復讐の偶像

武州人也

文字の大きさ
上 下
9 / 11

憤怒の炎

しおりを挟む
 平田はバットを両手で構え、飛びかかってくる女を迎え撃つ体勢をとった。

「ざけんなっ!」

 平田は刀で袈裟切りにするような形で、バットを斜めに振り下ろした。だが女は真剣白刃取りのようにバットを受け止め、そのままぐりぐりと左右にねじった。物凄い力で振り回された挙句、とうとう平田はバットを奪われてしまった。女は奪ったバットを放り投げると、威嚇するようにくわっと趾を開いて見せた。
 武器をなくした平田に、再び女が躍りかかる。平田は右の拳を固く握って殴りかかったが、逆にその右腕を掴まれてしまった。掴まれた腕は強い力でありえない方向に曲げられ、ぐきっという嫌な音とともに肘関節が外されてしまった。平田の絶叫が、黄昏の赤い空にこだまする。
 非情なことに、女は苦しむ暇さえ、平田に与えてはくれなかった。平田は押し倒され、趾によって腕を押さえつけられ組み伏せられた。女の顔が、平田の息が直接かかるような距離にまで近づいてきた。ギリシャ彫刻のような女の顔は美しく、そして恐ろしかった。悪を憎み、罰を与えんとする女神の顔をしている。平田は抜け出そうともがいたが、常識はずれの怪力で押さえつけられていてはどうしようもない。
 平田はこっそりと、まだ使える左手を左のポケットに突っ込んだ。そこから取り出したのは、使い捨てライターであった。
 実は鈴木を見捨てて逃げ出す時、彼のポケットからライターをくすねていた。煙草に火をつけるために、彼が持ち歩いていたものだ。
 平田はライターの火をつけると、それを女の体に押しつけた。女の体に火が燃え移ると、押さえつける力が弱まった。するりと抜け出した。
 火はあっという間に女の全身を覆った。暗くなりかけている空の下で、赤い舌のような炎が松明のように辺りを照らしている。助かったのか……と、平田は炎に包まれた女を眺めていたが、そんな希望的観測を打ち破るかのように、女はゆらりと立ち上がり、平田の方を向いた。炎の奥からでも、憎悪に満ちた目ははっきりと見えた。

「ひっ……!」

 平田は全力で駆け出し、公園の北側の出口を脱した。炎に巻かれてなお、あれは止まってくれない。標的の命を奪うまで、絶対に止まらないのかも知れない……
 夕日はすっかり沈んでしまって、赤い日差しは青黒い夜に食われていた。平田は疲労した体に鞭打って走りながら、ふと、後ろを向いた。
 
 追ってきていた。炎に巻かれ、翼も焼け落ちてなお、女は執念深く追ってきていた。炎の塊が、じりじりと着実に、こちらへと忍び寄ってくる……

「嘘だろ!?」

 平田は泣きそうになりながら、萎えた足を必死に動かして角を曲がり、そのまた先の角を曲がった。その先の突き当たりには遊具が二つ三つあるだけの、小さな児童公園があった。平田は公園の中の公衆トイレに駆け込み、個室の鍵をかけて閉じこもった。
 トイレの中は、白い電灯でぼうっと照らされていた。あまり掃除をされていないのか、嫌な匂いがつんと鼻をついてくる。便器に座ると、全力疾走による疲れがどっとのしかかってきた。走っている時には忘れかけていた右腕の激痛が遅れて襲いかかってきて、左手で右腕を押さえながら、歯を食いしばって痛みに耐えた。
 もう肌寒い季節だというのに、全身がびっしょり汗で濡れている。だらだらと汗が流れて、心臓がばくばく高鳴りを続けていて、足ががくがく震えているのも、きっと全力疾走したからというだけではないだろう。
 便器に座っていると、何かがするっとポケットから抜け出て、トイレの床に落ちた。見ると、それは家を出る時に持ってきていた、自分のスマホであった。
 
