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歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
日録23 君がいれば、世界は色づく
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大変、お待たせしました。
お付き合いいただけると、幸いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
――可愛くやで。
“転移”の術での移動は、瞬きほどの時間だった。
目の前が一瞬暗くなり、再び光が射す――その直前、ソジの笑い混じりの声が、ランドの耳もとをよぎる。
思わず、背後に身を捻りかけた時、いきなり視界が開けた。目の前には翠玉色の長い髪を持つ麗人――エンジュ、その人が佇んでいた。
淡い緑の瞳が、驚いたように少し見開いて丸くなる。せわしなく二、三度瞬くと、けぶるような長い睫毛がサワリと揺れた。
透き通るような白皙の肌、地面に裾まで届く赤い長袍をまとった体は、変わりなくしなやかで優美極まりない。今日も今日とてその美貌に一片の曇りもなかった。
「あ……」
常に礼節を重んじる、ランドはそういう性格だ。エンジュの顔をみて、まず最初に浮かぶのは挨拶だった。
だが口を開く前に、するりとそれが脳裡に忍び込んだ――こてんと顔を真横に倒した、それは愛らしいソジの姿が。
(…あれは可愛かったな)
そう思ったランドを何かが唆した。魔が差すとはこのことだろう。
「お待たせ、しました……っ」
気がついた時には、ランドの首は真横に倒れていた。
キョトンとしたエンジュと目が合って、思考がゆっくり戻ってくる。やらかしたと思った時はすでに手遅れだった。
頬に浮かべた笑みがひくりと引き攣るのと同時に、羞恥が全身を一気に駆け巡る。
体の内側で火が爆ぜたようにカッと体が熱くなり、毛穴という毛穴からどっと汗が吹き出すのをランドは感じた。
尋常でないくらいに頬が熱い。もはや取り繕うことも出来ないくらい自分の顔、いや全身が真っ赤になっていることが分かる。
いたたまれず、いっそこの場を逃げ出してしまおうかと埒もない考えが頭をよぎる。その前に、エンジュがこらえ切れずに笑い声をたてた。
「失礼しました…あまりにも可愛くて…。けして変な意味で笑ったのではありませんよ…?」
笑いの合間に、切れ切れにエンジュが洩らす。その言葉でかろうじてランドは踏みとどまることが出来た。
ランドは、ひたすらこの嵐が過ぎるのを待った。だが平静でいようとすればするほど、逆に頬の熱は増していく。
慣れないことはするものではないと、ランドはつくづく痛感した。
◆
チャグチャグというにぎやかな音とカッポカッポと響く蹄の音。
エンジュは、たくさんの飾りと色とりどりの装束を纏った獣の背の上で、鞍に横乗りになりながら揺られている。
“チャグチャグ”という音は、獣が歩くたびに奏でる、馬装束につけられた鈴の音色だった。
ランドは先頭に立ち、引き手を務めている。前後になって歩いているおかげで、顔を合わさずに済む。――おかげで少しばかり気持ちを立て直すことが出来た。
邸宅を発って、そろそろ一時間が経つ。
さすがにもう頬の赤みは取れたかと、ランドは指先で肌の熱さを確かめた。
「歓びの里には、五つの村があります」
ランドの心中を慮ってか、しばらく沈黙を保っていたエンジュが、久しぶりに口を開いた。ランドはそっと肩越しに振り返る。
「五つ、ですか」
「はい。どの村も一つ一つは小さな集落です。なので村というより村落と言った方がいいかもしれませんね。今日は一日かけて全ての村を見て回ります」
「一日で全部の村を?」
いくら獣に騎乗してとは言え、一日がかりとなると移動だけでも、なかなかの大仕事だ。
「村と村とはそれほど離れていないのです」
五つの村への道のりは、全部で五里(約二十キロ)ほど。獣のゆっくりとした足取りでおよそ五時間くらいだとエンジュは説明する。
歩き慣れていない者には多少キツイ距離だが、大荷物を抱えていなければそれほどでもない。旅慣れた者にとって、五里はそのくらいの道のりだ。
「――ですが、歩き通しのあなたは大変ですよね。我が儘を言って付き添いをお願いしましたが、ご迷惑ではありませんでしたか?」
申し訳なさそうに、エンジュの眉尻が下がるのを見て、いいえとランドは首を振る。
