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いじめ死
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……どうしよう。
土曜日の昼下がり――床に仰向けになりながら、僕は天井に向かって息を吐いた。起き上がろうと思っても、体が言うことを聞いてくれない。行ったらきっとひどい目に遭う……でも行かなきゃもっと怖いことになる。
僕が受けているいじめは、小学五年生の頃に始まった。鈴木という体格の良い乱暴者とクラス替えで一緒になってしまったことが、僕の不幸の始まりだった。今でも時折、あいつの顔を思い出しては吐きそうになる。目が細く、頬の膨れた、まるで相撲取りのような顔の男だ。
鈴木とその取り巻きによって、僕は繰り返し暴力を受けた。それだけじゃない、筆箱を取り上げられてサッカーのパス回しのようなことをされたり、いつの間にか文房具がなくなっていたり、机にはチビだのオカマだのといった下品な落書きがされていたり、変な虫の死骸を食わされたり……とにかくありとあらゆる手段で、あいつらは僕をねちっこく追い詰めた。
鈴木とその仲間たち数名によって、僕の小学校生活はめちゃめちゃに壊された。鈴木たち以外のクラスメイトからも気持ち悪がられて、誰も仲良くしてくれない。若い担任の先生は全く頼りにならなくて、いじめは二年間ずっと続いた。
中学に入学すれば、少しは何か変わるかも知れない――桜が散る中、不慣れな制服に袖を通した僕は、灰色の校舎を眺めながらそんなことを思った。けれどもそんな甘い期待は、結局めためたに打ち壊された。
確かに、中学に上がると鈴木とは別のクラスになることができた。けれども別の小学校出身の平田という男が、最悪のクラスメイトだった。
この平田は鈴木とは全く違うタイプだった。細身ながら筋肉がついているスポーツマンタイプの外見で、整った顔立ちから女子にも人気があった。勉強についていけていなかった鈴木と違い、授業態度は真面目そのもので、教師ウケも悪くない。それだけに、平田の怖さに気づいている人は、あまり多くなかったんじゃないかと思う。
平田は元々鈴木の取り巻きをやっていた連中と組んで、僕に金銭の要求をしてきた。流石にお金のやり取りはできないというと、腹に一発、拳を叩き込んできた。その一撃で、逆らうという選択は僕の頭から消えてしまう。金銭の絡む要求をしてこないだけ、鈴木の方がまだマシだった。
最初の内は金額が少なかったから、僕は自分の小遣いから出していた。けれども三回目辺りから金額が千円台になり、七月になると五千円も要求してきた。僕の財布に、そんなお金は入っていない。そしてとうとう昨日、平田は一万円を要求してきた。
そんな額のお金は持ってない――僕は半泣きになりながら、昨晩こっそり、お父さんの持ち物を漁った。でもお父さんは現金を持たない主義で、財布の中に入っていたのはカード類ばっかりだった。親の金を盗むという罪を犯さずに済んだのはよかったけれど……平田たちに何をされるのか、僕は怖くて仕方がない。
僕はお父さんに、いじめのことを一切話せないでいた。出版社に勤めているお父さんは、僕が小学校に上がる直前にお母さんが死んでから、男手一つで育ててくれている。そんなお父さんに、余計な心配をかけたくない……そんな一心で、僕はいじめのことを伝えなかった。
リビングにかけられている制服は、三カ月ちょっとしか袖を通していないにも関わらず、右膝の所に穴が開いてしまっている。以前砂の地面の上をさんざん引きずり回されたからだ。あいつらのいじめは主に金銭の要求であったが、暴力を振るってきたことも何度かあった。
しばらく寝転がった後、僕はようやく重たい腰を上げた。そして、服を着替え、上着を羽織って、財布を掴んで部屋を出た。今僕の財布に入っているお金は、一万円には全然届かない。
