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突然の依頼に困ってるんです②

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狭い洞窟の中を黙々と進んで行く。このやたらと広い洞窟は、四つほどの街を跨っている。聞けば、街の人間もこの場所を知っている者と知らない者がいるらしい。なんだそれは。土地の所有者もはっきりしてないらしい。なんだそれは!しっかりしろ役所。

「思ったより広いね。それに寒くなくて過ごしやすい」
「……」

はっきりとこちらへ向けられた言葉を、これでもかと無視を決め込む。アーロックはその様子を咎めるでもなく、会話が成り立っている風に続けた。

「小さな虫が巣食ってるくらいかな?蝙蝠も見当たらないが……」
「……」
「きっと肉食の魔物がいるんだろうね」

無視無視無視無視。アーロックの藤色の目が何か言いたそうにしていたが、それも含めて見なかったふりをした。

魔法協会からの依頼は、洞窟の捜査だった。
というのも、ここ数日でこの街を含め、付近の街で家畜が消えてしまう事件が頻発していた。小さな小鳥から牛や馬や大型のものまで幅広く、家畜が消える時間帯はまばらだが、飼い主が目を離した一瞬の隙にいなくなっていることが多いらしい。
その事件を地図上に記すと、とある場所を中心に円形になっていた。そのとある場所というのが、この洞窟というわけだ。
魔法協会はそこまで突き止めることは出来たものの、肝心の現場へ行くには時間がかかり、なおかつ多数の家畜を一瞬で捕食もしくは移動させられるくらいの何かを、そこらへんにいる魔法使いには対処出来ないだろうということで、この天才魔法使いを指名した。それはまあしょうがないな。たまたま近所に住んでいたとはいえ、魔法協会にしてみればラッキーだった。普段なら俺も渋々ながら依頼を請けていたに違いない。この男さえいなければ。

「さっさと終わらせて帰ろう……」
「おや、奇遇だね。俺もそう思っていたところだよ。気が合うのかな」
「言ってろ……」

思わず口に出してしまった言葉を、アーロックが目敏く拾い上げて会話にして返してくる。耳が良すぎるんじゃないのか。不本意ながら言葉の応酬をしてしまったことに少し落ち込みながら、もう帰るまでは一切口を開かないと心に決めた。



随分長いこと歩いてきたように思えた。洞穴の中は暗闇だというのに、真っ白な岩や、青白く光る花のおかげで周辺が目視出来る。たまに発光する虫がひらりと飛んで、岩の隙間へ隠れていった。
アーロックは相変わらず独り言を延々と喚いている。黙ったら死ぬ病にでも罹っているのだろうか。

「ここを抜けると大きな広場に出るぞ」

アーロックが指差した先には、言葉通り大きく広がった空間があった。奇妙すぎる。なぜこんな広い場所が存在するんだ?

嫌な予感が背中を撫でて、全身が粟立つ。何かが急速でここに迫って来ていることに、俺もアーロックも気付いていた。

「オルゴ、上だ」
「……っ」

言うが早いか、岩崩のような衝撃が訪れる。脆い小屋が倒壊したような、小さな雪崩のような、巻き込まれないようにその場から逃げ出すことで精一杯だった。
最初は、天井が抜けたのかと思った。大きな山脈だ、崩れたらひとたまりもない。それほどの衝撃だった。しかし、砂煙が消え去ったあと目に飛び込んできたのは、人を丸呑み出来るくらいの腹を持った大蛇だった。職業柄、大蛇を相手にしたことは数回あったが、ここまで大きいものは見たことがない。
蛇は厄介だ。動きが読めない上に、矢のように正確に舌を伸ばして身体を絡め取ってくる。口の中に連れ込まれたら最後、胃液で溶かされてしまうのだ。魔法使いが危険な役職だと理解しているが、そんな最期は勘弁して欲しいものだ。

大蛇が口を開けて侵入者に狙いを定め、襲いかかる。丸呑みしてくるならまだいいが、毒液を発射してくるようなやつなら更に厄介だ。解毒は可能だが、解析に時間がかかる。その間に毒が回らないとも限らない。万事休す。

