梁国奮戦記——騎射の達人美少年と男色の将軍——

武州人也

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戦象部隊

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 その頃、三万の霍軍は、旦陽に留まったまま、未だに何の動きも見せていなかった。
「出陣しましょう。今なら梁軍の後方を襲い、荊軍と共に挟み撃ちにもできましょう。そうなれば梁の野心は露と消えましょうぞ」
 幕僚の一人が、総大将の顔毅に進言した。しかし、顔毅はそれに対して、首を縦には振らなかった。
「いや、待て。今梁軍と荊軍の戦場に飛び込むのは、虎同士の戦いに突入するのと同じことだ。それに、荊とて野心がないとも限らぬ」
 二十五万の荊軍は、その気になれば霍を滅ぼしてしまうこともできる軍なのである。以前一度、荊と戦ったことのある顔毅は、荊軍を全く以て信用していなかった。であるから、顔毅は、梁荊の両軍が戦い疲弊するまでじっと待機するつもりでいた。二匹の虎であっても、彼らが戦って傷つき、その身に疲労を溜め込めば、いたちでもこれを追い払えよう。
「故に、待つ。何、荊軍が梁軍を撃滅する頃には、荊兵も青息吐息になっておろう」
 顔毅はそう踏んでいた。霍軍は寡兵であるが、その国土が頼もしい味方となってくれている。それを活かせば、荊軍が新雍に向かってきても撃退できると考えたのである。
 そうして、霍軍は石像のように、旦陽の城内から動かなかった。

 次の日の朝、荊軍は再度、谷道に陣取る梁軍へ攻撃を仕掛けた。梁軍は、昨日と同じように、重装歩兵を前列に配置し堅陣を敷いていた。荊軍は敢然と攻撃を続けたが、梁軍も堅く守って粘り続け、戦局は膠着した。騎兵の機動力が殺される狭い谷道では、重装歩兵の堅陣はそうそう用意に突き崩せるものではなかった。
「戦象部隊を出せ!」
 前線司令官が泡を飛ばすと、戦象に跨った兵士たちが、続々と前線に繰り出された。咆哮を戦場に轟かせ、その丸太の如き太脚で大地を鳴らし砂塵を蹴立てながら、百を超える巨象が疾駆する。
「奴らだ! 象が来たぞ!」
 程なくして、重装歩兵で固められた梁軍の前線部隊に荊軍の戦象部隊が衝突した。鎧と盾で重武装した梁軍の重装歩兵も、象の巨体の前には成す術なく吹き飛ばされてしまう。
 今までの堅牢ぶりがまるで嘘のように、梁軍は戦象部隊の突進に蹴散らされていた。戦象部隊の穿った穴に荊軍が殺到し、梁軍前方は俄かに崩れ始めた。昨日の戦いと、全く同じ展開となった。
「前方、戦象部隊が現れました!」
「来たな戦象、よし、準備に取りかかれ」
 伝令を受けた孟護は、部下に命じて、ある物の準備をするよう命じた。それは、張章の命令により用意されていた、戦象部隊に対する必勝兵器であった。
 一方の戦象部隊は、尚も梁兵を蹴散らし吹き飛ばしながら爆走していた。その勢いを止められるものは、梁軍には誰もなかった。途中、梁軍の弓兵弩兵の射撃によって二、三人が仕留められたが、それでも戦象部隊の突進は止まらない。
 その、象に跨る荊兵は、車輪の転がる音と共に奇妙な物が視界に入るのを見た。それは、象のような巨体を持つ何かであった。
「何だあれは!?」
「まさか敵軍も象を……?」
「いや、違う! 象じゃない!」
 目の前に、巨大な獣のようなものが迫ってきていた。一瞬、その巨体故に、戦象部隊の兵士たちは敵軍も自分たちと同じように戦象を繰り出してきたのかと勘違いした。けれども、すぐにそれが象ではないことが分かった。
 その巨大な獣のようなものは、全身に炎を纏って突進してきていたのだ。
 巨体と炎を見た象たちは、恐怖心を抱いたのか、俄かに暴走し始めた。象たちは制御を失って暴れ、後方にいた自軍の歩兵に向かって突っ走り、兵たちを弾き飛ばした。
「やめろ! 来るな!」
「駄目だ! 象が混乱してやがる!」
「象を殺せ!」
「やめろ! 虎の子の戦象部隊だぞ!」
「馬鹿! こんなのがもう役に立つか!」
 狂乱したのは象だけではなかった。象に突っ込まれた荊軍も、収集のつかない混乱ぶりであった。象に跳ね飛ばされる兵、象を殺そうと戟を突き立てる兵、それを制止しようとする象上の兵、象を殺そうと接近した結果弾き飛ばされる兵……その狂騒の坩堝るつぼは最早目も当てられない程の惨状を生み出していた。
 梁軍は戦象への対策として、輜重車を縦横に数台組み合わせて、その中に藁を積み、上から布を被せることで、偽の巨獣を作ったのであった。緑道は然程急ではないものの、その道は北から南に下がっていく斜面になっている。それを利用して、藁に火をつけた後にそこを転がせて迫りくる戦象部隊に突進させたのである。これは、荊軍が戦象を伴っていることを把握していた張章が、その対策として作らせたものであった。
「よし、作戦は成功だ! 騎兵を出せ! 敵を全て射抜くのだ!」
 梁軍は、突出した荊軍の部隊を左右から挟み込むように騎兵を繰り出した。混乱する荊軍に対して、騎兵は猛烈な矢の驟雨を降らせ、次々と射倒していく。象の暴走に手を焼いている荊軍は、これに全く抗しえないでいた。極稀に盾を構えて防ぐ兵もいたが、矢の降り注いだ先にいた兵は、その殆どが体を矢に貫かれて地面に突っ伏した。暴れる象、矢弾、兵の死体、それらで荊軍の前列は目も当てられない惨状となっていた。
 これによって、荊軍の頭部は完全に粉砕されてしまったのである。

