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第8話 凍滅の牙
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俺の予想通り、鍵は開いていた。別棟の中は狭苦しいが、ガスストーブがついていて、思いのほか暖かかった。冷え切った俺の体には、その温気が何ともありがたかった。
中央に机が置かれており、その上には缶ビールの空き缶が散乱している。壁沿いの棚に置かれたラジオはつきっぱなしで、今日の天気予報を淡々と流している。俺たちが過酷な環境に置かれている間、吉崎たちは暖衣飽食していたのかと思うと、何だか腹立たしく思えてきた。
俺は右手側にあったドアを開けた。そこには暖かそうなベッドが置かれており、角刈りの男――吉崎が寝息を立てていた。どうやらここは寝室のようだ。ベッドのすぐ隣には机が備えつけられていて、そこに吉崎の私物らしきスマホやら財布やらが置いてある。
――俺はこいつに、今までどんなに痛めつけられてきたことか。
こいつから受けた暴力や罵詈雑言の数々が思い出される。斧を握る手に、ぎゅっと力が込もった。だが、流石にそれを吉崎の首に向けて振り下ろすことはしない。俺は吉崎を起こさないように部屋を探った。
「あった!」
反対側の部屋から、白石の声がした。俺は寝室を出てそちらに向かった。
「これっすよね。給湯室に置いてあったっす」
寝室の反対側には、給湯室があったらしい。白石は持ってきた大きな黒い布袋を開けて中身を見せてきた。そこには俺たちから預かった、いや奪い取った荷物が確かに詰まっている。もちろん、俺のスマホと財布も入っていた。俺は自分のスマホと財布を掴み、ポケットに突っ込んだ。
「鍾さんはいないか……」
「いないみたいっすね……」
「さて、さっさと鍾さん探してずらかるぞ」
「いや、キミたち、今は外に出るべきではない」
メグミさんが、玄関側の窓に銃口を向けた。窓の外を見た俺は、はっと息を呑んだ。
「嘘だろ……最悪だ」
物凄く大きなムカデが、雪原を這っているのが見えた。さっきのよりも、さらに大きい。ムカデを見る度に、どんどん大きくなっている気がする。最初に見た個体は、まだ幼体だったりするのだろうか。
「勘弁してくれよ……何匹いるんだ」
俺自身の、偽らざる心境であった。
「私も確定的なことは何も言えない……あれが最後の一個体かも知れないし、まだ複数の個体が潜伏しているかも知れない。可能性の話をするならば、どうとでも言える」
「マジですか……」
「普通のムカデ……たとえば代表的なオオムカデであるトビズムカデは一度に五十個ほど産卵する。もちろんその全てが成虫になれるわけではない。化け物ムカデが同じ数産卵したとしても、餌の少ない雪山では餓死したり共食いで数を減らしているだろう」
彼女の話は、何の救いにもならなかった。あれが最後の一匹である可能性もあれば、この山に同族がうじゃうじゃいる可能性もあるのだろう。
「次にムカデが襲ってきても、私は君たちを守り通せる保証はない」
「え……」
「あれだけ大きいと、スラッグを撃っても仕留めきれないかも知れない。バックショットは多分効かないだろう。バードショットは……言うまでもないな」
「スラッグ? バックショット?」
「散弾銃の弾だよ。スラッグは一番威力のある弾だ。クマ撃ちに用いられる。バックショットはそれより威力が低い。シカやイノシシに撃ったりする。バードショットは鳥撃ち用だ。奴に撃っても気をそらす程度の効果しかないだろう」
知らなかった。散弾銃にも弾の種類があるらしい。スラッグという一番強い弾でも巨大ムカデを仕留められるかは怪しく、その他の弾ははっきり威力不足ということか。
「……ヤバいっすよ」
「え……」
「来たっす!」
