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第六十九話 セリーナside
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はあ…。王宮での夜会から戻ったセリーナは自室で溜息を吐いた。
「お嬢様?浮かない顔ですわね。どうかなさいましたか?」
「ハンナ…。」
「あれだけ夜会を楽しみになさっていたのに…。」
「…まあまあ楽しかったわよ。色んな殿方に誘われて大変だったわ。ただ、ちょっと…、疲れただけ。」
「アルバート様と何かありましたか?」
セリーナはぎくりとしてハンナを見つめた。
「…どうしてそう思うの?」
「お嬢様がいつもそんな顔をなさるのは、大抵、アルバート様絡みでしたから。」
さすがに長年仕えている侍女だ。鋭い。昔から、彼女の前では隠し立てができないセリーナは観念したように溜息を吐いた。
「別に何かあったわけじゃないの。いつも通りよ。彼はいつもみたいに私と踊ってくれたし、私が言えば何でも言う事を聞いてくれる。…そう。いつも通りよ。」
セリーナはぽつりと呟くように口にした。その口調は何処か寂しさが含んでいた。
「ただ…、今日はいつもと違ったの。」
ハンナは黙ったまま耳を傾けた。
「あの子に…、一人の男が近付いたのを見たら…、血相を変えてそのまま駆けつけに行ったわ。私を置き去りにしてね。」
あの子、とは誰とは言わなくてもハンナには察しがついた。
「それに…、彼はいつもと違った!あの二人の纏う空気も…、前みたいなピリピリした張り詰めた空気じゃなかった!一体、何があったのよ!?」
「お嬢様…。」
「しかも、あの子ったら、ドレスが変わっていたわ!アルバートにエスコートされて戻ってくるなんて…!一体、二人で何をしていたの!?あの男爵令嬢も目障りだったけどどうして、あの子はいつもいつも…!」
「お嬢様!落ち着いて下さいませ。」
「落ち着いていられるわけないでしょう!」
ハンナの言葉にセリーナは怒鳴りつけた。
「お嬢様。もう…、よろしいではありませんか。もう十分でしょう。お嬢様だって気が付いていらっしゃるのでしょう?アルバート様の気持ちに。」
「でも、あの子はあっさりと婚約者の座を捨てたのよ!」
セリーナは溜まりかねたように叫んだ。
「私が欲しくて欲しくて仕方がなかったものをあの子はあっさりと手放した!あの子にとって、彼はそんなちっぽけな存在だったのよ!だったら、私が貰ってもいいじゃない!私だって、フォルネーゼ家の娘なのだから!どうして、私じゃ駄目なのよ!?」
「それは…、お嬢様とアルバート様の為を思って…、」
「それが余計にムカつくのよ!あの子はいつもそう!自分よりも他人を優先する!でも、それって結局はそれっぽっちの気持ちだったって事でしょう!?本当に好きなら何が何でも彼の手を離さない筈だわ!私だったら…、どんな事があっても譲らない!離さないわ!」
「お嬢様…。人にはそれぞれ思いやる形があるのです。お二人はその形が違っているだけで…、」
「ハンナ!お前はどっちの味方なの!?お前は私の侍女なのよ!?」
「お嬢様…。」
その時、部屋の扉が叩かれた音がした。ハンナが応対すれば母の侍女が現れた。何でも母がセリーナを呼んでいるのですぐに部屋に来るようにとの伝達だった。
「お母様が?…分かった。行くわ。」
「お嬢様…。」
「ハンナ。支度を手伝って。」
気遣うように声を掛けるハンナだったがセリーナはそれを制して母に向かう準備をした。
母の部屋に向かう途中で何処からか甘い匂いが漂う。
―何?この匂い…。何だか変な感じ…。
すると、スッと目の前に一人の男が現れた。
―誰かしら?見ない顔ね。
侍従の服を着ているから使用人の一人だろう。長い前髪が顔を覆い、顔が隠れて陰気な男だ。しかも、侍従はセリーナを見ても一礼もしない。何て無作法な。思わず睨みつけて注意をしようと口を開くが
