怪物どもが蠢く島

湖城マコト

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最終話 怪物どもが蠢く列島

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 三人の生存者が元の日常に戻ってから一週間が経過していた。もっとも、それは彼らにとっての日常なだけであり、世間一般のそれとは大きくかけ離れたものではあるが。

 絶海の孤島で起きた惨劇。あれは全て夢だったのではと思えるほどに、街には平和な日常が流れている。親子連れやカップル、友人同士など、道行く人々は一様に穏やかな表情を浮かべ、日本列島は今日も平和そのものだ。今日も平和に、あのデスゲームを主催した企業のシーエムが街頭ビジョンで流れ続けている。

『綿上黎一くんの番号で間違いないかな?』
「その声は胴丸さんですか。よく俺のプライベートな連絡先が分かりましたね」

 大勢の人々が行き交う週末の繁華街で、黎一は胴丸からの着信に応えた。胴丸とはクルーザーで本土へと戻り、現地で解散したきりだったので、こうして言葉を交わすのは一週間ぶりだ。

『これでも裏社会の人間だ。君一人の個人情報を調べ上げるぐらいは造作もないよ』
「これでも裏社会の人間です。個人情報についてはそれなりに対策を講じているつもりでしたが、恐れ入ります。それで要件は何ですか? まさか殺しの依頼じゃないでしょうね」
『ははっ、私はむしろ君に殺される側の人間だと思うがね。買った恨みの数は計り知れない』
「冗談に聞こえませんよ。まあ、その時は容赦しませんが」

 依頼に正当性があるならば、黎一は躊躇なく胴丸を殺すだろう。胴丸個人のことは決して嫌いではないが、仕事となれば話は別だ。黎一の殺し屋としての芯は絶対にぶれない。

『それは困るな。流石の私でも、君相手では苦戦は免れない』
「苦戦程度なんですね」
『冷静な分析の結果だよ』
「胴丸さんらしい物言いだ」
『そういう機会が訪れないことを祈るよ。この手を君の血で染めるのは忍びない』
「俺も、出来れば胴丸さんの返り血は浴びたくないですね」

 電話越しにブラックジョークを交えつつ、胴丸の声色は徐々に真剣味を帯びたものへと変わっていく。
 
『本題に入ろう。近日中に鮫鞘製薬工業に捜査が入ることになったそうだ。最終的にはグループ全体にメスが入ることになるだろう』
「胴丸さんの持ち帰った情報の効果ですか」
『そういうことなる。表向きは薬事法に絡んだ警察の捜査ということなっているが、実際には一文字の所属している調査機関が捜査の全権を任されているらしい』
「これで、一文字さんと鍬形さんも報われますね」
『そうであってほしい。捜査が上手くいくことを祈るのみだよ』

 ゾンビなどという危険な研究を野放しにはしておけない。兜や季里、鍬形、あの島で散っていた全ての者達のためにも、鮫鞘グループにはそれ相応の酬いを受けてもらわなければいけない。二人の思いは同じだった。

『そういえば綿上くん。あれから百重くんとは?』
「いえ、一度も顔は会わせていませんが」
『そうか。彼女にも連絡を取りたくて色々と調べていたのだが、足取りがまるで掴めなくてね。君なら知っているかと思ったんだが』
「俺もずっと気になっていたんです。もしかしたら、彼女の身に何かあったんじゃないかって」

 島で過ごした夜、玲於奈は父親の支配から逃れたいという願いを黎一に語っていた。もしも彼女がそれを実行に移そうとし、そして失敗したとしたら? 嫌な想像が働く。玲於奈は今、どこで何をしているのだろうか。

 ※※※

「会いたかったわ。お父様」
「こうしてまたお前の顔を見れて私も嬉しいよ。休息は十分に取れたかい?」
「すっかり元気ですよ」
「さあ、その可愛らしい顔をもっと近くで見せておくれ」
「はい、お父様」

 幼子のような無邪気な声を上げて、玲於奈は愛する父の胸へと飛び込んだ。
 日本へと戻っても、多忙な父とは直ぐに顔を会わせることが叶わず、この日は組織の本部へと戻った父との一カ月ぶりの再会であった。玲於奈が父と呼ぶ白髪交じりの男性は、見るものに安心感を与える温厚そうな笑みが印象的で、その表情は我が子を大切に思う休日の父親のそれだ。
 五十鈴の父親、百重びゃくえ季馬きば
 穏やかで優しい父親にしか見えないこの男こそが、世間を震撼させるテロ組織「黄昏の呼び声」のリーダーである。

