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第5話 犠牲者
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館内に戻った俺は、歯を打ち鳴らして震えながら左右を見渡し、斧を構えながら抜き足差し足で廊下を歩いた。一階の廊下には、白石も鍾さんもいない。もしや、あのムカデに二人とも連れ去られたのではないだろうか。森川さんと同じように……
ふと、俺は守衛室のガラス窓に、何かが突き刺さっているのを見た。何か、すごく大きなものが……
「ひっ……」
ガラス窓に刺さっていたのは、巨大ムカデの体であった。守衛室に頭から飛び込んでいて、体の後ろ半分が外に出ている。その状態で、ムカデは微動だにしていない。死んだのだろうか……
ドアを開けて守衛室の中を覗き込んだ俺は、守衛室を見ようとしたことを後悔した。
中にはさっきまで寝ていた守衛のおじさんが、見るも無残な姿となって横たわっていた。床や服は紅に染まっていて、腹は赤い血潮と黄色い皮下脂肪がぐちゃぐちゃに混ざり合っている。その腹に、ムカデが頭を突っ込んでいた。
そのムカデの喉元には、窓枠から生える牙のようにも見える、鋭く尖ったガラスが突き刺さっていた。恐らくこれが、ムカデの致命傷になったのだろう。喉元からは、白い体液がじゅくじゅくと湧き出して床に垂れている。
俺は事の顛末をこう推し量った。鍾さんか白石のどちらかが、守衛室のガラス窓を背にして立っており、そこにムカデが突進した。ムカデはガラス窓を割って中に侵入し、偶然発見した守衛のおじさんに襲いかかって捕食した。しかし食事の途中、窓枠に体を押しつけてしまったために割れたガラスが喉に突き刺さり、その傷がもとであえなく落命した……と。
吐き気を催すばかりの悲惨な遺体を目にした俺は、そっとその場を後にした。
運のよいことに、目下最大の脅威であったムカデは自滅に近い形で死んでくれていた。しかし、他に同族がいないとも限らない。ゴキブリは一匹見つけたら百匹はいるとよく言う。そこまでではなくとも、同じような巨大ムカデが他に一匹二匹いたとて何の不思議もない。
アナコンダのような巨体に、ガラス窓を叩き割るパワー、そして森川さんを動かぬ人形のようにしてしまった白い息……あんな化け物相手に戦うのは無理だ。白石と鍾さんの無事を祈りつつ、廊下の突き当たりまで歩いた。
地下に続く階段の途中に、短い針金が落ちているのを見つけた。下りたことはないが、この山荘には地下があるらしいことは知っている。
「これ……白石……」
この針金は、白石がさっきピッキングに使っていたものであった。彼は地下にまで逃げたのだろうか。俺は針金を拾い上げると、そのまま階段を下りた。
地下に下りるなり、埃っぽい空気を吸い込んでしまった俺は大きなくしゃみを一つした。電灯をつけると、どうやら地下は物置になっているらしいことが分かった。割れたスノーボード、黄ばんだ色合いの電気ポット、朽ち果てた段ボールなどが、部屋のあちこちに無造作に置かれている。
部屋を見て回っていると、キャビネットと壁の間に、一枚の紙が挟まっているのを見つけた。何の気なしに、俺はその紙を拾い上げ、埃を払って読んでみた。
「肥育ホルモン……? 資金……?」
それは、研究のための資金援助を継続してもらうよう頼み込む、嘆願書のようなものであった。その研究というのは、どうやらエビやカニの養殖を助ける薬剤のようだ。食料生産がどうのこうのと小さい文字で書かれていたが、俺は全部を読む気になれなかった。
その部屋の奥に、半開きになった古ぼけたドアがある。俺はそっとドアを開けて中に入った。奥の部屋はさらに埃っぽく、長いこと人が入ってないのではないかと思わされる。
部屋に踏み込んだ俺は、言葉を失った。
「マジかよ……こんなのって……」
人間が数体、ごろごろと床に転がっていた。その数は研修からいなくなった人数と一致していて、その全てが見覚えのある顔だった。
最初の頃に失踪した女性四名も、逃げたのではなかった。目をかっと見開きながら、仰向けに転がっていた。転がっている人体の中には、森川さんの姿もあった。
「森川さん……」
森川さんはあの夜の寝間着姿のまま、半口を開けて天井を仰ぎ見ている。右腕の辺りにそっと触れてみると、その体はまるで冷凍食品のようにかちかちに凍っていた。あまりの冷たさに、俺は瞬時に手を引っ込めた。
――そうか、これは怪物どもの冷凍食品だ。
あの大きなムカデのことだ。必要な食事量も多いに違いない。雪山では食料が少ないだろうから、きっとあの白い息を吹きかけて凍らせ、ここに備蓄しているのだ。リスがどんぐりを埋めておくのと同じだ。さしずめ、ここは怪物の食糧庫といったところか。目の前の光景はあまりにも現実離れしていて、却って恐れの感情が湧いてこない。
