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最終話 決着
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ムカデはゼルエの方まで這い寄り、首を伸ばして噛みつき攻撃を仕掛けた。ゼルエはそれを避けたが、今度は体をくねらせての尻尾攻撃が飛んできた。これには流石のゼルエも対処しきれず、その体を打ち据えられ、後方に吹き飛ばされてしまった。
散弾銃を杖代わりにして起き上がるゼルエ。そこに、間髪入れずムカデは仕掛けてきた。今度はまたしても噛みつき攻撃だ。一対の鋭い毒牙がくわっと開き、ゼルエの目前に迫る。
「やられてたまるかっ!」
ゼルエは咄嗟に腰の狩猟ナイフを引き抜き、迫りくるムカデの頭に刃を向けた。刃はムカデの頭頂部に押し当たるも、その外骨格を切り裂くことはできなかった。ゼルエは両手で柄を握り、力を込めてムカデの頭を押した。ムカデの方もそれに負けじと、頭を押し込んで毒牙を獲物の体に届かせようとする。
だが、その押し合いは、ムカデの方から中断してきた。頭を刃から離したムカデは、その口から冷凍ガスを吐き出した。毒牙が駄目なら、ガス攻撃に切り替えればよい。この怪物の多芸さを思い知らされる行動であった。
ゼルエの体を、白いガスが覆う。一気に体温が奪われ冷やされていく感覚がゼルエを襲った。
少しずつ、意識が遠のいていく。ゼルエは山籠もりの前に、父から言われたことを思い出した。
「お前の使命は、命を賭してでも太子を守り通すことだ。この百日の間、お前の命はお前のものではなく、太子のものと心得よ」
……言われなくても、そのつもりでいた。国家とか、王家とか、いずれ主従となる間柄であるとか、そういったことに関わらず、ゼルエはこの太子のことを愛してしまったのだから。
いつ頃から、自分のロジェへの想いが友情の線を踏み越え出したのかはよく分からない。多分、はっきりと自認したのは、ロジェが姉と婚姻したことがきっかけだと思われる。
そもそもロジェの玉体は国家のものであり、姉のものでもある。自分一人ごときが独占できようはずもない。下卑た欲望の矛先とする度に、そのことを再認識させられて虚しい気持ちになる。
――だから、ロジェ、お前が国のためにあるというのなら、俺はロジェのために……
「ロジェ! 今だやれ!」
ガスの中から、ゼルエが精いっぱいの声を振り絞って叫んだ。消えゆく意識の中で、最後の気力を振り絞った叫びであった。
その声で、今までゼルエとムカデの戦闘に呆気にとられていたロジェの目が覚めた。クロスボウを構え、燃える矢の狙いをつける。
ロジェの緊張は、最高潮に達していた。すぐに撃たねば、ゼルエが危ない。さりとて雑に撃って外すわけにはいかない。小屋に戻って次の矢に点火するには時間がなさすぎる。
白い息を細長く吐くと、ロジェは意を決して、クロスボウの引き金を引いた。
矢は、ムカデの喉元に深々と突き刺さった。先にゼルエが撃ち抜いた場所だ。矢先の火が燃え移り、あっという間にムカデの体を炎が這い回り包んでいく。ムカデが吐き続けていたガスは止まり、霧散したガスの中から片膝を立ててしゃがみ込んでいるゼルエの姿が現れた。
炎に巻かれたムカデは、やたら滅多に雪原を転げて暴れ回った。それは雪山の王者たるこのムカデの、精一杯の抵抗に思えた。けれども、程なくしてムカデの動きは止まり、炎をまといながら地面に臥せった。
***
ロジェはゼルエを背に負うと、足早に小屋に戻った。冷凍ガスを浴びたゼルエの体は、同じくガス攻撃を受けたチェロル同様に、ぞっとするほど冷たかった。
ゼルエの体は暖炉の前に横たえられ、火に当てて暖められた。だが、ちっともゼルエは目を覚まさない。次第に、ロジェの心中を不安の黒い雲が覆い始めた。
