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第五十四話 黒髪の貴公子
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「レディ。」
すると、背後から声をかけられた。振り向くと、そこには、一人の貴公子が立っていた。漆黒の長い髪に琥珀色の瞳をした美丈夫だ。こんな貴族がいただろうか?これだけの美貌ならば社交界で名が知られてもおかしくないのに。疑問に思うリエルに青年は微笑みかけた。
「一曲…、踊っていただいても?」
青年の申し出にリエルは戸惑った。こんな美しい男性が自分を誘う理由は一つだ。リエルが五大貴族の娘だからだ。リエルは溜息をつきたい気になった。
「申し訳ありません。私…、ダンスはあまり…、」
「おや。そうなのですか?良かった。実は、わたしもあまりダンスは得意じゃなくてね。じゃあ、折角ですし、何か美味しい物でも食べませんか?」
「え?」
「さあ。」
「あ、あの…、ちょっ、」
リエルは五大貴族の娘という立場のせいかここまで強引な貴族は初めてだった。戸惑っているリエルだったが男は気にした様子もなく、リエルの手を引いた。
「甘いものはお好きですか?良ければ、どうぞ。」
「…あ、ありがとうございます。あ。」
戸惑いながらもリエルは皿を受け取る。すると、そこに乗っていたのはアップルパイだった。リエルは思わず頬を緩ませた。
「お嫌いですか?」
「いえ。大好きです。…美味しいですよね。アップルパイって。」
リエルは友達の母親が作ってくれたアップルパイを思い出す。サクサクして、林檎の風味とシナモンの香りが絶妙なバランスで…、とても美味しかった。そんなリエルの微笑みを見て、男は目を瞠った。リエルは一口、アップルパイを口にした。
―美味しい。さすが、王宮の料理人が作る品は違う。でも…、
「お気に召しませんでしたか?」
浮かない顔をしたリエルに男が声をかける。
「あ、いえ…。美味しいですよ。勿論。でも…、」
リエルは視線を落とし、呟いた。
「私は…、こういう上品な味よりも素朴で…、シナモンがたっぷりきいたパイの方が好みだなって思っただけで…、」
何故かそう口にしてしまった。どうして、初対面の彼にこんな事を話してしまったのだろう。リエルには分からなかった。男は不意を突かれたような表情を浮かべた。
「あなたは…、そういうアップルパイを食べたことが?」
「ええ。昔、少しだけ…。」
リエルは寂しそうに微笑んだ。あのアップルパイはもう食べられない。だって、友達とその家族は今はもう…、そんなリエルに男は困惑したように表情を浮かべた。が、すぐに取り繕ったように微笑むと、
「レディ。髪に何か…、」
そして、リエルに手を伸ばすが…、その手を掴んだ人物がいた。金髪碧眼の青年が黒髪の男を鋭く睨みつけている。
「え、アルバート様?」
姉と一緒にいた筈では、そう言おうとしたが彼の警戒を露にした表情に思わず口を噤んだ。
「…何か?」
男は一瞬驚いたがにこりと微笑んだ。その笑みは女だけでなく、男ですら見惚れる艶めいた微笑だった。が、アルバートは
「こいつに何をしようとした。」
「いえ。レディの髪に何かついていたようでしたのでそれをとろうとしただけで…、」
男は無害そうな表情を浮かべ、困ったように微笑んだ。それは善意でしようとした行為を咎められ困惑しているかのような顔だった。
「見ない顔だな。名は?」
「生憎、私は貴族の末端でして。名乗るほどの者では…、」
「貴様…、貴族じゃないな。」
男の表情が一瞬、固まった。が、すぐに笑顔を浮かべると、
「確かに、私はあまり貴族らしくないと言われますが…、」
「マナーも挨拶も…、何処か不自然だな。幼い頃から教育を受けている貴族の者じゃない。まるで…、見よう見まねでやっているかのようだな。」
僅かに男の口元が引き攣った。リエルはハッとした。確かに。一見、華やかな容姿と雰囲気に吞まれそうになるが彼は立ち振る舞いが少々、荒い。
「おかしいな。これでも、俺は貴族の名と顔はある程度、頭に叩き込んでいるのだが…、俺の記憶にお前のような貴族がいた覚えがない。」
「…。」
「もう一度、聞くぞ。お前の名は?家名も忘れるなよ。」
男はスッと目を細めた。そして、次の瞬間には口角を上げ、笑った。
「あーあ。やっぱり、薔薇騎士は侮れないなあ。」
男はそれまでの紳士の仮面をかなぐり捨て、ガシガシと髪を無造作に掻いた。鋭い視線を向け、アルバートは腰の剣に手をかける。
「でも…、俺だって、手は打ってるんだよ。白薔薇騎士。」
そう言って、アルバートが抜刀するより早く男はスッと手を動かした。何かを引っ張るように手を交錯させる。不意にアルバートがリエルに顔を向けた。
「リエル!」
アルバートに突き飛ばされ、リエルは転んだ。瞬間、ガキン!と剣と剣が交わる音と何かが割れる音がした。リエルが起き上がると、先程までリエルがいた場所に花瓶が割れていた。いつの間にか男は短剣を取り出しており、アルバートに斬りかかっていた。アルバートそれを自らの剣で受け止めていた。