「しばらく体を動かせていなかったので、いい運動になります。むしろ、あなたの方こそ大丈夫ですか? 騎獣していても疲労は溜まっていきますからね」
エンジュを乗せて、のっしのっしと歩く獣を見る。
『ターキン』
“聖獣”と呼ばれる生き物だと聞いたのは、邸宅を出る少し前だ。
なんでも大昔、神の始祖によって牛の骨と山羊の骨から作り出された生き物なのだという。ただの作り話だろうと、まじまじ観察しながらランドは思う。
がっしりとした牛のような体つき。その顔は、山羊のようにすっきりと細い。額には立派な黒い角が二本。
寒さを凌ぐためか、金白色の長い毛並みに全身覆われている。今は、色鮮やかな晴れの装束で着飾り、とても華やかだ。
初めて見る獣だが、聖獣といってもその辺りにいる生き物と大きく違うようには見えない。
きっと数が少ない珍しい獣なのだろう。希少な生き物を神聖視するのは、いつの世も変わらないようだ。
優しい目をしたこの生き物は、見た目通りの穏やかな気性らしい。のんびりとした足取りがそれを如実に物語っている。
しかしひとたび危険を察知すると、岩山をやすやすと駆けあがり、その逃げ足はかなり俊敏なのだとエンジュは言う。
そう言われてよくよくみると、太い脚には強靭な蹄。それは険しい岩壁などものともしない、厳しい高地に住まう生き物である紛れもない証だ。
会話が途絶えると、再びランドは前を向く。元々、それほどおしゃべりな性質ではない。
フェイバリットと旅する間も、互いにたまにポツリポツリと言葉を交わすぐらい。とても静かな旅路だったとランドは振り返る。
だが眠る前のひととき、まるで一日の終わりを惜しむように、決まって二人でその日あったことをとつとつと話しながら夜を過ごした。
今朝の風が心地よかった。天気が持って助かったなど、一つ一つは他愛もない話ばかり――だが緊張から開放され、心からホッとする時間だった。
たった数日だというのに、そんなやり取りが途絶えると、もうずっと昔のことのように思えてしまう。
思い出すとひどく懐かしく、思わず綻んだランドの口もとが最後は切なく歪む。
しかし今は歓びの里の長たるエンジュの従者。ランドは首をひと振りして気を引き締める。
不敬のないよう――何より、仕える方の身の安全を図る。それが自分の務めだ。
些事に気を取られて、役目をおろそかにするわけにはいかない。再び、無言の時間が続くかと思われた時。
「――ランド」
規則正しいチャグチャグカッポカッポという音に、エンジュの小さな呟きがまぎれた。
聞き間違いかと、ランドは獣の背におさまるその人をチラリと仰ぐ。目が合うと、にっこりとエンジュが微笑んだ。
応えようとランドも笑みを浮かべるが、その笑顔はまだどこかぎこちない。
「足を止めてください」
「え?」
言われた通り歩みを止めると、ターキンの足も止まった。よく躾けられている。
疲れたのだろうか。足を止めさせた理由を思いめぐらすも、そのぐらいしか思いつかない。
「…エンジュ様?」
「何度か言っておりますが、呼び捨てでも構いませんよ?」
「――。いいえ。何度言われても、俺の返事は変わりません」
いかにもランドらしい言葉に、エンジュはふふっと小さく笑う。
「本当に、生真面目ですね。あなたらしくて、それもいいのですが、たまには肩の力を抜くのもいいと思いますよ?」
肩の力を抜く? どうやって? ――そもそもそれが必要かどうかも分からないのに。
訝しげに眉をひそめるランドの表情からその意を汲み取ったのか、エンジュの瞳がふわりとやわらいだ。
「見てください」
言うなり、エンジュはランドの背後を指さす。言われるままに、指さす方向に目を向ければ。
――そこには視界いっぱいに広がる、圧巻の風景があった。
狭い旧道だからと、足もとばかりに気を取られていたことが悔やまれる、それほどに素晴らしい眺めだった。
どこまでも続く青く澄んだ空の下、広大な大地が一望できる。空気が薄いためか、遥か遠くまで見渡せた。
向こうにそびえる山の中腹に、家屋が点在しているのが見える。おそらくここからは三里(約十キロ)くらいだろう。
その奥には、湖だろうか。太陽の光を受けて白く光る湖面は、まるで宝珠のようにきらめいている。
「――奥に見えるのは“詩湖”。この辺りで一番大きく深い湖です。そしてこれから向かう村も、ちょうどここから見えるのですよ」
ほらあそこと言って、エンジュは前方の風景を指さす。
「湖に近い順から、頂きの村、階梯の村、稲禾の村、水牛の村――そして山の麓にある鹿の村。分かりますか? 村に入る時は、今言ったのと逆に、鹿の村から湖の方に向かって移動します」
