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第一章 五里霧中の異世界転移

第三十六話 恋の魔法

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 早朝、香澄かすみは昨夜のお酒も残らず、すっきりと目覚めた。皓輝こうきに散歩を命じて、手早く入浴した後、リーフレッドと出かける準備をしていた。

 今日は、竜騎士の背に乗ってファルザルク王国へ三時間ほどかけて移動する。香澄は、藍白あいじろさらわれた時は、パニック寸前で余裕がなかったが、ひそかに空の旅を楽しみにしていた。

 香澄専属の侍女役の『誓約の精霊』リーフレッドは、香澄の長い黒髪で、三つ編みをたくさん編んでいた。濃紺のリボンも同時に編み込み、まとめて後ろでキュッと結ぶと、多少の風でも乱れそうもないヘアスタイルの完成だ。

 香澄は、旅装用に竜騎士団の女性の制服を身に付けている。制服は、朝食と一緒に大使館のメイドが届けてくれた。

 制服は、シンプルな詰襟のスタンドカラーで、上質な紺色の生地で仕立てられている。青いラインが胸元の切り返しと袖口に沿って入っていて、同色の細かな刺繍に飾られていた。
 香澄は、以前よりも身長が少し高く、体格は華奢で手足も長くなった。用意された制服は、採寸したわけではないのにぴったりだった。スラックスの裾を、膝下までの編み上げブーツに入れて履くと、香澄のテンションは上がった。初めての軍服コスプレの気分で、浮かれて鏡の前でクルクルまわってしまった。

 そして、香澄はリーフレッドが良い仕事をしている間、鏡の中の自分の顔を睨みつけるように見つめている。

 香澄は、現実を受け止めるために、今の自分の姿をしっかりと認識しする事にしたのだ。

 まず、何はともあれ、違うのは顔だ! うっかり見惚れてしまいそうな美少女を自分だと思うのにどうしても抵抗がある。だが、美少女は、鏡の中で自分の思い通りに表情を変えるのだから、間違いなく自分の今の顔なのだ。

 だが、この顔は反則だと思う。少し微笑んでみると、鏡に映る彼女の微笑みに、香澄自身がドキッとさせられる。大きな瞳は、不思議な色あいで、濃い紫のグラデーションに黄金を溶かした様な斑らが混ざり輝いている。鼻筋が通ったやや高い鼻と、バランスが取れた配置の唇が、何も塗ってなくても血艶の良い薄紅色をしていた。
 そして、肌のハリ、ツヤ、輝きが違う! シミ一つないし、キメが細かく瑞々しい! 成人前の少女だが、女性らしく胸もふくらみ、腰のくびれもおしりのラインも理想的だ。

 香澄は、平たい丸顔の中心にだんご鼻、目はやや大きめで愛らしいが、決して美人ではなかった。以前の自分の姿を思い出しても比べるまでもない。
 普通なら、変顔をしても愛らしく、美しいと分類されるたぐまれな美貌の持ち主になれば、もっと喜んでもいいはずだと、香澄だって思っていた。

 香澄が素直に喜べないのは、劣等感からなのだろうか? どうして、こうなった! 香澄は、自分の娘でもおかしくない姿を、受け止めるだけの器用さが切実に欲しかった。

『香澄? どうかしたの?』
「何でもありません! 今日もきれいにしていただいて、ありがとうございます」
『香澄は、素材がいいから楽しいわ』
「ははは …… 」

 リーフレッドさん、せっかくほめめて頂いたのにごめんなさい。これは、一種の全身美容整形です。生まれ変わったみたいに綺麗になりましたが、生死の境を彷徨さまよう大怪我の治療の産物です!  

 何故か、別人の姿で若返り、年齢不詳、種族不明のオプションまで盛り沢山。中身は残念な中年オバサンのままだと、やっと自覚は出来た。香澄は、自分の中途半端な認識能力にがっかりした。



