欠ける星空

七瀬美織

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⑭ 失われた真相

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 僕は二十代の頃、派遣会社から派遣されて、とある企業の情報システム室で深夜のオペレーターの仕事をしていた。

 派遣先の会社は、都心に近い住宅地に工場があり、その敷地内に本社ビルがあった。本社ビルは、戦後の高度経済成長時代に建造された物で、かなりの年代物だった。そこに最新のコンピュータシステム室が置かれていたのだ。

 その会社の社員が、システムを基本的に管理運営して、日々の業務に必要なデータ管理のプログラムをしていた。
 そして、各部署からリクエストのあったデータを、プリントアウトするのが派遣オペレーターの主な仕事だった。

 社員のシステムエンジニアSEが、優秀だが変わった人で、独特のプログラムを使用して、ハッキング対策をしていたらしい。
 しかも、情報システム室の業務は、軽微な表の修正、変更や新たな書類の作成まで多岐にわたった。処理システムの変更は、日常茶飯事に行われていた。
 そんなわずかな修正を毎日のようにして、正しくプログラムが動いてくれれば問題ないのだが、記号一つ抜けただけでプログラムは止まる。日中なら、すぐに社員を呼び出して修正してもらえた。

 しかし、データのプリントアウトは工場業務が終了する夜間が中心だった。

 だから、社員が退社した夜間にプログラムが止まると、オペレーターは、深夜であろうが、朝方であろうが、プログラムの担当者に電話をして、止まった箇所を報告する。小さなミスなら、その場でオペレーターが修正して業務を続けられる。
 しかし、どうしても修正が出来ない場合は、担当者は深夜でも自力で出社して、プログラムをチェックして修正するのだった。

 オペレーターは、シフト交代制だった。昼の業務も、データのプリントアウトや、資料の配達が主な業務だったが、プログラムにトラブルがあっても社員がすぐ対応するので、深夜勤務より気楽だったろう。

 本来は、シフトは月単位で交代するように会社から通達されていた。

 しかし、派遣会社は、派遣先のシフトにまで管理が行き届かなかったらしい。先輩派遣社員は、それをいいことに、昼間の勤務に入り、新人だった僕が深夜勤務に毎月入っていた。僕が、派遣されて三ヶ月以上経っていた。深夜勤務しかシフトに入っていないのに、何も言われないのがいい証拠だ。

 派遣先の会社は、どんなに忙しくても夜に工場を稼働させなかった。立地が、住宅地の真ん中だったので、規制があったのかもしれない。
 元々は、工場の周りは何もなかったそうだ。後から、最寄り駅の周辺が大規模な都市計画で、整然とした住宅地になったのだ。
 近年は、工場移転の話も出ていたが、会社の業績が落ちてきていたので、なかなか話しが進まなかったらしい。

 深夜勤務で会社に居るのは、派遣のオペレーターの僕と、委託会社の警備員が、一階の詰所に二人いて、会社の広い敷地内を交代で巡回していた。

 オペレーターは、シフト勤務時間が約一時間重なるので、その間に引き継ぎをする。夜十時に先輩が退社すると、深夜の会社に一人きりでの作業は、なかなか孤独だった。システムトラブルが無ければ、誰とも話すこともない。モニターとプリンターに囲まれた一角以外は、電気は消されて静まり返っている。

 エアコンは、熱を持ちやすいパソコンやプリンターの為に入れられているので、設定温度が低めで寒いくらいだった。

 深夜、トイレに行くには、廊下の電気をつける為に、廊下の少し先の給湯室まで行かなければならない。古いビルなので、スイッチを入れる場所に合理性も統一性もなく、何故こんな場所にあるのかわからない。懐中電灯を手にして、暗い廊下を進まなければならなく、とても不便だった。

 熱帯夜の廊下は、蒸し暑く不快だが、窓を勝手に開けると、センサーが反応して警備員が駆けつけるそうなので開けられない。

 深夜勤務に慣れたとはいえ、モニターをぼんやりと見つめているだけでは、眠気に勝てず、うっかり居眠りしてしまう事がある。 
 しかし、寝入ってしまってプリンターを用紙切れにしてしまうと、始業時間までに印刷が終わらないのだ。
 もしも、派遣先の会社の業務に支障をきたす事態になれば、最悪の場合は契約を切られてしまい、始末書で済まなくて懲戒解雇の可能性がある。

