復讐の偶像

武州人也

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忍び寄る死

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 秋野の家は学区の西の端にある一軒家だ。白い外壁と黒い屋根を持つ家で、建売であったせいか付近の戸建て住宅と外観がよく似ている。
 
「ついてきちゃったけど、これからどうするのか考えはあるのか?」
「……取り敢えず外から様子見てみるか」
「鈴木お前絶対何も考えてなかっただろう……」
「うっせ」

 鈴木の提案は、どうやら単なる思いつきだったようだ。それでも、平田は一人でいるよりは二人でいる方がよいと考えて、この場を去らなかった。
 はぁ、と平田がため息をついた時、目の前にひらひらと、白い羽根が舞い落ちてきた。
 平田と鈴木は、羽根に誘われるように上を向き、秋野邸の屋根を見た。
 屋根の上には……人が立っていた。いや、ただの人ではない。鷲の頭を持っていて、背中から大きな翼を生やしている。そいつが、屋根の上からじっと二人を見下ろしていた。
 そのあしゆび状の手には……生首が握られている!

「う、上野!」

 生首を見た鈴木が、その首の主の名を叫んだ。鈴木の悪友で、かつて一緒になって秋野に暴力を振るっていた上野という男子だ。秋野に虫の死骸を食わせたのはこの少年だった。
 虚ろな顔をした生首からは、ぽたっぽたっと鮮血が滴っている。恐らく、上野は今さっき殺されたのだ。

 ――あれが、連続殺人鬼の正体だ。

「うわああああっ!」

 二人が叫んだのは、ほぼ同時であった。逃げ出そうとした二人であったが、屋根から飛び降りてきた鷲人間が、その行く手を塞いだ。血走った目がぎょろぎょろと動く様は不気味そのもので、少年たちの恐怖を煽りに煽っている。

「くっそぉこいつめ!」

 生首を捨てた鷲人間に向かって、鈴木はバットケースから引き抜いたバットを構え、殴りかかった。バットが怪人の左肩を打ち据え、鈍い感触が鈴木の手に響いてきた。

「え……」

 鷲人間は、バットの一撃を食らってもびくともしなかった。生首を投げ捨てた鷲人間は、鋭い爪のついた趾を振るい、鈴木の手からバットを叩き落としてしまった。

「やべぇ!」
「あっ、平田てめぇ!」

 平田は隙をついて、脱兎の如く駆け出して逃走した。鈴木を見捨てたのだ。狙われている者同士の一蓮托生、などという認識は、平田の中に存在していなかったのだ。
 裏切られたとはいえ、平田に構っている余裕は今の鈴木にない。目の前には、恐らくすでに殺戮の限りを尽くし、何人もあの世に送っているであろう怪人がいる。
 鈴木は破れかぶれに拳を振るった。腕力自慢の鈴木が最後に頼みにしたのは、自らの拳であった。体格に恵まれた彼は、喧嘩で負けたことがない。常に腕力で他人を従わせてきた。
 しかし、その拳はあっさりと鷲人間の趾に掴まれ、逆にぐいっとひねられてしまった。大きく体勢を崩した鈴木は、そのまま横倒しにされてしまう。
 自慢の腕力は、鷲人間に全く通用しなかった。死の恐怖が、鈴木の頭から足先まで、電流のように全身を駆け巡る。

 ――嫌だ。こんな所で死にたくない!
 
「わああああっ!」

 震える足を何とか叱咤して立ち上がった鈴木は、一直線に突進して鷲人間に殴りかかった。だが、繰り出した拳はけられて空を切り、逆にその右腕を掴まれて背負い投げの要領で投げ飛ばされてしまった。
 力の差は、歴然であった。喧嘩で勝てないなんてことは、人生で初めてであった。これまで積み上げてきた絶対の自信が、音を立ててがらがらと崩れ去っていくようであった。しかもここでの負けは、すなわち死を意味している。
 鷲人間は無言のまま、侮るように立っていた。無力を実感した鈴木であったが、まだ死を受け入れることはしなかった。何とか立ち上がった鈴木は、ふらふらと後ずさった。
 鷲人間は、標的を逃すまいと再び躍りかかった。両肩を掴み、大きなくちばしで鈴木の額をつついた。嘴は硬く、鈴木の額からは血が流れ出して鼻から顎へと伝っていった。鈴木は鷲人間の体を押しのけようと蹴りを入れたが、やはりびくともしない。逆にお返しとばかりに鷲人間は鈴木の腹に蹴りを見舞い、さらに右手を振るって頬を殴った。
 秋野翼は女みたいな顔と青白い肌をしていて、その上臆病で力も弱かった。鈴木にとって秋野のような弱者は手頃なサンドバッグでしかない。小学校卒業までの二年間、殆ど一方的に暴力を振るって屈服させてきた。それが巡り巡って、今度は怪人の圧倒的な力の前にねじ伏せられている。

 ――そうか、やはりこれは復讐なのか。

「止まれ! 現行犯で逮捕する!」

 その言葉を聞いた時、絶望に沈んでいた鈴木の顔に、少しばかり笑みが戻った。警官が駆けつけてくれたのだ。若そうな二人の警官は少し離れた場所で、拳銃を構えて怪人に銃口を向けている。
 鷲人間の注意は、警官の方を全く向いていない。くわっと爪を開き、右手を振るって鈴木を切り裂こうとした。
 ぱぁん! と、乾いた音が響き渡った。警官が発砲したのだ。警官二人の拳銃が、その銃口から灰色の煙を吐いている。
 横から撃たれた鷲人間は、少し体をのけ反らせた。しかし、効き目はそれだけであった。銃弾ごとき痛くもかゆくもない、といった風に、鷲人間は警官を無視し、鈴木に手を伸ばした。
 警官二人の指が、再び拳銃の引き金を引いた。銃声が響き、銃口が火を噴く。

「がっ……」

 鈴木の首を掴んだ鷲人間は物凄い力でその体を引き寄せ、鈴木の体を盾にしたのだ。二発の銃弾は鈴木の胸と腹にそれぞれ命中し、その体に風穴を開けた。
 襲われている少年を撃ってしまった警官たちは、おろおろと慌てふためいていた。銃を握る手は震えてしまって、もう発砲どころではない。
 鷲人間は手足を力なくぶらつかせている鈴木の体を放り出すと、足元に落ちていた金属バットを拾い上げた。先ほど鈴木の手から叩き落されたものだ。バットの先端を真下に向けた鷲人間は、それを鈴木の顔面めがけて振り下ろした。すでに事切れているであろう鈴木に対する、追い打ちのような攻撃であった。
 ぐしゃり、と、鈴木の顔はトマトのように潰れてしまった。人体とは、こんなに脆いものなのか……怪物のあまりに残忍な行いに、それを見ていた警官たちは恐怖で青ざめている。

 鷲人間は翼を目いっぱい広げると、ばさぁっと大きく羽ばたかせ、空高く飛び去ってしまった。残されたのは凄惨な暴力を受けた末に銃弾を受け、とどめとばかりに顔を潰された鈴木の死体と、泡を吹いて腰を抜かした警官だけであった。
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