家を出る時、玄関に置いてある大きな木像と一瞬目が合った。鷲のような頭を持っていて、背中に翼を生やした人間の像だ。キトンというギリシャ風の服を着ていて、お父さんと同じぐらいの背がある。僕が生まれる前にお母さんが、「生まれてくる子を守ってくれるように」と実家から持ち出してきたもので、何かの神様の像らしい。ぎょろっとした大きな目がちょっと怖いけれど、お母さんの形見だと思うと嫌いにはなれなかった。
――もし、本当に神様なんだとしたら、どうか僕のことを守って……
どんより曇った空、生暖かく湿気た風、毛穴から湧き出るじとっとした汗――その全てが、僕を嫌な気持ちにさせた。これから何が起こるのか想像すると、恐ろしさで身震いしてしまう。
――どうして、僕のいる世界はこんなにもひどくて、醜いんだろう。
「は? こんだけかよ」
待ち合わせ場所の緑地公園で、平田は僕が見せた財布の中身を見るなり、苛立ち混じりにそう吐き捨てた。
「一万円って言ったの、聞こえなかったのか? これじゃ全然足りねぇんだよ」
「……ごめんなさい」
僕は喉奥から必死に声を振り絞った。平田はしばらく腕を組み、何やら考えごとをしているようだ。僕はあまりの恐ろしさに、立っていることさえ苦しい。
突然、僕のお腹にパンチが打ち込まれた。平田が僕を殴ったのだ。胃の中のものが逆流してきて、僕は吐きそうになるのを何とかこらえた。
「こんなんじゃ許せねぇな。そうだな……お前、ここから飛び降りろよ。そしたら足りない分はチャラにしてやる」
「えっ……」
僕は平田に腕を掴まれて強引に引っ張られた。連れてこられたのは、橋の上だ。下には川が流れていて、その水は連日の雨で茶色く濁っている。
……飛び降りるなんて、そんなこと、できるはずがない!
「おら早く飛べ」
「とーべ! とーべ! とーべ!」
平田とつるんでいる取り巻き二人は、楽しげにはやし立てている。まるでショーを見ているかのようだ。
僕の体は、平田によって橋の手すりに押し付けられた。さすがにここから落ちるわけにはいかない……「やめて! やめて!」と叫びながら、僕は必死で抵抗した。だが平田の力は強い。ここままでは本当に落とされてしまう。
「お前ら足持ち上げろ足!」
「おう」
取り巻き二人が、平田に言われるまま僕の足を持ち上げた。僕の抵抗は、ここまでだった。僕の体は、とうとう空中に投げ出された。
――どうして、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
川底に落下し、全身が叩きつけられる衝撃で、僕の意識はどこかへ吹っ飛んでしまった。
***
秋野翼の父、俊平は、妻の遺影の前で項垂れていた。
――すまない、優子。翼を守ってやれなかった。
特に何かに使っているような気配はないのに、お小遣いの減りがやたら早かった。
制服の膝に穴があいていた。翼に聞いてみると「校庭で転んで穴あいちゃった」と笑いながら言った。
一か月前、仕事から帰ると、翼の頬に痣を見つけた。そのことについて聞いてみると、翼はやはり「学校で遊んでる時に人とぶつかっちゃって」と言って軽く流した。
――あれは、見逃すべきでない、いじめのサインだったのだ。
父親だというのに、息子がいじめに遭っていることに気づけなかった。息子が何も相談してくれなかったのだって、きっと頼りない親だと思っていたからだ。これでは、父親失格だ……俊平は自分を責めに責めた。
俊平は妻の遺影の前で、おいおい男泣きをした。悲しさと悔しさが、そのまま涙となって滝のように流れていた。
警察は自殺だと断定して、それ以上何も踏み込まなかった。学校にいじめのことを訪ねても、「いじめがあったという事実は確認されていない」の一点張りだ。警察も学校も、もはや頼れない。
――誰が、翼を死に追いやったのか。
悲しみと悔しさの後に湧いてきた感情は、怒りであった。やり場のない怒りがふつふつと湧いてきて、心胆を焼き焦がさんばかりに燃え上がっていた。