「…母親によく似ているな。セリーナ・ド・フォルネーゼ。」
「なっ…!無礼者!」
セリーナは男の言葉に思わず怒鳴りつけるが男はクスリと笑っただけだ。その笑みが何だか馬鹿にされている様でカッとなり、セリーナは手を振り上げた。が、パシッとその手を掴まれる。スルリ、と頬を撫でられ、それだけでセリーナはぞくりと背徳的な快感を味わった。
「君は美しい。…その美貌は数多の男を惑わせるだろう。あの白薔薇騎士だなんてすぐに落とせるさ。」
「ッ…!?」
セリーナは目を見開いた。どういう意味…?男はクスッと笑うと、その耳元に囁いた。
「大丈夫…。君はただ、母親の言う事を素直に聞き入れるだけでいい。そうすれば…、全てが手に入るさ。」
そう言って、男は手を離すとセリーナに背を向けた。セリーナは壁に背を凭れ、ずるずると座り込んだ。男からは、甘く酸っぱい匂いがした。それは一度嗅いだら忘れられない匂いだった。
「お母様。お呼びと聞きましたが…、」
「遅かったのね。」
「申し訳ありません。支度に時間がかかって…、」
セリーナは一礼して部屋に入る。そして、セリーナは室内に漂う匂いに違和感を抱いた。この匂い…。さっきと同じ…。オレリーヌは煙管を手にし、それを吸いながらセリーナに手招きした。
「セリーナ。あなたにお願いがあるの。」
「お願い…?」
「あなたにとっても悪くない話よ。」
母はうふふと微笑んだ。その微笑みは女神のように美しい。だが、セリーナはその笑みがまるで悪魔の誘いの様に感じられた。
「また…、あの時みたいに手伝ってくれない?」
「え…、それって…、」
「アルバートを…、手に入れたいのでしょう?」
「ッ!」
セリーナはギュッとスカートの裾を握り締めた。
「あの女…、まだ諦めてないみたいよ。しつこい女よね。お前から彼を奪えると思っているのかしら?そんな身の程知らずには…、ちゃんと現実を分からせてあげないとね?」
「お、お母様…。私は…、」
「フフッ…、大丈夫よ。セリーナ。あなたはただ、私の言う通りにしていればいいの。そうすれば何もかも上手くいくわ。」
「…。」
セリーナは瞳を揺らした。母の手を取れば…、彼を手に入れられる…。アルバートが私の物になる。
「愛しい娘の為ですもの。セリーナ。彼を…、アルバート・ド・ルイゼンブルクを…、あなたの夫にしてあげる。私なら、それができる。」
「私が…、彼の妻に…?」
恋人や婚約者という不確かなものではない。契約で結ばれた絶対的な関係…、夫婦になれる。彼の…、妻になれる。妹ですら手にすることのなかった妻の座を私が…!どんなにこちらがアプローチしても彼はいい返事をしてくれない。美しい、綺麗だと褒めてくれるがそれだけだ。他の男の様に明確な愛の言葉も求婚の一つもない。
『アルバート。私ね…、もう二十一歳になったの。』
『ああ。勿論、知っているさ。この前、お前の誕生会に招かれてお祝いをしたんだ。忘れるわけないだろう?』
『私、もう結婚できる年齢なのよ。アルバート。』
そう言って、彼の服の裾を握り、上目遣いで彼を見上げるが…、
『そう、だな…。』
貴族の世界では結婚年齢は一般的に十七~二十二歳が結婚適齢期といわれている。なのに、アルバートはセリーナのアプローチに気付かず、俯いた。その目はセリーナを見ていない。
『俺もあいつも…、そんな歳なんだな。』
セリーナはその微かに聞こえた言葉を聞き逃さなかった。あいつが誰を言っているのかもセリーナは知っている。だって、彼は…、いつだって唯一人の女しか見ていなかったのだから。
『わ、悪い。セリーナ。そうだな。お前ならきっといい縁があるさ。お前を妻にしたいって男は星の数ほどいるんだから。』
彼はいつもそう。そうやってセリーナを褒めるのに自分は決してセリーナを口説かない。他の男なんて少し微笑んだり、手を握りだけで狼狽えるのにアルバートは他の女に向ける完璧な笑みを浮かべるだけ。だから、少し大胆なアプローチをしたりもしたのにアルバートは全く動じた様子を見せなかった。