「困ったねえ……俺は蜘蛛も虫も平気なのだが、蛇だけは苦手でね」

そんな場面であるにも関わらず、この男は苦手な食べ物でも挙げるように悠長に困った顔をしていた。俺は蜘蛛も虫も蛇も好きじゃないが、そんなことを言っていられる状況ではないことは明白だった。
拳を握って力を込めて周囲に防御壁を張ろうとしていると、大蛇に気取られてしまったのか一直線に飛び出してきた。一秒にも満たない瞬間、自身に害が及ばないように防御するのが精一杯だった。アーロックの方を確認することも出来ず、風の力を借りて物理的に進行方向を歪曲させる。その先に、旧友がいることに気付いた時には遅かった。

「……アーロック!」

わざわざ魔法協会の本部から、拒否権を持っている俺を指名してきた、稀有な案件だった。見たこともない大蛇だった。アーロックは蛇だけが苦手だと言った。大蛇のくせに俊敏で、重量を感じさせないほど素早い動きだった。毒腺を持っている可能性が高かった。未知の毒蛇に噛まれれば、解毒は難しいとされている。俺たち魔法使いも例外ではない。

挙げればキリがないほどの不利な状況でさえ、そんなことは大した問題ではなかった。今までそういった危機はたくさん乗り越えてきたし、危険なくしてこの役職に就くことは出来ない。今回もそうだ。分かっていたのに、俺は思わず身体が動いていた。ああ、クソ。なんでこんなやつ庇ってしまったんだ。

「……っ、ぐ…」
「……オルゴ?」

棒立ちになっていたアーロックを突き飛ばし、大きく口を開けた大蛇に腕を噛まれた。毒がなかったとしても、肉が抉れるほどの深い刺し傷だ、大出血は免れないだろう。鮮血が扇状に吹き出す。地面へ倒れ込みながら、鮮やかな赤を他人事のように見ていた。

空気が温度をなくしていく。ぞわり、と無意識に肌が粟立った。

ひゅっと空気を切る音がして、岩のように硬いものが地に落ちる。朦朧とした頭でそれを確認すると、――蛇の頭だった。

驚くことも忘れて、恐る恐る大蛇の姿を確認する。身体が思うように動かない。牙はまだ刺さったままで、ひどく熱い。今までの経験上から言うと、恐らく猛毒はなさそうだ。しかしそれは嬉しい誤算ではなかった。

痛みには慣れているつもりだった。精神的な痛みはもちろん、カトリーに拒絶されることに比べれば拷問のほうがいくらかマシなほうだった。ここより過酷な現場もたくさん見てきた。そこでようやく気付いたのだが、全身が鉛のように重いのは、痛みからくるものではなかった。まぶたもなにか重りをされているようだ。熱いのか、寒いのか、自分では判断出来ないでいる。

「オルゴ」

幻聴のようにはっきりと聞こえた。脳内に直接語りかけてくるようだった。
声の主が誰であるかなど、命の危機に瀕している今、確認する必要も術もない。ただ『起きろ』と命令されたことだけは、何があっても理解しなければいけない気がした。

「オルゴ」
「……蛇は、苦手なんじゃなかったのか」

薄れゆく意識を必死に繋ぎ止め、膝をついて側に寄るアーロックへ皮肉を投げた。諸悪の根源は少しだけ表情を緩め、大きなため息をつく。

「苦手だから、遭遇した時に慌てないように網羅しておきたいんだよ」
「……は……なるほどな……」
「止血と痛み止めくらい自分で出来るだろう?俺は大蛇の細胞を採取するから、自分でどうにかしてくれ」
「……急に冷たいな、おまえは」

いつもの、冗談なのかそうじゃないのか分かりにくい軽口は一切なく、アーロックは魔法使いとしての勤めを果たしていた。いつもそうならいいのにな、と力なく呟くと、余裕を取り戻したらしいアーロックは不敵に笑う。
傷口に意識を集中して止血を試みる。同時に痛み止めの魔法は、俺には使えない。取得する必要がないと思っていたのもあるが、痛みがなくては教訓を得られないという持論のもとそういう選択をしていた。今は、その持論が首を絞めている。それにもともと、医療系は得意じゃないんだ。

はあはあ、と深い呼吸を何度も刻む。血は止まっているはずだ。脈動にあわせて全身に鋭い痛みが訪れる。薬の一つでもルチアから借りてくればよかったかな。そう思っていると、仕事が終わったらしいアーロックが目の前にどかりと座った。

