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パンドラッキーホール 前
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「ラッキーホールって知ってるか?」
五限の後、いつものように学食で駄弁ろうとしたら、報知と玉置はこれからバイトだという。
どうしようかと思ったが、腹も空いていたので増渕と二人で学食へ訪れた。
向かいに座る増渕がそんなことを言いだしたのは、大盛りカレー二五〇円を掻き込み終えた直後だった。
「なんだそれ? 新しいオナホか?」
聞き慣れぬ単語に首を傾げる俺に向け、増渕は鬱陶しい仕草でドヤ顔を作る。
「ははん、やっぱり知らんのか」
「いいから教えろよ」
「オーケーオーケー」
肩を竦め、やれやれと手を拡げながら増渕は口を開いた。ジェスチャーがぶん殴りたくなるくらいウザい。
「ラッキーホールってのはもともと、風俗の一種だ。小部屋がベニヤ板みたいなもので仕切られているんだが、その板の腰あたりに丸い穴が空いてるんだ。客は穴にチンポを突っ込む。穴の向こう側に嬢が待機してて、突っ込まれたチンポを扱いたりしゃぶったりする、とまあこういう仕組みだ。顔が見えないことで逆に興奮を誘うシチュになってるわけだな」
説明の合間に交えられる大げさな身振り手振りがいちいち鬱陶しいが、意外にも上手い語り口についつい引き込まれる。
「なるほど。壁尻の口バージョンみたいな感じか?」
「まあ近いっちゃ近いな。もっとも、壁尻の場合は壁のこっち側にあるが、ラッキーホールの場合は穴の向こう側だ。だから視覚的な情報はほとんど無いと思っていい」
「ほほん?」
「風俗と言ったが、流行ったのは八十年代だ。性産業サービスとしてはとっくに廃れて、いまじゃほとんど見かけないらしい。いまあるとすれば、これを真似したシチュエーションプレイだな。エロ同人でもたまに見かけるぜ」
「まさに口便器だな」
「だな。それから『ラッキーホール』ってのは日本だけで通じる俗称だから、PornoHubとかSexvideosで検索するときはGlory Holeって入れるんだぜ」
うーん。説明はありがたいが、妙に詳しすぎるな。違和感を覚えた俺は先を促した。
「で? そのラッキーホールがどうしたんだよ。なにかあるんだろ?」
「……さすが察しがいいな。そうとも」
途端、目の前の男は待ってましたとばかりにニヤリと笑った。
「俺はつい先日、このラッキーホールを身を持って体験した」
「おおっ!?」
「どうだ、驚いただろう」
「そりゃあな! あれっ。けど、そういう店はもう残ってないって自分で言ってたよな? まさか……?」
「そうとも、相手は素人だ」
「マジで!?」
思わず身を乗り出してしまった。まさか俺たちの預かり知らぬところで、助平を煮詰めたようなこの男がそんな嬉し恥ずかし体験をしていたなんて……!
「う、羨ましい……! ずるい……!」
「ははは、そうだろうそうだろう。まあ落ち着きたまえ。詳しく語って聞かせてやろう。……まあ羨ましいとかずるいとかお前にだけは言われたくないけどなあーいますぐ殺してえ」
詳細を語るという増渕の言葉に、背筋を伸ばして聞く体勢をつくる(最後の方でゴニョゴニョとなにか物騒な言葉が聞こえた気がするがきっと気のせいだろう)。
そんな俺の態度を確認したように、ニヤニヤ笑いを浮かべた増渕はゆっくりと口を開いた。
「知っての通り、俺は以前よりマッチングアプリを主戦場としている」
「……お、おう」
そういえばトロルのような女とマッチングした話を聞かされたばかりだ。この男、主戦場などと格好つけているが、一度もまともに出会えたことがなかったはずである。
「そこで先日、俺はこんなプロフィールの相手を見つけたんだ。『テクには自信があります♡ 特にお口♡ あなたのザーメンいっぱい飲ませて欲しいなあ♡』と」
脳裏にあの女の姿が過ぎったのをふるふると首を振ってかき消した。
「俺はぜひ会いたいとメッセージを送った。エロいお姉さんに超絶テクで骨抜きにされたかったからだ!」
「ええー……」
どう考えても釣り丸出しのプロフィールなのに。こんなのに飛びつくやつ実在するんだな……。