「へえ。受けたか。やっぱり、一筋縄ではいかないなあ。」
「貴様…!狙いは何だ?」
「決まっているだろ。その女だよ。…残念だけど、今回はお預けだ。またな。白薔薇騎士。」
「逃がすか!」
そう言って、逃げようとする男をアルバートは更に斬りかかるが、男は空いた手でリエルに何かを投げつけた。リエルはハッと身構えるがそれより早くにアルバートがその攻撃を叩き落とした。カラン、と無機質な音を立てて、鋭利な刃物がついた暗器が床に落ちた。その隙に男は窓から飛び降りた。アルバートはチッ、と舌打ちし、一度目を瞑った。スッと目を開いた時には青い瞳が僅かに光を帯びていた。
「…ニコラス。侵入者だ。」
もしかして、あれは精神感応?薔薇騎士が持つ能力の一つで自分の感情や言葉を直接他者に意思伝達する能力…。リエルが呆然とアルバートの様子を見つめていると、
「アルバート!今のは一体…、」
セイアスやサミュエルが駆け付ける。
「見ての通り、侵入者だ。今、ニコラスに意思伝達しておいた。」
「ニコラスということは…、東の門か。」
ニコラスの配置場所を思い出し、サミュエルはすぐに衛兵たちに指示を出し、援護に向かった。
「俺は奴を追う。」
「待て。アルバート。お前にはあの二人の事情聴取がある。ここは他の者達に任せるんだ。」
今にも駆け出しそうなアルバートにセイアスが止めた。アルバートはその言葉に思いとどまり、
「…分かった。」
と悔しそうに頷いた。
「あの…、アルバート様。」
リエルはそっと彼に近付くと、深々とお辞儀をした。
「助けて下さり、ありがとうございます。一度ならず、二度までも…、」
「…騎士として、務めを果たしただけだ。他意はない。」
アルバートはフイッと目を逸らした。
「それから…、私のせいで侵入者を取り逃がしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「別にお前のせいじゃない。単純にあいつの逃げ足が早かっただけだ。」
リエルを責めようとしないアルバートに本当に今日の彼はどうしたのだろうと思った。あの状況で自分を庇ったりしなければ侵入者を捕らえられたのに。どうして疎んでいる筈の自分なんかにそこまでしてくれるのだろう。自分など捨て置いてくれても誰も文句は言わないだろうに。そう思いながらもリエルはじんわりと温かい何が胸に広がり、そっと胸を抑えた。
すると、背後から声をかけられた。振り向くと、そこには、一人の貴公子が立っていた。漆黒の長い髪に琥珀色の瞳をした美丈夫だ。こんな貴族がいただろうか?これだけの美貌ならば社交界で名が知られてもおかしくないのに。疑問に思うリエルに青年は微笑みかけた。
「一曲…、踊っていただいても?」
青年の申し出にリエルは戸惑った。こんな美しい男性が自分を誘う理由は一つだ。リエルが五大貴族の娘だからだ。リエルは溜息をつきたい気になった。
「申し訳ありません。私…、ダンスはあまり…、」
「おや。そうなのですか?良かった。実は、わたしもあまりダンスは得意じゃなくてね。じゃあ、折角ですし、何か美味しい物でも食べませんか?」
「え?」
「さあ。」
「あ、あの…、ちょっ、」
リエルは五大貴族の娘という立場のせいかここまで強引な貴族は初めてだった。戸惑っているリエルだったが男は気にした様子もなく、リエルの手を引いた。
「甘いものはお好きですか?良ければ、どうぞ。」
「…あ、ありがとうございます。あ。」
戸惑いながらもリエルは皿を受け取る。すると、そこに乗っていたのはアップルパイだった。リエルは思わず頬を緩ませた。
「お嫌いですか?」
「いえ。大好きです。…美味しいですよね。アップルパイって。」
リエルは友達の母親が作ってくれたアップルパイを思い出す。サクサクして、林檎の風味とシナモンの香りが絶妙なバランスで…、とても美味しかった。そんなリエルの微笑みを見て、男は目を瞠った。リエルは一口、アップルパイを口にした。
―美味しい。さすが、王宮の料理人が作る品は違う。でも…、
「お気に召しませんでしたか?」
浮かない顔をしたリエルに男が声をかける。
「あ、いえ…。美味しいですよ。勿論。でも…、」
リエルは視線を落とし、呟いた。
「私は…、こういう上品な味よりも素朴で…、シナモンがたっぷりきいたパイの方が好みだなって思っただけで…、」
何故かそう口にしてしまった。どうして、初対面の彼にこんな事を話してしまったのだろう。リエルには分からなかった。男は不意を突かれたような表情を浮かべた。
「あなたは…、そういうアップルパイを食べたことが?」
「ええ。昔、少しだけ…。」
リエルは寂しそうに微笑んだ。あのアップルパイはもう食べられない。だって、友達とその家族は今はもう…、そんなリエルに男は困惑したように表情を浮かべた。が、すぐに取り繕ったように微笑むと、
「レディ。髪に何か…、」
