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3章 歓びの里 [鳥の妻恋]編

3-7 美しさは罪

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「くっくくっ…ぶふぉ~っ」

 寝台で黒猫が笑い転げている。
 真っ白な敷布の上を、文字通りゲラゲラと笑いながら、あっちへコロリンこっちへコロリンと転がっている。

「そら地獄やなぁ~ホンマ」

 実際、地獄絵図だった。

 腕を組み、厳しく監視するチャンジ。
 強面の美丈夫の視線は想像以上に、フェイバリットの精神をゴリゴリと削るものだった。

 威圧感半端ないが、それでも黙って見ているならまだマシ――と思いきや、チャンジは口出しも多かった。

 コムジたちが何かするたびに口を挟む。もちろんフェイバリットとて例外ではない。

 そのどれもがウンザリするほど細かくて、自然と皆の口が重くなる。口にこそしないが、誰もがチャンジを口うるさく思っているのは明らかだった。

 知らぬは本人ばかり。チャンジの身動き一つに反応して、部屋の空気がいよいよピリピリと張り詰める。

 そこに見計らったようなタイミングで、双子の片割れが図体にふさわしいデカいクシャミを時折ぶっ放すものだから、たまったもんじゃない。

 苛ついたチャンジが追い払おうとするも、なぜかチュンジは「暇だからここにいる」と部屋に居座る始末。

 チャンジが不機嫌になる――監視が厳しくなる――チュンジがクシャミをする。

 しまいにはそこにチャンジの舌打ちが加わるという悪夢の繰り返しに、終始フェイバリットの心臓は痛かった。

「あっ・あっ・あっ――アカン。腹ぁ、よじれ…るぅ」

 細長い体を苦しげによじり、途切れ途切れにヒーヒー引き笑いする声が耳に届く。

 疲れ果てて、起き上がることも出来ないフェイバリットは、乱れてもなお艶々しい黒い毛を、恨みがましく見つめる。

「…笑いごとじゃ、ないんだけど…」

 ムッとボヤくと、黒猫はピタリと動きを止める。笑いやんでこちらを見るも、その目がすぐに糸のように細くなる。

「かんにん、かんにんやでっ――我慢できひん~アハハハ――」

 笑い続ける黒猫を横目に、この猫に話してしまったことをフェイバリットは深く後悔した。

 大変だったと同情こそあれど、こんなふうに笑われるとは思わなかった。

 むしろ、よく頑張ったねお疲れ様と、ねぎらいの言葉をもらえるかもしれないと少しでも期待した自分が馬鹿みたいだ。

 八つ当たりもいいところだが、呑気に笑っていられていいよねと恨み言の一つも言ってやりたい気持ちである。 

 ――だけど取り立てて褒められるようなことを自分がしたのかと言えば、何もしていない。それは事実だ。

 やったことと言えば食事や着替えや洗顔、どれもごく日常生活と言っていいものばかり。それだって、ほぼ全部コムジたちにお世話されただけ。

 それに、本当は自分だってわかっている。
 これほど疲弊したのは他でもない、自分の人見知りのせいだということを。

 もしかしたら、お世話してくれたのがこれほど美しい人たちじゃなかったら、もう少しマシだったのだろうか。――いや、そういうことじゃない。

 里ではいつも、皆を遠巻きに眺めていた。
 皆が集まる輪の中にいつか自分も混ざりたい。輪の中にいる自分を想像しながら皆を羨ましく見ていたものだ。

 でも今になってわかる。どれだけ時間が経っても、きっとそんな日は自分には訪れなかっただろうと。

 そもそも、自分は人とまともによしみを結べたためしがない。話をすることも、挨拶を交わすことも――笑顔を作る、ただそれだけのこともろくに出来ないのだから。

 誰かとごく自然に一緒にいる。誰もが当たり前に出来ることが自分には難しい。

 寂しいけれど、距離を測り間違えて相手に嫌われるより、一人でいることを選ぶようになったのは、いつからだろう。

 だからこそ、そばにいてくれる相手には誰よりも執着した。今ならわかる。リヴィエラに誰よりも愛されたいと願い、少しでも嫌われたりやしないかと死ぬほど恐れたのはそのせいだ。