――ゼルエも、あの洞窟の人たちのようになるのではないか。
気づけば、ロジェの目からは涙がこぼれて、ゼルエの外套の上に落ちていた。友を失う恐れがそのまま溢れ出したかのように、落涙は止まらなかった。
「ロジェが俺のために泣いてくれるなんてなぁ……いいもん見たよ」
その声は、ゼルエのものであった。ロジェが涙を拭うと、いつの間にか上体を起こしていたゼルエが目の前にいた。にやにやと笑うゼルエを見ていると、ロジェは何だか、今まで心配していたのが馬鹿らしくなった。
「もう……心配させないでよ」
ロジェは不満げに言い放ったが、顔は笑っていた。
***
ロジェとゼルエ、そしてチェロルの二人と一匹は、崖沿いの道を西向きに歩いていた。ロジェは台車を押しており、そこには燃えたムカデの体の一部が木箱に詰められて乗せられている。その先を、ランプを持ったゼルエが歩いている。
「妖精の人さらいってさ、もしかしてあのムカデの仕業なんじゃないかな……あれはきっと、たびたび目覚めては雪山に来た人を襲っていたんだ。それが妖精のせいだなんて言われたとか」
「確かにロジェの言う通りかもな」
ムカデとの戦いの後、二人はこれからどうするべきか話し合った。ロジェは、ムカデのことを警察に報告しなければならない、と言った。山籠もりの儀礼よりも、このことを知らせる方が大事だ、と。洞窟で見た男たちのことも警察に調べてもらわなければいけないのだから、ロジェの言うことはもっともであった。
ムカデのことを大人たちに信じてもらえるかは分からない。証拠とするために殆ど炭化した死骸を運んではいるが、子どものイタズラだと一笑に付されてしまうかも知れない。それでも、ロジェとしては知らせずにおくことはできなかった。
山籠もりに使う山小屋には電気も電話線も走っていない。だから、電話を使うには、西へ三時間歩いた先にある村の診療所まで行かねばならない。二人と一匹は、そこを目指して歩いている。
目の前には、夕焼け空が広がっていた。積もった雪は夕日に照らされて、朱色に光り輝いている。黄昏時のまばゆい光に向かいながら、二人と一匹は歩き続けた。
散弾銃を杖代わりにして起き上がるゼルエ。そこに、間髪入れずムカデは仕掛けてきた。今度はまたしても噛みつき攻撃だ。一対の鋭い毒牙がくわっと開き、ゼルエの目前に迫る。
「やられてたまるかっ!」
ゼルエは咄嗟に腰の狩猟ナイフを引き抜き、迫りくるムカデの頭に刃を向けた。刃はムカデの頭頂部に押し当たるも、その外骨格を切り裂くことはできなかった。ゼルエは両手で柄を握り、力を込めてムカデの頭を押した。ムカデの方もそれに負けじと、頭を押し込んで毒牙を獲物の体に届かせようとする。
だが、その押し合いは、ムカデの方から中断してきた。頭を刃から離したムカデは、その口から冷凍ガスを吐き出した。毒牙が駄目なら、ガス攻撃に切り替えればよい。この怪物の多芸さを思い知らされる行動であった。
ゼルエの体を、白いガスが覆う。一気に体温が奪われ冷やされていく感覚がゼルエを襲った。
少しずつ、意識が遠のいていく。ゼルエは山籠もりの前に、父から言われたことを思い出した。
「お前の使命は、命を賭してでも太子を守り通すことだ。この百日の間、お前の命はお前のものではなく、太子のものと心得よ」
……言われなくても、そのつもりでいた。国家とか、王家とか、いずれ主従となる間柄であるとか、そういったことに関わらず、ゼルエはこの太子のことを愛してしまったのだから。
いつ頃から、自分のロジェへの想いが友情の線を踏み越え出したのかはよく分からない。多分、はっきりと自認したのは、ロジェが姉と婚姻したことがきっかけだと思われる。
そもそもロジェの玉体は国家のものであり、姉のものでもある。自分一人ごときが独占できようはずもない。下卑た欲望の矛先とする度に、そのことを再認識させられて虚しい気持ちになる。