「するとすぐに『私も会いたいな♡』と返信があった」
「うわマジか」
「内容はこうだ。『いきなり会うのはちょっと怖いから、午前二時に○×公園に来て♡ 男子トイレの、一番奥の個室で待ってて♡』と」
「それは……」
返事が来たのは驚いたが、おおかた暇つぶしが適当に作った釣りプロフだろう。よくて援デリ業者、酷いケースだと美人が登場しない美人局なパターンじゃないか? ノコノコ現れる様子を隠し撮りされネットに晒されるってパターンもありそう。
いやしかし、これは既に起こった話。目の前の男はそんな定石を覆したというのだろうか。俄然興味を持った俺は先を促した。
「深夜。俺はチャリをかっ飛ばして○×公園に急いだ。言われたとおりに個室に入り数分後、アプリに『着いたよ♡』とメッセージが届いた。直後、隣の個室に誰かが入る気配がし、カチャリ、と鍵を掛ける音も聞こえた」
「来たのか……!」
「否が応でも期待は高まる。またスマホが震えた。メッセージを見れば『壁を見て♡』。どういう意味かと視線を向ければ、薄暗くて気づかなかったが、隣の個室とを仕切る壁に直径七~八センチほどの穴が空いていたんだ」
なるほど、ラッキーホールのくだりはここに繋がってくるわけだな。俺はまるで自分のことのように語りにのめり込む。
「さらによく見れば、穴の奥には開かれた誰かの口が覗いていた。まるで誘うように蠢く舌がテラテラと光っていた。一も二もなく俺はパンツを下ろし、その穴にイチモツを突っ込んだ……!」
いよいよ話も最高潮というところだが、俺は増渕の顔色がやけに悪いことに気づいた。よく見れば、いつの間にかニヤニヤ笑いもすっかり鳴りを潜めている。
ああ、これはなにかが上手くいかなかったんだろうな、と俺は察してしまった。
まさか噛み切られたということはあるまいが(自分で想像して金玉がヒュンとなった)、「思ったよりも気持ちよくなくて萎えた」とか「顔が見えないとイケなかった」とかそのあたりだろう。
想定はしつつも、話の腰を折るのもしのびない。なにより面白そうだから、そのまま続きを聞くことにしよう。
なお数分後、俺はこの選択を後悔することになる……。
「突っ込んだ途端、チンポがなにか温かいものに包まれた。隣の個室に来た奴がしゃぶりついてきたんだ。ぐりゅんぐりゅんと舌でねぶられ、吸いつかれ、未知の刺激に俺はあっという間にイってしまった。信じられないくらいめちゃくちゃ出た。まだ吸いつかれたまま、ごくり、ごくりと喉を鳴らしている音が聞こえた。それを聞いた俺はもう辛抱たまらんと、パンツも穿かぬままに個室を出た。あれだけ出したというのにチンポはまだバキバキだった。俺は隣の個室をノックした。数秒後、鍵がスライドする音が聞こえた。緊張と興奮で心臓が口から飛び出そうだった。軋みながらゆっくりと開くドア。その先にいたのは――」
ゴクリ。手に汗握る俺の喉が大きな音を立てた。
一秒。二秒。なぜか苦しそうな表情を見せる増渕は、喘ぐように空気を吸ったあと、搾り出すように言った。
「洋式便所の便座で∨字開脚をしている――全裸のオッサンだった」
ぶわりと全身の毛穴が開き、身体の空気がすべて抜き取られたように喉がヒュッ、と鳴った。
向かいの男も真っ青な顔をして、頬から伝った汗が顎からポタポタと垂れている。
「俺も、おっさんも、なにも言わなかった。俺のほうは言えなかったというのが正しいな。視界に入った光景を理解することを脳が拒否していたんだ。でもそのせいですぐに目を閉じたり逃げ出したりできず、俺はその光景を網膜に焼き付けてしまった。ああ、俺は、いまでも縦に割れたアナルがパクパクと開閉しているのを」
「もういいっ……!」
遮るように言った俺は、テーブルから身を乗り出し増渕の肩を掴んだ。
「もう、いいんだっ……!」
真っ青になって震える肩を強く揺すると、自分のいる場所に気づいたようにほっと息を吐き、そしてポロポロと涙を零し始めた。
俺にはわかる。こういうときに適当な言葉をかけてはいけない。俺は増渕が落ち着くまで、辛抱強く静かに見守っていた。時折、席の近くを通る学生が涙を流す増渕に気づいてギョッとしていた。
そして三十分ほど経って、ようやく会話ができるまでにはなった。だが、ひどく憔悴しているのは一目瞭然だった。
