閨怨の夢

武州人也

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 目が覚めると、魏恵国ぎけいこく荒蹊こうけいの中にぽつんと立つ陋屋ろうおくの前に立っていた。彼の隣には、目の前の衡茅あばらやに不釣り合いな程の銭や絹織物などが積まれた馬車があり、その傍らには従者の男たちもいる。
 はて、何のために自分はここへ来たのか、と考えてみたが分からない。暫くこの陋屋を眺めていると、どうやら見覚えのあるようなものの気がする。
「そうだ――」
 記憶を探ると、答えに辿り着いた。
 そこは、麗暉れいきの一家が暮らしていた家であった。
 そうすると、この車に積んだ荷は――
「おい、つかぬことを聞くが、今の元号と年を教えてくれぬか」
 魏恵国は従者の一人に尋ねた。
「はい、開元かいげんの二十五年ですが……」
 はっきりした。この日は、魏惠国が麗暉を迎えた、まさにその日なのだ。
「御客人ですか?」
 戸を開けて、前髪を横一文字に切り揃えた一人の少年が姿を現した。その姿を見た時、魏恵国の全身に、まるで鞭打たれたかのような衝撃が走った。そして次の瞬間、とうに枯れたと思っていた涙が、瀑布ばくふのように流れ出した。
「麗暉!」
 そこにいたのは、麗暉その人であった。感極まった魏恵国は、麗暉の方へ駆け寄り、その細い体を思い切り抱きしめた。
「あ、あの……何でしょうか」
 急に抱きしめられた麗暉は、その故が分からないというような目をしていた。我に返った魏恵国は、慌てて麗暉の体を放した。
 魏恵国は、あの日の通りに、麗暉の両親に贈り物をして麗暉の身を引き取った。両親は歓喜の色を浮かべ、魏恵国に対して恭しく礼をしたが、その後ろにいる、麗暉の弟と思しき少年は、その双眸そうぼう慍怒うんどの炎を灯していた。少年から見れば、魏恵国は人攫いと何の違いもない。怨みと買ったとて何の不思議があろうか。
 そうして、魏恵国は麗暉を馬車に乗せて連れ帰った。
 道中、魏恵国は、ふと、あの仙女と名乗った女のことを思い出した。彼女はきっと、天が遣わしてくれた者なのだろうと思った。天が憐れみを垂れて自分と麗暉をもう一度会わせてくれたのだろう、と、そう考えた。

 比目ひもくを成すをば 何ぞ死を辞せん
 願わくは鴛鴦えんおうらん 仙を羨まず
 比目鴛鴦は真に羨む
 ならび去り双びきたる 君見ずや

 魏恵国は、盧照鄰ろしょうりんの詩を引いて、空に向かって詠んだ。比目というのは片目だけを持ち、雌雄一体になって泳ぐ魚のことで、鴛鴦というのは古くから男女和合の象徴として扱われるおしどりのことである。比目や鴛鴦のように二人が共にあることは、登仙して不老不死を得るに勝るというのが詩意である。その声は、耳を煩わす蝉噪せんそうの内に溶けていった。

 その夜、魏恵国はあらかじめ麗暉のために郊外に建設していた屋敷に彼を伴い、その寝室に入った。その寝室の外周には薄絹の帳が掛かり、はりには鮮やかな装飾が施されている。その部屋の中央には翡翠かわせみの模様の蒲団があり、鬱金うこんの香りが仄かに漂っていた。
 魏恵国は、そこで麗暉の纏っていた煌びやかな服を脱がせた。ここに来る前に魏恵国が与えて、それまでの粗末な服から着替えさせたものである。白い肌、薄い胸板、小さい尻、ほっそりとした四肢が燭台の火に照らされ露わになると、魏恵国はその冶容やように俄かに興奮した。
 初めてということもあって、麗暉は行為の間中ずっと苦悶の表情を浮かべていた。物を受け入れる後孔も開発されておらず、十分に慣らしても尚麗暉は苦しがった。ああ、そういえば最初はそうだったな、と、魏恵国は初夜のことを回顧した。尤も、初夜といっても、既に二年間麗暉を抱き続けた魏恵国と違い、今の麗暉にとってはこれが初夜なのであるが。
「うっ……出る……」
 魏恵国は、麗暉の中をおのが精で満たした。事が終わって、魏恵国は自らの物を引き抜くと、事後の麗暉の表情を見た。その顔は如何にも疲労困憊といった風で、絹よりも滑らかな柔肌は汗にまみれ、仰向けのまま力なく腕を投げ出していた。

 それから暫くしたある日のこと。
「旦那さま、今日は帝舜ていしゅんについて学びました」
 薄絹の帳の中で、魏恵国と麗暉は共に一糸纏わぬ姿で床にあった。麗暉の後庭から垂れる白いものが、この二人が事後であることを表している。幾晩も体を重ねる内に、麗暉の方も慣れてきたようで、交合によって快感を貪ることが出来るようになっていた。日増しに淫乱になってゆく麗暉に、魏恵国はより一層のめり込んでいった。
 魏恵国は、夜伽の相手を抜きにすれば、彼をこき使うようなことはなく、寧ろ彼の屋敷に学者を招いて学問をさせた。貧しい彼の家では叶わなかったことである。
 妻子のいない魏恵国にとって、麗暉は妻であり息子であった。いずれは、彼を後継者にしたいとさえ思った。
「ほほう、そうか。古の聖賢について学んでいるのか」
「はい。帝舜は布衣ほいの人でありながら、帝堯に見いだされたのですね」
「その通りだ」
 伝説の帝王である三皇五帝さんこうごていの一人として扱われることもあるしゅんは、微賤の庶人の生まれで、母を亡くし、盲目の父、継母、継母の息子で舜の異母弟にあたるしょうと暮らしていた。象は傲慢な性格であったが、父は後妻の子である彼を愛したため、父と継母、それから象は寄って集って舜を虐待し、殺そうとした。けれども舜は父母に従順に仕え、弟にも愛情を注いで悪事を起こさせないようにしたため、君主の座にあったぎょうは二人の娘を彼に嫁がせてその徳を観察させた。舜の行いは謹厳きんげんそのもので、それを見た二人の娘も婦人の道を尽くしたため、堯は舜を登用して政務に当たらせ、それから二十年後に堯は実子を差し置いて舜に位を譲ったのである。
「私も帝舜たる其方そなたに後を継がせたいものだ」
「それでは旦那さまは帝堯ですね」
 麗暉はくすりと笑いながら言った。その笑貌しょうぼうは、この世のいかな美妓びぎにも勝ろう程に愛らしいものであった。
 それを聞いて、魏恵国は、漢の時代の故事を思い出した。昔、漢の哀帝あいてい劉欣りゅうきんは、麒麟殿きりんでんでの宴の折に、酔いの勢いで甚だ寵愛していた寵臣の董賢に、「堯舜の故事にならって帝位を其方に譲ろうと思う」と言い出し、王閎おうこうという家臣に諫められた。自分と麗暉は、決して堯舜などではなく、ともすれば他者の目には哀帝と董賢にように映るだろうな、と、心の内で自嘲した。
 因みに、哀帝が朝起床した際に、隣で眠る董賢が哀帝の袖を枕にしており、哀帝は彼を起こさぬよう袖を断ち切って起床したという逸話がある。これが「断袖だんしゅう」という成語を生み、今日に至るまで男色を言い表す雅語として使われている。
「はは、私が堯か。良い冗談を言う」
 言いながら、魏恵国は温和な笑みを浮かべていた。
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