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契り

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 新月の夜であった。
「旦那さま……」
「ああっ……良い……魏令……」
 張章の屋敷に、魏令が訪ねてきた。例によって、この晩、二人は寝台で歓楽の一時ひとときを過ごしていた。魏令は張章を下に組み敷いて、矛を打ち込んでいる。
「あっ……旦那さま、もう……」
「魏令……中に……」
 やがて、魏令のそれが爆ぜた。熱いものを受け取った張章は、その美顔に悦楽の表情を浮かべていた。
 事が済んだ後、二人は寝台の中で仰向けになっていた。まだ昂ぶりが収まっていないのか、二人の目は閉じられていない。
「魏令、これはもう大丈夫か?」
「はい、今はもう差し障りありません」
 張章は、魏令の右肩を撫でさすった。そこには、白姚につけられた、あの刀傷の跡が残っていた。ある意味、これは魏令にとって、不覚と屈辱の証であった。
「次にあの者と出会ったら、必ず殺します」
「そうは言ってもな……もう暫く霍との戦争はないであろうな」
 先の戦争で、霍は往時とは比べようもない程にその領土を縮小させられてしまった。しかし、梁国は、その霍に対してさえ、遠征軍を起こす体力を失ってしまっている。国力が回復するまで、外征など望むべくもないであろう。
 張章は、魏令の瞳の中に見える、野獣の如き凶暴さが好きであった。魏令自身は、自らの持つ猛々しい性分を、「荒夷の血」などと言っていたが、張章はそれも含めて魏令を愛している。
「魏令。俺はお前を愛している。出会えてよかったと、心から思っている」
「私もです。旦那さまに出会えたことは、心の底から光栄と思っております」
 そうして、二人の唇は重ね合わせられた。
 張章と魏令、二人の関係は、夫婦であり、父子であり、また師弟でもある。不思議な関係ではあるが、一つはっきりと分かるのは、その二人の間の絆が確かな物であるということであった。

 成梁の市街地を、田羊は一人で歩いていた。その様子は何処か挙動不審であり、人目をはばかるような所がある。
 やがて田羊は、城内の端にある、一軒の建物の中へ入っていった。
「らっしゃい、どの子がお好みですかな」
「例の銀髪の子を頼みたいのですが……」
「ああ、あの子ね、ちょっと待って……」
 田羊が足を踏み入れたその場所は、娼館であった。しかも、ただの娼館ではない。そこには、年若い少年しかいないのだ。
 暫く待っていると、田羊の目の前に、銀髪を襟足の部分で切った、眉目秀麗の美少年が現れた。その瞳は、まさしくあの魏令を彷彿とさせるような澄んだ碧眼であった。田羊は、銀髪碧眼の少年が働く娼館があるということを聞き及んで、この店を訪れたのである。
 田羊は彼に案内されて個室に入った。
「君、名前は何て言うの?」
麗芳れいほう、と言います」
「年はいくつ?」
「今年で十二になります」
 その少年は、言い淀むことなく田羊の問いに返答した。普通、こういう場所で働いている少年は、警戒心が強い。けれども、田羊の容姿が温柔そうな優男であるからか、目の前の少年、麗芳からは、そういった張り詰めたものを感じなかった。
「もしかして、君の母親も西の方の国から来てたりするの?」
 この時、田羊が思い浮かべていたのは、前将軍魏令の出自であった。彼の父親はあの魏仁将軍であるが、母親は遠く西の果てから来た女だという。
「その通りです。と言っても、去年の冬に死んでしまいましたが」
「ねぇ、聞いてもいいかな……もしかして、君にお兄さんとかいたりする……?」
「えーと……昔母が言ってたような……僕自身は全く顔を知らないし見覚えがないんですけど、父親の違う兄がいるとか……」
 それを聞いて、田羊ははっとした。まさか、もしかしたら、と思った。
「この間成梁に凱旋してた魏令将軍って見たことある?」
「いいえ、見ていません」
「ああ、そうか……」
 田羊は、もしかしたら、この子は、魏令の弟かも知れない。そう感じた。けれども、そのことは確かめようがない。
 その後、田羊は、麗芳と枕を交わした。麗芳の容貌は、田羊の想い人である魏令をそのまま幼くしたようであり、麗芳を下にしてその後庭を侵犯していると、あの魏令を抱いているような気がして、自らの抱える後ろ暗い、粘ついた情が満たされていった。
「ありがとう。また来るよ」
 自らの情欲を麗芳の体に注いだ田羊は、銭と共に礼を一言残して、その場を後にした。娼館の外に出ると、田羊は何事もなかった風を装って、そそくさとその場を離れた。
 その時、田羊は自分の体に違和感を覚えた。何か、来る時よりも身軽になったような……田羊は懐に手を入れると、あることに気がついた。
「無い……置いてきた!」
 懐に入れていた、護身用の短剣がなかった。以前、兄の田積にお祝いとしてもらったものである。
 田羊は足早に娼館に戻った。店番の男はその用事が何かを察したようで、
「お客さん、これをお忘れでしょう」
 と言って、田羊の持っていた短剣を差し出した。
「ああ、それです。恩に着ます」
 田羊は店番から短剣を受け取ると、何の気なしに店の奥の方を見てみた。暫くして、田羊は、そちらに視線を移したことを後悔した。
 麗芳が、見知らぬ中年の男に秋波しゅうはを送って個室に案内している様を、田羊は見てしまった。衝撃を受けた田羊は足早に娼館を飛び出し、そのまま走り去った。
 成梁の城壁にもたれかかりながら、田羊は自分の胸を撫でさすって、自らを落ち着けようとした。そうだ、麗芳の客は、自分だけではない。彼が他の男にも抱かれているだなんて、至極当たり前のことではないか……そう思ったとて、やはり田羊の心中には、黒くもやもやとした感情が、しこりのように残った。それと同時に、寂寥の風が、田羊の心に吹きすさぶのを、感じたのであった。
 一瞬、彼を身請けしたい、と思った。彼の身柄を引き取って、二人で暮らしたいと願った。けれども、今の自分の俸禄では、それは全く叶えようがない願望である。兄の田積のように将軍位にでも登り詰めればそれは可能であろうが、将軍に昇れる自信は、田羊にはなかった。
 田羊は、麗芳の、あの絹のような肌の感触を思い出しながら、成梁の市街地を歩いた。
 鉛色の雲が、空を遍く覆って太陽を隠している。その空の下を寒風が吹き寄せて、地面の落葉が舞い上げられていた。
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