「報告は聞いているが、お前の口からもあの島での出来事を聞かせてもらえるかな?」
「もちろんですわ。お父様」

 笑顔の花を咲かせる玲於奈の姿は、まるで授業参観を前に張り切る少女のようであった。

「報告書にも記しましたが、あのゾンビと呼ばれる生物兵器の力は脅威的です。個々の能力は武を極めた達人には劣りますが、常人ならば軽く圧倒出来るでしょう。群れとなった際の戦闘能力は達人すらも圧倒し、ネズミ算式に仲間を増やしていく繁殖力が何より恐ろしいです。今回は島という閉鎖空間が舞台でしたので、私を含め数名が生存することが出来ましたが、あれが人口の多い都市部での出来事だったらと思うと、地獄絵図は容易に想像出来ます」
「私も資料には目を通したが、確かにゾンビの性能は驚異的だ。それを確かめられただけでも、お前を潜入させた甲斐があったよ」
「これぐらい。お父様のためを思えばお安いご用です」

 鮫鞘グループが行っていた実験の実体を知るために潜入した人間は、一文字季里だけではない。玲於奈もまた、事前に情報得た上であの島でのデスゲームに臨んだ一人である。
 ただし、二人の目的は真逆と言っていい。季里が鮫鞘グループの悪行を暴くため、いわば正義のために潜入していたのに対し、玲於奈が潜入した目的は、鮫鞘グループが研究を進める生物兵器が、父がリーダーを務める「黄昏の呼び声」のテロ行為に利用可能かどうかを確かめることにあった。

 今一度彼女の肩書きを記そう。

 百重玲於奈。二十二歳。

 テロ組織「黄昏の呼び声」の最年少幹部。格闘戦は苦手とするが、射撃の腕は一流で幼少期より慣れ親しんでいるボウガンの扱いを最も得意とする。知略にも優れており、危機的状況を打開する可能性を秘める。

「玲於奈。ゾンビを手中に収めることは、我々にとって有益かい?」
「直接兵器として使用することはもちろんですし、ゾンビの存在自体が政府に対する大きな交渉材料となることでしょう。いずれにせよ、あの力を手中に収めることには大きな意味があるかと」

 ゾンビを街に放つ。この行為はこれまでに無い最悪のテロ行為となることだろう。そういった脅迫を交渉材料に使うことが出来れば、政府に対する要求も通りやすくなるはずだ。諜報機関の捜査官が島へ紛れ込んでいた以上、政府側も鮫鞘グループの抱える巨大な爆弾の存在を認識しているに違いない。

「鮫鞘グループの研究施設の襲撃計画。いよいよ現実味を帯びてきたな」
「はい。諜報機関の人間もじきに動くでしょうが、島へ潜入していた一文字と名乗る諜報員を消しておいたので多少は時間を稼げたはずです。彼らが動く前に私でゾンビを頂いてしまいましょう」

 季里を刺した時のことを、玲於奈は鮮明に覚えている。季里が後方を警戒して振り返った瞬間を狙って背中にナイフを突き刺し、そのままゾンビの群れ目掛けて蹴り飛ばしてやった。死の直前の表情を拝むことは叶わなかったが、それなりに信頼していたであろう人間に刺されたのだ。きっと、困惑と恐怖の混在した、素晴らしい顔をしていたに違いない。

「しかし、いかにお前が手練れとはいえ、ゾンビらだけの島を生き抜くのは楽ではなかっただろう」

 報告書に記したのは、ゾンビの性能およびそれを管理していた鮫鞘グループに関わる事柄が大半。サバイバル中の玲於奈自身の様子に関する記述は少なかったため、季馬は父親として娘の活躍に興味津々だった。さながら運動会の見学に父兄のようだ。

