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第1話 MOZU
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居酒屋の宴酣に、独りカウンターで酒を飲んでいる八津は、いかにもうだつが上がらない男で、同僚の誰もかれも傍には近寄らずに、座敷でどんちゃん騒ぎを繰り広げている。
会社の業績は悪くない、むしろ、「良い」とはっきりいえるのに、八津は家族関係がこじれて一人喜べない。同僚たちも初めこそ同情していたものの、声をかけても無駄だとわかると、さっさと手のひらを返してしまった。
(はあ……俺ってダメだな……)
他人の好意に甘える、優しい言葉に応じる、差し出された手を素直に握り返す、これが、八津にはできない。いつも心のどこかで、「放っておいてくれ」「それで問題は解決しない」と、頑なに首を振っている。現実でも、首を振ることが多くなっている。「ダメだ、ダメだ」と、すべてを否定するかのように。
「お隣、よろしいですか」
突然、声が降ってきて体がビクッとなる。八津が声の主に振り向くと、背の高い、冷たい表情の美人が立っていた。黒のタートルネック姿で、胸がデカい。八津はドキッとした。
「いいですよ」
欲望には正直だった。八津は首肯してから、本当に自分は情けないなと、また軽く首を振った。たとえ美人が隣に座ろうとしても、「ダメだ」ということが真の男である、というように。
「八津弘さん。あなたに伝えたいことがあります」
女は前を向き、手を組んでいった。
「……なぜ、俺の名前を?」
「それについて詳しくお話しする前に、振り返って座敷を見てください」
いわれた通りに振り返る。初めこそわからなかったが、違和感に気づくのに8秒とかからなかった。
「……誰も、動いてない。時間が止まってる」
「はい。あなたの同僚たちは、今、無限空間に飛ばされています」
「む、無限空間……?」
「わたしたちの世界では、『INFINITE 8』と呼びます」
八津は頭が混乱し、視界がぐらりと揺らいだ。だが、女に腕を引き掴まれると、すぐに視界がはっきりする。
「ごめんなさい。やはり情報はできるだけ制限した方がよさそうですね」
「い、いや……その、インフィニットエイト? は、わかる。『無限の8』という意味だ。ただ、それが何を表しているのかはわからない」
「簡単にいうと、ループする世界です。つまり、あなたの同僚たちは、今ずっと宴の最中なのです」
「止まっているようだが……?」
「あれは、有限空間にいるわたしたちから見た姿なのです。有限空間は『LIMITED 8』と呼びます」
「有限空間から見た無限空間は止まっているのか」
「はい」
今度は、八津は頭が痛くなってきた。それでも女に手を握られると、頭の痛みが引いていく。なんて素直な体だろう。
「……それで、あなたは何者なんだ」
「有限空間に生きる者には、通常、感知できない、無限空間に生きる者です」
「無限空間の住人なのか」
「はい。有限空間では、今、にしか生きられませんが、無限空間ではその限りではありません。有限空間でいうところの、過去、や、未来、を、いききすることが可能です」
「なるほど。それで俺の名前を知ることができたんだな」
「はい」
「あの……きみの名前を知りたいんだが」
「無限空間の住人に名前はありません」
「そ、そうか。でも不便だな。せめて有限空間にいる間は名前を付けてもらわないと困る」
「あなた、とか、きみ、で、結構です」
「それではいかにも他人行儀じゃないか」
初めて、女が戸惑いの表情を見せた。
「……わかりました。少々お待ちください」
女の表情が、一瞬、固まった。
「お待たせしました。では、白鳥百舌鳥、とお呼びください」
「は、はあ……。白鳥百舌鳥」
「何か」
「い、いや、なかなかのネーミングセンスだと思って」
百舌鳥は微笑した。八津は訊ねた。
「……で、百舌鳥さんの用というのは?」
「今からお話しすることをよくお聴きください」
