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「ようこそ少年。我こそは火喰鳥爛賢(ひくいどり‐らんけん)! この研究所の所長だぁ!! だぁーっはっはっはっはっは!!」
スマホのセットされたスピーカーから鳴るパイプオルガンの仰々しい演奏をバックに、怪人物が高笑いする。五〇歳手前くらいだろうか。随分と元気だなぁ。
「手始めに、施術とは関係ないが君の名前を聞かせてもらってもいいだろうか?」
不健康そうに蒼白い肌をヨレヨレの白衣に包み、白と黒のツートンカラーの蓬髪を振り乱す。
伸び放題の無精ひげ、そして濃いクマに縁どられた爛々と光る目。
この人は寝てなさそうなのにどうしてこんなに元気なの? 本当は寝てるの? オールウェイズ深夜テンションなの?
「あ、はい。どうも。峰祖田です」
素直に名乗り、ざっと周囲を見回した。
施設内は、怪人物の根城にしては新しくて清潔な診療所みたいだった。
妙な色に塗られるでもなく、壁も床も白い。
それでいて決して広くはない室内に、枷やベルトつきの手術台や電気椅子が置かれているのは「外さないな」と他人事のように思った。
尾羽を見ると、出入口に背を預け無表情で俺を見ていた。
逃がさない、という鉄の意志を感じる。
「そこに、かけたまえ」
「イヤですよ!?」
電気椅子を勧められ、さすがに拒否する。死ぬつもりで来たんじゃない。
「安心したまえ、電気椅子はエジソンの発明だ。しかも、死刑執行に用いられたものの、実際には肉体が回転寿司の炙りネタみたいに焦げる程度で死刑囚は死には至らなかった。やはりニコラ・テスラしか勝たんということだね!」
「今の話、何ひとつ安心できる要素がなかったんですけど!?」
「ははは、安心安全に人智を超えた力を得ようなんて、虫のいい話があるわけないだろ」
両肩に火喰鳥の手が置かれたと思った瞬間。俺は物凄い力で抑え込まれ、瞬く間に電気椅子へと座らされた。
「うわぁっ、やめろ!」
「やめろと言われてやめるのは、童貞だけだよ」
立ち上がろうにも手枷、足枷が俺をあっという間に拘束した。
さすが電気椅子、そんなとこまで全自動! って、やかましいわ!
「やめてくれ、死にたくない!」
「でも今のまま生きてるのって、死ぬより惨めじゃない?」
愉しむでもなく、憐れむでもなく。
飽くまで冷静に尾羽は諭す。
「つらい現実から娯楽に逃げ込むのは自由。でも、今のあんたって」
電気椅子に座らされたまま、俺は移動させられていた。
上を向けば背もたれを押す火喰鳥の蒼白な顔があり、底部を見れば回転して推進力をもたらすキャスターがあった。振動の伝わり方からして、後部の左右と合わせて四つ付いているのだろう。
「娯楽に逃げ込む自由すら奪われてない?」
キャスターによる移動が終わった頃に投げかけられた質問に、胸を衝かれた。
「昨日のこと、見てたのか?」
俺は昨日、滴砂州と見此岸に『黒華絢爛アサシンアーツ』を取り上げられ、粗須加にそれを踏み潰された。
あそこに尾羽はいなかったはずだ。
まさか、粗須加の取り巻き女の一人だったのか?
