梁国奮戦記——騎射の達人美少年と男色の将軍——

武州人也

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白姚と白蘭 その一

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 霍の西南の町、涼安りょうあん
 その郊外の村に、一人、剣を振るっている少女の姿があった。襟足の所で髪を短く切った風貌は、何処か少年的でさえ感じられる。
 名を白姚はくようというこの少女は、少女でありながら、戦士であった。こうして、剣の素振りなどをしているのが、その何よりの証拠である。
 彼女は幼い頃より、兄の友人たちに交じり、彼らの真似事をして、木刀などを振るっていた。女の癖に木刀を握って云々などと嘲り笑う者は、誰であろうと叩きのめして、二度目の嘲弄は許さなかった。彼女はそれ程までに喧嘩に強く、負けを知らなかった。
 彼女には、父も母もない。両親を早くに亡くしてしまって、兄と妹と三人で暮らしていた。その兄も、一年前に狼に襲われて、呆気なくこの世を去ってしまった。最早家族と呼べるものは、病がちで体の弱い妹のみである。
 彼女は、妹のために、戦に出て武功を挙げ、褒美を賜ろうと考えた。自分の持っている最大の武器は、この腕っ節の強さだからである。郷里の農民兵に混じって従軍し、梁との戦に赴いた。その全ての戦闘は小競り合いに終わったが、彼女はその時に馬栄ばえいという年老いた武官の目に止まった。そうして、ようやく彼女に戦士の道が開けたのであった。
 今は、自分の持つ刃を、ひたすら研ぎ澄ます時だ。彼女はそう、自分自身の胸に言い聞かせた。彼女は文字など読めなかったが、以前に書が読めるという村の老爺から聞いた、とある故事を思い出した。
 その昔、南方の国の王は、その南に位置する国の王が代替わりをしたので、好機とばかりに自ら軍を率いて攻め込んだ。しかし、その軍隊は敗れ、王もその時の傷が元で病に伏せってしまう。王は死の間際に太子を呼びつけ、太子に自らの復讐を誓わせて亡くなった。太子は新しい王として即位すると、父の屈辱をその身に刻み付けて忘れないように、柔らかい蒲団ではなく硬い薪の上で眠るようになった。そして、王は見事、かつて父を打ち破った南の国と戦ってこれを大いに打ち破って、その復讐を成し遂げたのである。
 今、自分は薪の上に臥して好機を伺っているのだ。その時が来たら、研ぎ澄ました刃を存分に振るえばいい。
 空を雲が覆い始め、太陽が隠される。その空の下、白姚はひたすらに剣を振るっていた。

「お姉ちゃん、おかえり」
 陋屋あばらやに戻った白姚を朗らかな笑顔で迎えたのは、彼女の妹の白蘭はくらんであった。白姚にとっては、唯一の家族である。表情こそ明朗であるが、その顔面は儚げなまでに蒼白であった。
 白蘭は傘を編んでいた。普段姉がしている内職を、妹も見様みよう見真似みまねで覚えて、今では立派に一人で作れるようになっている。
「ただいま。何か欲しいものある? 茶でも買ってこようか?」
「いやいや、そんな高いもの買えないでしょ? いらないよ……」
 茶葉というのは、庶民が見れば目が飛び出てしまうであろう程に高額なもので、常飲できるのは王侯や高位の官職にある者、或いは財を築いた大商人などに限られる。少なくとも、庶民がこれを飲むには、倹約に励んで金を貯めるより他はない。
「次の戦で敵の首を取れば褒美が貰える。それがあれば好きなものは何でも買ってあげるよ」
「また戦に行くの? あんな危ない所に?」
 白蘭の表情が曇り始める。
「あたしにはそれしかないの。弓が引ける人は軍人を目指すし、文字の読み書きができる人は文官を目指すでしょ?それと同じ」
「でも……だって……」
「蘭が気にすることじゃない」
 厚い雲に覆われた空から、夕立ちが降り始めた。暫くの間、二人の間には、外からの雨音だけがあった。あまりの雨に、屋根が雨漏りを始め、頭上からは雫が垂れ始めた。
「わたし、お姉ちゃんに迷惑かけてばっかりだ……いっそわたしなんかいなければ……」
「それ以上言うな」
 つい、語気を強めてしまった。憐れな妹は、寒さに震える子犬のように縮み上がってしまっている。
「……ごめん。でもそれだけは言わないで。蘭」
 病弱で、姉に頼らなければ生きてはゆかれぬ白蘭は、時折強烈な自己否定に走る悪癖を持っていた。姉が戦に出かけるようになってから、それはより一層酷いものとなっていった。その悪癖は、白蘭自身以上に、姉の精神を追い詰めた。
「蘭は、あたしのたった一人の家族なんだから……」
 無言で頷く妹を、白姚はひしと抱きしめた。白姚の心は決まっている。この、たった一人の家族である妹を、生涯をかけて守らねばならない。そのためなら、戦場を這いまわって、泥を啜ることになってもいい。それで、褒美が得られて妹を養えるのであれば……