土曜日の昼下がり――床に仰向けになりながら、僕は天井に向かって息を吐いた。起き上がろうと思っても、体が言うことを聞いてくれない。行ったらきっとひどい目に遭う……でも行かなきゃもっと怖いことになる。
僕が受けているいじめは、小学五年生の頃に始まった。鈴木という体格の良い乱暴者とクラス替えで一緒になってしまったことが、僕の不幸の始まりだった。今でも時折、あいつの顔を思い出しては吐きそうになる。目が細く、頬の膨れた、まるで相撲取りのような顔の男だ。
鈴木とその取り巻きによって、僕は繰り返し暴力を受けた。それだけじゃない、筆箱を取り上げられてサッカーのパス回しのようなことをされたり、いつの間にか文房具がなくなっていたり、机にはチビだのオカマだのといった下品な落書きがされていたり、変な虫の死骸を食わされたり……とにかくありとあらゆる手段で、あいつらは僕をねちっこく追い詰めた。
鈴木とその仲間たち数名によって、僕の小学校生活はめちゃめちゃに壊された。鈴木たち以外のクラスメイトからも気持ち悪がられて、誰も仲良くしてくれない。若い担任の先生は全く頼りにならなくて、いじめは二年間ずっと続いた。
中学に入学すれば、少しは何か変わるかも知れない――桜が散る中、不慣れな制服に袖を通した僕は、灰色の校舎を眺めながらそんなことを思った。けれどもそんな甘い期待は、結局めためたに打ち壊された。
確かに、中学に上がると鈴木とは別のクラスになることができた。けれども別の小学校出身の平田という男が、最悪のクラスメイトだった。
この平田は鈴木とは全く違うタイプだった。細身ながら筋肉がついているスポーツマンタイプの外見で、整った顔立ちから女子にも人気があった。勉強についていけていなかった鈴木と違い、授業態度は真面目そのもので、教師ウケも悪くない。それだけに、平田の怖さに気づいている人は、あまり多くなかったんじゃないかと思う。
平田は元々鈴木の取り巻きをやっていた連中と組んで、僕に金銭の要求をしてきた。流石にお金のやり取りはできないというと、腹に一発、拳を叩き込んできた。その一撃で、逆らうという選択は僕の頭から消えてしまう。金銭の絡む要求をしてこないだけ、鈴木の方がまだマシだった。
最初の内は金額が少なかったから、僕は自分の小遣いから出していた。けれども三回目辺りから金額が千円台になり、七月になると五千円も要求してきた。僕の財布に、そんなお金は入っていない。そしてとうとう昨日、平田は一万円を要求してきた。
そんな額のお金は持ってない――僕は半泣きになりながら、昨晩こっそり、お父さんの持ち物を漁った。でもお父さんは現金を持たない主義で、財布の中に入っていたのはカード類ばっかりだった。親の金を盗むという罪を犯さずに済んだのはよかったけれど……平田たちに何をされるのか、僕は怖くて仕方がない。
僕はお父さんに、いじめのことを一切話せないでいた。出版社に勤めているお父さんは、僕が小学校に上がる直前にお母さんが死んでから、男手一つで育ててくれている。そんなお父さんに、余計な心配をかけたくない……そんな一心で、僕はいじめのことを伝えなかった。
リビングにかけられている制服は、三カ月ちょっとしか袖を通していないにも関わらず、右膝の所に穴が開いてしまっている。以前砂の地面の上をさんざん引きずり回されたからだ。あいつらのいじめは主に金銭の要求であったが、暴力を振るってきたことも何度かあった。
しばらく寝転がった後、僕はようやく重たい腰を上げた。そして、服を着替え、上着を羽織って、財布を掴んで部屋を出た。今僕の財布に入っているお金は、一万円には全然届かない。