 ブラックな職場と言えなくはないが、人付き合いが苦手な僕には、天職かもしれないと当時は思っていた。



 ある夜のこと、その日も夜勤で会社に一人いた。時刻は午前二時を過ぎただろうか、眠気と戦いながら、プリンターのインク交換をしている時だった。

 バタバタと、廊下を走る音がする。廊下の磨りガラスに、懐中電灯の灯りが当たり明るくなる。

 ガラガラと引き戸の開く音がして、警備員が入って来た。走って来たのか、息を荒くしていた。警備員は、室内照明のスイッチも入れずに、懐中電灯で辺りをせわしなく照らして何かを探していた。

「どうしました?」
「無事ですね……!」

 警備員は、小声でそうつぶやいて扉を閉めると、再びバタバタと走り去ってしまった。無事を確認しなきゃいけない事態があったのか?

「何があったのかくらい、言って欲しいよ……!」

 翌朝、昨夜の警備員の話を先輩にすると、興味が無かったのか生返事だ。ただ、変な事を言われた。

「おまえ、平気なんだよな?」
「? 何がですか?」
「いや、平気ならいいんだ……」




 ある夜、ウトウトと居眠りをしてしまった。椅子に座ったままなので、熟睡まではしない。頭も体も眠っているが、耳だけは音をとらえているようだった。

 カサカサと書類を触る音がする。虫が這っているような微かな音だ。

 夢うつつながら考えた。ゴキブリだろうか? 嫌だな、こんなオフィスにも奴は出るのか?

 ガタン!

 スチールの机の引き出しが思いっきり引かれたような音がして、僕は飛び起きた!

 驚きのあまり、心臓がバクバクしている。

 ギイイッ……。

 暗闇の中、どこかの椅子が鳴った様な音だった。

 社員のプログラマーが、トラブルに備えて出社して来たのだろうか?

 ゴン!

 何か、重い物を落としたような音がした。僕は、ビクリと音に反応する。

 少しづつ、音の鳴る場所が近くなっている。僕は、寒いくらいのエアコンの効いた室内で、汗だくになっていた。

 目の前の暗闇の中、いつものオフィスの風景に異物が混じっている。暗い室内よりなお一層暗い塊が、モソモソと机の死角に潜んでいる。それが、ゆっくりと輪郭がハッキリ分かるよう形や色を変えようとしていた。

 これは、やばいやつだ! 本能的に危機を感じているのに身じろぎ一つ出来ない……! 椅子に座ったまま、金縛りかよ?!

 キーンと耳鳴りがしてきた。

 バタバタと、廊下を走る音がする。廊下の磨りガラスに、懐中電灯の灯りが当たり明るくなる。

 ガラガラと引き戸の開く音がして、警備員が入って来た。走って来たのか、息を荒くしていた。警備員は、照明のスイッチも入れずに、懐中電灯で辺りをせわしなく照らして何かを探していた。

 一瞬、机の死角の影に光が掠めた。すると、何かが物凄い速さで警備員の脇をすり抜けて廊下に出て行った。

「……いた!」

 警備員は、小声でそうつぶやいて、扉を閉めると再びバタバタと走り去ってしまった。

 僕は、節電の為に消された室内の灯りを全部つけて、震えながら業務を続けた。帰り際に警備員の詰所をのぞいたが、なんだか沢山の人がいて、取込み中のようだった。昨夜の話を聞くことは出来そうもなく、諦めて帰宅した。

 次の夜、出社すると警備会社の制服が変わっていた。

「あれ? 制服変わったんですね」
「本日から、新しく我が社が警備に着くことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「えっ! 警備会社が変わったんですか?!」
「はい。何でも、以前の警備会社の警備員は、社員が帰宅してから見回りもしないで帰宅したり、遊びに行ってさぼっていた事が発覚したそうです。我が社は、そんな事はいたしません」

 はきはきとした挨拶をする警備員は感じが良かった。僕は、派遣先のI.D.を見せて、深夜勤務のオペレーターだと挨拶した。

 しかし、警備員が深夜に不在だったのなら、駆けつけてくれた警備員は、誰だったというのだろう? たまたま、サボらずいたのだろうか?

