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魏令と朱慶の再会

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 周安邑が復帰したとの報は、梁の国内にももたらされた。梁は蔡と陳の戦争を静観していたが、蔡の軍が陳に追い詰められ始めると、蔡に援軍を送るべきか否かという論争が成梁の王城で巻き起こった。
 張章はすぐに蔡へ援軍を出して陳を攻めるべきと主張した。霍と戦うにあたっては、陳という後方の憂いは抱えたくないし、それを潰してしまう好機は、蔡に攻められている今しかないからである。
 それに反論したのは、大将軍の宋嘉であった。彼は蔡から援軍を求められてもいないのに、先走って送るのは早計であると主張した。彼は新虞羊陵の戦いで彼の献策を受け入れ、その結果彼に戦功を挙げさせたのを後悔していた。このままでは、張章が自分の立場を脅かしかねないからである。勿論、張章の策を受け入れねば、梁軍はさらなる長期戦に引き込まれていて、宋嘉はその責任を取らされて処分が下された可能性もあったが、そのようなことまでには、考えは及んでいなかったようだ。であるから、彼は張章にこれ以上活躍されないよう、足を引っ張ろうとしたのであった。
 廷臣たちは真っ二つに割れた。依然梁王の傍に侍っていた朱慶は、またもや張章の意を酌んで援軍を送るよう主張したが、こればかりは王もすぐには判断しなかった。丞相の宋超は張章との関係こそ悪くなかったが、同時に宋嘉の従兄ということもあり、どちらの肩を持とうか決めかねているようであった。
 そうして、梁の議論がまだ引き続いている内に、周安邑の活躍によって、蔡軍は敗走してしまったのである。宋嘉率いる派兵反対派の時間切れ勝利であった。
 この時、蔡の方でも、梁に援軍を求めるべきか否かを議論していた。結論からいえば、蔡は援軍を求めないことに決めた。援軍を引き出せば、陳から掠め取った領土のいくらかを梁に割き渡さねばならないだろう。蔡王はそれを渋ったのである。しかし、蔡王のその吝嗇けちな考え故に、蔡は大敗し、陳の周安邑は返す刀で陳の旧領に攻め入って蔡軍を駆逐し、その多くを再び手中に収めたのである。梁蔡両国の連携不足が、結果として陳を救った形となった。
 
「おのれ宋嘉め」
 屋敷の中で、張章は毒づいていた。張章は決して怒りっぽい方ではないのだが、今回ばかりは憤激せざるを得なかった。
「旦那さま、茶をお持ち致しました」
 下僕の少年が運んできた茶を、張章は苛立ち混じりに飲み干した。湯の暖かみが幾分か落ち着きを取り戻させたが、、それでも憤懣ふんまんが消えることはない。
 よりにもよって、宋嘉などという、家柄を恃みにしているだけの無芸大食のともがらに自分の進言が挫かれたのが、我慢ならなかった。
 周安邑が蔡軍への対処に全力を傾けている間に、蔡との盟約を名目に軍を出せば、夷陽を陥落させるのも可能であった。そのことを再三進言したが、ついぞ採られることはなかった。
「あの凡愚めが」
 張章は、新虞羊陵の戦いで共に軍を率いた田積、趙殷については、その力量を大いに認めていた。田積は梁国きっての猛将であり、その武勇において並ぶものはない。趙殷は、田積ほどの派手さはないが、慎重で手堅い戦いを得意としている。だが宋嘉にだけは、将軍位に相応しい将才を感じることができなかった。唯一評価できるのは、あの戦いの折、自分の献策に対して、意地を張らずに飲み込んでくれたことぐらいである。
 心を落ち着けようと、張章は剣を掴み、庭に出た。空は鉛色で、何処となく陰気な空気を含んだ風が吹いていた。庭では小鳥が二、三羽、地面をくちばしでつついて何かを啄んでいたが、張章のただならぬ気配を鋭敏に感じ取ってか、素早く飛び去って逃げてしまった。
 剣を鞘から抜いて、剣を振り始める。少なくとも、武技においては、あの宋嘉には負けないであろう。そうして、張章は自らの精神を慰撫した。

