鮫滅の鋸 アンリミテッド・シャーク・ワークス

武州人也

文字の大きさ
上 下
2 / 12

第2話 シャーク・パニック!!

しおりを挟む
 東京都・鬼車之島きしゃのしま

 この島の南岸の船着き場に、一隻の船が到着した。東京本土とこの島とを結ぶ定期船である。

「南国って感じ。ハブとかいそう」
「向こうの斜面に見えるの何?」
「ソーラーパネルっしょあれ」

 船から降りた少年たち五人が、取り留めもなくお喋りしている。彼らを牽引する若い男は、それを背中で聞きながらぬるいため息を吐いた。
 少年たちを引率している、眉毛の濃い精悍な顔つきの若い男は、中学校教員の雪丘ゆきおかいつきである。水泳部の顧問である彼は、夏の合宿を行うために、部員である後ろの五人を連れてこの島にやってきたのだ。
 男の大きな背中は力なく丸まっており、男の内心の暗雲を表出させている。雲一つない青空とは裏腹に、男の表情は曇り切っていた。

 その理由は、水泳部の置かれた状況に由来している。

 先月、三人の部員が他校生と喧嘩して相手を負傷させた。そのことで、水泳部の夏の大会への出場が辞退となってしまったのだ。
 この処分によって、目標をなくした残りの部員たちは完全にふてくされてしまった。以前のような意欲をなくし、練習でもどこか締まらない雰囲気が漂い始めたのである。それだけでなく不自然な病欠――仮病を使っているのかも知れないが、証拠がない以上何も言うことはできない――が増え、練習に部員が揃うことさえ稀になってしまった。
 それゆえに、夏の合宿も何だか物見遊山のような雰囲気になってしまった。顧問の雪丘はまだ若く、彼らを引き締めるにはいささか教師としての経験や威厳が不足している。

 水泳部が宿泊するのは、南岸の海水浴場にほど近い旅館であった。旅館の白い外壁は日に焼けて褪せたかのように黄色がかった色合いをしており、この建物の年季の入りようを言外に語っている。

二頭にとうさん、今年もどうかよろしくお願いします」
「いやいや、何もない島ですが、ゆっくりしていってくだされ」

 応接間のような部屋で、雪丘は白髪の老人と向かい合う形で座りながら話していた。この白髪の老人こそ、旅館のオーナー二頭である。

「今年の水泳部はどうですかな。事件のことは聞き及んでおりますが」
「はい……その後も色々ありまして……」

 この旅館はずっと前から水泳部と懇意の間柄であり、歴代の水泳部員たちは皆二頭とこの旅館の世話になってきた。二頭はまさに水泳部の歴史の生き証人とも言うべき人物である。

「まぁ、気を落としなさるな。わたしも来てくれて嬉しいですよ。こんなご時世ですし、旅館うちもこの辺も寂しくてな。それに娘も……」
「ああ、娘さん……」

 二頭には二人の息子と一人の娘がいたが、娘は二年前に行方知れずとなってしまい、未だに発見されていない。妻にも先立たれ、息子二人も島外暮らしの今、この老人が孤独に沈んでいるであろうことは想像に難くない。

***

 さてその頃、部員たちはどうであったか。彼らはすでに旅館の客室にはいなかった。

「やったぜ海だ!」
「あそこの水着の姉ちゃんエロくね?」

 一旦、旅館の部屋に腰を落ち着けた水泳部であったが、案の定、旅館に着いた水泳部員たちは羽目を外した。強化合宿という目的も忘れて、海パン姿で海水浴場へと繰り出してしまったのである。
 南岸の砂浜には、多くの海水浴場が思い思いに遊興していた。海水に身を浸す者もいれば、浜辺で寝そべり日光に体を晒す者もいる。
 五人の水泳部員は、そのまま一直線に海へと突入した。嗅ぎ慣れない磯の匂いが、先ほどにも増して彼らの鼻をついた。