そんな増渕が泣き笑いのような表情で言った。
「……悪いな、取り乱して」
「水臭え。友達だろ」
「すまんな……それで、続きなんだが」
「もういいって」
「いや、最後まで話させてくれ」
強い意志のこもった瞳に、なにも言い返せなかった俺は無言で顎を引く。
「……それで、ようやく目の前の状況を認識した俺は、悲鳴を上げて逃げ出したんだ。それっきりだ。逃げ帰ってからはメッセージも届いていない」
「そうか……」
「……でも、いまでも夢に見るんだ。こんな体験、とても俺だけじゃ抱えきれない。誰かに聞いてほしかったんだ……。かといって皆の前では言えなくて……! 無理に明るく振る舞っていたけど……辛くて……っ!」
「言わねえし、言えねえよ。誰にもさ」
「極立……っ! 俺、お前が友達でよかったっ!」
「このくらい、いつでも頼ってくれていいぜ」
「ありがとよ…………そんなお前なら安心して頼めるぜ。なあ、お前も行ってみてくれないか。ヘヘッ、実はさ、アカウントを取り直してメッセージを送っておいたんだ。○×公園、深夜二時」
恋する乙女みたいに伏し目がちになって語りだした増渕を前に、ノーモーションで席を立った俺は脱兎の如く駆け出した。
「……俺はな、あの地獄を誰かと共有したいんだよ。それに最近いい思いをしているお前を地獄に落とせば……そうすれば俺の苦痛も薄まる気がするんだ……だから極立。あれ? 極立? おい? ああっ!? おーい! てめえ極立! 逃げるなゴラァ!! お前も地獄に落ちろォォ!!!!」
しばらく増渕と二人になることは避けよう。学内を爆走しながら俺は心に誓ったのだった。
五限の後、いつものように学食で駄弁ろうとしたら、報知と玉置はこれからバイトだという。
どうしようかと思ったが、腹も空いていたので増渕と二人で学食へ訪れた。
向かいに座る増渕がそんなことを言いだしたのは、大盛りカレー二五〇円を掻き込み終えた直後だった。
「なんだそれ? 新しいオナホか?」
聞き慣れぬ単語に首を傾げる俺に向け、増渕は鬱陶しい仕草でドヤ顔を作る。
「ははん、やっぱり知らんのか」
「いいから教えろよ」
「オーケーオーケー」
肩を竦め、やれやれと手を拡げながら増渕は口を開いた。ジェスチャーがぶん殴りたくなるくらいウザい。
「ラッキーホールってのはもともと、風俗の一種だ。小部屋がベニヤ板みたいなもので仕切られているんだが、その板の腰あたりに丸い穴が空いてるんだ。客は穴にチンポを突っ込む。穴の向こう側に嬢が待機してて、突っ込まれたチンポを扱いたりしゃぶったりする、とまあこういう仕組みだ。顔が見えないことで逆に興奮を誘うシチュになってるわけだな」
説明の合間に交えられる大げさな身振り手振りがいちいち鬱陶しいが、意外にも上手い語り口についつい引き込まれる。
「なるほど。壁尻の口バージョンみたいな感じか?」
「まあ近いっちゃ近いな。もっとも、壁尻の場合は壁のこっち側にあるが、ラッキーホールの場合は穴の向こう側だ。だから視覚的な情報はほとんど無いと思っていい」
「ほほん?」
「風俗と言ったが、流行ったのは八十年代だ。性産業サービスとしてはとっくに廃れて、いまじゃほとんど見かけないらしい。いまあるとすれば、これを真似したシチュエーションプレイだな。エロ同人でもたまに見かけるぜ」
「まさに口便器だな」
「だな。それから『ラッキーホール』ってのは日本だけで通じる俗称だから、PornoHubとかSexvideosで検索するときはGlory Holeって入れるんだぜ」
うーん。説明はありがたいが、妙に詳しすぎるな。違和感を覚えた俺は先を促した。
「で? そのラッキーホールがどうしたんだよ。なにかあるんだろ?」
「……さすが察しがいいな。そうとも」
途端、目の前の男は待ってましたとばかりにニヤリと笑った。
「俺はつい先日、このラッキーホールを身を持って体験した」
「おおっ!?」
「どうだ、驚いただろう」
「そりゃあな! あれっ。けど、そういう店はもう残ってないって自分で言ってたよな? まさか……?」
「そうとも、相手は素人だ」
「マジで!?」
思わず身を乗り出してしまった。まさか俺たちの預かり知らぬところで、助平を煮詰めたようなこの男がそんな嬉し恥ずかし体験をしていたなんて……!