「頼りになる味方がいました。とても強くて、心優しくて、そして愚かな人。一目見た時から彼は使えると思いました」
「報告書にも名のあった。霧生とかいう殺し屋の青年か」
「凄まじい戦闘力の持ち主でした。それ故に心強い。彼は私のことを信頼し、仲間として最後まで守り抜いてくれました」
「彼に何を吹き込んだんだい?」
「か弱いイメージを植え付けただけですわ。彼の中で私は、テロリストの父親の支配に怯える哀れな少女と映っていたはず。だからこそ、私が一度も人を殺したことが無いなどという嘘も簡単に信じた」

 その話を聞いた瞬間、季馬から大きな笑い声が上がった。人を殺したことが無いという台詞が、よもや玲於奈の口から飛び出そうとは。

 玲於奈が初めてその手を血で染めたのは十二歳の時。幼少期より父から人の姿をした物を容赦なく撃てるようにと、死体を的とした射撃訓練を課されていたため、玲於奈は初めての殺しを、まるで玩具でも壊すかの如く簡単に完遂してみせた。

 直接、間接を問わず、これまでに玲於奈が手にかけた人間は二桁に届いている。組織内での玲於奈の主だった役割は要人の暗殺だ。玲於奈が二十二歳の若さで幹部の地位に納まっているのは、リーダーの娘だからという依怙贔屓ではない。玲於奈自身が大きな実績を残してきたからである。十代の頃から続けている、標的に警戒されないように、平凡な女子高生を装って近づく戦略は未だに有効で、二十二歳となった現在もセーラー服は玲於奈の勝負服だ。

「ほんの二週間前にも役人を殺したばかりだというのに、大胆な嘘をついたものだな」
「お父様を悪者に設定したからこその説得力ですわ。あえて実力を隠し、彼よりも弱く振る舞ったのも効いたのかもしれません。守ってあげたくなるようなか弱い女の子を、正義感溢れる殿方が放っておくはずがありませんから」
「我が娘ながら恐ろしい。命懸けのサバイバル下で人の心理をそこまで操るとは」
「ふふふ、今から女優を目指そうかしら」

 島での玲於奈の立ち振る舞いを演技だと見抜ける者は、決して多くはないだろう。参加者の中で玲於奈の本性に気付く可能性があったのは、悪女であり、同性の嘘を見抜くのに長けていそうな恋口蜜花くらいだろうか。念のため彼女には近づきすぎないようにしていたが、呆気なく中盤に脱落してくれたことは玲於奈にとっては幸いだった。

 玲於奈の振る舞いは演技というよりも性格の切り替えに近い。だからこそ本心を悟られぬまま相手の警戒心を緩めることが出来るし、言葉にも説得力が増す。これは普段の殺しの仕事でも同じであり、玲於奈が暗殺者ではなく、普通の少女だと思い込んだまま死んでいくターゲットは多い。玲於奈の知略家としての一面は、その巧みな演技によって相手の心理を突くことによって真価を発揮するのだ。

「お父様。鮫鞘の研究施設を襲撃する際には、是非とも私もメンバーに加えてください。お父様のためにもっと働きたいの」
「ああ、その時はお前を頼りにさせてもらうよ」
「はい。お父様のために」

 季馬に頭を撫でられると、玲於奈は満面の笑みを浮かべた。
 愛する父のためなら頑張れる。必要とされることが嬉しくてたまらない。

 ――こんなに素敵なお父様を、殺すだなんて……。

 同時に心の中では黎一に対する憎悪が煮え立つ。
 いくら演技中の玲於奈の言葉を信じていたとはいえ、愛する父を殺してやるなどと豪語した綿上黎一という男が玲於奈は心底嫌いだった。次に会うことがあれば衝動的に殺してしまうかもしれない。

 ――黎一さん。あなたとはもう一度会いたいものです。

 玲於奈は本心から黎一との再会を願った。
 会って、最大限の痛みを与えて殺してやりたい。
 玲於奈の瞳には、どす黒い殺意が宿っていた。

 ※※※

『そういえば綿上くん。君は今、厄介な仕事を引き受けているようだね』
「もうそんなことまで知ってるんですか?」

 いかに同じ裏社会の人間とはいえ、最新の仕事まで知られているのは驚きだった。それなりに機密性の高い情報なので、胴丸の情報収集能力の高さが伺える。

「正直、どう動いていいものか。何せターゲットの正体が分からない」

 黎一の仕事はもちろん悪人を殺すことだ。とある事件で命を落とした男性の遺族からの依頼なのだが、事件の実行犯が未だに特定されていないため、黎一は今、事件そのものを一から調べ直している。今の気分は殺し屋以前に探偵だった。