白石が、窓の外を指さした。ムカデの頭が窓ガラスを叩き割ったのは、その直後のことだった。外の冷気とともに、その白い頭が入ってくる。
「メグミ叔母さん! 早く! 銃!」
「言われなくとも!」
メグミさんは散弾銃を構え、侵入を試みるムカデに発砲した。耳を覆いたくなる銃声が、屋内に響き渡る。
首の辺りに銃弾を受けたムカデは怯んだものの、触角をゆらゆら動かしながら、なおも入り込んでくる。背中側は腹側より硬いのだろう、銃弾が貫通している様子もない。もうムカデの頭は、俺たち三人のすぐそこまで迫ってきていた。
散弾に弾を装填しているメグミさんに、ムカデの顔が向いた。牙をくわっと開き、噛みつこうとしている。
「やめろ!」
俺はほとんど反射的に、斧を振り上げてムカデの頭に切りかかった。だが、斧が振り下ろされるより前に、ムカデは首をぶるんと横なぎに振るって俺の胴を打った。吹っ飛ばされた俺は、背後の壁に背中を思い切り打ちつけてしまった。他人を助けようと勇んだ結果がこの返り討ちだ。あまりにも情けない。
「くっ……くっそぉ……」
立ち上がろうとしたが、力が入らない。連日のシゴキのせいで、もうすっかり体力を奪われてしまったのだろう。俺の命を奪うのは、巨大ムカデなどではない。クソみたいな新人研究だ。
弾の装填を終えたメグミさんが、再び発砲した。だがその銃弾も、ムカデの頭部に弾かれ、貫通はしなかった。やはり腹側を見せてくれないと駄目らしい。
ムカデの牙が、再び大きく開く。その牙がメグミさんの体を捉えようとした、その時のことだった。ムカデは寸前で彼女に襲いかかるのをやめ、長い体をくねくねと左右に振って暴れ出した。
「ウガアアアアッ!」
窓の外から、野獣のような絶叫が聞こえた。人の声だけではない。チェーンソーの唸る音も同時に聞こえる。
「鍾さん!?」
窓の外にいたのは、鍾さんだった。獣のように吠えながら、ムカデの胴体の腹側に、チェーンソーの回転刃を食い込ませている。白い返り血を浴びながら、鍾さんはぐぐぐっと回転刃を押し込んでいく。
鍾さんによるしばらくの奮闘の末、ムカデはぐったりと力を失った。
中央に机が置かれており、その上には缶ビールの空き缶が散乱している。壁沿いの棚に置かれたラジオはつきっぱなしで、今日の天気予報を淡々と流している。俺たちが過酷な環境に置かれている間、吉崎たちは暖衣飽食していたのかと思うと、何だか腹立たしく思えてきた。
俺は右手側にあったドアを開けた。そこには暖かそうなベッドが置かれており、角刈りの男――吉崎が寝息を立てていた。どうやらここは寝室のようだ。ベッドのすぐ隣には机が備えつけられていて、そこに吉崎の私物らしきスマホやら財布やらが置いてある。
――俺はこいつに、今までどんなに痛めつけられてきたことか。
こいつから受けた暴力や罵詈雑言の数々が思い出される。斧を握る手に、ぎゅっと力が込もった。だが、流石にそれを吉崎の首に向けて振り下ろすことはしない。俺は吉崎を起こさないように部屋を探った。
「あった!」
反対側の部屋から、白石の声がした。俺は寝室を出てそちらに向かった。
「これっすよね。給湯室に置いてあったっす」
寝室の反対側には、給湯室があったらしい。白石は持ってきた大きな黒い布袋を開けて中身を見せてきた。そこには俺たちから預かった、いや奪い取った荷物が確かに詰まっている。もちろん、俺のスマホと財布も入っていた。俺は自分のスマホと財布を掴み、ポケットに突っ込んだ。
「鍾さんはいないか……」
「いないみたいっすね……」
「さて、さっさと鍾さん探してずらかるぞ」
「いや、キミたち、今は外に出るべきではない」
メグミさんが、玄関側の窓に銃口を向けた。窓の外を見た俺は、はっと息を呑んだ。
「嘘だろ……最悪だ」