 霍は再び梁を攻める軍を起こし、男たちが兵として徴発された。白姚は、兄から受け継いだ剣を一本、腰に帯び、盾を携えて、馬栄校尉の元に馳せ参じた。馬栄は集まった兵士の前で、好々爺然とした笑顔を見せた。
 馬栄というのは、元々、霍の左将軍として、万の軍を率いていた男である。しかし、数年前に罪を得て、庶民に落とされてしまった。それでも彼を推す者がおり、彼自身もまだ戦場を諦めていなかったのか、虢が梁の国境を度々侵すようになってから、再び軍に舞い戻った。そうして今は、校尉として兵二千を率いている。
 中原の軍の編成単位に、というのがある。人偏に数字の五という字が表すように、伍長と呼ばれる統率者を中心に作られる五人一組であり、これが軍の編成の最小単位なのである。それより上の編成単位は国によって差異があったりするのだが、少なくとも伍という編成だけはどの国も共通している。伍の中から脱走兵が出ると、他の伍の成員も連座して処罰を受けるため、伍には相互監視の機能もある。
 白姚は、丹可たんかという男が伍長を務める伍の成員であった。この伍長は、特筆するべき所のない、凡庸な中年の男である。最近、息子が嫁を貰ったらしく、孫の顔が見たいのか、臆病さが増したような気がしてくる。
 彼女は最初、ここは女の来る場所ではない、と、伍の仲間に追い返された。同郷者は彼女の腕っ節の強さを知っていたが、彼らは敢えて押し黙って何も言わなかった。そこで彼女は、伍の男たち一人一人に模擬試合を申し込んだのである。いささか気だるげにそれに応じた彼らを、彼女はあっさりと打ち倒し、その武威を衆目の前に示した。それ以降は、敢えて彼女を追い返そうという者はいなくなった。それどころか、戦いを経るに連れて、彼女の剣の腕は周囲に頼りにされ信頼を得るようになったのである。
 馬栄の部隊は、最も左翼に配置されていた。国境を越え、険阻な山道を、ひたすら行軍した。この日は雲一つない晴天で、陽光が燦燦さんさんと兵たちの頭上に降り注いでいた。
 霍軍は、偵察を多く放って慎重に行軍していた。険阻な土地で細長い道の続く場所は隊列が伸びやすく、奇襲攻撃を受ければたちまちに危険な状況に陥る。加えて、このような土地では埋伏を行うのに適しており、伏兵に襲われる危険が跳ね上がるからだ。
 梁軍は、道をき止めるかのように、重装歩兵の部隊を配置して待ち構えていた。この山間の土地で、霍軍と梁軍の軍事衝突が始まった。
 霍の国土は山地が多く険しいため、歩兵戦に強い。特に山岳における歩兵同士の戦いの強さは、中原の国々でも群を抜いている。反対に、梁の国土は平地が多く、また領土の北辺を朱狄などの遊牧騎馬民と接していて彼らと度々干戈を交えているため、騎兵戦には滅法強い。
 霍梁両軍が、長弓部隊による矢弾の応酬を始める。互いの頭上に矢の驟雨が襲来し、そこかしこで悲鳴が上がる。咄嗟に盾を構えて防ぐ者もあれば、それができずに矢弾に倒れる者もあった。
 その次に、白兵戦が始まった。梁軍の重装歩兵隊に霍軍が襲い掛かる。梁軍は泰然と構え、それを迎え撃つ姿勢を作った。
「死ね!」
 白姚は、素早い身のこなしで、あっという間に重装の梁兵に肉薄した。そして、相手が戟を振るうより先に、剣の切っ先を喉元に捻じ込んで刺殺した。重装歩兵隊は、鈍重であるが故に、懐に入られると弱かった。
「おい、あいつ女じゃないか!?」
「何だあいつ!? 」
 白姚に味方を殺された重装歩兵隊は、俄かに狼狽した。どう見ても少女にしか見えない相手が、味方を剣で殺したのだ。驚くなという方が無理である。白姚は反撃を受ける前に、続けざまにもう一人、剣で突き殺した。
「よ、よし、あいつに続け!」
 白姚が梁軍の隊列に穿った風穴に、味方の歩兵が殺到する。白姚の後ろにいた歩兵は、殆どがろくに帯甲していない軽歩兵であったが、勢いに乗った彼らは、体勢の崩れた重装歩兵隊を次第に圧倒し始めた。白姚もその勢いに乗り、一人、また一人と敵兵の懐に潜り込んで仕留めていった。
 白姚が穿った穴は、まさしく堤に開いた螻蟻ろうぎ一穴いっけつであった。穿たれた穴は、次第に広げられていき、梁軍の堅陣は少しずつ崩れ始めた。そうしてとうとう、梁軍は敗走を始めた。戦場には、兵の死体の他に、梁兵が逃げる際にその重量故に置き去りにしていった盾や鎧が、各所に散積していた。
 こうして、局地戦ではあるが、霍軍は梁軍を相手に、勝利を収めたのであった。
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