 ――そうだ、これで助けを呼べば……

 平田はすぐさま110番を押した。今のスマホはGPS機能がついているから、居場所を口で伝えなくても警察が来てくれる、と聞いたことがある。

「何がありましたか?」
「お、襲われてるんです! 女に! すぐ来てください!」
 
 とにかく、すぐにでも助けに来てほしかった。以前はあんなに恐れていた警察であったが、この期に及んでは何者にも増して頼りになる存在であった。
 その時であった、スマホを当てていない右耳が、ばちばちと爆ぜるような音を拾った。まるで薪を燃やしているかのような音だ。そこにこつ、こつ、という足音が交じり、それと一緒に焦げ臭い匂いも漂ってくる……
 平田の全身の神経に、びりりと電流が走った。全身を駆け巡る神経が、全力で危険信号を発している。

 ――奴が、こっちに来る……!

 足音は、隣の個室のドアの所で止まった。きっと中を覗いているのだ。次は、ここの番だ……平田の顎は、ひとりでにがくがく震え出した。
 平田は右腕を押さえながら、目をぎゅっとつぶった。警察が来るのが先か、自分が殺されるのが先か……今できることは、いち早く警察が到着することを祈ることだけだ。
 再びこつ、こつ、という足音が近づいてきて、それはすぐに止まった。この個室の前まで来たのだ。ドア一枚隔てた向こう側には、殺戮の限りを尽くしてきた怪物が立っている――
 
「秋野……お前なんだろ? 悪かったよ……殺すつもりはなかったんだ」

 平田はドアの向こうにいる者に向かって、釈明を始めた。

「金もさ、返すつもりだったんだ。俺の親さ、金持ちなんだけどあんまり小遣いくれないんだ。でも正月になればお年玉たくさんもらえるから、それで返そうと思って」

 もちろん、これは口から出まかせというものであった。平田には最初から、金を返すつもりなどない。あわよくば殺人をためらってはくれないか、という、苦し紛れの時間稼ぎであった。要は命乞いである。

「俺さ、警察に行こうと思ってるんだ。今村たちは死んじゃったけど、俺一人で真実を話しに行」

 言い終わらないうちに、ばたん、と外側からドアが蹴破られた。まるで不動明王のように炎を背負った女が、そこに立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マーダー・オブ・ハロウィン 恐怖の殺戮カボチャ

武州人也
ホラー
「いじめっ子に反省を促す殺人鬼」 一人のいじめられっ子が凄惨な暴力を受けた末に、橋の上から川に身を投げた。かつてのいじめっ子たちは、何の咎めも受けることなく大人となりそれぞれの生活を営んでいたが、そんな彼らを天は許さなかった。安穏と暮らす彼らの顔は恐怖で歪み、かつての蛮行の報いを受けることとなる…… 罪を背負った者たちが、顔を隠した殺人鬼によって殺戮される、恐怖のスラッシャーホラー小説。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

6年生になっても

ryo
大衆娯楽
おもらしが治らない女の子が集団生活に苦戦するお話です。

gnsn / デスゲーム ?¿

きらきらっ
ホラー
ぴーんぽーんぱーんぽーん ぱーんぽーん!! みなさまゝ 、 本日は この館にお集まりいただき 誠に感謝感激 雨あられですっ! 、 では はじめようか...!! ''命をかけたゲーム''を! 原神 / デスゲームパロ こちら小説はのオープンチャットを元に作られております https://line.me/ti/g2/fCFrdDzrLZ_8MjLngVDha3zOJLAy2WXGa_5gyg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

徹夜でレポート間に合わせて寝落ちしたら……

紫藤百零
大衆娯楽
トイレに間に合いませんでしたorz 徹夜で書き上げたレポートを提出し、そのまま眠りについた澪理。目覚めた時には尿意が限界ギリギリに。少しでも動けば漏らしてしまう大ピンチ! 望む場所はすぐ側なのになかなか辿り着けないジレンマ。 刻一刻と高まる尿意と戦う澪理の結末はいかに。

処理中です...