「深夜の巡回の時、よかったら情報システム室に声をかけてくれませんか? 居眠り防止になりますから……」
「良いですよ」

 僕は、ホッとした。もし、昨夜のような事が再び起こっても、運良く助けがあるとは限らない。

 情報システム室の壁にかけられた時計の少し上に、お札が貼ってあった。
 今まで、目に 入らなかったのが不思議なくらい大きく立派なお札だ。

 あれは、何処のなんの為のお札なのか、社員に聞いてみたが誰も知らない。ただ、毎年総務課が新しいお札に張り替えにくるそうで、理由を知っている人はいないそうだ。

 しかし、今年はお札を張替えにまだ来ていないという。いつもは、夏になる前に交換しにくるそうなのに……。



 バタバタと、廊下を走る音がする。廊下の磨りガラスに、懐中電灯の灯りが当たり明るくなる。

 ガラガラと引き戸の開く音がして、警備員が入って来た。走って来たのか、息を荒くしていた。警備員は、扉を閉めると照明のスイッチも入れずに、懐中電灯で辺りをせわしなく照らして何かを探していた。そして、僕の姿を見つけると走り寄ってきた。

「……いた!」

 警備員は、小声でそうつぶやいて、座り込んだ。

「何かあったんですか?」
「な、何でもありません! 何でも……」
「そうですか……」

 絶対に、何でもない様子ではない。僕は、節電の為に消された室内の灯りを全部つけて、真っ青な顔をして、震えている警備員に椅子と缶コーヒーをすすめた。警備員は、小一時間ほどで落ち着いたらしく、巡回に戻って行った。

 僕は、トイレに行きたくなった。懐中電灯を手に、廊下の電気をつける為に、給湯室に向かう。あんな警備員の様子を見た後だったので、まるでお化け屋敷を進む様な心境だった。

 給湯室のドアの前で深呼吸をする。いつも、暗い室内を開ける時が一番緊張した。

 ガタッ!

 扉が開かない。

 ガタッ! ガタッ!

 力を込めてノブを回して開けようとしたが、扉はビクともしない。内側と外側にも力を込めてみたが、ガタガタと音を立てるが一ミリも開く気配がしなかった。

 僕は、給湯室から素早く離れて、暗い廊下を懐中電灯の明かりだけで走ってトイレに行った。トイレは、電気のスイッチが入口にあるので問題ない。問題なのは給湯室だ。給湯室のドアに、鍵なんか付いていない。必要ないからだ。だったら何故開かなかったのだ? 突き詰めて考えちゃいけない……!

 暗い廊下を足早に情報システム室に戻る時、遠くで絶叫が聞こえた気がした。

 僕は、硬直してしまった。耳をすませて、もう一度叫び声が聞こえきたら、様子を見に行こうと言い訳しながら時間を過ごした。結局、朝まであれ以上の出来事はなかった。

 帰り際に、警備員の詰所をのぞくと、昨夜の警備員は帰ったらしく、他の人がいた。

 あまりの気味の悪い出来事の連続に、一ヵ月前から昼シフトに補充された新人に頼み込んで、一週間だけ体調不良を理由に、深夜シフトと変わってもらった。
 僕が、怪奇な体験をするまで数ヶ月かかった。一週間くらいなら大丈夫だろう。僕は、楽観視していた。

 一週間後、新人は急に辞めてしまった。挨拶にも来ない彼を、先輩は怒っていた。

 僕は、罪悪感で一杯になったが、何も言えなかった。

 それから暫くして、派遣会社からの通達で、僕たちは他の会社に派遣先が変わった。派遣先の会社が経費削減の為に契約を打ち切ったのだ。深夜のオペレーター業務も、社員がする事になったそうで、その会社のその後を知る事が出来なくなった。

 数年後、僕が派遣されていた、あの会社は、ライバル会社に吸収合併されて、ブランド名が残されるだけになってしまった。

 本社と工場のあった場所は一度更地になって、新しいビルが一つ建っていた。余った土地は売却されて、新たな都市計画が進められているそうだ。

 何年経っても、後悔に似た感情と共に、僕はあの会社で深夜に起こった出来事を思い出す。結局、僕は一連の出来事に深く関わらないで過ごす事で身を守ったのだ。


 いずれにせよ、あの日の出来事の真相は、永遠に失われてしまった…………。


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