「ははっ、インチキ占い師に騙されないようにね。見てないけど、クラスメイトならわかるって」
クラスメイトとはいえ、昨日まで話したことのなかった女子が俺の窮状を知っているのは意外だった。
「暴力はいけない。弱い人をいたわりましょう。みんなで仲良くしましょう。そんな綺麗ごとは────」
床が自動で左右に開き、下から石造りの黒い床が現れる。
黒い床に赤く光る線が走った。
線はたちまち複雑怪奇な幾何学模様と読み取れない文字となって浮き上がる。
有り体に言って、魔法陣だった。
上を向いても、もうそこに火喰鳥の顔はない。
「そんな綺麗ごとは、力のある者の口から出なければ意味がないの」
「おい、一体何が始まるんだよ!」
パイプオルガンの演奏に混じって、研究所のスマホから未知の言語による詠唱が聞こえてきた。
照明は落ち、室内は闇に包まれる。
不安で呼吸が荒くなる。拘束を解こうと手足を動かすが、ガチャガチャと金具が鳴るだけだった。
「おい、外してくれ! 尾羽、助けてくれ!」
返事はない。
スマホから流れる演奏と詠唱は未だ続いているが、尾羽も火喰鳥もまったく反応を返してくれない。
「頼む、もうやめてくれ! 俺はもう帰る! 帰らせてくれ!」
それでも懇願していると、ふっ、と目の前を小さな光が過った。
ホタルほどの大きさではあったが、その色は魔法陣と同じく赤い。
一つ。また一つ。
魔法陣から浮き上がってくる光が、次々に宙へと舞い上がる。
加速度的に増殖する赤い光は、円を描いて飛んだ。
「何なんだよこれは! おい、ふざけんな!」
どんなに暴れても枷は外れず、不安と疲労だけが募っていった。
やがて。
俺を囲んで飛ぶ光が、室内を微かに照らせるほどに増えた頃だった。
生臭い匂いが前の方から漂って来た。
魚そのもの、というよりも中の魚が死んだ後も水を捨てずに放置した水槽の臭気。
死体と一緒に水まで腐ったような臭気だ。
しかも、匂いは刻一刻と濃くなっていく。
「おい、この匂いは何だ。何なんだよぉ!」
ジュウ────。ジュウ────。ジュウ────。ジュウ────。
耳をすませば、演奏と詠唱に混ざって何かが聞こえる。
肉の焼けるような、または水の蒸発するような音だった。
音もまた、だんだん大きくなってくる。
何者かが、こちらに近づいて来ている。
「尾羽、今、何が起きてるんだよ。おい、尾羽! どこにいるんだ!」
足元には、赤く輝く魔法陣。
何らかのオカルト儀式であるのは間違いない。
不快な臭気と、燃焼を彷彿とさせる音は尾羽か火喰鳥のおっさんが何かを焼いているのだろうか。
何かの肉だとして、それを食べるイニシエーション(通過儀礼)でないことを祈る。
「え」
何だ、あれは。
手を動かせれば、俺は目を擦っていただろう。
光の集合体が垣間見させた、そのありうべからざる影の蠢く様に。
「う、うわあああああああああああああああああああああああっ!!」
見た。
見て、しまった。
魔法陣の外に出現した、その肉塊を。
闇の中で蠕動(ぜんどう)し、こちらへとにじり寄ってくるナニカを。
「うわあああああああああああああっ、く、来るなああああああああっ!」
酸に身を焼かれているのか、臭気を孕んだ煙を上げながらソレは俺を目指して這いずってくる。
ソレに踏まれた箇所から、魔法陣の光がソレに蝕まれる。
肉塊が乗ったことで遮られたのではなく、直線状に光が消えたのだ。
闇がソレのために、俺への道を作ったみたいだった。
どれだけ来るなと叫んでも、肉塊は進路を変えない。
肉塊は俺の目の前でぴたりと止まる。
至近距離での悪臭に鼻が曲がりそうだが、顔を背ける以上の抵抗はできない。
ぴちゃぴちゃぴちゃ……。
伸長し、俺に覆いかぶさった肉塊から体液のようなものが垂れる。冷凍肉を急速解凍して染み出したドリップみたいなそれも、やはり酷く匂う。
零れ落ちた水滴が顔を伝い、服を濡らした。雨に濡れるのさえ不快なのに、臭い水となれば筆舌に尽くしがたい感情を掻き立てられる。
十分、最悪な状況だった。だけどこいつは、まだその先へと俺を連れて行きたいらしい。