家を出る時、玄関に置いてある大きな木像と一瞬目が合った。鷲のような頭を持っていて、背中に翼を生やした人間の像だ。キトンというギリシャ風の服を着ていて、お父さんと同じぐらいの背がある。僕が生まれる前にお母さんが、「生まれてくる子を守ってくれるように」と実家から持ち出してきたもので、何かの神様の像らしい。ぎょろっとした大きな目がちょっと怖いけれど、お母さんの形見だと思うと嫌いにはなれなかった。
――もし、本当に神様なんだとしたら、どうか僕のことを守って……
どんより曇った空、生暖かく湿気た風、毛穴から湧き出るじとっとした汗――その全てが、僕を嫌な気持ちにさせた。これから何が起こるのか想像すると、恐ろしさで身震いしてしまう。
――どうして、僕のいる世界はこんなにもひどくて、醜いんだろう。
「は? こんだけかよ」
待ち合わせ場所の緑地公園で、平田は僕が見せた財布の中身を見るなり、苛立ち混じりにそう吐き捨てた。
「一万円って言ったの、聞こえなかったのか? これじゃ全然足りねぇんだよ」
「……ごめんなさい」
僕は喉奥から必死に声を振り絞った。平田はしばらく腕を組み、何やら考えごとをしているようだ。僕はあまりの恐ろしさに、立っていることさえ苦しい。
突然、僕のお腹にパンチが打ち込まれた。平田が僕を殴ったのだ。胃の中のものが逆流してきて、僕は吐きそうになるのを何とかこらえた。
「こんなんじゃ許せねぇな。そうだな……お前、ここから飛び降りろよ。そしたら足りない分はチャラにしてやる」
「えっ……」
僕は平田に腕を掴まれて強引に引っ張られた。連れてこられたのは、橋の上だ。下には川が流れていて、その水は連日の雨で茶色く濁っている。
……飛び降りるなんて、そんなこと、できるはずがない!
「おら早く飛べ」
「とーべ! とーべ! とーべ!」
平田とつるんでいる取り巻き二人は、楽しげにはやし立てている。まるでショーを見ているかのようだ。
僕の体は、平田によって橋の手すりに押し付けられた。さすがにここから落ちるわけにはいかない……「やめて! やめて!」と叫びながら、僕は必死で抵抗した。だが平田の力は強い。ここままでは本当に落とされてしまう。
「お前ら足持ち上げろ足!」
「おう」
取り巻き二人が、平田に言われるまま僕の足を持ち上げた。僕の抵抗は、ここまでだった。僕の体は、とうとう空中に投げ出された。
――どうして、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
川底に落下し、全身が叩きつけられる衝撃で、僕の意識はどこかへ吹っ飛んでしまった。
***
秋野翼の父、俊平は、妻の遺影の前で項垂れていた。
――すまない、優子。翼を守ってやれなかった。
特に何かに使っているような気配はないのに、お小遣いの減りがやたら早かった。
制服の膝に穴があいていた。翼に聞いてみると「校庭で転んで穴あいちゃった」と笑いながら言った。
一か月前、仕事から帰ると、翼の頬に痣を見つけた。そのことについて聞いてみると、翼はやはり「学校で遊んでる時に人とぶつかっちゃって」と言って軽く流した。
――あれは、見逃すべきでない、いじめのサインだったのだ。
父親だというのに、息子がいじめに遭っていることに気づけなかった。息子が何も相談してくれなかったのだって、きっと頼りない親だと思っていたからだ。これでは、父親失格だ……俊平は自分を責めに責めた。
俊平は妻の遺影の前で、おいおい男泣きをした。悲しさと悔しさが、そのまま涙となって滝のように流れていた。
警察は自殺だと断定して、それ以上何も踏み込まなかった。学校にいじめのことを訪ねても、「いじめがあったという事実は確認されていない」の一点張りだ。警察も学校も、もはや頼れない。
――誰が、翼を死に追いやったのか。
悲しみと悔しさの後に湧いてきた感情は、怒りであった。やり場のない怒りがふつふつと湧いてきて、心胆を焼き焦がさんばかりに燃え上がっていた。
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