「セリーナ。さあ…、」
セリーナは現実に引き戻された。セリーナは母の差し出された手にふらりとおぼつかない足取りでしかし、確実に歩を進めた。そして、そっと手を伸ばした。
「お嬢様?浮かない顔ですわね。どうかなさいましたか?」
「ハンナ…。」
「あれだけ夜会を楽しみになさっていたのに…。」
「…まあまあ楽しかったわよ。色んな殿方に誘われて大変だったわ。ただ、ちょっと…、疲れただけ。」
「アルバート様と何かありましたか?」
セリーナはぎくりとしてハンナを見つめた。
「…どうしてそう思うの?」
「お嬢様がいつもそんな顔をなさるのは、大抵、アルバート様絡みでしたから。」
さすがに長年仕えている侍女だ。鋭い。昔から、彼女の前では隠し立てができないセリーナは観念したように溜息を吐いた。
「別に何かあったわけじゃないの。いつも通りよ。彼はいつもみたいに私と踊ってくれたし、私が言えば何でも言う事を聞いてくれる。…そう。いつも通りよ。」
セリーナはぽつりと呟くように口にした。その口調は何処か寂しさが含んでいた。
「ただ…、今日はいつもと違ったの。」
ハンナは黙ったまま耳を傾けた。
「あの子に…、一人の男が近付いたのを見たら…、血相を変えてそのまま駆けつけに行ったわ。私を置き去りにしてね。」
あの子、とは誰とは言わなくてもハンナには察しがついた。
「それに…、彼はいつもと違った!あの二人の纏う空気も…、前みたいなピリピリした張り詰めた空気じゃなかった!一体、何があったのよ!?」
「お嬢様…。」
「しかも、あの子ったら、ドレスが変わっていたわ!アルバートにエスコートされて戻ってくるなんて…!一体、二人で何をしていたの!?あの男爵令嬢も目障りだったけどどうして、あの子はいつもいつも…!」
「お嬢様!落ち着いて下さいませ。」
「落ち着いていられるわけないでしょう!」
ハンナの言葉にセリーナは怒鳴りつけた。
「お嬢様。もう…、よろしいではありませんか。もう十分でしょう。お嬢様だって気が付いていらっしゃるのでしょう?アルバート様の気持ちに。」
「でも、あの子はあっさりと婚約者の座を捨てたのよ!」
セリーナは溜まりかねたように叫んだ。
「私が欲しくて欲しくて仕方がなかったものをあの子はあっさりと手放した!あの子にとって、彼はそんなちっぽけな存在だったのよ!だったら、私が貰ってもいいじゃない!私だって、フォルネーゼ家の娘なのだから!どうして、私じゃ駄目なのよ!?」
「それは…、お嬢様とアルバート様の為を思って…、」
「それが余計にムカつくのよ!あの子はいつもそう!自分よりも他人を優先する!でも、それって結局はそれっぽっちの気持ちだったって事でしょう!?本当に好きなら何が何でも彼の手を離さない筈だわ!私だったら…、どんな事があっても譲らない!離さないわ!」
「お嬢様…。人にはそれぞれ思いやる形があるのです。お二人はその形が違っているだけで…、」
「ハンナ!お前はどっちの味方なの!?お前は私の侍女なのよ!?」
「お嬢様…。」
その時、部屋の扉が叩かれた音がした。ハンナが応対すれば母の侍女が現れた。何でも母がセリーナを呼んでいるのですぐに部屋に来るようにとの伝達だった。
「お母様が?…分かった。行くわ。」
「お嬢様…。」
「ハンナ。支度を手伝って。」
気遣うように声を掛けるハンナだったがセリーナはそれを制して母に向かう準備をした。
母の部屋に向かう途中で何処からか甘い匂いが漂う。
―何?この匂い…。何だか変な感じ…。
すると、スッと目の前に一人の男が現れた。
―誰かしら?見ない顔ね。
侍従の服を着ているから使用人の一人だろう。長い前髪が顔を覆い、顔が隠れて陰気な男だ。しかも、侍従はセリーナを見ても一礼もしない。何て無作法な。思わず睨みつけて注意をしようと口を開くが