「おい、嘘だろ……ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!」
かぱっ、と肉塊が観音開きに広げられた。中から夥しい赤い光球が飛び出し、肉塊の内部が薄闇の中に浮き彫りになる。そこでは無数の牛センマイめいた肉襞が、肥え太ったウジのように滅茶苦茶に動き回っていた。
「イヤだ! やめて、やめてくれええええええええええええっ!!」
為す術もなく俺は、椅子ごとソレにすっぽりと包み込まれてしまった。
生あたたかい肉襞が俺を蹂躙する。おぞましいソレの温度、湿度のすべてが直に伝わってくる。そして密閉空間に立ち込めるは、噎せ返る腐敗臭。たまらず俺は嘔吐した。
胃液とちゃんぽんになった食い物の残骸を、襞と襞の隙間へとぶちまける。
肉塊は俺の吐瀉物を嫌がる様子もなかった。むしろそれらを肉襞で絡め取って収集した。するとそれは土に水が染み込むように、俺の吐き戻したものをたちまち吸収してしまった。
臭気ごと吸収されたかのように、饐えた匂いは残らなかった。肉塊内の籠った空気が元から臭いせいで、早くも鼻が馬鹿になっているのかもしれない。
どうやっているのか外気は取り込んでいるようで、呼吸に困らないほどの酸素供給があるのは不幸中の幸いだった。お蔭で、嘔吐後に息を整えることができた。空気にイヤな匂いがついてなければ、なお良かったのに。
俺がもう一度吐きそうになっている間にも、肉襞は動きを止めることはなかった。
蠕動する肉襞は服に肌に吸い付いて、俺の全身をまさぐり始めた。
驚くほどに器用なそれはシャツのボタンを外し、スラックスのファスナーを引き下ろした。
インナーシャツに、パンツにと入り込んだぬめぬめとした肉襞は遠慮も容赦もなく俺の敏感なところを苛んだ。粘着質な水音を立てながらしごかれて、否応なしに官能を刺激される。
こんな気色の悪いものに、興奮したくない。
歯を食いしばり、卑猥な撫で摩りに抵抗するもたちまちに脳が痺れてくる。
おかしな物質でも分泌されているのだろうか。自分でするのとは、比べ物にならないほど気持ちいいのだ。肺が絞られ、上擦った溜め息が漏れる。もう顎に力は入らない。大口を開け、とても他人に見せられない痴態を晒して喘ぎまくる。痛々しいまでにペニスは勃起し、亀頭の背がベルトのバックルを叩いた。あぁ、最悪だ。俺の脳は肉襞の絶技に屈服させられ、自らの恥ずかしい姿を小説のヒロインのそれのように描写してしまっている。灯されたマゾヒズムの火は燃え盛り、俺の尊厳を残らず灰にした。認めるしかない。俺は悪臭放つ醜い肉の塊に魂を売り、亀頭を擦り付けて腰を振ることを最高の悦楽だと心から感じている。
肉襞は残酷にも、俺の快楽堕ちになどまるで興味がないようだった。その証拠に、愛撫を俺の興奮のボルテージに合わせてはくれなかった。
ここまでじっくりと興奮を煽るように見せかけておきながら、急転直下の勢いでしごきだしたのだ。肉襞による暴力的な吸引と強制抽送(ちゅうそう)に俺は、酸欠になるまで笑ったときのような頭痛に見舞われた。
────トんでしまう。
今まで感じたこともない快感が恐ろしくなり、拘束されているなりに仰け反って未知のエネルギーを逃がさんと試みた。当然それは無駄なあがきでしかなく、得も言われぬ甘美な衝撃が電流となって全身を刺し貫いた。
絶頂に至る直前、瞼の裏に浮かんだのは尾羽。ベッドの上で壁に背を預け、肢体を投げ出してライトノベルの頁をめくるあの姿だった。
訪れたオルガスムスにより、俺は上擦った嬌声を発しながら鈴口から精を迸らせた。
最低最悪の童貞喪失を経て、俺は自分が尾羽をどう思っているか理解した。
スマホのセットされたスピーカーから鳴るパイプオルガンの仰々しい演奏をバックに、怪人物が高笑いする。五〇歳手前くらいだろうか。随分と元気だなぁ。
「手始めに、施術とは関係ないが君の名前を聞かせてもらってもいいだろうか?」
不健康そうに蒼白い肌をヨレヨレの白衣に包み、白と黒のツートンカラーの蓬髪を振り乱す。
伸び放題の無精ひげ、そして濃いクマに縁どられた爛々と光る目。
この人は寝てなさそうなのにどうしてこんなに元気なの? 本当は寝てるの? オールウェイズ深夜テンションなの?
