梁国奮戦記——騎射の達人美少年と男色の将軍——

武州人也

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魏令前将軍

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 魏令は、自らの封邑として与えられた西皋せいこうの地へ赴いた。そこに建てられた魏令の屋敷は立派なものであったが、真新しい屋敷に、魏令はどうも安住することができないでいた。将軍位に昇ったことで忙しくなったのもあったが、封邑に戻っても、屋敷に腰を落ち着ける時間はあまり長くなかった。
 この時も、魏令は一人、馬を駆けさせて騎射の訓練をしていた。普段は兵たちを相手に練兵場で騎射の訓練を施している彼であるが、本音を言えば、人に教えるよりも、一人で訓練を積んでいればよかった時代の方が、ずっと気楽でよかった。
 馬を疾駆させながら、的に向かって矢を射かける。その矢は例によって、全て的の中央に命中した。自分の腕がなまっていないことが確認できて満足であった。がしかし、魏令の目に、おかしなものが映った。矢を放った時、目標の的が、藍中平原の戦いで出会ったあの少女戦士に見えたのだ。きっと心の目がそれを見せたのであろう。
 ふと、あの少女のことを思い出す。後で聞いた話によれば、あの少女は梁の中央軍の奧深くまで斬り込み、宋嘉の副官であった趙葉を討ち取った、文字通りの女傑なのだという。
 次に霍軍と戦うことがあったら、その時にはまた、彼女と相見あいまみえたいと願った。次こそは、この矢で必ず射殺してみせよう。そう思ったのである。
 強い敵と戦って、これを仕留める。それこそ、何物にも代えがたい悦びであった。かつて新虞羊陵の戦いにおいて、包囲を抜けようとした陳軍の手練れを討ち取った時に感じたあの高揚が、魏令は忘れられずにいたのである。
 藍中平原で出会ったあの少女は、魏令の網膜にほんの少しの間映っただけであったが、彼女の姿はしかと覚えている。自分の矢で倒れなかった。それだけでも、記憶しておくには十分なきっかけである。
「次こそは絶対……」
 新たな強敵の登場は、魏令の、自身の内に流れる荒夷の血を沸々と煮えたぎらせた。次こそは絶対に射倒してみせる。そう誓いを立てたのであった。

 明くる日、魏令は自らの屋敷の庭に士卒たちを呼び集めた。集まった者たちは、すぐさま、肉の焼ける良い香りが漂っているのをその鼻で嗅ぎ取った。見ると、下僕たちが、牛を解体し、その肉を焼いているのである。
 将軍位に昇ったことで、魏令の懐には、今までに見たこともない程の俸禄が舞い込んできたのであった。それを見た魏令は、張章がどのように自らの俸禄を使っていたかを思いだした。張章は、奢侈しゃしに走らず、常に人材を求め、自らの元に集まった者たちを大いに遇していた。そのことに、自らの身代しんだいの殆どを費やしていたのである。魏令自身も、その恩恵を受けていた者の一人であったことは今更言うまでもない。勿論、その動機には、張章の持っている甚だしい男色趣味というものも含まれていたのだが。
 今の魏令にとって、張章は師であった。弓を引き馬を乗り回して暮らしてきた魏令は、将軍位に昇った後のことなど考えたことはなかった。それ故に、張章が何をしていたか、ということを、魏令は参考にするより他はなかった。
 肉が全員に行き渡るまで、魏令は自分の肉に口をつけなかった。それも、張章から学んだことである。新虞洋陵の戦いでそのことを教わった時に、自分の腹が鳴り出し、張章が笑いながら頭を撫でてきたのを思い出す。
「旦那さま……」
 不意に、張章のことが恋しくなった。以前は、ずっと主人たる張章の傍らにあり、その片腕として働いてきた。いざ張章の元を離れて独り立ちしてみると、張章と顔を合わせる機会も減って、俄かに寂しさを覚えるようになったのである。
 張章を抱いた、在りし日のことが、ありありと思い出される。初めこそ、張章の欲望を充足させるための行いに過ぎなかったが、次第に魏令の方も、主人の肌に溺れていったのである。また、抱きたい。そう思うと、自らの股間に、血が集まるのを感じた。
 その時、魏令の目に、一人の少年が止まった。整った顔立ちと、艶のある長い髪を結い上げた姿は、張章をそのまま若返らせたような雰囲気がある。
「そこの者、こちらへ」
 魏令は、その少年に声をかけた。
「え、小臣わたくしでございますか?」
 雲の上の人である将軍に急に呼び止められた少年は、驚きで目を丸くしている。その少年は安起あんきといって、校尉の父と共に従軍している者であった。
 