「…母親によく似ているな。セリーナ・ド・フォルネーゼ。」
「なっ…!無礼者!」
セリーナは男の言葉に思わず怒鳴りつけるが男はクスリと笑っただけだ。その笑みが何だか馬鹿にされている様でカッとなり、セリーナは手を振り上げた。が、パシッとその手を掴まれる。スルリ、と頬を撫でられ、それだけでセリーナはぞくりと背徳的な快感を味わった。
「君は美しい。…その美貌は数多の男を惑わせるだろう。あの白薔薇騎士だなんてすぐに落とせるさ。」
「ッ…!?」
セリーナは目を見開いた。どういう意味…?男はクスッと笑うと、その耳元に囁いた。
「大丈夫…。君はただ、母親の言う事を素直に聞き入れるだけでいい。そうすれば…、全てが手に入るさ。」
そう言って、男は手を離すとセリーナに背を向けた。セリーナは壁に背を凭れ、ずるずると座り込んだ。男からは、甘く酸っぱい匂いがした。それは一度嗅いだら忘れられない匂いだった。
「お母様。お呼びと聞きましたが…、」
「遅かったのね。」
「申し訳ありません。支度に時間がかかって…、」
セリーナは一礼して部屋に入る。そして、セリーナは室内に漂う匂いに違和感を抱いた。この匂い…。さっきと同じ…。オレリーヌは煙管を手にし、それを吸いながらセリーナに手招きした。
「セリーナ。あなたにお願いがあるの。」
「お願い…?」
「あなたにとっても悪くない話よ。」
母はうふふと微笑んだ。その微笑みは女神のように美しい。だが、セリーナはその笑みがまるで悪魔の誘いの様に感じられた。
「また…、あの時みたいに手伝ってくれない?」
「え…、それって…、」
「アルバートを…、手に入れたいのでしょう?」
「ッ!」
セリーナはギュッとスカートの裾を握り締めた。
「あの女…、まだ諦めてないみたいよ。しつこい女よね。お前から彼を奪えると思っているのかしら?そんな身の程知らずには…、ちゃんと現実を分からせてあげないとね?」
「お、お母様…。私は…、」
「フフッ…、大丈夫よ。セリーナ。あなたはただ、私の言う通りにしていればいいの。そうすれば何もかも上手くいくわ。」
「…。」
セリーナは瞳を揺らした。母の手を取れば…、彼を手に入れられる…。アルバートが私の物になる。
「愛しい娘の為ですもの。セリーナ。彼を…、アルバート・ド・ルイゼンブルクを…、あなたの夫にしてあげる。私なら、それができる。」
「私が…、彼の妻に…?」
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『アルバート。私ね…、もう二十一歳になったの。』
『ああ。勿論、知っているさ。この前、お前の誕生会に招かれてお祝いをしたんだ。忘れるわけないだろう?』
『私、もう結婚できる年齢なのよ。アルバート。』
そう言って、彼の服の裾を握り、上目遣いで彼を見上げるが…、
『そう、だな…。』
貴族の世界では結婚年齢は一般的に十七~二十二歳が結婚適齢期といわれている。なのに、アルバートはセリーナのアプローチに気付かず、俯いた。その目はセリーナを見ていない。
『俺もあいつも…、そんな歳なんだな。』
セリーナはその微かに聞こえた言葉を聞き逃さなかった。あいつが誰を言っているのかもセリーナは知っている。だって、彼は…、いつだって唯一人の女しか見ていなかったのだから。
『わ、悪い。セリーナ。そうだな。お前ならきっといい縁があるさ。お前を妻にしたいって男は星の数ほどいるんだから。』
彼はいつもそう。そうやってセリーナを褒めるのに自分は決してセリーナを口説かない。他の男なんて少し微笑んだり、手を握りだけで狼狽えるのにアルバートは他の女に向ける完璧な笑みを浮かべるだけ。だから、少し大胆なアプローチをしたりもしたのにアルバートは全く動じた様子を見せなかった。
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