一つ一つ指さしながら名前を告げる。ランドは逐一頷きながら、瞬きすら惜しんで、目の前の風景に見入る。
「美しいですね」
自然とその言葉が口から出た。同意を求めてエンジュを見れば、いつからそうしていたのか、エンジュが静かにこちらを見ていた。
深山に降る雪のような白い頬をほんのりと上気させ、エンジュは眩しいものを見るように目を細める。
「はい――。ほとんど光を失ったはずの私の目にも、今あなたと見るこの風景は、ことさら美しく映ります」
「あ―――」
そう言えばとランドは思い出した。
この里に初めてきたあの日、この美しい緑の瞳は形ぐらいしか見えない――ましてや色など分からないと、他ならぬエンジュ自身が言ったことを。
言葉を詰まらせるランドに、エンジュが笑みを深める。
「どうか気になさらないで。言ったでしょう? 見えていると。これは嘘でも強がりでもありません。私自身、とても驚いているくらいですから――私の目は、かつてのように見る力を取り戻している。これは、どういうことなのでしょう…」
その答えを景色の中から見出そうとするように、エンジュが辺りに視線を彷徨わせる。
最後に、ゆっくりとその目がランドにたどり着いた。
二人の視線が再び交わった――その時、淡い緑の瞳がじわりと、ほんの少しだけ色を深めたように、ランドには見えた。
ああやっぱりと、吐息まじりに呟いたエンジュの声はとても小さいものだった。
ランドが聞き返そうと口を開きかけたが、その口が、ぽかんと中途半端に止まる。
ランドの視線の先で――エンジュが笑顔になったから。いつもとどこが違うというわけでもない。
なのに、この時この瞬間、青空を背に笑ったエンジュは、息を呑むほどに美しかった。
「分かりました…。ランド、あなたがそこにいるだけで私の見る風景――世界が、色を取り戻す。あなたを中心に世界が輝き出し、色鮮やかに見えるのです」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
変わりなくご訪問いただいた方に感謝しきりです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
次話は一週間後、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、
どうぞよろしくお願いします。
お付き合いいただけると、幸いです。
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――可愛くやで。
“転移”の術での移動は、瞬きほどの時間だった。
目の前が一瞬暗くなり、再び光が射す――その直前、ソジの笑い混じりの声が、ランドの耳もとをよぎる。
思わず、背後に身を捻りかけた時、いきなり視界が開けた。目の前には翠玉色の長い髪を持つ麗人――エンジュ、その人が佇んでいた。
淡い緑の瞳が、驚いたように少し見開いて丸くなる。せわしなく二、三度瞬くと、けぶるような長い睫毛がサワリと揺れた。
透き通るような白皙の肌、地面に裾まで届く赤い長袍をまとった体は、変わりなくしなやかで優美極まりない。今日も今日とてその美貌に一片の曇りもなかった。
「あ……」
常に礼節を重んじる、ランドはそういう性格だ。エンジュの顔をみて、まず最初に浮かぶのは挨拶だった。
だが口を開く前に、するりとそれが脳裡に忍び込んだ――こてんと顔を真横に倒した、それは愛らしいソジの姿が。
(…あれは可愛かったな)
そう思ったランドを何かが唆した。魔が差すとはこのことだろう。
「お待たせ、しました……っ」
気がついた時には、ランドの首は真横に倒れていた。
キョトンとしたエンジュと目が合って、思考がゆっくり戻ってくる。やらかしたと思った時はすでに手遅れだった。
頬に浮かべた笑みがひくりと引き攣るのと同時に、羞恥が全身を一気に駆け巡る。
体の内側で火が爆ぜたようにカッと体が熱くなり、毛穴という毛穴からどっと汗が吹き出すのをランドは感じた。
尋常でないくらいに頬が熱い。もはや取り繕うことも出来ないくらい自分の顔、いや全身が真っ赤になっていることが分かる。
いたたまれず、いっそこの場を逃げ出してしまおうかと埒もない考えが頭をよぎる。その前に、エンジュがこらえ切れずに笑い声をたてた。
「失礼しました…あまりにも可愛くて…。けして変な意味で笑ったのではありませんよ…?」
笑いの合間に、切れ切れにエンジュが洩らす。その言葉でかろうじてランドは踏みとどまることが出来た。
