女神と天使は同棲中

大沢敦彦

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第2話 ミートソーススパゲティ

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 クレアは一瞬気が緩みそうになったが、あわてて靴べらを持つ手に力を込め直した。
(だ、だめよ、クレア。これはきっと相手を油断させるワナよ! 騙されないんだから……)
 クレアはじりじりと男に近づいていった。どうせ逃げられないなら立ち向かうしかなかった。幸い相手は手ぶらだし、急所を晒している。
(そ、そうか……これがいわゆる変態さんとか、痴漢さんという野郎なんですね……許せません……!)
 いっそのこと先制攻撃でタマをヒットしようかともクレアは思った。が、それだと正当防衛は成立するのだろうかなどと余計なことを考えてしまう。
(いやいや、どう考えても相手は不法侵入アンド公然わいせつ罪で一発アウトでしょう。だったらチェンジでタマをヒットしてアウトにしても大丈夫なはず……!)
 クレアは靴べらの先端が急所に当たるぎりぎりのラインまでにじり寄った。
(い、いくわよ…………ごめんなさいっ……!!)
 くらえ! 正当防衛のホームラン! とばかりに、クレアは靴べらを振りかぶった。

『カキーーンンッ!!』
 タマは、そよとも動かず、廊下の棚に飾ってあった陶器の置物を一つ弾き飛ばしただけだった。
(ぐあああ何をしとるんじゃわたしはああああっ!!??)
 壁にぶち当たり破壊された置物が床に落ちて悲しげな音を立てていた。
「…………」
 男は、自分の足元に転がった置物の破片をそっと拾い上げると、クレアが聞いたことのない言語を発した。
「えっ……?」
 クレアは驚愕して目を見開いた。
 男の指先につままれた置物の破片に、床に散らばった複数の残りの破片が次々と引き寄せられてくっ付いていく。
「まっ、魔法!?」
「ん?」
 驚嘆の声をよそに男は首をかしげている。見れば置物は元通りの姿を現していた。
「すすすごい!! あなた何者!?」
「僕? 僕は……」
 男は言葉に詰まった。
「僕は、わからない。気がついたらそこにいた」
「それって記憶喪失ってこと?」
「何も覚えていないんだ。ただ……」
「ただ?」
「……お腹空いた」
『ギュルルルル』
 二人の腹の虫が同時に鳴いた。

 とりあえず、クレアはまず男に服を着させた。男物など一着もなかったが、適当に部屋着の楽そうなものを着させた。下着だけはどうしようもなかったので、泣く泣く新品を履かせた。
「あの……そこにじっと座っていてください」
 テーブルの前に座らせると、クレアはキッチンで料理を作った。
(ああもう……頭の中めちゃくちゃだわ……)
 使った方がいい食材が冷蔵庫に残っていたが、手早く簡単に作れるスパゲティを振るまおうとクレアは思った。
「はーい、どうぞ」
 クレア流ミートソーススパゲティが完成し、テーブルの上に置かれた。
 時間にして約十分。
 パスタを湯がいている間に小鍋でトマト缶と冷凍ミンチを使ったソースを作るという、クレアにしてみればお手軽な料理だった。
「……いいにおいがする」
 男はそういうと、フォークを手に取り、パスタをくるくるソースと絡ませて持ち上げ、口に入れた。

『もぐもぐもぐもぐ』
 クレアはじっと、キッチンから男の様子をうかがっている。
「……おいしい」
「そう。よかった」
 どんどん食べ続ける男を見ながら、なぜかクレアは安心していた。
 警察を呼ぶとか、家から逃げ出すとか、さっきまで渦巻いていたそんな考えが不思議と一つも沸いてこない。
(……本当にこれでいいのだろうか……)
 悩みながらも、クレアも腹ペコだったので、キッチンで立ちながらスパゲティを食べた。即席で作ったわりにはおいしかった。
「おかわり」
「はあ?」
 男は、みるみるうちに平らげてしまった。挙げ句にはまだ欲しいという。
 幸い、適当にパスタを鍋にぶち込んでいたため、少しだが残っていた。
「……はい、どうぞ」
 小鍋に残っていたミートソースを絡め合わせて、皿に出した。
「おいしい。これ、何」
「ミートソーススパゲティ」
「ふうん。ミソスーパー」
「どんな聞き違えよ」

 そんなやり取りを交わしながら、クレアはあらためて男を観察した。
(あれ……よく見たらきれいな顔してる)
 端正で、凛々しい顔。こういうと、ほめ過ぎかもしれないが、クレアは絵画でしかその手の顔にはお目にかかったことはなかった。
 髪は金色。着色はしておらず地毛のようで、肌は透けるように白い。
(この人、化粧してるのかな)
 まじまじと見つめてみるが、どうもすっぴんのようだ。
 瞳の色はエメラルドグリーン。宝石のように美しい。
「きれいな目」
「ん?」
「いえ、何でもないです」
 女のような人だとクレアは思った。肩幅もそれほどない。でも、醸し出す雰囲気は男性のそれだ。つくづく不思議な人だと思う。
「何か、マンガやアニメに出てきそうな人ですね」
「…………」
 食べることに集中している。

(あ。そういえば、わたしったら飲み物出してなかった)
 クレアはキッチンに引き返して冷蔵庫から白ワインを取り出してきた。
(飲むのかなこの人)
 試しにグラスに注いで出してみると、ちらっと見るなりぐいっと飲んだ。
(おっ、イケる口なのかな)
 グラスを飲み干すともう一杯とばかりに男は視線でクレアに知らせた。
(何か厚かましいなこの人)
 そう思いつつも注いでやるのが人情というもの。二杯目も軽く飲み干していた。
「うん。懐かしい味がする」
「懐かしい味? 何か思い出しそうですか?」
 男は少し首をひねった。
「……温かい光。ぬくもり」
「……何でしょう、お日様かな?」
「お日様……」
 男は窓の外に目をやった。外は真っ暗闇だった。
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