 大使館の一室、海野遊帆うんのゆうほに割り当てられた寝室を、アレクシリスは早朝から訪ねてきた。

「認識阻害の魔法は、解けるけど、解かないよ …… あたたたっ! 頭に響くうっ!」

 遊帆はベッドに座り込み、二日酔いの頭痛に苦しみながらアレクシリスの質問に答えた。

「何故ですか?」 

 アレクシリスは、二日酔いによく効くお茶を、遊帆に渡しながら尋ねた。こんな早朝に、遊帆に会いにきたのは、ファルザルク王国に出発する前に確認したったからだ。

「香澄ちゃんの手帳を見て知ったんだけど、彼女は心の病気だったんだよ」
「心の病気?!」

 アレクシリスは、眉をひそめた。

 ファルザルク王国の医療は『落ち人』の伝えた知識もあって、かなり高度だった。医薬品類の開発は、まだまだ異世界ほどではないが、治癒魔法を合わせれば、逆に失った肉体の再生まで可能なのだ。アレクシリスは、竜騎士という職業柄、治癒魔法を習得する為に、医学も学んでいた。

「香澄ちゃんは、手帳に何でも書き込むタイプで、薬局の薬の説明書が貼ってあった。病気の症状や通院日もきちんと書いてあったよ。この世界で、薬を処方するのは不可能だけど、認識阻害の魔法は、病の対処療法の治療薬と、効能的に似たような作用をするんだ。頭の働きをにぶくして、ストレスを軽減し、心の疲れを感じにくくしてくれる。厳密には、それだけじゃ足りないが、かなり効果はあるだろう」
「彼女の為にも、解術しない方がいいという訳ですか …… 」
「藍白にキスされても、香澄ちゃんが平然としてて、傍目はためには面白かったけど、鈍いままなのはある意味良かったかもしれない。精神的な負担の軽減にはなったろう」
「しかし、色々と鈍く、無自覚なのは危険では …… ? 」

 遊帆は、一気にお茶を飲み干した。最近のアレクシリスは、遊帆を訪ねる時、この薬草茶をよく持参してくる。

「彼女に自覚がないのが、問題じゃないかな?ま、ともかく、香澄ちゃんの恋愛スイッチを押してやらなくちゃ」
「恋愛スイッチ?」
「自分が、若返ってる。いや、生まれ変わって、ぴちぴちの美少女になったってことに無自覚なんだ。それなら、 自分が異性の目にどう映るのか、恋愛対象として、どれほど魅力的か、教えてあげればいいだろ?」
「認識阻害の魔法を解かないで、それを自覚させろと?」
「精神の安定の為にも認識阻害の魔法が、仕事しないと駄目だし、難しいかなぁ …… 。まあ、アレクシリスが香澄ちゃんと、恋したいなら頑張るしかないよ」
「な、な、な、何を!」
「アレクシリスはわかりやすいよ。最初から香澄を助けるのに必死だったし、やたら熱心に香澄ちゃんの世話を焼いてたし、俺の『管理小屋』の滞在許可だって即行でもぎ取ってくるし、治癒魔法だって、魔力枯渇寸前まで魔力を注ぎこんで、ふらふらになったり …… 若いっていいな!」
「遊帆殿!」

 アレクシリスの声が、遊帆の頭にガンガンと響いたが、お茶の効果か何とか耐えながら話しきった。普段の冷静沈着なポーカーフェイスが崩れて、真っ赤な顔をしたアレクシリスを見て遊帆は満足気だ。

「ゆ、遊帆殿こそ、どうなのです?!」
「え~、俺はそんな不実な男じゃないよ。一応、既婚者だし。竜族は、認めてくれないけど、メイラビアは、俺の愛する妻だよ。あ、本人も認めてくれてなかった! ははは …… 」

 遊帆とメイラビアの関係は、とても複雑な事情があった。竜族が遊帆に『接触禁止』と『立入禁止』を課したのは、二人の関係が原因なのだった。遊帆が竜族に許されるには、まだまだ時間がかかるだろう。

「知ってる? 女性の精神的疾患に効果絶大の魔法が何か? 恋の魔法だよ。恋愛は、女性を心身ともに癒してくれる最大の薬なんだ」
「それは、医学的根拠があるものですか?」

 遊帆は、二日酔いの頭痛を忘れて真剣に考えはじめた。

「 …… どうだったかな? 多分、ホルモンのバランスだとか、色々根拠があったはずだよ。ははっ …… 俺も大概たいがい忘れているからな。これで、医師を名乗るなんざ烏滸おこがましいな …… 」
「 …… 遊帆殿」