 成梁の梅並木の道でのことであった。遅咲きの梅も花盛りを過ぎてしまっており、道中至る所にその落英はなびらが散りこぼれている。
「おお、朱慶!」
「もしかして、魏令!?」
 その場所で、魏令は馬に乗った可愛らしい容姿の少年を見つけた。その見覚えのある顔は、王の侍中じちゅうとなって傍に侍っている朱慶であった。そうと分かると、魏令は晴れやかな顔で声をかけた。この二人、共に張章によって見出された者同士である上に、年も同じである。狩りの際に狼に襲われた朱慶を魏令が助けたことがきっかけで、二人は友誼ゆうぎを結んでいた。ところが、朱慶が王の元に送り込まれ、魏令が武人として栄達していくにつれ、二人は互いの職務故に旧交を温める機会を失っていったのである。
「達者であるか、朱慶」
「お陰様で。それにしても変わらないなぁ魏令は」
「そちらこそ。変わりないようで何よりだ」
 久しぶりに見た魏令の容貌は、前と全く変わっていなかった。少なくとも、朱慶はそう感じたのであった。ところが、朱慶を見た魏令もまた、同じような感想を抱いたらしい。
「思えば、私も朱慶も、旦那さまに拾われた所から全てが始まったのだな……」
「そうだね……」
 朱慶の父は小役人で、生活は決して楽なものではなかった。折しも馬鄧で少年の育成に努めていた張章が朱慶を見出し、彼を引き取ったのである。朱慶は魏令と違って、弓馬には優れず、武人には不向きであると分かった。代わりに物覚えはよく学問には向いていたので、張章の元にいた頃は、学者の講義を受けたり書に向かい合っていたことの方が多かったのである。
「やはり、将来は文官か」
「うん、僕は魏令みたいに上手く弓は引けないけど、文官なら合ってると思うし」
「私が武官で朱慶が文官か、なるほど。良いものだな」
 魏令は、張章の元にいた頃の朱慶を思い出した。彼なら、上手くやってゆけるだろう。そう思った。
「朱慶。職は違っても、お互いこの国を守ろう」
「そうだね。お互い頑張ろう」
 梅の下で顔を突き合わせている美少年二人は、固く手を握り合った。
「あの二人、ほんと美しい……」
「王城の後宮とて、あれ程の者はおるまい……」
 その周囲には、俄かに人が集まり始めた。容貌麗しい二人が梅の木の下で語らい合う姿は、成梁の市街地にあって、あまりにも目立ち過ぎていた。だが、魏令も朱慶も、この観客たちを特に気にはかけなかった。二人とも、自らの容姿が如何に他者を惹きつけるかということを理解できない程鈍くはなかったし、またそのことで心を動かすこともなかったのであった。

「昨日、朱慶と会ったそうだな」
「はい。元気そうでした」
 朱慶のことを気にかけていたのは、張章も同じであった。張章と朱慶は朝議で顔を合わせることもあり、たまに城内で立ち話をすることもあるのだが、じっくりと話し合う機会はあまりなかった。
「たまには、あいつも招きたいものだな」
「おや、逢引きでございましょうか」
 朱慶もまた、かつて張章と閨房を共にしていたことがある。そのことを、魏令は覚えていた。とはいえ、魏令の嫉妬は、朱慶ではなく、張章の方に向かうのであるが。
「そうだとしたら?」
「旦那さまの好色は今に始まったことではないでしょう。今更私は何も言いません」
 そうは言っても、張章が他の男子に手を出せば、魏令は嫉妬心の赴くままに、閨房で激しく主人を攻め立てる。そのことは分かっていた。
「魏令」
「はい」
「この所、色々なことがあった。少し疲れてしまったよ。お前の膝枕で眠りたい」
 派兵を巡る度重なる論争と、その敗北。それらは、ある意味戦以上に張章の精神を疲弊させていた。その溜まった疲労を、愛する男子に癒してもらいたかった。
 柔らかい日差しが、二人に向かって降り注ぐ。魏令の膝に頭を乗せた張章は、段々と、その瞼が重たくなるのを感じていた。
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