閨怨の夢

武州人也

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靡靡

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 あっという間に、二年の月日が経った。仙女を名乗った女のことなど、魏恵国は既に忘れていた。
 今年で十四歳になる麗暉れいきは、美しく成長した。あどけなく愛らしい少年であった麗暉は、そこに妖艶な美しさを兼ね備えた美少年へと脱皮した。後宮三千の美女でさえ、彼の前には顔色がんしょくを失うのみである、と、彼を見た者の多くはそう評した。
 魏恵国は、その日も麗暉の屋敷へ向かった。思えば、若い頃は大分苦労したものであった。布衣ほいの身から商人となって苦節十余年、今ではその名を都に轟かす大賈たいことなった。ここに至るまでの労苦は壮絶たるものであった。であるから、今、こうして、愛しの麗暉と共に時を過ごせるのは、まさしく天恵であると思えた。幸せの余り、魏恵国は顔を綻ばせていた。

 そう、その時までは。

「い、いない……」
 いつも主人を待っている筈の麗暉は、屋敷の何処にもいなかった。
「どういうことだ」
 魏恵国は門番の下人に詰め寄った。しかし、門番たちは彼が出ていく所を誰も見ていないという。
「もしや……」
 その時、魏恵国はようやく思い出した。麗暉は、迎えて二年目の秋に、その若い命を散らせたのではなかったか――
 直ぐさま、魏恵国は人を遣って探させた。
 はたして、麗暉は、あの時と同じ場所で、草葉の上にしていた。元より色白な彼の肌は、雪にも勝ろう程に青白くなっている。
 その場所に自ら赴いた魏恵国は、麗暉の体を抱き上げた。その体は冷たく、頭と四肢は力なく垂れていた。もう、その体は生者のそれではなくなっていた。
「あ……ああ……」
 それは、彼の二度目の死であった。断腸の念が、洪波こうはの如くに胸の内に襲ってきた。暴溢ぼういつした涙を隠すように、魏恵国は顔を亡骸の胸に埋めて哭泣こくきゅうした。
 そして、魏恵国の視界は暗転した――

 目を覚ますと、魏恵国は荒蹊こうけいの中にぽつんと立つ陋屋ろうおくの前に立っていた。彼の隣には、目の前の衡茅あばらやに不釣り合いな程の銭や絹織物などが積まれた馬車があり、その傍らには従者の男たちもいる。
「そうか――」
 魏恵国は、またしても麗暉と出会ったあの日に戻って来たことを理解した。それが分かれば、することは一つしかなかった。
 それからは、如何に彼を死なせないようにするかを考え続けた。死因は全く分からない。けれどもあの日、確かに彼は屋敷から外に出て、その後に命を落としているのである。何故外に出たのかは分からない。けれども、ずっと屋敷にいれば、麗暉は死なずに済むのではないか、と、魏恵国は考えた。
 麗暉を引き取った魏恵国は、前と変わらず彼と過ごした。その甘い歓楽の時に、魏恵国は我を忘れそうになったが、彼を助けるというその一心のみで、今の自分が動いていることを、片時も忘れなかった。
 そうして、二年目の秋を迎えた。
 魏恵国は多くの人を雇って屋敷を守らせ、自分自身も彼と共に屋敷に籠った。玉で飾られた門は、まるで廉頗《れんぱ》の籠る城のように閉じられ、美麗な綺窓は外側から鉄の板を貼り付けられて埋められた。
「旦那さま、顔色がよろしくありませんが如何いかがしましたか」
 魏恵国の様子がおかしいことを、麗暉は鋭敏に察知した。いつもの主人であれば、麗暉の姿を見るや否や破顔して抱きつくのであるが、今の魏恵国は、麗暉とずっと一緒にいるにも関わらず顔を強張らせ、その腕をずっと震わせていた。
「いや、君は気にしなくていい。私が何とかしてみせる」
 言いながら、固く握られた魏恵国の手は、脂汗にまみれていた。今度こそ、彼を失うまい。けれど、もしものことがあったら……考えたくもなかった。

 しかし、その、もしも、が起こってしまった。

 少し視線を逸らした隙に、麗暉の姿は消えていた。
「麗暉! 何処だ!」
 魏恵国は、麗暉の名を疾呼しっこした。けれども、はたして返事は梨のつぶてである。警備に雇った者たちに、麗暉の姿を見なかったかと聞いても、彼らは揃って首を振った。
「貴様ら! 謀ったな! 全員役人に突き出してやる!」
 魏恵国は、疑いの目を雇った者たちに向けた。彼らが共謀して、麗暉を連れ去ったのだ、と、咄嗟に断じた。
「そのようなことを仰いましても本当に知らないんですよ」
「では誰がこのようなことを出来るというのだ」
 若い男が、戸惑いの色を露わにしながら弁明したが、魏恵国の怒色は収まらない。
 魏恵国は、雇った者たちが一人も欠けていないことを確認すると、独力で、屋敷の隅から隅まで探して回り、誰かが隠していないかを確認した。麗暉は、屋敷の中にはいなかった。庭を探してみても、それは同様であった。
「まだ死んだとは限らない。何としても探さねば……」
 魏恵国は、少しばかり躊躇ったが、彼が以前亡骸となって発見された場所へと向かった。もしそこにいなければ、そこに来るはずの麗暉か下手人げしゅにんを待ち伏せるだけで良い。けれども、もし彼がまたそこでむくろとなっていたら、と考えると、悪寒が魏恵国を襲った。
「そんな馬鹿な……」
 はたして、麗暉はその場所で、草葉の上に臥していた。
 悲嘆に暮れて哭泣した魏恵国の視界は、俄かに暗転した――
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