魔界からの贈り物

武州人也

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別離

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 普段のウォルビーであれば、このような不意の一撃にも対応できたであろう。そして、仮に一撃を貰ったとて、怯むことさえないであろう。事実この一升瓶による一撃は、この大男の後頭部に当たったものの、かすり傷にさえならなかった。だが、
「うおっ! 何だ!?」
 後頭部への衝撃には、流石に無反応とは行かなかった。ウォルビーは怯むと同時に、その注意を後方へと向けた。視線の先には、至極平々凡々な少年が、ぽつんと立っているのみである。だが周囲に人はおらず、下手人はこの少年以外にありえない。
「貴様! 邪魔をするなら容赦はしねぇ!」
 まるで活火山のように憤激した大男が、大吾に迫ってくる。だが、大吾は退かなかった。臆することがなかったのは、大吾がリリアのことを信じていたからだ。
 大吾に襲い掛かろうとするウォルビーの四肢に、細長くしなやかなものが巻きついた。地面から生えた植物の蔓のようなものが、大男の四肢を拘束したのだ。当然、リリアの能力によるものである。
「ありがとう、大吾……」
 リリアは、静かに立ち上がった。折れた剣はすでに捨て去られており、その手は弓を構え、矢をつがえている。そのやじりの先は、拘束された大男の胴に向かっている。
「終わりだ。ボクの仲間たちの所へ、キミも送ってあげよう」
 引き絞った矢が放たれる。ウォルビーは矢を避けられなかったし、刀を振り回して弾き飛ばすこともできなかった。着込んだ魔導鎧ごとその体は撃ち抜かれ、貫通した矢は向こう側の塀に突き刺さった。
「おのれ……こんな小童こわっぱのせいで……」
 口角から血を垂れながら、大男はまなじりを吊り上げて大吾を睨みつけた。彼の憎しみは、リリアよりも寧ろこの少年に向けられている。この少年がいなければ、自分は勝っていた。そう確信していたからこそ、この少年の介入によって戦況が狂わされたことを我慢できなかった。
 彼の太腕を縛りつけている蔓が、みしみしと音を立て始めた。力で強引に引きちぎろうとしているのだ。その向かう先はリリアでなく、大吾の方である。己の死を悟ったウォルビーは、死力を振り絞って大吾を道連れに殺そうとしているのだ。
 右腕の蔓が引き千切られた時、流石に大吾はたじろいでしまい、後ろに下がった。続いて、左脚の蔓が千切れる。ウォルビーが死ぬのが先か、それとも四肢が自由になったウォルビーが大吾を殺すのが先か、といった所であった。
 だが、それは許されなかった。もう一本の矢が、ウォルビーの分厚い胸板を貫通したのである。放ったのは、言わずもがなリリアであった。
「無駄な足掻あがきは見苦しい」
 これが、完全にとどめとなった。ウォルビーの動きは止まり、そのまま仰向けに倒れたのであった。
 リリアは、弓を手にしたまま、がくりと膝を折った。彼が今にも斃仆へいふしてしまいそうであるのは、誰が見ても分かる。
「リリア!」
 姉弟の声が重なった。二人はほぼ同時にリリアの方へ駆け寄った。
「リリア……死んじゃ嫌だ……」
 大吾は悲痛な叫びを上げた。時をほぼ同じくして、彼の目に涙が溢れ出した。
「大吾……ありがとう。キミがいなかったらボクも美咲も今頃……」
「俺、リリアにずっと謝れなかった……出会って二日目に、俺はリリアに当たり散らして謝りもしなかった……ごめんなさい」
 そう言って、大吾は頭を下げた。
「いいんだ大吾……それよりボクはキミに嫌われたんじゃないかと思ってて……そのことの方が不安だった」
 それを聞いて、大吾は再び後悔した。ちゃんと、二人で話し合えばよかったのだ。それをしなかった自分の怠惰は大いに責められるべきであるが、さりとてもう過ぎたことはどうにもならない。
「俺、今まで言えなかったんだけど……リリアのことが好きだ。一目惚れだったんだ」
 もっと早くに言うべきであった。今更言った所で、単なる自己満足にしかならないであろう。けれども、言わずにはおけなかった。
「そう。でもボクは、キミの想いには応えられない。誠に申し訳ない」
 リリアは人の心情の機微には疎いながら、この時は「好き」の意味をほぼ正確に察しているようであった。その上での返答である。
「ボクは美咲の夫となる男だ。そして、彼女と共に魔界へ帰らなければならない」
「え……男? それに姉貴の夫って……」
「ああ、そういえば大吾は知らないんだった」
 その時の大吾の衝撃たるや、さぞ甚だしいものがあったろう。数か月の間、ずっと彼のことを女の子だと思い込んでいたのだから。
「そうか……だけど俺の気持ちは変わらないよ」
 そう、リリアが男であるか女であるか、なんていうのは、この際関係がない。大吾はリリアに惚れた。ただその事実があるのみだ。
「キミの姉のお腹の中には、ボクの子がいるんだ。だから、ボクは彼女を魔界に連れて行かないといけないんだ」
 姉がリリアの子を身ごもっているということもまた、大吾に衝撃を与えたのであるが、大吾は黙って頷いた。それが二人の決定であるなら、どうして自分が口を挟むことができようか……

「よし、取り敢えずこれで大丈夫だ」
 リリアは、自らに回復魔法を施した。体の方はもう以前の調子を取り戻したようであるが、着ている黒い修道服には未だに血が滲んでいる。
「リリア、本当に行っちゃうんだな」
「うん」
 リリアと出会った公園の砂場。丁度その空中に、リリアが鍵のようなものを突き出した。するとそこに、黒洞々こくとうとうたる暗い穴がぽっかりと開いた。丁度その穴は人が通れる余裕のある大きさをしている。
「俺たち、またいつか会えるかな」
「それは確約できない。何しろこちらの世界に来るのは大変なんだ。大量の資源を消費しなければゲートは開けない」
「そっか……じゃあ、リリアも姉貴も、向こうで元気でな!」
 大吾は笑みを浮かべつつ、その目からは涙が一筋、零れ落ちていた。やはり、寂しい。思えば大吾は彼に惚れていながら、殆どの時間を仲違いしたまま過ごしたのだ。これが今生の別れになるかと思うと、いっとう辛い。
「大吾、キミの姉さんは幸せにするよ」
 それが、大吾の聞いた、リリアの最後の言葉であった。リリアは美咲の肩を抱き寄せると、暗い穴の向こう側へと消えていった。
 ――さようなら、俺の、初恋の人……
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