「あ、はい。どうも。峰祖田です」
素直に名乗り、ざっと周囲を見回した。
施設内は、怪人物の根城にしては新しくて清潔な診療所みたいだった。
妙な色に塗られるでもなく、壁も床も白い。
それでいて決して広くはない室内に、枷やベルトつきの手術台や電気椅子が置かれているのは「外さないな」と他人事のように思った。
尾羽を見ると、出入口に背を預け無表情で俺を見ていた。
逃がさない、という鉄の意志を感じる。
「そこに、かけたまえ」
「イヤですよ!?」
電気椅子を勧められ、さすがに拒否する。死ぬつもりで来たんじゃない。
「安心したまえ、電気椅子はエジソンの発明だ。しかも、死刑執行に用いられたものの、実際には肉体が回転寿司の炙りネタみたいに焦げる程度で死刑囚は死には至らなかった。やはりニコラ・テスラしか勝たんということだね!」
「今の話、何ひとつ安心できる要素がなかったんですけど!?」
「ははは、安心安全に人智を超えた力を得ようなんて、虫のいい話があるわけないだろ」
両肩に火喰鳥の手が置かれたと思った瞬間。俺は物凄い力で抑え込まれ、瞬く間に電気椅子へと座らされた。
「うわぁっ、やめろ!」
「やめろと言われてやめるのは、童貞だけだよ」
立ち上がろうにも手枷、足枷が俺をあっという間に拘束した。
さすが電気椅子、そんなとこまで全自動! って、やかましいわ!
「やめてくれ、死にたくない!」
「でも今のまま生きてるのって、死ぬより惨めじゃない?」
愉しむでもなく、憐れむでもなく。
飽くまで冷静に尾羽は諭す。
「つらい現実から娯楽に逃げ込むのは自由。でも、今のあんたって」
電気椅子に座らされたまま、俺は移動させられていた。
上を向けば背もたれを押す火喰鳥の蒼白な顔があり、底部を見れば回転して推進力をもたらすキャスターがあった。振動の伝わり方からして、後部の左右と合わせて四つ付いているのだろう。
「娯楽に逃げ込む自由すら奪われてない?」
キャスターによる移動が終わった頃に投げかけられた質問に、胸を衝かれた。
「昨日のこと、見てたのか?」
俺は昨日、滴砂州と見此岸に『黒華絢爛アサシンアーツ』を取り上げられ、粗須加にそれを踏み潰された。
あそこに尾羽はいなかったはずだ。
まさか、粗須加の取り巻き女の一人だったのか?