そして、リエルに手を伸ばすが…、その手を掴んだ人物がいた。金髪碧眼の青年が黒髪の男を鋭く睨みつけている。
「え、アルバート様?」
姉と一緒にいた筈では、そう言おうとしたが彼の警戒を露にした表情に思わず口を噤んだ。
「…何か?」
男は一瞬驚いたがにこりと微笑んだ。その笑みは女だけでなく、男ですら見惚れる艶めいた微笑だった。が、アルバートは
「こいつに何をしようとした。」
「いえ。レディの髪に何かついていたようでしたのでそれをとろうとしただけで…、」
男は無害そうな表情を浮かべ、困ったように微笑んだ。それは善意でしようとした行為を咎められ困惑しているかのような顔だった。
「見ない顔だな。名は?」
「生憎、私は貴族の末端でして。名乗るほどの者では…、」
「貴様…、貴族じゃないな。」
男の表情が一瞬、固まった。が、すぐに笑顔を浮かべると、
「確かに、私はあまり貴族らしくないと言われますが…、」
「マナーも挨拶も…、何処か不自然だな。幼い頃から教育を受けている貴族の者じゃない。まるで…、見よう見まねでやっているかのようだな。」
僅かに男の口元が引き攣った。リエルはハッとした。確かに。一見、華やかな容姿と雰囲気に吞まれそうになるが彼は立ち振る舞いが少々、荒い。
「おかしいな。これでも、俺は貴族の名と顔はある程度、頭に叩き込んでいるのだが…、俺の記憶にお前のような貴族がいた覚えがない。」
「…。」
「もう一度、聞くぞ。お前の名は?家名も忘れるなよ。」
男はスッと目を細めた。そして、次の瞬間には口角を上げ、笑った。
「あーあ。やっぱり、薔薇騎士は侮れないなあ。」
男はそれまでの紳士の仮面をかなぐり捨て、ガシガシと髪を無造作に掻いた。鋭い視線を向け、アルバートは腰の剣に手をかける。
「でも…、俺だって、手は打ってるんだよ。白薔薇騎士。」
そう言って、アルバートが抜刀するより早く男はスッと手を動かした。何かを引っ張るように手を交錯させる。不意にアルバートがリエルに顔を向けた。
「リエル!」
アルバートに突き飛ばされ、リエルは転んだ。瞬間、ガキン!と剣と剣が交わる音と何かが割れる音がした。リエルが起き上がると、先程までリエルがいた場所に花瓶が割れていた。いつの間にか男は短剣を取り出しており、アルバートに斬りかかっていた。アルバートそれを自らの剣で受け止めていた。
「へえ。受けたか。やっぱり、一筋縄ではいかないなあ。」
「貴様…!狙いは何だ?」
「決まっているだろ。その女だよ。…残念だけど、今回はお預けだ。またな。白薔薇騎士。」
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そう言って、逃げようとする男をアルバートは更に斬りかかるが、男は空いた手でリエルに何かを投げつけた。リエルはハッと身構えるがそれより早くにアルバートがその攻撃を叩き落とした。カラン、と無機質な音を立てて、鋭利な刃物がついた暗器が床に落ちた。その隙に男は窓から飛び降りた。アルバートはチッ、と舌打ちし、一度目を瞑った。スッと目を開いた時には青い瞳が僅かに光を帯びていた。
「…ニコラス。侵入者だ。」
もしかして、あれは精神感応?薔薇騎士が持つ能力の一つで自分の感情や言葉を直接他者に意思伝達する能力…。リエルが呆然とアルバートの様子を見つめていると、
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「ニコラスということは…、東の門か。」
ニコラスの配置場所を思い出し、サミュエルはすぐに衛兵たちに指示を出し、援護に向かった。
「俺は奴を追う。」
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今にも駆け出しそうなアルバートにセイアスが止めた。アルバートはその言葉に思いとどまり、
「…分かった。」
と悔しそうに頷いた。
「あの…、アルバート様。」
リエルはそっと彼に近付くと、深々とお辞儀をした。
「助けて下さり、ありがとうございます。一度ならず、二度までも…、」
「…騎士として、務めを果たしただけだ。他意はない。」
アルバートはフイッと目を逸らした。
「それから…、私のせいで侵入者を取り逃がしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「別にお前のせいじゃない。単純にあいつの逃げ足が早かっただけだ。」
リエルを責めようとしないアルバートに本当に今日の彼はどうしたのだろうと思った。あの状況で自分を庇ったりしなければ侵入者を捕らえられたのに。どうして疎んでいる筈の自分なんかにそこまでしてくれるのだろう。自分など捨て置いてくれても誰も文句は言わないだろうに。そう思いながらもリエルはじんわりと温かい何が胸に広がり、そっと胸を抑えた。
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