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1章はじまりの場所[ヘイルの里]編
9 森にお出かけ
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どこからかコロロロ…コロロロ…という声が聞こえてくる。
その声は高く低く、互いに呼び交わすように鳴り響く。
イレインは音の正体を探して辺りを見回した。大きな緑の葉の上に同化するように、鮮やかな緑色の蛙が一匹張りついていた。
森に住むモリアオガエルだ。この蛙は変わり者で、水の中ではなく、水面に張り出した木の上で産卵する。
足でかき混ぜて作った泡の中に卵を産み、孵ったオタマジャクシは池の中に落ちる。そして蛙に成長するとまた木の上の暮らしに戻るのだ。
見上げると、枝葉に白い泡状の卵が絡まっているのが見えた。足元は湿った地面で水辺はないが、もしかしたら産卵した時には大きな水たまりがあったのかもしれない。
頭上で競い合うように折り重なる枝葉の隙間から、まばゆい光がこぼれ落ちてくる。
イレインたちは森の中にいた。どうしてこうなったのか、1時間ほど前に遡ると――。
「やっぱり、遊ぼうか」
そう言ったランドの顔が少し楽し気だった。
また揶揄われているのだと、イレインはむっと相手の顔をわずかに睨む。
「ごめんごめん」と口元を押さえながらランドは謝るものの、イレインの機嫌が戻るはずもない。むしろその半笑いをしっかり隠して欲しいと切に願う。
「あー今の時間だと、ちょうど昼時だろう?」
確かに。午前中を寝て過ごしたイレインはまだ空腹を感じていないが、朝からひと働きしたら、そろそろひもじくなる頃だろう。
「あ、じゃあランドも家に帰る?」
何と言っても育ち盛りの青年だ。さぞやお腹が空いているに違いない。
「イレインはどうするの?」
このまま家に居るのも不毛だ。かと言って手伝える場所もない。少し考えて。
「…里長に昨日のことを話しに行った方がいい、よね?」
「それなら昨夜、リヴィエラ様から伝わっているから必要ない」
「そ、そう…じゃあ、皆に謝罪行脚に…あ、でもお昼か」
「それもあるけど、俺にはイレインが皆の前でアウアウ言って困り果ててる姿しか見えないなあ」
「だろう?」と可笑しそうに笑う。悔しいがその通りなので、ぐうの音も出ない。
「…。…。…。うーん、なら森でも歩こうかなあ…」
何か採れるものがあれば、今夜のお菜の一品に添えられる。
「それなら、俺も行くから」
いい笑顔で言い切られた。笑顔なのに有無を言わせぬ押しの強さがあった。
「いやいや、そんなの悪いし、一人で大丈夫だし」
慣れた森だ。小さな子どもでもあるまいし、奥へ入り込まなければランドの付き添いがなくても平気だ。
そんなイレインの言い分は、「うん駄目」のひと言で、ばっさり切って捨てられた。
「過保護すぎじゃない?」と思わず口を尖らせるイレインに、呆れたように、ランドがはあ…と溜め息を吐いた。
「昨日の今日で、一人で出歩くなんて軽率だろうに」
苦笑まじりにそう言われると、急にしおしおと気持ちがしぼんでしまう。
「…う、ごめんなさい」
「分かってくれたらいいけど…おまえは、しっかりしているようで迂闊だからなあ…」
先ほどより幾分やわらいだ口調にホッとして、イレインは少し肩の力が抜けるのが分かった。
リヴィエラを除くと里でイレインに関わってくれる、ただ一人の相手だ。
やはり、嫌われたくないと思ってしまう。
「心配してくれて…ありがとう」
「したくてやってることだから気にするな。それと」
ぐっと身を乗り出すと「お礼はいらない」と言って、ランドは指でイレインの額を弾いた。地味に痛い。
そこから準備に取り掛かる。
とりあえず、腹を空かせたランドの為に、イレインは朝炊いた米を使って、手っ取り早く握り飯を作ることにした。
まず紫蘇の葉と青ネギを細かく刻む。さらに寝かせてある漬物を取り出すと、水につけて軽く塩抜きをした後で、これも細かく刻んだ。
最後にご飯に全部をざっくりと混ぜて丸く握る。漬物の塩味があるので塩いらずだ。
野菜と漬物の食感もよくさっぱりとしているので、よく食が進む。イレインの夏のお昼の定番だ。
大きめに握ったつもりだったが、二つの握り飯はあっという間にランドの口の中に消えた。見ていて気持ちいいくらいの食べっぷりだ。
そして――今に至る。
まだ日は高い位置にある。
頭上を眩し気に見上げるイレインの背後から、草むらを掻き分けてランドが現れた。
「さて、どうだ?」とイレインの腰に下げた捌けごの中を覗き込んでくる。
そこには先ほど摘んだノカンゾウの蕾が並んでいた。
ノカンゾウは夏の山菜だ。似たような山菜にヤブカンゾウもあるが、どちらも蕾が美味しく食べられる。小さいとシャキシャキした食感と甘みを楽しめ、大きい蕾だと柔らかく、何より食いでがある。
さっと茹でてお浸しや酢の物、もちろん焼いても旨い。
今はまだ蕾も小さいものが多かったので、時期にはまだ少し早かったかもしれない。ノカンゾウは花が咲き始めると鮮やかな橙色の花をつける。その花を見るのもイレインは好きだった。
だけど、本当に欲しいものは別にある。
「満足したか?」と声をかけられ、イレインははっと我に返った。