「ははっ、インチキ占い師に騙されないようにね。見てないけど、クラスメイトならわかるって」
クラスメイトとはいえ、昨日まで話したことのなかった女子が俺の窮状を知っているのは意外だった。
「暴力はいけない。弱い人をいたわりましょう。みんなで仲良くしましょう。そんな綺麗ごとは────」
床が自動で左右に開き、下から石造りの黒い床が現れる。
黒い床に赤く光る線が走った。
線はたちまち複雑怪奇な幾何学模様と読み取れない文字となって浮き上がる。
有り体に言って、魔法陣だった。
上を向いても、もうそこに火喰鳥の顔はない。
「そんな綺麗ごとは、力のある者の口から出なければ意味がないの」
「おい、一体何が始まるんだよ!」
パイプオルガンの演奏に混じって、研究所のスマホから未知の言語による詠唱が聞こえてきた。
照明は落ち、室内は闇に包まれる。
不安で呼吸が荒くなる。拘束を解こうと手足を動かすが、ガチャガチャと金具が鳴るだけだった。
「おい、外してくれ! 尾羽、助けてくれ!」
返事はない。
スマホから流れる演奏と詠唱は未だ続いているが、尾羽も火喰鳥もまったく反応を返してくれない。
「頼む、もうやめてくれ! 俺はもう帰る! 帰らせてくれ!」
それでも懇願していると、ふっ、と目の前を小さな光が過った。
ホタルほどの大きさではあったが、その色は魔法陣と同じく赤い。
一つ。また一つ。
魔法陣から浮き上がってくる光が、次々に宙へと舞い上がる。
加速度的に増殖する赤い光は、円を描いて飛んだ。
「何なんだよこれは! おい、ふざけんな!」
どんなに暴れても枷は外れず、不安と疲労だけが募っていった。
やがて。
俺を囲んで飛ぶ光が、室内を微かに照らせるほどに増えた頃だった。
生臭い匂いが前の方から漂って来た。
魚そのもの、というよりも中の魚が死んだ後も水を捨てずに放置した水槽の臭気。
死体と一緒に水まで腐ったような臭気だ。
しかも、匂いは刻一刻と濃くなっていく。
「おい、この匂いは何だ。何なんだよぉ!」
ジュウ────。ジュウ────。ジュウ────。ジュウ────。
耳をすませば、演奏と詠唱に混ざって何かが聞こえる。
肉の焼けるような、または水の蒸発するような音だった。
音もまた、だんだん大きくなってくる。
何者かが、こちらに近づいて来ている。
「尾羽、今、何が起きてるんだよ。おい、尾羽! どこにいるんだ!」
足元には、赤く輝く魔法陣。
何らかのオカルト儀式であるのは間違いない。
不快な臭気と、燃焼を彷彿とさせる音は尾羽か火喰鳥のおっさんが何かを焼いているのだろうか。
何かの肉だとして、それを食べるイニシエーション(通過儀礼)でないことを祈る。
「え」
何だ、あれは。
手を動かせれば、俺は目を擦っていただろう。
光の集合体が垣間見させた、そのありうべからざる影の蠢く様に。
「う、うわあああああああああああああああああああああああっ!!」
見た。
見て、しまった。
魔法陣の外に出現した、その肉塊を。
闇の中で蠕動(ぜんどう)し、こちらへとにじり寄ってくるナニカを。
「うわあああああああああああああっ、く、来るなああああああああっ!」
酸に身を焼かれているのか、臭気を孕んだ煙を上げながらソレは俺を目指して這いずってくる。
ソレに踏まれた箇所から、魔法陣の光がソレに蝕まれる。
肉塊が乗ったことで遮られたのではなく、直線状に光が消えたのだ。
闇がソレのために、俺への道を作ったみたいだった。
どれだけ来るなと叫んでも、肉塊は進路を変えない。
肉塊は俺の目の前でぴたりと止まる。
至近距離での悪臭に鼻が曲がりそうだが、顔を背ける以上の抵抗はできない。
ぴちゃぴちゃぴちゃ……。
伸長し、俺に覆いかぶさった肉塊から体液のようなものが垂れる。冷凍肉を急速解凍して染み出したドリップみたいなそれも、やはり酷く匂う。