「う、羨ましい……! ずるい……!」
「ははは、そうだろうそうだろう。まあ落ち着きたまえ。詳しく語って聞かせてやろう。……まあ羨ましいとかずるいとかお前にだけは言われたくないけどなあーいますぐ殺してえ」
詳細を語るという増渕の言葉に、背筋を伸ばして聞く体勢をつくる(最後の方でゴニョゴニョとなにか物騒な言葉が聞こえた気がするがきっと気のせいだろう)。
そんな俺の態度を確認したように、ニヤニヤ笑いを浮かべた増渕はゆっくりと口を開いた。
「知っての通り、俺は以前よりマッチングアプリを主戦場としている」
「……お、おう」
そういえばトロルのような女とマッチングした話を聞かされたばかりだ。この男、主戦場などと格好つけているが、一度もまともに出会えたことがなかったはずである。
「そこで先日、俺はこんなプロフィールの相手を見つけたんだ。『テクには自信があります♡ 特にお口♡ あなたのザーメンいっぱい飲ませて欲しいなあ♡』と」
脳裏にあの女の姿が過ぎったのをふるふると首を振ってかき消した。
「俺はぜひ会いたいとメッセージを送った。エロいお姉さんに超絶テクで骨抜きにされたかったからだ!」
「ええー……」
どう考えても釣り丸出しのプロフィールなのに。こんなのに飛びつくやつ実在するんだな……。
「するとすぐに『私も会いたいな♡』と返信があった」
「うわマジか」
「内容はこうだ。『いきなり会うのはちょっと怖いから、午前二時に○×公園に来て♡ 男子トイレの、一番奥の個室で待ってて♡』と」
「それは……」
返事が来たのは驚いたが、おおかた暇つぶしが適当に作った釣りプロフだろう。よくて援デリ業者、酷いケースだと美人が登場しない美人局なパターンじゃないか? ノコノコ現れる様子を隠し撮りされネットに晒されるってパターンもありそう。
いやしかし、これは既に起こった話。目の前の男はそんな定石を覆したというのだろうか。俄然興味を持った俺は先を促した。
「深夜。俺はチャリをかっ飛ばして○×公園に急いだ。言われたとおりに個室に入り数分後、アプリに『着いたよ♡』とメッセージが届いた。直後、隣の個室に誰かが入る気配がし、カチャリ、と鍵を掛ける音も聞こえた」
「来たのか……!」
「否が応でも期待は高まる。またスマホが震えた。メッセージを見れば『壁を見て♡』。どういう意味かと視線を向ければ、薄暗くて気づかなかったが、隣の個室とを仕切る壁に直径七~八センチほどの穴が空いていたんだ」
なるほど、ラッキーホールのくだりはここに繋がってくるわけだな。俺はまるで自分のことのように語りにのめり込む。
「さらによく見れば、穴の奥には開かれた誰かの口が覗いていた。まるで誘うように蠢く舌がテラテラと光っていた。一も二もなく俺はパンツを下ろし、その穴にイチモツを突っ込んだ……!」
いよいよ話も最高潮というところだが、俺は増渕の顔色がやけに悪いことに気づいた。よく見れば、いつの間にかニヤニヤ笑いもすっかり鳴りを潜めている。
ああ、これはなにかが上手くいかなかったんだろうな、と俺は察してしまった。
まさか噛み切られたということはあるまいが(自分で想像して金玉がヒュンとなった)、「思ったよりも気持ちよくなくて萎えた」とか「顔が見えないとイケなかった」とかそのあたりだろう。
想定はしつつも、話の腰を折るのもしのびない。なにより面白そうだから、そのまま続きを聞くことにしよう。
なお数分後、俺はこの選択を後悔することになる……。