ランドは、ひたすらこの嵐が過ぎるのを待った。だが平静でいようとすればするほど、逆に頬の熱は増していく。
慣れないことはするものではないと、ランドはつくづく痛感した。
◆
チャグチャグというにぎやかな音とカッポカッポと響く蹄の音。
エンジュは、たくさんの飾りと色とりどりの装束を纏った獣の背の上で、鞍に横乗りになりながら揺られている。
“チャグチャグ”という音は、獣が歩くたびに奏でる、馬装束につけられた鈴の音色だった。
ランドは先頭に立ち、引き手を務めている。前後になって歩いているおかげで、顔を合わさずに済む。――おかげで少しばかり気持ちを立て直すことが出来た。
邸宅を発って、そろそろ一時間が経つ。
さすがにもう頬の赤みは取れたかと、ランドは指先で肌の熱さを確かめた。
「歓びの里には、五つの村があります」
ランドの心中を慮ってか、しばらく沈黙を保っていたエンジュが、久しぶりに口を開いた。ランドはそっと肩越しに振り返る。
「五つ、ですか」
「はい。どの村も一つ一つは小さな集落です。なので村というより村落と言った方がいいかもしれませんね。今日は一日かけて全ての村を見て回ります」
「一日で全部の村を?」
いくら獣に騎乗してとは言え、一日がかりとなると移動だけでも、なかなかの大仕事だ。
「村と村とはそれほど離れていないのです」
五つの村への道のりは、全部で五里(約二十キロ)ほど。獣のゆっくりとした足取りでおよそ五時間くらいだとエンジュは説明する。
歩き慣れていない者には多少キツイ距離だが、大荷物を抱えていなければそれほどでもない。旅慣れた者にとって、五里はそのくらいの道のりだ。
「――ですが、歩き通しのあなたは大変ですよね。我が儘を言って付き添いをお願いしましたが、ご迷惑ではありませんでしたか?」
申し訳なさそうに、エンジュの眉尻が下がるのを見て、いいえとランドは首を振る。
「しばらく体を動かせていなかったので、いい運動になります。むしろ、あなたの方こそ大丈夫ですか? 騎獣していても疲労は溜まっていきますからね」
エンジュを乗せて、のっしのっしと歩く獣を見る。
『ターキン』
“聖獣”と呼ばれる生き物だと聞いたのは、邸宅を出る少し前だ。
なんでも大昔、神の始祖によって牛の骨と山羊の骨から作り出された生き物なのだという。ただの作り話だろうと、まじまじ観察しながらランドは思う。
がっしりとした牛のような体つき。その顔は、山羊のようにすっきりと細い。額には立派な黒い角が二本。
寒さを凌ぐためか、金白色の長い毛並みに全身覆われている。今は、色鮮やかな晴れの装束で着飾り、とても華やかだ。
初めて見る獣だが、聖獣といってもその辺りにいる生き物と大きく違うようには見えない。
きっと数が少ない珍しい獣なのだろう。希少な生き物を神聖視するのは、いつの世も変わらないようだ。
優しい目をしたこの生き物は、見た目通りの穏やかな気性らしい。のんびりとした足取りがそれを如実に物語っている。
しかしひとたび危険を察知すると、岩山をやすやすと駆けあがり、その逃げ足はかなり俊敏なのだとエンジュは言う。
そう言われてよくよくみると、太い脚には強靭な蹄。それは険しい岩壁などものともしない、厳しい高地に住まう生き物である紛れもない証だ。
会話が途絶えると、再びランドは前を向く。元々、それほどおしゃべりな性質ではない。
フェイバリットと旅する間も、互いにたまにポツリポツリと言葉を交わすぐらい。とても静かな旅路だったとランドは振り返る。
だが眠る前のひととき、まるで一日の終わりを惜しむように、決まって二人でその日あったことをとつとつと話しながら夜を過ごした。
今朝の風が心地よかった。天気が持って助かったなど、一つ一つは他愛もない話ばかり――だが緊張から開放され、心からホッとする時間だった。
たった数日だというのに、そんなやり取りが途絶えると、もうずっと昔のことのように思えてしまう。
思い出すとひどく懐かしく、思わず綻んだランドの口もとが最後は切なく歪む。
しかし今は歓びの里の長たるエンジュの従者。ランドは首をひと振りして気を引き締める。
不敬のないよう――何より、仕える方の身の安全を図る。それが自分の務めだ。
些事に気を取られて、役目をおろそかにするわけにはいかない。再び、無言の時間が続くかと思われた時。
「――ランド」
規則正しいチャグチャグカッポカッポという音に、エンジュの小さな呟きがまぎれた。