「大丈夫だ」
「有限空間と無限空間は、本来、交わることはありません、ですが今回、何らかのトラブルにより、無限空間の一部が有限空間と交わってしまいました。その事実はご覧の通りです」
「ご覧の通りというのは、俺の同僚たちのことをいってるんだよな?」
「はい、部分的には」
「部分的というと?」
「正確にいいますと、この居酒屋を中心とした半径8キロ圏内が無限空間となっています」
「何かと8だな。もしかして百舌鳥さんは、この状態を元に戻そうとして俺に接触してきたとか」
「はい、その通りです」
「一つ訊いてもいいかな」
「どうぞ」
「なぜ本来交わることがない、有限空間と無限空間が交わったのか、原因となったトラブルとはいったい何なのか、それらはこの際置いておくにしても、どうして俺だけ無限空間に飛ばされていないんだ?」
百舌鳥は、再び戸惑いの表情を見せた。美人はどのような表情でも画になる。
「当然の疑問だと思います。八津さんはわたしのような無限空間の人間からしますと、イレギュラーな存在です。通常はあり得ません」
「通常……。過去にはなかったんですか、有限空間と無限空間が交わったり、俺みたいなイレギュラーが発生したり」
「過去という概念は無限空間にはありません。よって、わたしの知る限りにおいては、異なる空間同士の交錯や、それに伴うイレギュラーの発生はありません。しかし……」
「しかし?」
「わたしの知識や経験を越える事象は、十分に考えられますし、何より、あなたの存在が、それを裏付けているともいえます」
「もっとわかりやすくいってもらえないかな」
「『あった』と、いえるということです、空間の交錯も、イレギュラーも」
「だとしたら……いや、だとしてもだ、俺はどうしたらいい?」
「はい。八津さんには、有限空間と無限空間の交錯部分――侵食部分ですね、この解消に取り組んでいただきます」
「……俺にそんな特別な力はないが」
「特別な力は必要ありません。ただ、根気強さは必要ですが」
根気強さか、俺にあるかなと、八津は思う。
「具体的には何をしたらいい」
「まずは侵食部分を探しますが、これはすでに特定済みです」
「どこだろう」
「ついてきてください」
会社の業績は悪くない、むしろ、「良い」とはっきりいえるのに、八津は家族関係がこじれて一人喜べない。同僚たちも初めこそ同情していたものの、声をかけても無駄だとわかると、さっさと手のひらを返してしまった。
(はあ……俺ってダメだな……)
他人の好意に甘える、優しい言葉に応じる、差し出された手を素直に握り返す、これが、八津にはできない。いつも心のどこかで、「放っておいてくれ」「それで問題は解決しない」と、頑なに首を振っている。現実でも、首を振ることが多くなっている。「ダメだ、ダメだ」と、すべてを否定するかのように。
「お隣、よろしいですか」
突然、声が降ってきて体がビクッとなる。八津が声の主に振り向くと、背の高い、冷たい表情の美人が立っていた。黒のタートルネック姿で、胸がデカい。八津はドキッとした。
「いいですよ」
欲望には正直だった。八津は首肯してから、本当に自分は情けないなと、また軽く首を振った。たとえ美人が隣に座ろうとしても、「ダメだ」ということが真の男である、というように。
「八津弘さん。あなたに伝えたいことがあります」
女は前を向き、手を組んでいった。
「……なぜ、俺の名前を?」
「それについて詳しくお話しする前に、振り返って座敷を見てください」
いわれた通りに振り返る。初めこそわからなかったが、違和感に気づくのに8秒とかからなかった。
「……誰も、動いてない。時間が止まってる」
「はい。あなたの同僚たちは、今、無限空間に飛ばされています」
「む、無限空間……?」
「わたしたちの世界では、『INFINITE 8』と呼びます」
八津は頭が混乱し、視界がぐらりと揺らいだ。だが、女に腕を引き掴まれると、すぐに視界がはっきりする。
「ごめんなさい。やはり情報はできるだけ制限した方がよさそうですね」
