となりの音鳴さん

翠山都

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尾向さんの噂話

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 私は周囲を観察する力というのがあまり高い方ではないので、周囲の小さな変化というのになかなか気づくことができない。仕事でもそれで異変に気づくのが遅れたりするので、何とか高めていきたいと常日頃から思ってはいるのだけど、現実はなかなかそう上手くはゆかない。
 コーポ強井の周辺で起こっていたことにも、私が気付いたのはだいぶ後の方だったのだと思う。
 私も仕事があるので、平日の日中は外出していることが多い。コーポ強井の住人とすれ違えば挨拶はするけれども、それ以上の言葉を交わすのはお隣の尾向さんくらいだ。音鳴さんとはそもそも出会わないし。
 だから、何か事件があったときの情報は、大抵尾向さんから仕入れることになる。
「なんだか最近、一階で揉めているらしいのよ」
 仲が良かったはずの一階に住む老人グループが、最近よく言い争っているらしい。それだけでなく、スーツ姿の若い男性が、頻繁に訪ねてきているのだとか。
「何かあったんですかね」
「私もあんまり詳しくは聞いていなくって。あの人たちって、ほら、あんまり関わり合いになりたくない人たちでしょう?」
「まあ……そうですね」
 内面では相当に口の悪い自覚のある私だが、その黒い憎悪を表に出すのは苦手だ。その点尾向さんは、この手のこともポンポンと気軽に口にする。それであんまり湿ったところがなく、悪印象を抱かせないので、こういう感じで言いたいことを吐き出せる人っていいなあ、と密かにうらやましく思っている。
「まあこっちに飛び火してこないなら別にいいんだけど……。大きなトラブルだと困るわねえ」
 尾向さんには言わなかったが、私はむしろいい傾向なんじゃないかと感じた。スーツ姿の人物が頻繁に訪ねてきているというのは、大きな情報だ。私の知る限り、あの老人たちにそういう格好をした知り合いなんかはいなかったはずだ。どこの誰かはわからないが、おそらく本気で、法的措置を含めた対処を執ろうと決めた人間がいるんじゃないかと感じた。
 ああいう人たちがのうのうと大きな顔をして生きていられるのは、それまで周辺に本気で対処しようと考える人間がいなかったというだけだ。民泊の件でも思ったことだが、もしも誰かが本気で、時間も労力もお金も注ぎ込むだけ注ぎ込んで対処するつもりになったなら、大抵の問題は解決できるものなのだ。彼らが好き放題できていたのは、これまで周囲にそこまで本気になる人間がいなかっただけで、つまりは単純に運がよかっただけなのだ。
 一階へ降りた私は辺りを観察する。今の時間は静まり返っているが、尾向さんの話を聞いた後だと、何だか淀んでいた空気が少しだけ清浄なものになってゆくような心持ちがする。
 そういえば最近、この辺りに猫の糞が落ちていないな、とも気づいて、私はさらに気分がよくなった。
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