――だから、ロジェ、お前が国のためにあるというのなら、俺はロジェのために……
「ロジェ! 今だやれ!」
ガスの中から、ゼルエが精いっぱいの声を振り絞って叫んだ。消えゆく意識の中で、最後の気力を振り絞った叫びであった。
その声で、今までゼルエとムカデの戦闘に呆気にとられていたロジェの目が覚めた。クロスボウを構え、燃える矢の狙いをつける。
ロジェの緊張は、最高潮に達していた。すぐに撃たねば、ゼルエが危ない。さりとて雑に撃って外すわけにはいかない。小屋に戻って次の矢に点火するには時間がなさすぎる。
白い息を細長く吐くと、ロジェは意を決して、クロスボウの引き金を引いた。
矢は、ムカデの喉元に深々と突き刺さった。先にゼルエが撃ち抜いた場所だ。矢先の火が燃え移り、あっという間にムカデの体を炎が這い回り包んでいく。ムカデが吐き続けていたガスは止まり、霧散したガスの中から片膝を立ててしゃがみ込んでいるゼルエの姿が現れた。
炎に巻かれたムカデは、やたら滅多に雪原を転げて暴れ回った。それは雪山の王者たるこのムカデの、精一杯の抵抗に思えた。けれども、程なくしてムカデの動きは止まり、炎をまといながら地面に臥せった。
***
ロジェはゼルエを背に負うと、足早に小屋に戻った。冷凍ガスを浴びたゼルエの体は、同じくガス攻撃を受けたチェロル同様に、ぞっとするほど冷たかった。
ゼルエの体は暖炉の前に横たえられ、火に当てて暖められた。だが、ちっともゼルエは目を覚まさない。次第に、ロジェの心中を不安の黒い雲が覆い始めた。
――ゼルエも、あの洞窟の人たちのようになるのではないか。
気づけば、ロジェの目からは涙がこぼれて、ゼルエの外套の上に落ちていた。友を失う恐れがそのまま溢れ出したかのように、落涙は止まらなかった。
「ロジェが俺のために泣いてくれるなんてなぁ……いいもん見たよ」
その声は、ゼルエのものであった。ロジェが涙を拭うと、いつの間にか上体を起こしていたゼルエが目の前にいた。にやにやと笑うゼルエを見ていると、ロジェは何だか、今まで心配していたのが馬鹿らしくなった。
「もう……心配させないでよ」
ロジェは不満げに言い放ったが、顔は笑っていた。
***
ロジェとゼルエ、そしてチェロルの二人と一匹は、崖沿いの道を西向きに歩いていた。ロジェは台車を押しており、そこには燃えたムカデの体の一部が木箱に詰められて乗せられている。その先を、ランプを持ったゼルエが歩いている。
「妖精の人さらいってさ、もしかしてあのムカデの仕業なんじゃないかな……あれはきっと、たびたび目覚めては雪山に来た人を襲っていたんだ。それが妖精のせいだなんて言われたとか」
「確かにロジェの言う通りかもな」
ムカデとの戦いの後、二人はこれからどうするべきか話し合った。ロジェは、ムカデのことを警察に報告しなければならない、と言った。山籠もりの儀礼よりも、このことを知らせる方が大事だ、と。洞窟で見た男たちのことも警察に調べてもらわなければいけないのだから、ロジェの言うことはもっともであった。
ムカデのことを大人たちに信じてもらえるかは分からない。証拠とするために殆ど炭化した死骸を運んではいるが、子どものイタズラだと一笑に付されてしまうかも知れない。それでも、ロジェとしては知らせずにおくことはできなかった。
山籠もりに使う山小屋には電気も電話線も走っていない。だから、電話を使うには、西へ三時間歩いた先にある村の診療所まで行かねばならない。二人と一匹は、そこを目指して歩いている。
目の前には、夕焼け空が広がっていた。積もった雪は夕日に照らされて、朱色に光り輝いている。黄昏時のまばゆい光に向かいながら、二人と一匹は歩き続けた。
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