「い、いや……その、インフィニットエイト? は、わかる。『無限の8』という意味だ。ただ、それが何を表しているのかはわからない」
「簡単にいうと、ループする世界です。つまり、あなたの同僚たちは、今ずっと宴の最中なのです」
「止まっているようだが……?」
「あれは、有限空間にいるわたしたちから見た姿なのです。有限空間は『LIMITED 8』と呼びます」
「有限空間から見た無限空間は止まっているのか」
「はい」
今度は、八津は頭が痛くなってきた。それでも女に手を握られると、頭の痛みが引いていく。なんて素直な体だろう。
「……それで、あなたは何者なんだ」
「有限空間に生きる者には、通常、感知できない、無限空間に生きる者です」
「無限空間の住人なのか」
「はい。有限空間では、今、にしか生きられませんが、無限空間ではその限りではありません。有限空間でいうところの、過去、や、未来、を、いききすることが可能です」
「なるほど。それで俺の名前を知ることができたんだな」
「はい」
「あの……きみの名前を知りたいんだが」
「無限空間の住人に名前はありません」
「そ、そうか。でも不便だな。せめて有限空間にいる間は名前を付けてもらわないと困る」
「あなた、とか、きみ、で、結構です」
「それではいかにも他人行儀じゃないか」
初めて、女が戸惑いの表情を見せた。
「……わかりました。少々お待ちください」
女の表情が、一瞬、固まった。
「お待たせしました。では、白鳥百舌鳥、とお呼びください」
「は、はあ……。白鳥百舌鳥」
「何か」
「い、いや、なかなかのネーミングセンスだと思って」
百舌鳥は微笑した。八津は訊ねた。
「……で、百舌鳥さんの用というのは?」
「今からお話しすることをよくお聴きください」
「大丈夫だ」
「有限空間と無限空間は、本来、交わることはありません、ですが今回、何らかのトラブルにより、無限空間の一部が有限空間と交わってしまいました。その事実はご覧の通りです」
「ご覧の通りというのは、俺の同僚たちのことをいってるんだよな?」
「はい、部分的には」
「部分的というと?」
「正確にいいますと、この居酒屋を中心とした半径8キロ圏内が無限空間となっています」
「何かと8だな。もしかして百舌鳥さんは、この状態を元に戻そうとして俺に接触してきたとか」
「はい、その通りです」
「一つ訊いてもいいかな」
「どうぞ」
「なぜ本来交わることがない、有限空間と無限空間が交わったのか、原因となったトラブルとはいったい何なのか、それらはこの際置いておくにしても、どうして俺だけ無限空間に飛ばされていないんだ?」
百舌鳥は、再び戸惑いの表情を見せた。美人はどのような表情でも画になる。
「当然の疑問だと思います。八津さんはわたしのような無限空間の人間からしますと、イレギュラーな存在です。通常はあり得ません」
「通常……。過去にはなかったんですか、有限空間と無限空間が交わったり、俺みたいなイレギュラーが発生したり」
「過去という概念は無限空間にはありません。よって、わたしの知る限りにおいては、異なる空間同士の交錯や、それに伴うイレギュラーの発生はありません。しかし……」
「しかし?」
「わたしの知識や経験を越える事象は、十分に考えられますし、何より、あなたの存在が、それを裏付けているともいえます」
「もっとわかりやすくいってもらえないかな」
「『あった』と、いえるということです、空間の交錯も、イレギュラーも」
「だとしたら……いや、だとしてもだ、俺はどうしたらいい?」
「はい。八津さんには、有限空間と無限空間の交錯部分――侵食部分ですね、この解消に取り組んでいただきます」
「……俺にそんな特別な力はないが」
「特別な力は必要ありません。ただ、根気強さは必要ですが」
根気強さか、俺にあるかなと、八津は思う。
「具体的には何をしたらいい」
「まずは侵食部分を探しますが、これはすでに特定済みです」
「どこだろう」
「ついてきてください」
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