女神と天使は同棲中

大沢敦彦

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第4話 女神は天使のお膝元

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『ギュルルルル』
 また二人のお腹の虫が同時に鳴いた。
「お腹空いた」
「……はいはい。あの、嫌だろうけど一応服は着てください」
「やだ。チクチクする」
「……じゃあ、チクチクしないやつあげるからそれを着てください」
 クレアはお高い服を着させると、自分も服を着て簡単な朝食を作った。

「「いただきます」」
 テーブルで向かい合わせに座って手を合わせる。
 今日の朝食は、トースト、ベビーリーフ、ハム、チーズ、インスタントコーヒー。
「ああ、ほっとする」
 堕天使はマグカップを両手で包み込んで息を吐いた。
「堕天使って、好き嫌いとかないんですか」
「できれば天使っていってね」
「あ、はい」
「基本的にはないよ。おいしいものなら何でも食べる」
「人間と大して変わらないですね」
「そう」
 クレアは壁掛け時計を見た。まもなく家を出る時間だ。
「あの、天使って洗濯とかってできるんですか」
「できない」
「掃除は」
「やりたくない」
「何ができます?」
「人間観察」
 天使でなければ殴っていた。
「あの、もういいです。ごちそうさま」

 シンクに食器を置くと、クレアは急いで身支度を整えた。
「どこかいくの」
「か、い、しゃ」
 鏡台の前で化粧しながらクレアは答えた。
「ああ、労働者」
「何そのいい方」
「きみは労働階級。僕は上流階級」
(うぜえ、この天使……)
「邪魔だからあっちいってて」
「はーい」
 素直に天使は去っていった。様子が気にはなったが、化粧と着替えを優先させるしかなかった。
「いってきます」
 家を出る際に声を投げかけたが、返答はなかった。

 会社に着いてデスクにバッグを置き、給湯室にいくとマリアとマチルダが立っていた。
「おはー、クレアさーん」
「おはよう」
「おはようございます」
 コーヒーメーカーからマイカップに注ぎ入れる。
「ねえねえ、見た? 昨日のソ・ヨン。めちゃくちゃカッコよかったよね~」
 マリアが、彼女が好きなK-POPの話題を切り出した。
「あんた、いっつもその子の話するけど、私、K-POPに興味ないからね」
「え~? じゃあセンパイは何に興味あるんですか?」
「私は断然J-POPよ。倉敷守って知らないの?」
「知らな~い」
「クレアさんは? 好きなアーティストとかいないの?」
「わ、わたしですか?」

 ポピュラー音楽よりクラシック派のクレアは、最近流行っているアーティストの名前を出されても全然わからない。
 割れた陶器の置物を一瞬で直してしまえる天使のアーティストが家にいます!
 といったら確実に引かれるだろうなとクレアは思った。
(そういや、あの天使の名前って聞いてなかったな)
 今さらだが、「天使、天使」といって肝心の名前を訊いていなかった。
「あ、ほら。ま~た考え事してる~」
「たいがいにしないと、眉間にしわ寄って老けて見えるよ」
「あ、すみません……」
「よっ! ここの給湯室にはいつも美人が揃ってるな」

 三人が同時に振り向くと、入口に背の高いイケメンが立っていた。
「コバッチュさ~~ん!」
 走り出して勢いで抱きつきそうになるマリアをマチルダが羽交い絞めにして引き止める。
「ケツを振るなケツを」
「はっはっは! いや~、朝から楽しいねえ」
 コバッチュは、総合物流会社フェニックスで働く社員だった。クレアたちが勤めるレッド・クラウン商会に、ほぼ毎日、荷物を届けている。
「あ、あたしに何か荷物きてます!?」
「きてるわけないでしょ」
「うん。残念ながらマリアちゃん宛ての荷物はないな……俺以外は」
「あ~ん!」
 朝っぱらから嬌声を上げるマリアに、白い歯を見せて笑うコバッチュ。
 マチルダもため息を吐いているが、クレアもついていけずたじたじだった。

