桃花源記

武州人也

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 東晋の孝武帝司馬曜しばようの御代にして、尚書僕射しょうしょぼくや謝安しゃあんが政柄を執っていた太元たいげんの頃の話である。
 この時代、中国の北半分、華北中原《かほくちゅうげん》と呼ばれるかつての中華の中心地は、てい族の苻堅ふけんが建てた前秦に支配されていた。そしてこの前秦は中華統一のために虎視眈々と南下を狙っていたのである。


 
 武陵の地に、そう何某なにがしという漁師がいた。川に臨みてうおを獲り、それで糊口を凌いでいた。妻と一人息子を養うのに精一杯の暮らしであったが、特に不平不満を言うこともなく黙々と働いていた。
 しかし、宋はここ最近、不穏な噂話を、よく耳にするようになっていた。それは、華北を支配する秦が、南下の為に大軍を集めている、というものであった。果たしてその噂は真実で、後に淝水ひすいの地で百万の前秦軍を東晋軍八万が迎え撃つことになるのだが、それはもう少し後の話である。

 その日も宋は川に船を漕ぎ出していたが、蛮族が大軍を引き連れて南下してくるという噂話を思うと、心配のあまり気もそぞろになってしまっていた。
 気がつけば、船は全く知らない所まで辿り着いてしまっていた。どれくらい流れてしまったのか、まるで見当もつかない。宋のこめかみを、じっとりと冷や汗が濡らした。
 宋の心情とは対照的に、左右を見ると、そこには桃の花の咲き誇る、絢爛な林があった。辺りに人の姿は無く、川の流れる音と、時折聞こえる小鳥のさえずりを除けば、伏羲ふっきの太古の世のように静かであった。
 このような風景は、武陵で暮らして三十余年、全く見たことがなかった。宋は気になって、船を漕ぎ進めてみた。
 暫く漕いでみたが、林の中に、桃以外の気は全く見当たらなかった。落英らくえい繽紛ひんぷんと舞い散る様は、何とも馥郁ふくいくとしてかぐわしく見事であった。宋はますます不思議に思い、林の奥まで進んでみようという気になった。
 林は、川の水源の所で尽きていた。そこには山が一つあり、山には大きな穴が一つ、ぽっかりと口を開けていた。その穴からは、何だか温かな、柔らかい光が差していた。ここまで来れば乗りかかった船だ、とことん自らの好奇心を満たそう、と、宋は船を降りて、その穴に入ってみた。
 穴は思いのほか窮屈で、大人の男一人がやっと通れるぐらいであった。背を丸め、肩を折りたたんでくぐらざるを得ない。暫く進むと、ようやく出口が目の前に現れた。
 穴の先には、山紫水明の、風光明媚な風景があった。流れる清流、遠くに見える青々とした山、果樹には様々な木の実がたわわに実り、辺りには香しい花の香りが漂う。道は縦横に通じていて立派な家屋が点在し、よく手入れされた美しい呉竹ごちくの林や桑の畑があることから、人が住んでいることが見て取れる。
「あっ、御客人だ」
 右方から、声変わり前の少年の声がした。そちらを向くと、はたして元服前と思しき少年が三人、駆け寄ってきた。三人とも、この場に似つかわしい、見目形の良い妖冶ようやな美少年である。都の建康にだって、これほどの少年はいないであろう。
「さぁ、こちらへ」
 少年の内の一人に手を引かれて、家屋の一つに案内された。
 中は小綺麗で、同時に物がなくこざっぱりとしていた。生活感がないような、という感想を、宋は抱いた。
 三人の少年は、それぞれれいけいらんと名乗った。宋の方も、自らの名を名乗った。
「御客人は一体どちらから」
「ああ、僕は武陵からで……」
「武陵ですか。遠路遥々ご苦労様です。よろしければお召し上がりください」
 麗と名乗った少年が、桃を切って差し出してきた。瑞々しい果肉が何とも魅惑的で、食べてしまうのが惜しまれるような気がした。けれども、食べないわけでもいかない。丁度空きっ腹になってきた宋は、それを一口に食べてしまった。柔らかな果肉の歯触りが心地よく、甘みも水気も充分で、思わず宋はほっこりした。

 夜になった。少年たちは宋に、煮込んだすっぽんを振舞ってくれた。鼈と言えば、一部の王侯貴族を除けば生涯かかってもありつけないような高級食材だ。
 鼈にまつわる故事が昔日せきじつの春秋、ていの国にある。鄭の公子である子公しこう子家しかが鄭の霊公れいこうの屋敷を訪れた時、子公の食指(人差し指)がぴくりと動き、子公が「このように指が動くと、必ず御馳走にありつけた」と言った。二人が屋敷に入ると、宰夫さいふ(料理官)が楚の人より献上された鼈を解体している所であった。子公の言う通りに御馳走が目の前にあったので、二人は笑い合った。霊公が二人の笑いの理由を尋ねたので、子家が先程の食指の話をすると、大夫たいふたちに鼈料理を配る番になって、子公にだけこれを配らなかった。激怒した子公は、指を鼈の鍋に突っ込んだ後に指を舐めながら屋敷を退出した、というものである。この件がきっかけで、霊公は子公と共謀した子家にしいされてしまった。食の恨みに、古今の別はないものである。
 鼈から上がる湯気は如何にも美味しそうな香りを纏っており、恍惚とせんばかりである。宋は思わず喉を鳴らした。
「え、いいのかい。そんな……悪いよ」
「いえいえ、お気になさらず召し上がってください」
 一度は辞退しようとした宋であったが、結局少年たちの好意に甘えることにした。
 宋は試しに一口、いただいてみた。舌にそれが乗った瞬間、宋の舌に衝撃が走った。
「う、美味い……」
 その蕩けるような舌ざわりに、宋はすぐさま病みつきになった。我も忘れて、出された鼈を平らげてしまった。口の中にそれが無くなった後も、暫く舌の根に残る美味さを噛みしめた。
 食べ終わった宋は、あることに気がついた。
「君たちは食べないのかい?こんなに美味しいものを僕にだけ……」
「私たちは食べません。ですから、ここにある食べ物は全て御客人のためのものです」
 蘭と名乗った少年が、それに答えた。
「まさか、そんなはずはあるまい」
「いいえ、お気遣いだけいただいておきます」
 蘭はそう言って、にっこりと微笑んだ。宋の心が思わずぐらつくような、朗らかな笑みであった。黄金百斤ひゃっきんを得るは美少年の笑顔を眺めるに如かず、とはよく言ったものである。
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