 今日は乗り切れたけれど、自信はない。明日のことを思うと、もう今から心が折れそうだ。

 絶望感が這い上がる。
 ぐすんと鼻をすすると、敷布に影が落ちた。

 目を上げると、至近距離からのぞき込む猫の顔があった。あ、と思った時にはさらに顔が近づいて、鼻先をチョンとフェイバリットのそれに押し当てる。

「ごめんやで…そんなに落ち込んどるとは思わんかったんや」

 眼差しがおずおずとフェイバリットを見る。しゅんとした上目遣いが反則級に可愛い。

 不覚にも頬が赤らんでしまう。「ズルい」と小さく呟いて、フェイバリットはぐぬぬっと唇を噛んだ。そんな反応に、黒猫が小さく笑う。

「君が大変な目にうとるのが可笑しいて、ワロタんとちゃうんや。自分、そんなに落ち込むのはなんでなん?」
「―――」

 優しい声にフェイバリットの瞳が揺らぐ。黒猫は前脚を揃えて、根気よくじっとフェイバリットが話すのを待ってくれる。

 赤い瞳は迷ったように、何度か敷布と相手とを交互に行き交う。その間、目を細める猫の喉からゴロゴロという心地よくも低い音が鳴り響いた。

「なんでも言うて、ええねんで。溜め込んどるもん吐き出したらちょっと楽になるよって話してみ。俺、絶対引いたりせえへんから」

 相変わらず、喉を鳴らす音は続いている。その音に励まされるように、フェイバリットは目を上げた。

「……今日、とても緊張した。あと――ランドに会いたい」

 悩むこともなく二つの言葉が滑り出た。口から出た言葉は短く、そのせいかぶっきらぼうな口調になってしまう。

 しまったとばかりに、狼狽える眼差しが相手の反応を探るように見る。だが黒猫はまったく気にするどころか、うんうんと娘の言葉に頷いて返す。

「そら知らん人ばっかりで緊張するわなぁ。わかるわかる。よお頑張ったな。聞くけど自分、ランドに会うてどうしたいん?」

 慣れてくると、黒猫の独特な喋り方は思いのほか耳に心地よく馴染んだ。

「……どうしたい…」

 ランドに会えたら?
 ――そんなの、とっくに決まっている。

 弱音を吐きたい。傍にいて欲しい。許されるなら、明日からランドに付き添って欲しいとさえ思う。
 
 俯くと、やんわりと首を振る。駄目だ。どれも我が儘ばかりで、彼を困らせてしまう――。

「言うのはタダや。いっぺんゆうてみたらええやん。ほれ、言うてみい」

 「言うのはタダ」というその言い方が可笑しくて、思わず笑いがこみ上げる。唇の端をわずかに引き上げると、なぜか目の前の猫の目が大きく見開き、完全な真円になる。

 不思議に思ったフェイバリットは、顔を突き出してその美しい淡緑の瞳をのぞき込む。いや――のぞき込もうとしたら、猫の両眼がぎゅっと閉じてしまった。

「…不意打ちや。目ぇ、潰れるか思たわ。ちょお待ったって」

 猫に言われた通り、少しばかり時間を置いて改めて仕切り直す。勇気を振り絞り、たどたどしくもフェイバリットが先ほど心に浮かんだ気持ちを伝えると。

「なるほどなぁ…。つまり君は不安になっとるわけやな。幼馴染みがおったらそら心強いし、そう思うのは全然普通のこっちゃ――安心し」
「…とても良くしてもらってるのに、こんな我が儘…口にしていいのかな?」
「言うたやろ? 言うのはタダやて。君は少し思たこと口にする練習した方がええ。それはそうと――ランド、君のお連れ様はなあ、今日から鍛錬ちうか修行? 始めたとこやねん」
「鍛錬?」
「そや。彼の腕前、お世辞にもパッとせえへんやろ。見るに見かねた里で一番の、凄腕術師が親切にも名乗りをあげてくれたらしいわ」

 なぜかそこで黒猫はえへんと胸を張る。ピンと反り返ったヒゲに、ふんふんと荒い鼻息といい、いかにも得意げなのがひと目でわかる。

「ランドは…強いよ?」
「俺から見たら、まだまだお尻に殻をくっつけたヒョッコや――まあそやから、君に会いに来ることくらいなら出来るけど、ずっとそばにおるっちゅうわけにはいかん」
「そう…だよね」

 途端にしゅんと項垂れる。明らかに落ち込む姿を見て、黒猫はふと思いついたように口を開く。

「なあ…今日の四人のどこが苦手なんか聞いてもええ?」
「え? ――苦手って…いうか…」
「隠さんでええ。てゆうかちっとも隠せてへんから。君、便利な顔やなあ。内緒にしとくから――ほれ、はよう」

 そう言うと強引に娘の口もとに耳を寄せる。フェイバリットは恥ずかしそうにぽっと頬を赤らめると、それを隠すように両の手で頬を包みこんだ。

 しばらくためらっていたが、やがてそっと耳打ちする。

「………顔がいいところ」
「―――ぷ」

 その後、静かな部屋に地面を揺るがすほどの大爆笑がぶちまけられたのは言うまでもない。
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 読んでいただき、ありがとうございます。

 申し訳ありませんが、しばらく水曜固定で更新します。

 複数話を準備できた時は、通常通り、
 三日置きでアップします。

 次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
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