「もっと向こう行こうぜ!」

 部員の一人が、沖の方を指差した。陸から離れる機会が中々ない内陸育ちの彼らは、海水に身を浸したことで完全に調子づいていた。
 その一言が、部員たち全員を陸地から引き離した。彼らは競うように、沖を目指して泳ぎ出したのである。
 彼らは元々内陸育ちであり、海というのは縁遠いものであった。だからこそ、海のもたらす非日常感が、強い興奮をもたらした。

「遅いぞ、こっち来いよ」

 先ほど他の部員を煽った部員が、後ろを向いて尚も仲間を煽っている。二年生である彼は、部員の中では一番有望視されていた。だからこそ、自分に何の責任もない事件のために出場停止処分を受けたことは彼を大きく落胆させたし、彼の意欲を大きくそぎ落とした。仲間を砂浜に誘って勝手に旅館を抜け出すよう先導したのは彼であったが、それは彼なりの鬱憤晴らしのようなものであった。

 だがこの時、彼は気づいていなかった。が、水をかき分けながら忍び寄っていることに……

「……ん?」

 急に、背中を大きな波が襲った。それは全く突然のことであった。
 水を被った頭を震わせながら、おもむろに後ろを向く。その時ようやく、彼は接近するを視認した。

「さ、サメだ!」

 水面から背びれを立てながら、四匹のが一直線に向かってきていた。その正体が何であるかは、海を見たことのないこの少年でも理解できる。
 視界に収めた時はまだ二十メートルほど離れたところにいたそれらは、あっという間に距離を縮めた。

「え、サメ!?」
「マジだ!?」

 水泳部員たちは、一斉に岸に向けて泳ぎ出した。けれども彼らが水泳部員とて、陸の生き物が海の王者に泳ぎで勝てるはずもない。水泳部員とサメ、両者の距離は瞬く間に縮まった。浜辺はまだ遠く、海水をかき分けて急接近するサメから逃れることはほぼ絶望的だ。

「がっ……」

 仲間を煽った部員が、カエルの潰れたようなうめき声を虚空に残して海中に没していった。
 他の四人の部員たちは、後ろを一切振り返らずに泳ぎ続けた。彼らの耳には、手で水を裂く音に混じって、大勢による悲鳴が聞こえている。サメが迫ってきている――そのことは、水泳部以外の海水浴客にも知れ渡ったのであろう。
 事実、海水浴場はパニックに陥っていた。迫りくるサメから逃れようと、人々は一目散に浜辺へと駆けていく。

 海から陸へ……その人の流れに逆行する、一つの人影があった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

調子に乗りすぎて処刑されてしまった悪役貴族のやり直し自制生活 〜ただし自制できるとは言っていない〜

EAT
ファンタジー
「どうしてこうなった?」 優れた血統、高貴な家柄、天賦の才能────生まれときから勝ち組の人生により調子に乗りまくっていた侯爵家嫡男クレイム・ブラッドレイは殺された。 傍から見ればそれは当然の報いであり、殺されて当然な悪逆非道の限りを彼は尽くしてきた。しかし、彼はなぜ自分が殺されなければならないのか理解できなかった。そして、死ぬ間際にてその答えにたどり着く。簡単な話だ………信頼し、友と思っていた人間に騙されていたのである。 そうして誰もにも助けてもらえずに彼は一生を終えた。意識が薄れゆく最中でクレイムは思う。「願うことならば今度の人生は平穏に過ごしたい」と「決して調子に乗らず、謙虚に慎ましく穏やかな自制生活を送ろう」と。 次に目が覚めればまた新しい人生が始まると思っていたクレイムであったが、目覚めてみればそれは10年前の少年時代であった。 最初はどういうことか理解が追いつかなかったが、また同じ未来を繰り返すのかと絶望さえしたが、同時にそれはクレイムにとって悪い話ではなかった。「同じ轍は踏まない。今度は全てを投げ出して平穏なスローライフを送るんだ!」と目標を定め、もう一度人生をやり直すことを決意する。 しかし、運命がそれを許さない。 一度目の人生では考えられないほどの苦難と試練が真人間へと更生したクレイムに次々と降りかかる。果たしてクレイムは本当にのんびり平穏なスローライフを遅れるのだろうか? ※他サイトにも掲載中

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...