 その夜、魏令は安起を自身の屋敷に呼びつけて、共に寝台に入った。
「あの……将軍閣下……」
 安起は、戸惑いの色を隠しきれないでいた。魏令は、彼を寝床に呼んだはいいものの、彼の肌に触れることはしなかった。流石に、不義を働く気にはなれなかった。尤も、当の張章は、魏令以外にも複数の少年と関係を持っていたのであるが。
「そこでいてくれるだけでいい」
 部屋の薄明かりに、魏令の横顔が照らされる。その肌は白く、長い睫毛は何処か物憂げな影を感じさせるものであった。安起は、思わずどきりとした。魏令のその横顔が、今までに見てきたどんな女子おなごよりも美しかったからだ。
 やがて、疲れからか、魏令は灯りを消して眠ってしまったのであるが、安起の方は胸の鼓動の高鳴り故に、眠れぬまま薄明の空を見ることとなった。 

 霍は藍中平原の戦いでの大打撃が尾を引いていて、暫くは軍事行動を起こせずにいた。霍の国都である新雍しんようで、とある廷臣が朝議の場で言い放った。
「古くから伝わることわざに、牛は痩せたりといえどもも豚の上に落つればおそれて死なざらんや、というものがあります。如何に梁が痩せ細ったとて、大国は大国。国力で劣る我が国は痩せた牛にさえ押し潰される豚に過ぎません。陳などという小国と組んで梁と事を構えようなど、暴虎馮河ぼうこひょうがも甚だしいものでありましょう。すぐにでも陳との同盟を破棄し、梁と和睦すべきです」
 このような意見を主張する廷臣が現れたことで、朝廷では俄かに論争が勃発した。結局、その廷臣は、梁からの賄賂を受け取っていると反梁派の廷臣に告発されたことで失脚し、その後自らの屋敷でくびれて死んだ。死後にそれは全くのでっち上げであることが分かったのだが、後の祭りである。
 また、梁の同盟国である蔡は、その軍を西方から北方に振り向けた陳に攻め立てられて領土を削られていた。蔡は梁に救援を求め、梁は左将軍田積に三万の兵を与えて蔡を助けに向かわせた。蔡軍五万、田積軍三万と、名うての名将周安邑率いる陳軍六万が、丘陽きゅうようという土地で激突した。周安邑の戦巧者ぶりは中々のものであったが、田積の勇猛さは、罠にかかったとてその罠ごと敵を噛みつぶさん程の凄まじさであった。側面を攻撃された陳軍は敗走を余儀なくされ、それ以上の進撃は不可能となったのであるが、蔡軍、田積軍共に、少なくない犠牲を払わされることとなった。
 一方、梁、霍、陳と国境を接する南の大国荊は、北の国境線に介入する素振りを見せなかった。北方諸国家に対しては中立を決め込み、その視線を南方や東方に向けていた。南に住む越安の諸部族との戦いは依然続行中である上に、荊の東方に乱立している小国家群の騒乱にも軍を送り込んで介入していたのである。それ故に、中原諸国の間で、荊はその存在感を徐々に薄れさせていたのであった。
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