物凄く大きなムカデが、雪原を這っているのが見えた。さっきのよりも、さらに大きい。ムカデを見る度に、どんどん大きくなっている気がする。最初に見た個体は、まだ幼体だったりするのだろうか。
「勘弁してくれよ……何匹いるんだ」
俺自身の、偽らざる心境であった。
「私も確定的なことは何も言えない……あれが最後の一個体かも知れないし、まだ複数の個体が潜伏しているかも知れない。可能性の話をするならば、どうとでも言える」
「マジですか……」
「普通のムカデ……たとえば代表的なオオムカデであるトビズムカデは一度に五十個ほど産卵する。もちろんその全てが成虫になれるわけではない。化け物ムカデが同じ数産卵したとしても、餌の少ない雪山では餓死したり共食いで数を減らしているだろう」
彼女の話は、何の救いにもならなかった。あれが最後の一匹である可能性もあれば、この山に同族がうじゃうじゃいる可能性もあるのだろう。
「次にムカデが襲ってきても、私は君たちを守り通せる保証はない」
「え……」
「あれだけ大きいと、スラッグを撃っても仕留めきれないかも知れない。バックショットは多分効かないだろう。バードショットは……言うまでもないな」
「スラッグ? バックショット?」
「散弾銃の弾だよ。スラッグは一番威力のある弾だ。クマ撃ちに用いられる。バックショットはそれより威力が低い。シカやイノシシに撃ったりする。バードショットは鳥撃ち用だ。奴に撃っても気をそらす程度の効果しかないだろう」
知らなかった。散弾銃にも弾の種類があるらしい。スラッグという一番強い弾でも巨大ムカデを仕留められるかは怪しく、その他の弾ははっきり威力不足ということか。
「……ヤバいっすよ」
「え……」
「来たっす!」
白石が、窓の外を指さした。ムカデの頭が窓ガラスを叩き割ったのは、その直後のことだった。外の冷気とともに、その白い頭が入ってくる。
「メグミ叔母さん! 早く! 銃!」
「言われなくとも!」
メグミさんは散弾銃を構え、侵入を試みるムカデに発砲した。耳を覆いたくなる銃声が、屋内に響き渡る。
首の辺りに銃弾を受けたムカデは怯んだものの、触角をゆらゆら動かしながら、なおも入り込んでくる。背中側は腹側より硬いのだろう、銃弾が貫通している様子もない。もうムカデの頭は、俺たち三人のすぐそこまで迫ってきていた。
散弾に弾を装填しているメグミさんに、ムカデの顔が向いた。牙をくわっと開き、噛みつこうとしている。
「やめろ!」
俺はほとんど反射的に、斧を振り上げてムカデの頭に切りかかった。だが、斧が振り下ろされるより前に、ムカデは首をぶるんと横なぎに振るって俺の胴を打った。吹っ飛ばされた俺は、背後の壁に背中を思い切り打ちつけてしまった。他人を助けようと勇んだ結果がこの返り討ちだ。あまりにも情けない。
「くっ……くっそぉ……」
立ち上がろうとしたが、力が入らない。連日のシゴキのせいで、もうすっかり体力を奪われてしまったのだろう。俺の命を奪うのは、巨大ムカデなどではない。クソみたいな新人研究だ。
弾の装填を終えたメグミさんが、再び発砲した。だがその銃弾も、ムカデの頭部に弾かれ、貫通はしなかった。やはり腹側を見せてくれないと駄目らしい。
ムカデの牙が、再び大きく開く。その牙がメグミさんの体を捉えようとした、その時のことだった。ムカデは寸前で彼女に襲いかかるのをやめ、長い体をくねくねと左右に振って暴れ出した。
「ウガアアアアッ!」
窓の外から、野獣のような絶叫が聞こえた。人の声だけではない。チェーンソーの唸る音も同時に聞こえる。
「鍾さん!?」
窓の外にいたのは、鍾さんだった。獣のように吠えながら、ムカデの胴体の腹側に、チェーンソーの回転刃を食い込ませている。白い返り血を浴びながら、鍾さんはぐぐぐっと回転刃を押し込んでいく。
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