もたついていると、この部屋の主が帰ってくるかも知れない。だから、居するべきではない。そう思って立ち去ろうとした俺は、部屋の奥にうずくまる人影を見つけた。床に転がる冷凍死体と違って、動いている。生きた人間だ。
「あ、久留米さん」
立ち上がった人影の正体は、白石だった。
ふと、俺は守衛室のガラス窓に、何かが突き刺さっているのを見た。何か、すごく大きなものが……
「ひっ……」
ガラス窓に刺さっていたのは、巨大ムカデの体であった。守衛室に頭から飛び込んでいて、体の後ろ半分が外に出ている。その状態で、ムカデは微動だにしていない。死んだのだろうか……
ドアを開けて守衛室の中を覗き込んだ俺は、守衛室を見ようとしたことを後悔した。
中にはさっきまで寝ていた守衛のおじさんが、見るも無残な姿となって横たわっていた。床や服は紅に染まっていて、腹は赤い血潮と黄色い皮下脂肪がぐちゃぐちゃに混ざり合っている。その腹に、ムカデが頭を突っ込んでいた。
そのムカデの喉元には、窓枠から生える牙のようにも見える、鋭く尖ったガラスが突き刺さっていた。恐らくこれが、ムカデの致命傷になったのだろう。喉元からは、白い体液がじゅくじゅくと湧き出して床に垂れている。
俺は事の顛末をこう推し量った。鍾さんか白石のどちらかが、守衛室のガラス窓を背にして立っており、そこにムカデが突進した。ムカデはガラス窓を割って中に侵入し、偶然発見した守衛のおじさんに襲いかかって捕食した。しかし食事の途中、窓枠に体を押しつけてしまったために割れたガラスが喉に突き刺さり、その傷がもとであえなく落命した……と。
吐き気を催すばかりの悲惨な遺体を目にした俺は、そっとその場を後にした。
運のよいことに、目下最大の脅威であったムカデは自滅に近い形で死んでくれていた。しかし、他に同族がいないとも限らない。ゴキブリは一匹見つけたら百匹はいるとよく言う。そこまでではなくとも、同じような巨大ムカデが他に一匹二匹いたとて何の不思議もない。
アナコンダのような巨体に、ガラス窓を叩き割るパワー、そして森川さんを動かぬ人形のようにしてしまった白い息……あんな化け物相手に戦うのは無理だ。白石と鍾さんの無事を祈りつつ、廊下の突き当たりまで歩いた。
地下に続く階段の途中に、短い針金が落ちているのを見つけた。下りたことはないが、この山荘には地下があるらしいことは知っている。
「これ……白石……」
この針金は、白石がさっきピッキングに使っていたものであった。彼は地下にまで逃げたのだろうか。俺は針金を拾い上げると、そのまま階段を下りた。
地下に下りるなり、埃っぽい空気を吸い込んでしまった俺は大きなくしゃみを一つした。電灯をつけると、どうやら地下は物置になっているらしいことが分かった。割れたスノーボード、黄ばんだ色合いの電気ポット、朽ち果てた段ボールなどが、部屋のあちこちに無造作に置かれている。
部屋を見て回っていると、キャビネットと壁の間に、一枚の紙が挟まっているのを見つけた。何の気なしに、俺はその紙を拾い上げ、埃を払って読んでみた。
「肥育ホルモン……? 資金……?」
それは、研究のための資金援助を継続してもらうよう頼み込む、嘆願書のようなものであった。その研究というのは、どうやらエビやカニの養殖を助ける薬剤のようだ。食料生産がどうのこうのと小さい文字で書かれていたが、俺は全部を読む気になれなかった。
その部屋の奥に、半開きになった古ぼけたドアがある。俺はそっとドアを開けて中に入った。奥の部屋はさらに埃っぽく、長いこと人が入ってないのではないかと思わされる。
部屋に踏み込んだ俺は、言葉を失った。
「マジかよ……こんなのって……」
人間が数体、ごろごろと床に転がっていた。その数は研修からいなくなった人数と一致していて、その全てが見覚えのある顔だった。
最初の頃に失踪した女性四名も、逃げたのではなかった。目をかっと見開きながら、仰向けに転がっていた。転がっている人体の中には、森川さんの姿もあった。
「森川さん……」
森川さんはあの夜の寝間着姿のまま、半口を開けて天井を仰ぎ見ている。右腕の辺りにそっと触れてみると、その体はまるで冷凍食品のようにかちかちに凍っていた。あまりの冷たさに、俺は瞬時に手を引っ込めた。
――そうか、これは怪物どもの冷凍食品だ。
あの大きなムカデのことだ。必要な食事量も多いに違いない。雪山では食料が少ないだろうから、きっとあの白い息を吹きかけて凍らせ、ここに備蓄しているのだ。リスがどんぐりを埋めておくのと同じだ。さしずめ、ここは怪物の食糧庫といったところか。目の前の光景はあまりにも現実離れしていて、却って恐れの感情が湧いてこない。
もたついていると、この部屋の主が帰ってくるかも知れない。だから、居するべきではない。そう思って立ち去ろうとした俺は、部屋の奥にうずくまる人影を見つけた。床に転がる冷凍死体と違って、動いている。生きた人間だ。
「あ、久留米さん」
立ち上がった人影の正体は、白石だった。
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