷の烙印として、一生消えない傷として残るものだ。父と兄から聞いた話と一致する。
―まさか…!この女…!
「な、何…?」
リエルが震える声で呟くが男の一人に左腕を掴まれ、そのまま服の袖を破かれて腕を露にされる。そのままリエルの頭や肩は押さえつけられ、台の前に左腕を伸ばした状態で固定される。
「嫌ー!離してー!」
「リエル!」
アルバートはリエルに駆けつけたくても手錠のせいで身動きがとれない。悔し気に唇を噛み締め、女を睨みつけた。
「リエルを離せ!」
「聞けない頼みだねえ。こっちは元々、依頼を受けているんだ。」
「何…、だって?」
「大人の事情ってやつだよ。あんたには関係ない事さ。どうせ、あんたもあのお嬢ちゃんと一緒の道を辿るんだから。」
女はそう言い、金属製でできた棒…、焼き鏝を取り出した。先端には金属の塊に奴隷の証である刻印が取り付けられている。それを持ってリエルに近付いた。
「ヒッ…!」
リエルは愕然と目を見開き、恐怖の眼差しで女を見上げた。
「お嬢ちゃんも運のない娘だねえ。普通の貴族の家に生まれていたらこんな目に遭わずに済んだのに。まあ、これも運命って奴さ。諦めな。」
「い、嫌だ…!あたし、奴隷になんかなりたくない!」
リエルは遂には泣き出していた。
「アハハハ!そう!その顔!その顔が見たかった!恐怖と絶望に歪んだその顔…!気分がいいねえ!苦労を知らないお貴族様の面を汚すのは何度やっても楽しいよ!」
女はそう言って、笑い声を立てた。
「やめろ!リエルを離せ!」
「フン。喚くしか能がない餓鬼が偉そうな口を叩くんじゃないよ。」
アルバートは悔し気に唇を噛んだ。
「アハハ!無力だね!一人では何もできない!弱いから抵抗の一つもできやしない!」
無力…。それはアルバートの心に強く響いた。
「可哀想にね。あの子が強かったらあんたも助かったかもしれないのにねえ。弱いお友達を持ってしまったばかりにこんな目に…、」
リエルに向かって女は目を細め、口では同情しながらもその目は嗜虐心に満ちていた。
―俺が…、弱いから…。父上や兄上みたいに強くないから…。
「この世は弱肉強食の世界なんだよ。弱い者は狩られて、強い者が生き残る。簡単なルールだろう?」
―俺に力があれば…!そうすれば…!こんな奴ら全員…!
アルバートはグッと拳を握り締めた。力が欲しい。誰にも負けない強い力が…!
「さて…、お喋りはここまでにしようか。」
そう言い、女は不意に真顔になり、リエルに近付いた。
「や、やだやだ!許してえ!」
リエルは泣き叫んで抵抗するが屈強な男達に押さえつけられ、びくともしない。
「いい声で鳴くんだよお。お嬢ちゃん。」
「やめろ…。」
ぽつりとアルバートが誰にも聞こえない位に小さい声で呟いた。ぞわり、と得体のしれない何かがこみ上げてくる。視界の隅に古びた剣が落ちているのを見えた。
「嫌ー!アルバート!助けて―!」
リエルの悲鳴を聞いた瞬間、アルバートは衝動のままに叫んだ。
「やめろー!」
何かが弾けるような音がした。その時、身体の奥底から熱い何かが迸った感覚を味わった。それが何か確かめる術もなく、アルバートは本能のままに動いた。リエルの腕に焼き鏝が押し付けられるその寸前に
「ぐあああああ!?」
リエルを抑えつけていた男が悲鳴を上げた。その声に女も他の男達も動きを止め、思わず視線を向ける。悲鳴を上げた男の胸からは剣が突き出ていた。リエルはポタポタと血が垂れ、その血を顔に浴びたが驚きすぎて声が出なかった。その剣が抜かれると男はドサリと崩れ落ちた。リエルは自由になったがその場を動かなかった。男が倒れたことで背後にいた人の姿が現れた。血塗れの剣を手に佇んでいるのは…、アルバートだった。
「アル、バート…?」
鎖ごと引きちぎり、いつの間にか手にした剣で男を殺したアルバートの姿にリエルは呆然と呟いた。が、リエルが呆然としている間にアルバートは剣をグッと握りしめると、ギロッと他の男達を睨みつけた。
「て、手前!よくも!」
