閨怨の夢

武州人也

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悲風

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 それから、魏恵国は、幾度も、幾度も、麗暉との出会いと死別を繰り返した。その度に、魏恵国は彼を失うまいと、あらゆる手を尽くした。それも、全ては徒労に終わった。

 その内、魏恵国は、麗暉を迎えることをしなくなった。もう、彼の死に立ち会うのは、心胆が耐えなかった。試しに、魏恵国に迎えられなかった麗暉がどうなったのか、こっそりと覗いてみた。彼の暮らしは貧窮の内にはあったが、父母兄弟ふぼけいてい和合して、仲睦まじく暮らしていた。
――私は、あの家族から麗暉を引き剥がしたのか。
 麗暉を引き取る時、財物を前にした両親が、その顔に喜色を浮かべていたのを思い出すと、家族というものが愈々いよいよ分からなくなった。魏恵国は、家庭というものを持ったことがない。当然、親の子に対する情というものも、理解しきれないでいた。もしやすると、私があの両親を変えてしまったのでは、と思うと、何と浅はかなことを自分はしてしまったのかと、自らの行いを恥じ入った。
  しかし、一年すると、両親は好事家に麗暉を売り渡してしまった。魏恵国が彼らに与えた財物よりもずっと少ない見返りだったが、それがために彼らは息子を手放したのであった。弟はそのことに憤激して、一人家を飛び出してしまった。
――ああ、やはり人の親というものは分からぬ。
 麗暉の新たな主人は、彼を奴僕のように手酷く扱った。彼はいつも主人に殴られ、その美しい肌はあざに汚されていた。魏恵国は、それを憎み、人を遣ってその主人を闇討ちさせ、財力を用いて事件をもみ消させた。麗暉は再び家族の元へと戻ろうとしていたようであったが、戻る前に、麗暉は例の場所で亡骸となっていた。両親は、かつての魏恵国と同じように、悲声ひせいをあげて哭泣していた。魏恵国は、それを松の影から眺めている内に、視界が暗転した。
 もう、これ以上麗暉を死なせるのであれば、と、魏恵国は自死を思った。けれども、自分の喉を短剣で突いたその瞬間、またしても出会いの日に戻ってしまった。自死すらも、魏恵国を解放してはくれなかった。
 魏恵国は、麗暉と出会ってから彼が亡くなるまでの二年間から、脱出することが出来ないでいた。幾度も、幾度も、同じ二年を巡り、それと同じ数だけ、愛する麗暉は命を落とした。もう数えるのもやめてしまい、何度巡ったかは最早分からなくなっていた。
 何故、彼が命を落としたのか、その犯人を突き止めようとしたが、それは全く分からなかった。いつの間にか彼の姿は消え、そして例の場所でしているのである。人の技で殺されたとは、とても思えないでいた。何か、悪い物の怪にでも狙われてしまったとしか考えられない。
 何をしても無駄だと悟った魏恵国は、麗暉のために建てた屋敷の中で、その二年を過ごすようになった。敢えて、麗暉のことは無視し、彼が命を落とす頃になっても、その場に立ち会うことはしなくなった。しかしながらそれも、暫く繰り返すと、侘しさのあまり、心身が夜泣きを始めたのであった。
「嗚呼、今一度麗暉に会いたいものだ」
 そうして、ある時、とうとう魏恵国は、彼をもう一度迎える決意をした。以前のように、両親に財物を送って彼の身を引き取った。やはり、彼の両親は喜色を顔一面に浮かべ、恭しく礼をした。息子が死んだ時にはこの世の終わりのように悲嘆していた両親が、である。唯一、麗暉の弟だけは憎悪を以て魏恵国を睨みつけていた。
「麗暉、つかぬことを聞くと思うが許してほしい」
「はい、何でしょうか」
 その日の夜、魏恵国は麗暉と共に例の屋敷の寝室にあったが、彼との房事を楽しんではいなかった。神妙な面持ちで、麗暉に相対していた。
「其方は今から二年後に死ぬ、と言ったら如何いかがする」
「え……二年後……ですか。それは早すぎます」
「そうか、そう思うよな。そうだ。早すぎる」
 まだ其方は十二で、死ぬとしたら十四になる年だというのに、と続けようとしたが、その言葉は、自らの涙に遮られて出なかった。
「ど、どうして泣いておられるのですか」
 急に泣き出した主人を見て、麗暉はその令顔れいがんに困惑の色を浮かべた。
「其方は命に代えても守ろう。それが私の務めだと心得ている」
 一度だって、守れたことはなかった。なのに、不安を抱かせぬように、と、その場しのぎの言葉で言い繕ってしまった。言った後で、魏恵国は後悔した。
 結局、またしても麗暉は死んだ。そして、再び二年の月日を遡った。
 侘しくて、侘しくて、自らの心はその内側より焼鏝やきごてを当てられけるようであったが、とうにその源泉を枯渇させた故に涙は一滴も出ず、ただただ胸を掻き毟るのみであった。あの麗暉の笑貌が、絹にも勝る肌が、嫋娜嬋娟じょうだせんえんたる四肢が、脳裏より現れると、魏恵国は飛び上がって奇声を発し、庭中を走り回った。疲労によって幾分か平静を取り戻すと、力なく屋敷の内へ戻っていく。そのようなことを、屡々しばしば繰り返した。
 そうして、疾痛惨怛しっつうさんたんを極めて疲弊した魏恵国は、虚脱し果てて、その思考を全く放棄してしまった。
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