「痛むか」
「かすり傷だ、どうってことない」
「おまえはそういう奴だったね」

アーロックが笑いながら患部に手を伸ばす。燃えるように熱い傷口が、優しい光に包まれてやがて痛みが和らいでいった。

「俺はね、おまえのことが大好きなんだよ」
「やめろ、間に合ってる」
「そういう意味じゃない。おまえの嫁に対する感情とは違うよ。大事な友人だと思ってる。だから、……なんていうかな。おまえは怒るだろうから、あんまり言いたくなかったんだが」
「……なんだ?はっきり物を言え」

珍しく端切れの悪い物言いをする。もうこれ以上俺が怒ることなんて、自分では思いつかない。カトリーに加害しなければ、それはもう無害と一緒だからどうでもいい。

「うーん……言ったら怒るから言わない」
「今更何を言ってるんだおまえは、子供か?怒らないと約束すればいいのか?」
「うーん……」

ここまで俺が譲歩してやってるというのに、アーロックは未だに煮え切らない言葉を返す。痺れを切らせて「言わないと怒る」と脅すと、渋々明かしはじめた。

「おまえの嫁が、おまえにとって悪影響ではないか、それを確認したかった」
「……カトリーを値踏みにきたのか?」
「ほら……怒るじゃないか……」
「当たり前だ。おまえは俺の伴侶を疑ったんだぞ。つまり俺を信用していないということだ。どの口が大事な友人だと宣うんだ」

結局そうだ。こいつは俺のことを手放しで褒めているようで、その実、俺のことを信用していない。だから俺はこいつを心の底から信頼できないのだ。

「それは少し違うな」
「……何が違う?」
「俺が信用しているのはおまえだけだ、オルゴ・エンデバー。おまえがどう言おうと、おまえの嫁は『おまえの嫁』でしかない。だからこそ自分の目で見極めたかった。もちろん、そんな資格が俺にあるはずもないことは知っている。だからこれは、俺だけの心に秘めていようと思ったんだ」
「……分からない。どうして俺をそこまで信用するんだ」

俺とアーロックの共通点は、ただ同時に魔法使いになっただけだ。何度か依頼が重なって同行したことはあるが、危機を共に脱出して切磋琢磨した訳でもない。むしろ俺は苦手意識があって、敢えて避けていた節さえあるというのに。

「おまえは忘れてしまっているのかな」
「何を」
「最初に同行した時に、全員で顔合わせをしたカフェテリアを覚えているか?」
「ああ……あの年ばかり食っただけの能無しが息巻いてたアレか」

当時はまだ駆け出しの魔法使いで、そういった新米をベテランが統率して依頼に慣れさせようとしていた時期があった。俺とアーロックを含む一年未満の新人魔法使いが四人、先輩の魔法使いが二人だった。既に都会での境遇に飽き飽きしていた俺は、話半分に聞いて適当に済ませようと思っていた。アーロックは、……どうだったか覚えていない。なにせ十年以上前のことだ。自分のことでいっぱいいっぱいだった。そしてそれは、アーロックも同じだったと思う。
それから先は、あまり覚えていない。適当に任務をこなして、適当に切り上げて、評価も悪くなかったはずだ。特になにか事件のようなものがあった記憶はなかった。

――俺は何か、忘れてしまっているのだろうか?

「正直、おまえへの心象は最悪だったよ。先輩に向かって口答えはするし、やる気はないし。実力があるのは噂で知ってたけど、それにしたって横暴が服を着て歩いてるようだった」
「ひどい言われようだな」

正直、そんな様子で今の状態に変化したのは、何かの間違いなのでは?
アーロックの存在はもちろん知っていた。同時に申請書を出した時に役員から揶揄されたのもあるが、俺よりもアーロックのほうが、もっと噂されていたように思う。根も葉もないものから、ほんの少しの事実に尾ひれがついたようなとんでもないものまで、まったく興味のない俺のもとへ届くほどだった。
オール満点で試験に合格しただとか、それはコネがあって実際はポンコツだとか、誰々の末裔だとか、ドラゴンの眼を食べただとか、それによって長寿を得ただとか、審議するまでもないことがほとんどだった。

アーロックは俺への心象は最悪だと言っていたが、こちらにしてみればむしろ逆で、そんなに優秀な魔法使いなら俺は適当にしていても目立たないで済むと期待するほどだった。

「オルゴ」
「なんだ」
「魔法使いは特別だと思うか?」
「どういう意味だ?」
「……魔法使いがいなければこの世界は終わると、思ったことはあるか?」

アーロックはいつになく真剣な眼をしている。藤色の瞳が揺らぐことなく、まっすぐ俺の姿を捕らえた。


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