 荊軍の戦象部隊は全滅したものの、未だに荊軍には大軍が残っており、数の上では優位にある。そして、二日間の戦いで、梁軍が負った痛手は決して小さくなかった。
「そろそろ、魏令軍が敵後方に回り込む。明日が勝負だ」
 その日の夜の軍議で、張章は言った。幕僚たちは、それを聞いて唾を飲み込んだ。張章の見立てでは、魏令軍は明日の朝に敵軍を西方から襲うはずであった。
 新雍方面からの報告も繁く陣中に届いていたが、何故か、霍軍三万は旦陽から動かなかった。恐らく、荊軍との連携が上手くいっていないのか、霍軍の指揮官が、荊軍を信用していないのであろう。霍軍が動かないなら動かないで、梁軍にとっては好都合である。三万とは言っても梁軍の後方を脅かすには十分な数であり、二正面作戦を強いられるのは避けるに越したことはない。場合によっては田積軍か趙殷軍をそちらに向けようとは思っていたが、その心配はなさそうであった。

 その頃、騎兵一万を率いて西へ迂回していた魏令は、宿営地で干し肉を食んでいた。昔、夷狄の少年たちの仲間であった頃に、よく仲間が干し肉を分けてくれたのを思い出した。故に、その舌ざわりには、何処か懐かしいものを感じていた。
 明日は、荊軍の後方を攻撃する手はずになっている。多くは緑道の本隊の方へ退きつけられているとはいえ、二十五万の中に一万で突貫するのだ。当然、過酷な戦いになるであろうことが予想される。けれども、何を臆することがあろうか、と、魏令は自らを奮起させた。張章に引き取られたその時から、自分の命は自分のものではなく、主人のためのものなのである。それに、
 そして、夜が明けた。暁星ぎょうせいが薄明の空に煌めき、遠くの景色を朝霞ちょうかが覆って霞ませている。
「我が軍はこれより、荊軍の後方に突入する。出撃!」
 魏令と、その後ろに続く壮士たちが、馬を駆けさせた。向かうは、荊軍の後方である。馬がいななき、風を切って疾駆する。魏令が率いるは、中原でも肩を並べるもののない最強の騎兵軍であり、皆が皆、一騎当千の強者つわものたちである。彼らは魏令と共に、真っ直ぐ、敵軍に向かって突き進んでいた。
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