聞き間違いかと、ランドは獣の背におさまるその人をチラリと仰ぐ。目が合うと、にっこりとエンジュが微笑んだ。
応えようとランドも笑みを浮かべるが、その笑顔はまだどこかぎこちない。
「足を止めてください」
「え?」
言われた通り歩みを止めると、ターキンの足も止まった。よく躾けられている。
疲れたのだろうか。足を止めさせた理由を思いめぐらすも、そのぐらいしか思いつかない。
「…エンジュ様?」
「何度か言っておりますが、呼び捨てでも構いませんよ?」
「――。いいえ。何度言われても、俺の返事は変わりません」
いかにもランドらしい言葉に、エンジュはふふっと小さく笑う。
「本当に、生真面目ですね。あなたらしくて、それもいいのですが、たまには肩の力を抜くのもいいと思いますよ?」
肩の力を抜く? どうやって? ――そもそもそれが必要かどうかも分からないのに。
訝しげに眉をひそめるランドの表情からその意を汲み取ったのか、エンジュの瞳がふわりとやわらいだ。
「見てください」
言うなり、エンジュはランドの背後を指さす。言われるままに、指さす方向に目を向ければ。
――そこには視界いっぱいに広がる、圧巻の風景があった。
狭い旧道だからと、足もとばかりに気を取られていたことが悔やまれる、それほどに素晴らしい眺めだった。
どこまでも続く青く澄んだ空の下、広大な大地が一望できる。空気が薄いためか、遥か遠くまで見渡せた。
向こうにそびえる山の中腹に、家屋が点在しているのが見える。おそらくここからは三里(約十キロ)くらいだろう。
その奥には、湖だろうか。太陽の光を受けて白く光る湖面は、まるで宝珠のようにきらめいている。
「――奥に見えるのは“詩湖”。この辺りで一番大きく深い湖です。そしてこれから向かう村も、ちょうどここから見えるのですよ」
ほらあそこと言って、エンジュは前方の風景を指さす。
「湖に近い順から、頂きの村、階梯の村、稲禾の村、水牛の村――そして山の麓にある鹿の村。分かりますか? 村に入る時は、今言ったのと逆に、鹿の村から湖の方に向かって移動します」
一つ一つ指さしながら名前を告げる。ランドは逐一頷きながら、瞬きすら惜しんで、目の前の風景に見入る。
「美しいですね」
自然とその言葉が口から出た。同意を求めてエンジュを見れば、いつからそうしていたのか、エンジュが静かにこちらを見ていた。
深山に降る雪のような白い頬をほんのりと上気させ、エンジュは眩しいものを見るように目を細める。
「はい――。ほとんど光を失ったはずの私の目にも、今あなたと見るこの風景は、ことさら美しく映ります」
「あ―――」
そう言えばとランドは思い出した。
この里に初めてきたあの日、この美しい緑の瞳は形ぐらいしか見えない――ましてや色など分からないと、他ならぬエンジュ自身が言ったことを。
言葉を詰まらせるランドに、エンジュが笑みを深める。
「どうか気になさらないで。言ったでしょう? 見えていると。これは嘘でも強がりでもありません。私自身、とても驚いているくらいですから――私の目は、かつてのように見る力を取り戻している。これは、どういうことなのでしょう…」
その答えを景色の中から見出そうとするように、エンジュが辺りに視線を彷徨わせる。
最後に、ゆっくりとその目がランドにたどり着いた。
二人の視線が再び交わった――その時、淡い緑の瞳がじわりと、ほんの少しだけ色を深めたように、ランドには見えた。
ああやっぱりと、吐息まじりに呟いたエンジュの声はとても小さいものだった。
ランドが聞き返そうと口を開きかけたが、その口が、ぽかんと中途半端に止まる。
ランドの視線の先で――エンジュが笑顔になったから。いつもとどこが違うというわけでもない。
なのに、この時この瞬間、青空を背に笑ったエンジュは、息を呑むほどに美しかった。
「分かりました…。ランド、あなたがそこにいるだけで私の見る風景――世界が、色を取り戻す。あなたを中心に世界が輝き出し、色鮮やかに見えるのです」
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変わりなくご訪問いただいた方に感謝しきりです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
次話は一週間後、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、
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