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2章 異国[羈旅( きりょ)]編

2-25 暴き出される

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 次の瞬間には体が吹っ飛んでいた。

 頭の中で痛みが白い閃光となって弾けた。がっしゃあっと派手な音がして、背中をしたたかに打ちつける。

 男に殴られて、自分の体が積み荷のところまで吹っ飛んだのだと、遅れて思考がついてくる。

 頭がくらくらして、足もとがよろめくのが分かった。頭? 顔? どちらを殴られたのだろうか。

 目から火が出るとはよく言ったもので、殴られた瞬間、痛いというより熱いと感じた。

 ジンジンと殴られたところを中心に熱を持ってひどく痛んだ。たった一発とは言え、男の容赦のない拳を受けて体中がギシギシと痛み、足ががくがくと膝から下が震えた。

「てんめぇ――、なめた真似しやがって…っつ」

 顔を赤黒くした男の体から、ゆらりと湯気が立ち上るほどに、煮えたぎる怒りが漂ってくる。視界の隅で床に横たわったランドが、喉の奥で何かを叫ぶのが聞こえた。

 世界が歪んでゆっくりぐるーんと回りだす。耳の奥でキーンという音が鳴る。地面がぐらぐらと揺らぐ感覚が気持ち悪くて、吐き気すらこみ上げてくる。

 気を抜くと、このまま意識が飛んでしまいそうだった。怒りんぼイルㇱカが拳を握り締めて、こちらに近づいてくるのが見える。

 ああ、これはただじゃすまないかも。立っていられず、ぺたりとその場に座り込みながら、ぼんやりとそんなことを思った。

「お頭ぁ、そいつ、殺さないでくださいよお?」

 それはまだフェイバリットに人質としての価値があることを意味する。半笑いアㇻケミナが一応といった感じで口を挟んだ。怒りんぼイルㇱカがそれを聞いて大きく舌打ちする。

「くっそう…。どうすんだよ、首輪これ。使い物にならねえじゃねえか…っ」

 男が苛々と言って、ぷらーんと切れた黒い首輪を忌々しげに床に叩きつける。外套の奥でそれを眺めながら、フェイバリットはほっと息を吐いた。

 安堵したところが見つかると、またもや殴られかねないので、体をすくめてなるべく息を殺す。

「だから、新しいのはまた買うとして、しばらくはそのガキを盾にするしかねえんじゃ、ないすかね…?」

 二人の視線が自分に集まるのを感じて、フェイバリットはいよいよ身の置き場がない。これ以上小さくなれないというくらいに身を縮こませて顔を伏せた。

「あのう――」

 そこに、ひっそりと声が割り込んだ。怖がりイシトマだった。御者を務めていた怖がりイシトマが、馬を止めてこの場にやってきたようだ。

「な・仲間にす…するって、言ってたんじゃ、ない、の?」

 相変わらずの無表情だが、困惑しているのは声からわかる。怒りんぼイルㇱカがちっと小さく吐き捨てた。

「誰が馬を止めていいって言ったよ? 勝手なことすんじゃねえ!!」
「で・でも…」
「こいつが、首輪を台無しにしたんだ。だから仕置きをした。それだけだ。分かったらさっさと持ち場に戻れ!」

 「仕置き」と聞いてぴくりと反応する。フェイバリットに視線を向けると、すぐそばに腰を下ろし、いたわるようにその背を大きな手がゆっくりとさすった。

「だ・だいじょうぶ?」

 心配する声が呼び水となって、じわりと涙が滲むのが分かった。今さらながらに体が震えてくる。

 鼻をぐすんといわせると、背中をさすっていた手が、今度はトントンとあやすように叩き始める。

 それを見た怒りんぼイルㇱカが大袈裟に溜め息をつき、半笑いアㇻケミナがやれやれと鼻で笑う。男二人から白けた空気が流れてきた。

「おい。もういいだろ? 馬を走らせろ。次は俺が声かけるまで勝手に馬を止めんなよ。これはだ」

 いくぶん怒りのやわらいだ声で怒りんぼイルㇱカが言って、怖がりイシトマを御者台に追い立てる。

 怒りの気配が薄らいだのが大男にも分かったのだろう。怖がりイシトマは「わかった」と素直に頷いた。背を向けようとして、ぴたりと足を止める。

「…いじめないって、や・約束する?」
「ああ――約束する。だから早く行け」

 溜め息と一緒に怒りんぼイルㇱカが吐き出した。

 フェイバリットを気にしながらも、背中に激を飛ばされて最後には馬の方に戻って行く。

 ―――これでひとまずの収束かと思った時。

「おう。他にもなんか隠し持ってるかもしれねえから、念のためこいつの身ぐるみ剥いで、調べとけ」

 怒りんぼイルㇱカ半笑いアㇻケミナに放ったそのひと言でフェイバリットは文字通り凍りついた。

「ええ――? なんで俺がぁ」

 「どうせひん剥くなら女がいいのに」とぶつくさ言いながら、逆らうつもりはないらしい。半笑いアㇻケミナが立ちあがる。

 ぎくりと体を強張らせて、フェイバリットは痛む体を引きずるようにして腰を浮かせた。近づいてくる男に首を振って拒否を示す。

「ほら、手間かけんじゃねえ」

 狭い荷台。逃げる場所などある筈もなく、あっさりと隅に追い詰められた。ぎゅっとフェイバリットは剥ぎ取られるまいと外套の合わせをきつく掴む。

 男は不快そうに眉間に皺を寄せると、そんなことにはお構いなしに手を伸ばした。

「――な、何も持ってない…!」

 身の潔白を証明する手立てがない。フェイバリットにはそう言う他なかった。その声を聞いた途端、ぴくりと半笑いアㇻケミナの手が止まった。

「おめえ、女か……?」

 半笑いアㇻケミナの驚きの声は怒りんぼイルㇱカにも届いたらしい。ランドの見張りを兼ねて積み荷に腰かけていた怒りんぼイルㇱカがその声に反応する。

 ややあって、怒りんぼイルㇱカは唇を吊り上げると、床に転がるランドをニヤニヤと見下ろす。ランドが体を起こそうとするのを片足一本できつく押さえつけた。

「なるほどなあ…。いやに大事にすると思ったらおめえのスケかい?」

 視線を戻すと、怒りんぼイルㇱカは「剥げ」と、フェイバリットにとってあまりにも無情なそのひと言を放った。
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