男達がいきり立つがアルバートは剣を構えると、そのまま目にも止まらぬ速さで男の一人に斬りつけた。
「ぎゃああああ!?」
肩から胸にかけて斬りつけられた男は大量の血を流して倒れ込んだ。男が剣を取り落とした。それが地面に落ちる前にアルバートは剣をパシッと空中で掴むと同時に鈍らになった剣を投げ捨てた。僅か数秒の出来事だった。
「死ねえ!」
背後からアルバートに剣を振り上げた男がいたがアルバートは振り向きざまにシュッと剣を一閃した。
「うわああああ!俺の腕がああ!」
アルバートに剣を向けた男の腕は斬り落とされ、痛みに悶絶した。これで、男は全員倒された。リエルはあまりにも異常な状況に息を呑んで立ち尽くしていた。その時、ヌッと手が伸びてきてリエルは無理矢理肩を掴まれた。
「きゃあ!?」
リエルの悲鳴にアルバートが振り返ると、女がリエルを捕まえ、その首にナイフを押し付けていた。
「う、動くんじゃないよ!」
女は僅かに声が震えていた。それは、アルバートを恐れている証拠だった。
「い、今すぐ武器を捨てな!じゃないと、このお嬢ちゃんの命はないよ!」
アルバートの目が怪しく光った。
「…お前は許さない。絶対に…。」
「ッ…!?」
殺意の籠った声に女は戦慄した。その直後、ドン!と女の身体に何か激痛が走った。
「ガハッ…!」
女は呻き声を上げて倒れた。力が抜けた女の拘束にリエルは慌てて逃げ出した。
「グッ…!ウッ…!い、息が…!」
女は喉元を押さえ、苦しんだ。リエルは女の様子に違和感を抱いた。おかしい。どうして、急に苦しみだすのだろう。
「ウッ…!ゴホッゴホッ!」
不意に女は咳き込んだ。ハッハッと必死に酸素を取り込もうとしている。その間にもアルバートが女にゆっくりと近付いた。血が滴った剣を握ったまま。
「ま、待て!あ、あたしの負けだ。もう、お前達に手は出さないよ。お前達が逃げても追ったりはしない。だ、だから…!」
「アルバート!駄目!」
女の言葉に耳を貸さず、アルバートは剣を振り上げた。リエルが叫ぶがアルバートは既に女を斬りつけた。
「あああああ!い、痛い!痛いいいいい!」
女が命乞いするように手を出していた指が切断された。リエルはその凄惨な目の前の光景に思わず口元を押さえた。が、アルバートはまたしても女に止めを刺そうとした。
「アルバート!殺しちゃ駄目!」
荒い息を吐き、今までにない位に怖い目をしたアルバートは別人みたいだった。いつものアルバートではないみたいだった。リエルは無我夢中でアルバートの背中に抱き着いた。リエルは止まっていた涙が溢れだしていた。アルバートがピタリと動きを止めた。
「アルバート…!」
リエルが再度、強く名前を呼ぶとアルバートがゆっくりと振り返った。
「リエル…?」
先程まで無表情で殺意に満ちていた目は消え去り、いつものアルバートに戻っていた。
「アルバート!良かった!」
リエルは思わずアルバートに抱き着いた。アルバートは立ち尽くしたままぼんやりとした様子で困惑したように瞳を揺らした。
「俺…、今まで何を…?あれ?さっきまで鎖に…、」
その時、アルバートは自分の身体を見下ろした。血塗れになった自分の身体を愕然と見つめる。
「え…?何だよ…。これ…、何でこんなに血がたくさん…、」
極めつけに自分が手にしている血で汚れた剣を目にすると、
「あ…、あ…、」
ガラン、と剣が床に落ちた。アルバートは周囲に倒れている死体と血の海にガクガクと震えた。震えた手を見つめ、
「俺…、俺は…、」
「アルバート!」
リエルは思わずアルバートを抱き締めた。血で汚れるのも構わずに。アルバートがゆっくりと顔を上げた。
「リエル…?何して…、お前の服…、汚れるぞ。」
「いいの!そんな事どうだっていい!」
そのままリエルはギュウ、とアルバートを抱き締める力を強くした。
「怖かった…!もう、駄目かと思った!」
「リエル…。」
アルバートはそっとリエルの背に手を回した。
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