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閑話 私のヒーロー

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 明白に、絶対に、紛れもなく、彼は私のヒーローだった。


 * * *


 愛想が悪い、それは昔から指摘される私の欠点だった。幼稚園の先生、同年代の男女、学校の教師、そして職場の同僚に至るまで、ありとあらゆる場所で私は愛想の悪さを指摘された。

 愛想が悪いとはどういうことだろう、当初私は、その言葉の意味が理解できていなかった。だからそれを根気よく探っていった結果、どうやら私は、感情が表に、表情に出ていないようだということに気づいた。表情が動かないことが原因だと目星もついた。
 あまり表情が変わらないから、感情がないかのように思われてしまうみたいだ。それが無愛想という風に受け止められてしまうらしい。

 だが私だって人間だ。喜怒哀楽がないわけがない。嬉しかったり、楽しかったりすることはある。それ以上に、悲しみや悔しさを感じることのほうが多いのだが。しかしそれが顔に出ない、それだけのことで「無いもの」となってしまうのだからどうしようもない。

 一応、改善しようと努力はしたのだ。鏡を見ながら、表情を作る練習を毎晩行った。だが引きったようないびつで不自然な表情は、余計に悪印象を与えるだけだった。ならば動かないほうがまだマシだろうと、半ば開き直るようになってしまったのだった。


 * * *


 自分に取り立てて優れた才能があるとは思えないが、細々とした物事の要領は比較的良いほうだとも思う。仕事は事務方でデスクワークが中心だったため、同期と比較してもそこそこ仕事のできる人間という評価を得ることができた。

 しかし社会人として働くようになってからも「愛想の悪さ」が引き起こす軋轢あつれきは私に付いて回った。

 得意な内容とはいえ完全無欠な人間ではない。稀にミスをすることもあった。
 ミスを指摘されるだけならば良いのだ。私の責任であるし、指摘してもらえることで事前に事故インシデントを防げるし、反省の上、今後の改善にも繋がる。それ自体は歓迎すべきだ。

 だがそういった際、必ず人格批判がセットになって付いてくる。私はそれが苦痛で仕方がなかった。

「完璧にできてます、みたいな顔してこれか」
「だいたいいつもそんな仏頂面でいるから気にしてもらえないんだ」
「なんだ、その顔は。もっと申し訳なさそうにできないのか!」

 ミスを指摘した人物が次第にヒートアップしてくるのがいつものパターンだ。本来の内容から逸れたまま、何時間も詰められることも少なくない。
 終わるころには私も(そしてなぜか相手も)疲れ切っているのだが、この流れに、悲しいことに慣れてしまっている自分もいて、それが余計に私の表情を固定することになった。


 * * *


 私が彼と出会ったのは、冬のある夜。そんな風に私がなじられ、精神的に疲弊しきったまま電車を待っている駅のホームだった。
 仕事のことなんて考える気力がなく、ただただ帰って眠りたい。それだけを思い浮かべて、人影もまばらな夜のホームに呆然と立つ。

 氷崎なんて苗字だが、寒さに強いなんてこともない。むしろ寒いのは苦手だ。
 ただでさえ二月の気温は骨まで凍えさせるようで、その日は風までびゅうびゅうと吹いていたものだから、私は震えながら立ち尽くしていた。

 そのとき、ひときわ強い風が吹き込んできて、少しよろけてしまった。

 ただ少しよろけただけだ。すぐにバランスを取り直せるだろう。転んだり、ましてやホームから転落するほどじゃない。
 たまたま会社で怒られて、たまたま寒い思いをしながら電車を待っていたら、たまたま風に煽られた。これでおしまい。それだけのことだった。
 なんでもない、よくあることだ。そんな風に自分に言い聞かせるだけで済む出来事だったはずなのである。

 でも、その日は違ったのだ。

「っと、大丈夫ですか?」

 バランスを崩した私の身体が、ぽすん、となにかに受け止められていた。
 なにが起こったのかわからなくてパニックになりかけたが、背中越しの大きな姿を見上げて、ようやく私は誰かに支えてもらったのだと気づいた。

「っ……すまない、大丈夫、です」

「やけに風つえーっすからね。よかったら俺が風よけになりますよ。身体だけは無駄にデカいんで」

 返事を待たずに、彼はすっと私の前に立った。
 ともすれば順番を無視する行為だが、もとより人がまばらなホームでは私含めとがめる者などいない。
 そしてありがたいことに、彼の大きな背中が前に出た途端、凍えるような風がほとんど届かなくなった。

 なにかお礼を言わなくては、と見上げたが、青年は「まったくこんな日に前入りなんてついてねえ……雪が降らなかっただけマシか……?」などと呟きながら、照れ臭そうにそっぽを向いて頬を掻いた。

「あ、ありがとう……」

 私は掠れた声で囁くように言うことしかできなかった。


 * * *


 ほどなくして電車がホームに滑り込んできた。降りてくる乗客はいなかったから、私と彼はほとんど同時に電車に乗り込み、左右に別れて空いている席へ腰掛けた。
 なんとなく目で追ってみたが、同じ側に座ったのか彼の姿を見つけることはできなかった。

 そのままぼんやりと電車に揺られていたら、いつの間にか自宅へ着いていた。誰もいない部屋へと帰ってきた。

 靴を脱ぎ、ぺたんと床に腰掛ける。
 そのままぼーっとしていると、頬を熱いものが伝った。
 え、どうしてと戸惑っていても、涙は後から後から漏れ出してくる。結局そのまま、私はわんわんと泣きじゃくってしまった。
 こんなに泣いたのはいつ以来だっただろうか。


 ――それは、ほんの些細なことだったかもしれない。
 彼にとってしてみれば、日常の小さな一欠片、記憶にも残らない出来事だったかもしれない。

 それでも私にとっては途轍とてつもなく大きな出来事だった。
 彼だけが、私に気づいて、気にかけてくれた。傷つき、打ちひしがれた私を、その大きな背中で守ってくれた。

 たったそれだけ、それだけのことで、私は救われたのだ。
 明白に、絶対に、紛れもなく、彼は私のヒーローだった。

 頬を掻く彼の横顔を思い出すと、温かさを覚えるのと同時に、胸の奥がきゅーっと苦しくなった。

 相変わらず床に座り込んだまま、私は考えた。
 この遣り場のない思いをどうしたらいいだろうか。
 私は彼に救われたのだ。
 ならば私も、彼のように、誰かを助けられる人になりたい。
 こんな私でもなれるだろうか。

「なれるよ」

 はっとして振り向けば、見知らぬ少年がベッドに腰掛けていた。

「お姉さんが望むならね」
「な、だ、誰」
「空き巣でも強盗でも強姦魔でもないから安心して。ちゃんと説明するから落ち着いて。とりあえずエアコンつけてよ。この部屋、寒くってかなわないや」

 ――そしてひと悶着あった後。私は『異能ガチャ』なる奇怪なくじ引きで「魔法少女に変身できる能力」を手に入れたのだった。
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