 遊帆は、普段の飄々ひょうひょうとした雰囲気から、一転、暗い目をして自嘲じちょうする様に言った。そして、アレクシリスに挑むような鋭い視線を真っ直ぐに向けた。

「アレクシリス、香澄ちゃんに話さないのか? 元の世界の記憶は、どんどん失われていく事を ……  魔霧の森の『管理小屋』は、一番『忘却ぼうきゃくの症状』が進行する場所で、一年も経てば異世界転移以前の記憶を失い、この世界の記憶しかなくなるって話を …… 」
「 …… どんな形であれ、一年後まで特別な理由なしに告げる事は出来ません。遊帆殿も、そのつもりでいて欲しいのです …… 」
「それは、命令? なら従うよ」
  
 アレクシリスは、遊帆に答えなかった。珍しく、感情を表に出して、苦痛を耐えるような表情を見せていた。職務に忠実な竜騎士団長、女王を支える信頼厚い王弟として生きてきた青年が、私情で規律を破る真似は出来ないだろう。

「そんな顔しなさんな。あんたらが、こんなルールを作らなきゃいけない理由を知ったら、責めたくても責められないさ。そうだ、俺の残った記憶は、もう粗方あらかた『魔導書』に記録した。まあ、もう一度覚え直せば記憶に残るが、全てはただの記録だ。実感がなければ意味をなさない。俺は、特に医師として生きた記憶を記録していても、もう医師として生きられない。曖昧あいまいな中途半端な知識じゃ、もう人を切ったり出来ないよ。医学の知識も系統が穴だらけで内容も薄いし、残す価値があるかどうかさえ微妙になっている。時間が勝負の魔術だっただけに、俺の場合は手遅れだったからな」

 二人は、五年前を思い出して少しの間、無言になった。五年前、遊帆にとって、激動の一年間であり、アレクシリスにとって、苦い思い出の一年間だった。

「 …… 香澄にその記録を残して覚え直す魔術は、使えないのでしょうか?」
「認識阻害の魔法と平行しては無理だな。それに、彼女の場合、ちょと違う気がするし」
「違う?」
「彼女は、召喚されたんだ。『落ち人』とは、違うかもしれない」
「例の竜王リングネイリアの『禁断の秘術』ですか?」
蘇芳すおう達は、何か知っているらしいが、俺らには話さないだろう。竜族は、意外と秘密主義なんだと思っていたら、どうも禁忌の刷り込みがあって、話したくても話せないらしい …… 」
「以前、杜若かきつばたも同じ様に話したくても話せない事を、禁忌に触れたと言っていた事があります」
「まったく、つくづく残酷だな! この世界は! とことん、異世界転移者を魔力補給を目的に落としているとしか思えないし、『禁断の秘術』がろくでもない魔術なのは、リングネイリアの死にざまからも想像がつくよ!」

 遊帆は、忌々いまいましいと言わんばかりに毒づいた。

「神が意図して『落ち人』を作り出しているととでも?」
「その可能性は高いだろう? だから、『召喚された者』に、どんな運命が用意されているのかわからないし、正直に言うと怖ろしいよ」
「香澄 …… 」 
「しかも、黒い霧や『異界の悪魔族』が活発に動いてる。表に出たのは、ランスグレイルの件だけだが、従者は意識不明。肝心のランスグレイルは、行方不明のままだし、何かが始まっている予感がヒシヒシとする」
「竜族が隠す何かを暴かなければ、解決も難しそうです。しかし、今は香澄の身の安全が、まず第一ですから …… 」
「安全だけなら、あの黒猫が一緒なら、大丈夫じゃない?」
「黒猫? ああ、皓輝ですね。誓約で従者になったといえど、黒い霧だった者を信用しきれませんが、護衛くらいになりますね」
「何はともあれ、俺は戦うよ。この世界が、何を求めているのか必ず暴いて、神とだって戦ってやる! …… うっ!」

 遊帆は、興奮したのと、自分の大声で具合が悪くなって、ベッドに突っ伏した。頭痛の他に胃が痙攣けいれんしてきて、吐き気にも耐えなければならなくなっていた。

「遊帆殿、その様な体調で竜に騎乗するのは無理では?」
「うっぷ、もう少し休めば大丈夫だ。ま、慌てず、ゆっくり行こうぜ …… 」

 二日酔いの治癒は、解毒魔法を使うのが最適だが、あいにく二人とも苦手な魔法だった。









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