「ん? どうしたクレアさん。相変わらず難しそうな顔してるね」
「え? そ、そうですか……?」
「何か思い悩んでるって感じだ。よかったら俺に話してみないかい」
「ええ~~!? あたしも悩んでる~~!!」
「あんたは黙っとれ」
 マチルダがマリアの口を手で塞いだ。
「……か、彼氏が、いないんです、わたし」
「フガガッ……!?」
 暴れるマリアをマチルダが床に制圧した。
 コバッチュは、真剣な顔になっていた。
「へえ、それは意外だな。クレアさんにはいると思ってたよ」
「その、彼氏さんって、どうやって作ったらいいんでしょうか」
「ははっ。面白いこと訊くねえ」
 コバッチュは、マチルダと目を合わせた。
 マチルダはその目を見返すと、すぐに視線を逸らせた。
「そうだな……。男の俺に、彼氏の作り方を訊くっていうのは、少し違う気はするけど、でも……」
 コバッチュは腕を組み、首をひねった。
「クレアさんは、まだあんまり男の人を知らないんじゃないかな。付き合ったりとかさ、そこまでいかなくても、単純に話をするだけでもいいから、気になる人ともっと話してみたらどうだい。要は勉強だよ。学校でも、恋愛って科目を設けるべきだと俺は思うね」
「はあ……なるほど」
「クレアさんにとって恋愛は難しく、ハードルの高いものだと思うかもしれないけど、案外そうでもないんだぜ?」
「さすがは色男。いうことが違うわね」
「おお、怖い怖い。マチルダの姐さんに噛みつかれる前に退散するとしよう」
 きらきらと手を振り、コバッチュは立ち去った。

「ブハアッ!! あ~ん、コバッチュ様ああん!」
 解き放たれたマリアが後を追うと、給湯室にはクレアとマチルダの二人だけになった。
「……クレアさん。あなたって、世間知らずというか、おっとりというか、よく今まで生きてこられたわね」
 マチルダが嘆息し、眼鏡を外してレンズを拭きながらいう。
「気に障ったらごめんなさいね。でも、あんまり世間とズレてるのも、考えものだと思うわ」
「すみません……」
「責めてるんじゃないの。今まではそれでよかったでしょうけど、今後、何があるかわからないし。早いとこ世間慣れしといた方がいいと思うわ」
「世間慣れ、ですか」
「そ。あの色男がいったみたいに、少しは殿方との会話を楽しんだらいいと思うの。そしたらいかにこの世の中が醜くて邪なものばっかりかどうかわかるでしょうから」
 いつになく饒舌なマチルダにクレアが黙って聞いていると、マチルダは眼鏡をかけ直して軽く咳払い。
「……まあ、これもあなたより少しだけ人生の先輩である私からのアドバイスだと思って。別に聞き流してくれてもいいけどね」
「い、いえ、そんなこと……。ありがとうございます」
 軽くため息を吐くと、マチルダは給湯室から出ていった。

(と、殿方とのお話、ですか……それってつまり合コンってことですよね。聞いたことはあるのですが、実際に参加したことはありません……どうすれば参加できるのでしょうか……)
「合コンって、何の略?」
 声に振り返ると真横に天使が立っていた。
「ぎゃっ――!!??」
「そんなに驚かなくてもよくないかな」
 口を手で塞いで悲鳴を上げ終えると、顔を真っ赤にしてクレアは怒った。
「なっ、何でここにいるんですかっ……!」
「家で一人でいるのつまんない」
「だからって職場にこないでくださいよっ……!」
「他にいくとこないんだもん」
 天使はクレアのマイカップを手に取ると、飲みかけのコーヒーをぐいっと飲む。
「うん。悪くない」
「帰って!! 今すぐに!!」
「やだ」
 給湯室から出ていこうとするので、あわてて道を塞ぐ。
「わわかりました。帰らなくていいですからここから出ないでください」
「この部屋って、何するとこ?」
 ぐるりと給湯室を見回す天使。
「ちょっと一休みできる空間です」
「へえ。会社にもそんな場所があるんだ」
「あの……」
 クレアは落ち着いて訊ねた。

「今更なんですけど、あなた名前は?」
「僕? ユリエル」
「ユリエルさん。あなたわたしの家からここまで瞬間移動してきたのか知りませんけど、姿を隠すくらいのことはできますよね?」
「できない」
「え……できないんですか?」
「隠れる必要がないから」
 クレアは頭を抱えた。
「どうしたの。しんどそう」
「あなたのことで悩んでるんです!」
「ふうん」
 勝手に冷蔵庫を開け、中を漁るユリエル。
「勝手に食べちゃだめですよ?」
「人間が普段何食べてるか知りたいだけ」
「クレア君!」
「はっ、はいいっ!!」

 給湯室に顔を出したのは、貿易部門の部長、エドマンドだった。
「きみらしくもない。もう始業時刻を過ぎとるよ。早くデスクに戻って仕事しなさい」
「はいっ!」
 エドマンドは、確かにその狭い給湯室の全体を見通したはずだった。
 にもかかわらず、ユリエルについて何もいわなかった。
(つまり……見えてない?)
「そうだよー」
 ポテトチップスを食べながらユリエルがいう。
「だから食べんなっつってんでしょっ!!」
「これは横の棚に入ってたんだよー」
『パリパリパリ』
「あと僕、人の心が読めるから下手なこといわない方がいいかもねー」
「なっ……?」
 女神は天使の前に屈していた。
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