『二週間前に防衛相の役人が殺された事件か。「黄昏の呼び声」が関わっているという噂ではあるが』
「構成員の人数も不明ですし、特定には時間がかかりそうです」
『戦友のよしみだ。何か情報が入った際には君に提供しよう』
「助かります」

 胴丸の助力は素直に心強いと思った。島で共に戦った者同士、ちょっとした信頼関係が生まれている。人と人との繋がりの重要性は、裏社会でも大切だ。

『機会があれば百重くんも交えて、生き残った者同士でもう一度集まってみたいものだね』
「生存者同士の同窓会ですか。悪くない」

 それぞれの立場を考えればなかなか難しいことだとは思うが、いつかは実現したいものだと黎一は思った。
 
 ――いつか玲於奈は、俺に依頼をしにくるのだろうか?

 あの約束が有効なら、玲於奈とはまたいつか再会できるかもしれない。
 彼女が依頼してきた時は、全力でその願いに応えてやろう。

 玲於奈から殺意を向けられ、自身の仕事のターゲットが玲於奈であることを、黎一はまだ知らない。

 運命とは皮肉なものだ。

 ※※※

「主任。捜査が入るというのは本当ですか?」
「確かな筋から情報だ。どうやらあの実験には密偵が紛れ込んでいたようだな」

 緊張した面持ちの総角の研究心に対し、デスクに腰掛ける面繋は冷静かつ淡々と語る。
 実験のことが世間に知られれば、関係者一同身の破滅だ。家庭を持つ総角が焦るのも無理はないが、取り乱したところで何かが変わるわけでもない。

「そう焦るな。本部には証拠となるようなデータは何一つ存在していないんだ。決定的な証拠が出ない限り、彼らとて我々を断ずることは出来ないよ。万が一の場合に備えた対策もしてある。不安がる必要はない」
「そ、そうですよね」

 面繋の言葉で相角は少し落ち着きを取り戻した。取り乱したことを反省するように背筋を正す。

「ところで総角くん。一つ聞いてもいいかな?」
「何でしょうか?」
「君は、ゾンビで溢れ返った世界を想像したことがあるかい?」
「ゾンビの流出を想定したシミュレーションなら常に行っているじゃありませんか。被害は計り知れませんよ」
「数値の話ではない。あくまでも君の想像を聞いている」

 質問の意図が掴めず、総角は首を傾げる。

「知的好奇心からゾンビの研究をしてはいますが、日常はそれ以上に大事です。それが失われる様なんて、想像したくありませんよ」
「お固い答えだな。あくまでも想像の話だよ?」
「では、主任は想像したことがあるんですか?」
「もちろんだよ」

 待ってましたと言わんばかりに、面繋は嬉々として想像を口にする。

「ゾンビで溢れかえった世界。それは世紀末のようで、とてもスリリングだと私は思うよ。ポストアポカリプスというジャンルがあるだろう? 私はああいう映画が大好きでね」
「ご、ご冗談を」

 面繋が冗談めいたことを言いだすのは、今に始まったことではない。さして気にする様子もなく、総角は踵を返した。

 ――研究が凍結される前に、いっそのこと大々的に世間に公表してしまおうか。

 不敵に笑う面繋の手に注射器が握られていたことに、総角は気づいていない。

『続いてのニュースです。本日未明、鮫鞘グループ本社ビル近くの路上で男性が暴れているとの通報があり、警察が出動する騒ぎとなりました。男性は呻き声を上げながら警察官に暴行を加えるなどしましたが、取り押さえられた際に頭を強打し、間もなく死亡が確認されました。また、男性を確保する際に警察官三名が首を噛まれるなどして都内の病院へ搬送されましたが、現在も意識不明の重体となっています。所持していた身分証などから、死亡した男性は鮫鞘製薬工業勤務の研究員、総角一史さんであると――速報です。現在、都内の病院で傷害事件が発生したとの情報が入ってきました。現場は先程のニュースで警察官が搬送されたのと同じ病院とのことで、事件との関連を――』



 了

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