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第7話 狩人VS巨大ムカデVSヒグマ
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どれほどの時間が経ったかは分からない。まだ日は沈んでいない、それどころか傾いてさえいないのだから、実際にはそこまで長い時間は経過していないのだろうけれども、ロジェにとってはやたらと長く感じられた。
突然、山小屋の扉が開いた。吹き込んだ冷たい空気が、ロジェの頬をぞわりと撫でた。
「ゼルエ!」
玄関に立っていたのは、ゼルエその人であった。ロジェが見間違うはずもない。だがその手にライフルはなく、外套は汚れており、顔を見ると右頬に引っ掻き傷のような赤い筋が走っていた。その様子は、前代未聞の怪物との戦いが如何に激しいものであったかを語っている。
「ゼルエ! 生きていたんだね! よかった……」
「当たり前だろ。……でもちょっとキツかったな。今回ばかりは死ぬんじゃないかって思ったよ」
「ねぇ……その……そりゃゼルエが死ぬはずはないって思ってたよ。でもどうやってあの化け物から逃げたの?」
「ああ……話すと長くなるが……」
暖炉の前まで来たゼルエは、ロジェと別れた後のことを話し始めた。
***
ロジェが去っていったのを見送ると、ゼルエはただ一人で、巨大ムカデと向き合った。ムカデに表情というものはないが、恐らくたいへんに怒っているのではないか、そのようなことをゼルエは察していた。
鎌首をもたげて見下ろしてくるムカデに向かって、銃弾を何発か撃ち込んでみた。が、それらは全て腹の外骨格に虚しく弾かれてしまった。ムカデの腹は背よりも柔らかいはずだ。それでも銃弾が通らないのだから、その外骨格の堅牢さは相当だ。
ムカデが頭を伸ばして噛みついてくる。ゼルエはすんでの所でそれを避けた。二度、三度、ムカデは連続で噛みつき攻撃を仕掛けてきた。ゼルエはそれを回避し、お返しとばかりに至近距離からムカデの喉元を銃で撃った。
ムカデの喉元から、乳白色の液体がしぶきのように噴き出し、ムカデは大きくのけ反った。関節部分に銃弾が命中したのだ。どんなに硬い相手でも、つなぎ目の部分は流石に弱いのである。
だが、ゼルエに一息つく暇はなかった。ムカデはまるで怒りに任せるかのように、再度噛みつき攻撃を仕掛けてきた。ゼルエは右に跳んでそれを避けた。
銃を構え直すゼルエ。そこに、ざばぁ、と雪が飛んできた。いや、飛んできたのは、雪だけではない。何か長いものが、ゼルエの胴をばしんと打った。ムカデは体をひねり、その尻尾をゼルエに向かって振るったのだ。
ムカデの尾部には、曳航肢と呼ばれる長い脚がある。他の脚よりも大分長く立派なこの脚は歩行には用いられないのだが、巨大ムカデはこれを使ってゼルエを打ち据えたのだ。
ゼルエの体が、大きく吹っ飛ぶ。彼の体は、背後の草むらが受け止めた。がさりという音とともに、枯草の茎がぼきぼき折れた。とげのある草に肌を引っ掻かれて、頬を血が伝っている。
ゼルエの鼻を、獣臭さが覆った。左の方を見ると、先ほど投げられたヒグマが、折れた草の上に伏して震えている。ヒグマは息も絶え絶えの様子であった。ムカデに噛まれた脇腹は醜く腫れあがり、とめどなく血が流れ出しては茶色の体毛を汚している。
ムカデの頭部にある一対の毒牙は、正しい名前を顎肢という。進化の過程で脚の一部が変化し、毒腺を備えるようになったらしい。普通のオオムカデでも、人が噛まれれば激痛と腫れが襲い、数時間から数日は苦しめられることとなるなかなかに強烈な毒だ。十センチメートル程度のムカデでさえ噛まれれば苦しむことになるのだから、膨大な量の毒液を持つであろう巨大なムカデに噛まれればどうなるかなど、深く考えずとも分かる。
目の前に、巨大ムカデの頭が迫ってくる。怖かった。そして、美しかった。あれが今まで人に知られなかったのは、あれを生み出したセーレル島の大自然が、その美しさを知らせてしまうのを惜しんでひた隠しにしてきたからであろうと思えた。
次に来るのは毒牙か、それともあのガスか……どちらにしろ、待つのは死であった。手に持っていたはずの銃は、さっきの衝撃で取り落としてしまった。手元に残った武器は、腰に帯びた、獣にとどめを刺すための狩猟ナイフのみである。
目の前で、ムカデの毒牙が左右に開いた。ああ、もう駄目だ……そう思った時、横合いから来た何かがムカデを殴り倒した。ムカデの大きな体が、どさりと雪の上に倒れた。
ムカデを殴ったのは、あのヒグマであった。脇腹は相変わらず腫れあがっているし、ムカデに仕返しをできるような状態ではないはずだ。でも、確かにこのヒグマはムカデを殴り倒したのだ。
これ幸いとばかりに、ゼルエは走り出した。走っている途中で背後を振り向いてみると、ヒグマの体はムカデの吐く白いガスに包まれていた。
「ありがとよ……」