「突っ込んだ途端、チンポがなにか温かいものに包まれた。隣の個室に来た奴がしゃぶりついてきたんだ。ぐりゅんぐりゅんと舌でねぶられ、吸いつかれ、未知の刺激に俺はあっという間にイってしまった。信じられないくらいめちゃくちゃ出た。まだ吸いつかれたまま、ごくり、ごくりと喉を鳴らしている音が聞こえた。それを聞いた俺はもう辛抱たまらんと、パンツも穿かぬままに個室を出た。あれだけ出したというのにチンポはまだバキバキだった。俺は隣の個室をノックした。数秒後、鍵がスライドする音が聞こえた。緊張と興奮で心臓が口から飛び出そうだった。軋みながらゆっくりと開くドア。その先にいたのは――」
ゴクリ。手に汗握る俺の喉が大きな音を立てた。
一秒。二秒。なぜか苦しそうな表情を見せる増渕は、喘ぐように空気を吸ったあと、搾り出すように言った。
「洋式便所の便座で∨字開脚をしている――全裸のオッサンだった」
ぶわりと全身の毛穴が開き、身体の空気がすべて抜き取られたように喉がヒュッ、と鳴った。
向かいの男も真っ青な顔をして、頬から伝った汗が顎からポタポタと垂れている。
「俺も、おっさんも、なにも言わなかった。俺のほうは言えなかったというのが正しいな。視界に入った光景を理解することを脳が拒否していたんだ。でもそのせいですぐに目を閉じたり逃げ出したりできず、俺はその光景を網膜に焼き付けてしまった。ああ、俺は、いまでも縦に割れたアナルがパクパクと開閉しているのを」
「もういいっ……!」
遮るように言った俺は、テーブルから身を乗り出し増渕の肩を掴んだ。
「もう、いいんだっ……!」
真っ青になって震える肩を強く揺すると、自分のいる場所に気づいたようにほっと息を吐き、そしてポロポロと涙を零し始めた。
俺にはわかる。こういうときに適当な言葉をかけてはいけない。俺は増渕が落ち着くまで、辛抱強く静かに見守っていた。時折、席の近くを通る学生が涙を流す増渕に気づいてギョッとしていた。
そして三十分ほど経って、ようやく会話ができるまでにはなった。だが、ひどく憔悴しているのは一目瞭然だった。
そんな増渕が泣き笑いのような表情で言った。
「……悪いな、取り乱して」
「水臭え。友達だろ」
「すまんな……それで、続きなんだが」
「もういいって」
「いや、最後まで話させてくれ」
強い意志のこもった瞳に、なにも言い返せなかった俺は無言で顎を引く。
「……それで、ようやく目の前の状況を認識した俺は、悲鳴を上げて逃げ出したんだ。それっきりだ。逃げ帰ってからはメッセージも届いていない」
「そうか……」
「……でも、いまでも夢に見るんだ。こんな体験、とても俺だけじゃ抱えきれない。誰かに聞いてほしかったんだ……。かといって皆の前では言えなくて……! 無理に明るく振る舞っていたけど……辛くて……っ!」
「言わねえし、言えねえよ。誰にもさ」
「極立……っ! 俺、お前が友達でよかったっ!」
「このくらい、いつでも頼ってくれていいぜ」
「ありがとよ…………そんなお前なら安心して頼めるぜ。なあ、お前も行ってみてくれないか。ヘヘッ、実はさ、アカウントを取り直してメッセージを送っておいたんだ。○×公園、深夜二時」
恋する乙女みたいに伏し目がちになって語りだした増渕を前に、ノーモーションで席を立った俺は脱兎の如く駆け出した。
「……俺はな、あの地獄を誰かと共有したいんだよ。それに最近いい思いをしているお前を地獄に落とせば……そうすれば俺の苦痛も薄まる気がするんだ……だから極立。あれ? 極立? おい? ああっ!? おーい! てめえ極立! 逃げるなゴラァ!! お前も地獄に落ちろォォ!!!!」
しばらく増渕と二人になることは避けよう。学内を爆走しながら俺は心に誓ったのだった。
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