零れ落ちた水滴が顔を伝い、服を濡らした。雨に濡れるのさえ不快なのに、臭い水となれば筆舌に尽くしがたい感情を掻き立てられる。
十分、最悪な状況だった。だけどこいつは、まだその先へと俺を連れて行きたいらしい。
「おい、嘘だろ……ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!」
かぱっ、と肉塊が観音開きに広げられた。中から夥しい赤い光球が飛び出し、肉塊の内部が薄闇の中に浮き彫りになる。そこでは無数の牛センマイめいた肉襞が、肥え太ったウジのように滅茶苦茶に動き回っていた。
「イヤだ! やめて、やめてくれええええええええええええっ!!」
為す術もなく俺は、椅子ごとソレにすっぽりと包み込まれてしまった。
生あたたかい肉襞が俺を蹂躙する。おぞましいソレの温度、湿度のすべてが直に伝わってくる。そして密閉空間に立ち込めるは、噎せ返る腐敗臭。たまらず俺は嘔吐した。
胃液とちゃんぽんになった食い物の残骸を、襞と襞の隙間へとぶちまける。
肉塊は俺の吐瀉物を嫌がる様子もなかった。むしろそれらを肉襞で絡め取って収集した。するとそれは土に水が染み込むように、俺の吐き戻したものをたちまち吸収してしまった。
臭気ごと吸収されたかのように、饐えた匂いは残らなかった。肉塊内の籠った空気が元から臭いせいで、早くも鼻が馬鹿になっているのかもしれない。
どうやっているのか外気は取り込んでいるようで、呼吸に困らないほどの酸素供給があるのは不幸中の幸いだった。お蔭で、嘔吐後に息を整えることができた。空気にイヤな匂いがついてなければ、なお良かったのに。
俺がもう一度吐きそうになっている間にも、肉襞は動きを止めることはなかった。
蠕動する肉襞は服に肌に吸い付いて、俺の全身をまさぐり始めた。
驚くほどに器用なそれはシャツのボタンを外し、スラックスのファスナーを引き下ろした。
インナーシャツに、パンツにと入り込んだぬめぬめとした肉襞は遠慮も容赦もなく俺の敏感なところを苛んだ。粘着質な水音を立てながらしごかれて、否応なしに官能を刺激される。
こんな気色の悪いものに、興奮したくない。
歯を食いしばり、卑猥な撫で摩りに抵抗するもたちまちに脳が痺れてくる。
おかしな物質でも分泌されているのだろうか。自分でするのとは、比べ物にならないほど気持ちいいのだ。肺が絞られ、上擦った溜め息が漏れる。もう顎に力は入らない。大口を開け、とても他人に見せられない痴態を晒して喘ぎまくる。痛々しいまでにペニスは勃起し、亀頭の背がベルトのバックルを叩いた。あぁ、最悪だ。俺の脳は肉襞の絶技に屈服させられ、自らの恥ずかしい姿を小説のヒロインのそれのように描写してしまっている。灯されたマゾヒズムの火は燃え盛り、俺の尊厳を残らず灰にした。認めるしかない。俺は悪臭放つ醜い肉の塊に魂を売り、亀頭を擦り付けて腰を振ることを最高の悦楽だと心から感じている。
肉襞は残酷にも、俺の快楽堕ちになどまるで興味がないようだった。その証拠に、愛撫を俺の興奮のボルテージに合わせてはくれなかった。
ここまでじっくりと興奮を煽るように見せかけておきながら、急転直下の勢いでしごきだしたのだ。肉襞による暴力的な吸引と強制抽送(ちゅうそう)に俺は、酸欠になるまで笑ったときのような頭痛に見舞われた。
────トんでしまう。
今まで感じたこともない快感が恐ろしくなり、拘束されているなりに仰け反って未知のエネルギーを逃がさんと試みた。当然それは無駄なあがきでしかなく、得も言われぬ甘美な衝撃が電流となって全身を刺し貫いた。
絶頂に至る直前、瞼の裏に浮かんだのは尾羽。ベッドの上で壁に背を預け、肢体を投げ出してライトノベルの頁をめくるあの姿だった。
訪れたオルガスムスにより、俺は上擦った嬌声を発しながら鈴口から精を迸らせた。
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