ヒグマは、別に自分のことを助けたのではないだろう。けれども、間違いなくあれのお陰で逃走の隙が生まれたのだ。ゼルエは心の中でヒグマに感謝を捧げながら、小屋まで戻ったのであった。
突然、山小屋の扉が開いた。吹き込んだ冷たい空気が、ロジェの頬をぞわりと撫でた。
「ゼルエ!」
玄関に立っていたのは、ゼルエその人であった。ロジェが見間違うはずもない。だがその手にライフルはなく、外套は汚れており、顔を見ると右頬に引っ掻き傷のような赤い筋が走っていた。その様子は、前代未聞の怪物との戦いが如何に激しいものであったかを語っている。
「ゼルエ! 生きていたんだね! よかった……」
「当たり前だろ。……でもちょっとキツかったな。今回ばかりは死ぬんじゃないかって思ったよ」
「ねぇ……その……そりゃゼルエが死ぬはずはないって思ってたよ。でもどうやってあの化け物から逃げたの?」
「ああ……話すと長くなるが……」
暖炉の前まで来たゼルエは、ロジェと別れた後のことを話し始めた。
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ロジェが去っていったのを見送ると、ゼルエはただ一人で、巨大ムカデと向き合った。ムカデに表情というものはないが、恐らくたいへんに怒っているのではないか、そのようなことをゼルエは察していた。
鎌首をもたげて見下ろしてくるムカデに向かって、銃弾を何発か撃ち込んでみた。が、それらは全て腹の外骨格に虚しく弾かれてしまった。ムカデの腹は背よりも柔らかいはずだ。それでも銃弾が通らないのだから、その外骨格の堅牢さは相当だ。
ムカデが頭を伸ばして噛みついてくる。ゼルエはすんでの所でそれを避けた。二度、三度、ムカデは連続で噛みつき攻撃を仕掛けてきた。ゼルエはそれを回避し、お返しとばかりに至近距離からムカデの喉元を銃で撃った。
ムカデの喉元から、乳白色の液体がしぶきのように噴き出し、ムカデは大きくのけ反った。関節部分に銃弾が命中したのだ。どんなに硬い相手でも、つなぎ目の部分は流石に弱いのである。
だが、ゼルエに一息つく暇はなかった。ムカデはまるで怒りに任せるかのように、再度噛みつき攻撃を仕掛けてきた。ゼルエは右に跳んでそれを避けた。
銃を構え直すゼルエ。そこに、ざばぁ、と雪が飛んできた。いや、飛んできたのは、雪だけではない。何か長いものが、ゼルエの胴をばしんと打った。ムカデは体をひねり、その尻尾をゼルエに向かって振るったのだ。
ムカデの尾部には、曳航肢と呼ばれる長い脚がある。他の脚よりも大分長く立派なこの脚は歩行には用いられないのだが、巨大ムカデはこれを使ってゼルエを打ち据えたのだ。
ゼルエの体が、大きく吹っ飛ぶ。彼の体は、背後の草むらが受け止めた。がさりという音とともに、枯草の茎がぼきぼき折れた。とげのある草に肌を引っ掻かれて、頬を血が伝っている。
ゼルエの鼻を、獣臭さが覆った。左の方を見ると、先ほど投げられたヒグマが、折れた草の上に伏して震えている。ヒグマは息も絶え絶えの様子であった。ムカデに噛まれた脇腹は醜く腫れあがり、とめどなく血が流れ出しては茶色の体毛を汚している。
ムカデの頭部にある一対の毒牙は、正しい名前を顎肢という。進化の過程で脚の一部が変化し、毒腺を備えるようになったらしい。普通のオオムカデでも、人が噛まれれば激痛と腫れが襲い、数時間から数日は苦しめられることとなるなかなかに強烈な毒だ。十センチメートル程度のムカデでさえ噛まれれば苦しむことになるのだから、膨大な量の毒液を持つであろう巨大なムカデに噛まれればどうなるかなど、深く考えずとも分かる。
目の前に、巨大ムカデの頭が迫ってくる。怖かった。そして、美しかった。あれが今まで人に知られなかったのは、あれを生み出したセーレル島の大自然が、その美しさを知らせてしまうのを惜しんでひた隠しにしてきたからであろうと思えた。
次に来るのは毒牙か、それともあのガスか……どちらにしろ、待つのは死であった。手に持っていたはずの銃は、さっきの衝撃で取り落としてしまった。手元に残った武器は、腰に帯びた、獣にとどめを刺すための狩猟ナイフのみである。
目の前で、ムカデの毒牙が左右に開いた。ああ、もう駄目だ……そう思った時、横合いから来た何かがムカデを殴り倒した。ムカデの大きな体が、どさりと雪の上に倒れた。
ムカデを殴ったのは、あのヒグマであった。脇腹は相変わらず腫れあがっているし、ムカデに仕返しをできるような状態ではないはずだ。でも、確かにこのヒグマはムカデを殴り倒したのだ。
これ幸いとばかりに、ゼルエは走り出した。走っている途中で背後を振り向いてみると、ヒグマの体はムカデの吐く白いガスに包まれていた。
「ありがとよ……」
ヒグマは、別に自分のことを助けたのではないだろう。けれども、間違いなくあれのお陰で逃走の隙が生まれたのだ。ゼルエは心の中でヒグマに感謝を捧げながら、小屋まで戻ったのであった。
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