多分、反対されると分かっていたが、どうしてもそれが欲しくて、迷った挙句イレインはそれを口にした。
その声は高く低く、互いに呼び交わすように鳴り響く。
イレインは音の正体を探して辺りを見回した。大きな緑の葉の上に同化するように、鮮やかな緑色の蛙が一匹張りついていた。
森に住むモリアオガエルだ。この蛙は変わり者で、水の中ではなく、水面に張り出した木の上で産卵する。
足でかき混ぜて作った泡の中に卵を産み、孵ったオタマジャクシは池の中に落ちる。そして蛙に成長するとまた木の上の暮らしに戻るのだ。
見上げると、枝葉に白い泡状の卵が絡まっているのが見えた。足元は湿った地面で水辺はないが、もしかしたら産卵した時には大きな水たまりがあったのかもしれない。
頭上で競い合うように折り重なる枝葉の隙間から、まばゆい光がこぼれ落ちてくる。
イレインたちは森の中にいた。どうしてこうなったのか、1時間ほど前に遡ると――。
「やっぱり、遊ぼうか」
そう言ったランドの顔が少し楽し気だった。
また揶揄われているのだと、イレインはむっと相手の顔をわずかに睨む。
「ごめんごめん」と口元を押さえながらランドは謝るものの、イレインの機嫌が戻るはずもない。むしろその半笑いをしっかり隠して欲しいと切に願う。
「あー今の時間だと、ちょうど昼時だろう?」
確かに。午前中を寝て過ごしたイレインはまだ空腹を感じていないが、朝からひと働きしたら、そろそろひもじくなる頃だろう。
「あ、じゃあランドも家に帰る?」
何と言っても育ち盛りの青年だ。さぞやお腹が空いているに違いない。
「イレインはどうするの?」
このまま家に居るのも不毛だ。かと言って手伝える場所もない。少し考えて。
「…里長に昨日のことを話しに行った方がいい、よね?」
「それなら昨夜、リヴィエラ様から伝わっているから必要ない」
「そ、そう…じゃあ、皆に謝罪行脚に…あ、でもお昼か」
「それもあるけど、俺にはイレインが皆の前でアウアウ言って困り果ててる姿しか見えないなあ」
「だろう?」と可笑しそうに笑う。悔しいがその通りなので、ぐうの音も出ない。
「…。…。…。うーん、なら森でも歩こうかなあ…」
何か採れるものがあれば、今夜のお菜の一品に添えられる。
「それなら、俺も行くから」
いい笑顔で言い切られた。笑顔なのに有無を言わせぬ押しの強さがあった。
「いやいや、そんなの悪いし、一人で大丈夫だし」
慣れた森だ。小さな子どもでもあるまいし、奥へ入り込まなければランドの付き添いがなくても平気だ。
そんなイレインの言い分は、「うん駄目」のひと言で、ばっさり切って捨てられた。
「過保護すぎじゃない?」と思わず口を尖らせるイレインに、呆れたように、ランドがはあ…と溜め息を吐いた。
「昨日の今日で、一人で出歩くなんて軽率だろうに」
苦笑まじりにそう言われると、急にしおしおと気持ちがしぼんでしまう。
「…う、ごめんなさい」
「分かってくれたらいいけど…おまえは、しっかりしているようで迂闊だからなあ…」
先ほどより幾分やわらいだ口調にホッとして、イレインは少し肩の力が抜けるのが分かった。
リヴィエラを除くと里でイレインに関わってくれる、ただ一人の相手だ。
やはり、嫌われたくないと思ってしまう。
「心配してくれて…ありがとう」
「したくてやってることだから気にするな。それと」
ぐっと身を乗り出すと「お礼はいらない」と言って、ランドは指でイレインの額を弾いた。地味に痛い。
そこから準備に取り掛かる。
とりあえず、腹を空かせたランドの為に、イレインは朝炊いた米を使って、手っ取り早く握り飯を作ることにした。
まず紫蘇の葉と青ネギを細かく刻む。さらに寝かせてある漬物を取り出すと、水につけて軽く塩抜きをした後で、これも細かく刻んだ。
最後にご飯に全部をざっくりと混ぜて丸く握る。漬物の塩味があるので塩いらずだ。
野菜と漬物の食感もよくさっぱりとしているので、よく食が進む。イレインの夏のお昼の定番だ。
大きめに握ったつもりだったが、二つの握り飯はあっという間にランドの口の中に消えた。見ていて気持ちいいくらいの食べっぷりだ。
そして――今に至る。
まだ日は高い位置にある。
頭上を眩し気に見上げるイレインの背後から、草むらを掻き分けてランドが現れた。
「さて、どうだ?」とイレインの腰に下げた捌けごの中を覗き込んでくる。
そこには先ほど摘んだノカンゾウの蕾が並んでいた。
ノカンゾウは夏の山菜だ。似たような山菜にヤブカンゾウもあるが、どちらも蕾が美味しく食べられる。小さいとシャキシャキした食感と甘みを楽しめ、大きい蕾だと柔らかく、何より食いでがある。
さっと茹でてお浸しや酢の物、もちろん焼いても旨い。
今はまだ蕾も小さいものが多かったので、時期にはまだ少し早かったかもしれない。ノカンゾウは花が咲き始めると鮮やかな橙色の花をつける。その花を見るのもイレインは好きだった。
だけど、本当に欲しいものは別にある。
「満足したか?」と声をかけられ、イレインははっと我に返った。
多分、反対されると分かっていたが、どうしてもそれが欲しくて、迷った挙句イレインはそれを口にした。
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