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第四十三話 対梁包囲網
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張石に付き従ってきた公孫業は、その功を認められ、武陽を含む普の北部地域に封じられて王となった。彼の封国は「北普」と称される。
武陽に入城した公孫業は、宮中に足を踏み入れ、侍中の官と共にその内部を隈無く視察していた。
決戦の場であったにも関わらず、内部には、目立った破壊はなかった。それは宮中だけではなく、武陽の内部自体にも言える。
「李建……」
公孫業は、その要因となった人物の名を呟いた。勝負を決めたのは、張石との内通を画策した李建による裏切りであった。最初、李建の書簡を見た時、公孫業は嫌悪感を露わにしたものであるが、思えば、彼のお陰で、張石軍は苦もなく城内に突入し、さしたる抵抗も受けずに二世皇帝の首を挙げることに成功したのだ。帝室を蝕み、甘い汁を吸えるだけ吸い尽くしておきながら、旗色が悪くなるや否や背を向けた奸臣が、この国都を守ったというのは何たる皮肉であろうか。かの者が生涯で最後に成した、最大級の善行とも言えるのではなかろうか……
武陽の宮中を歩いていると、かつて普の帝室に仕えていた若き日の頃が、しみじみと思い出される。
武陽生まれ、武陽育ちの公孫業。彼が官職に就く頃には、すでに天下の統一は成し遂げられていた。公孫業は武官職ではあったが、実戦を経験することはなかった。仕事といえば、兵士の訓練と、後は書類仕事ぐらいなものである。
罪人十五万を率いて呉子明の反乱軍を迎え撃ったのが、この男の初陣であった。あの頃は、罪人ばかりとはいえ十万を越える軍の将帥となったことで、公孫業は不思議な高揚感に包まれていた。数では劣っていたが、負ける気はしなかった。
そうして、普の帝室に仕えて戦っていた自分が、巡り巡って反逆の輩たる張石に付き従うようになり、今ではこの武陽の主となっている。これも、全く数奇な巡り合わせであろう。そのようなことを考えながら、公孫業は武陽の宮中を歩いていた。
武陽の上空には、鉛色の雲が立ち込めている。吹き寄せる風は湿気ていて、今にも一雨降りそうであった。
その急報は、早馬によって突然成梁にもたらされた。
「魯軍、蔡との国境線に向けて西進中! 数五十万!」
張石にとって、まさに寝耳に水の出来事であった。梁としては、蔡に向けて可及的速やかに中央軍を派遣せねばならなくなった。何しろ五十万という大軍である。蔡国軍のみでは、津波に押し流されるが如くに覆滅されよう。
勿論、魯の不穏な動き自体は密偵によってもたらされてはいた。だが、梁の朝廷は政治体制を固めるための諸事に気を取られてしまっていたのである。
さらに、梁にとって非常に喜ばしくない報が、続けざまに届けられた。
「南普軍、西普軍北上!」
東の魯とほぼ時を同じくして、西においても兵事が起こったのである。
夷門関以西の普の旧領は三分割され、公孫業を北部、黄歓を西部、董籍を南部地域にそれぞれ封国した。その三国はそれぞれ北普、西普、南普と呼ばれるようになった。その、董籍の南普軍と黄歓の西普軍が、公孫業の封国である北普に侵攻したのである。
この、東西の兵事は、偶然でも、独立したものでもなく、水面下で連携したものであった。
董籍は張石軍に当初から付き従っていた重臣であるが、今現在の立場は危ういものであった。張石の息子で、董籍とは何かと意見を異にしていた張舜が、太子に立てられたからだ。張舜が張石の後を継いで帝位に就けば、自分の身がどうなるか知ったものではない。現に、南普の地は成梁から遠く離れている上に、内陸の辺鄙な土地でもある。王として封国する、などとはいうが、体の良い左遷ではないのか……董籍の心中では、不安が募っていた。
そこで、とうとう彼は、叛意を抱いた。張石を帝位から除こう、という考えに至ったのである。
董籍は、かねてより張石と対立していた呉子明に密使を送り、接近を図った。さらに南普同様の辺鄙な土地に封じられた黄歓をも抱き込もうとした。これは見事に成功し、水面下で対梁大同盟が結成されたのである。
宋商の後継である呉子明、張石軍の重臣であった董籍、元普将の黄歓、異なる背景を持つ三者が共謀して、打倒張石の兵を挙げたのであった。
董籍は、直接兵を東に向けて梁を攻撃するのではなく、まず公孫業の北普を速やかに叩いて沈黙させることに決めた。公孫業は張石に恭順であり、北普を放置したまま東進して梁に攻め込めば、北普軍によって後方を脅かされると踏んだからだ。公孫業の元に使者を送って抱き込むことも考えたが、彼らに計画を悟られて準備を整えられると面倒である、と考えて、奇襲に踏み切ったのである。
南普軍十六万、西普軍十六万の計三十二万の軍が、北普の領内になだれ込んだ。
「董籍、黄歓、この期に及んで天下を乱すか」
自ら兵を率いて迎撃に向かった公孫業は、馬上で一人呟いた。湿り気のある冷風に煽られて、跨がる馬が身震いしている。
「ようし、者共、我に続け!」
将帥が馬を走らせると、麾下の兵たちもそれに続く。普の大地は再び戦乱に揺れ、地鳴りを響かせていた。
田管が、張石への返答――彼の娘にして張舜の姉、張香を嫁に迎えるか否か――を渋っている間に、天下は俄かに騒乱の様相を呈し始めていたのであった。
武陽に入城した公孫業は、宮中に足を踏み入れ、侍中の官と共にその内部を隈無く視察していた。
決戦の場であったにも関わらず、内部には、目立った破壊はなかった。それは宮中だけではなく、武陽の内部自体にも言える。
「李建……」
公孫業は、その要因となった人物の名を呟いた。勝負を決めたのは、張石との内通を画策した李建による裏切りであった。最初、李建の書簡を見た時、公孫業は嫌悪感を露わにしたものであるが、思えば、彼のお陰で、張石軍は苦もなく城内に突入し、さしたる抵抗も受けずに二世皇帝の首を挙げることに成功したのだ。帝室を蝕み、甘い汁を吸えるだけ吸い尽くしておきながら、旗色が悪くなるや否や背を向けた奸臣が、この国都を守ったというのは何たる皮肉であろうか。かの者が生涯で最後に成した、最大級の善行とも言えるのではなかろうか……
武陽の宮中を歩いていると、かつて普の帝室に仕えていた若き日の頃が、しみじみと思い出される。
武陽生まれ、武陽育ちの公孫業。彼が官職に就く頃には、すでに天下の統一は成し遂げられていた。公孫業は武官職ではあったが、実戦を経験することはなかった。仕事といえば、兵士の訓練と、後は書類仕事ぐらいなものである。
罪人十五万を率いて呉子明の反乱軍を迎え撃ったのが、この男の初陣であった。あの頃は、罪人ばかりとはいえ十万を越える軍の将帥となったことで、公孫業は不思議な高揚感に包まれていた。数では劣っていたが、負ける気はしなかった。
そうして、普の帝室に仕えて戦っていた自分が、巡り巡って反逆の輩たる張石に付き従うようになり、今ではこの武陽の主となっている。これも、全く数奇な巡り合わせであろう。そのようなことを考えながら、公孫業は武陽の宮中を歩いていた。
武陽の上空には、鉛色の雲が立ち込めている。吹き寄せる風は湿気ていて、今にも一雨降りそうであった。
その急報は、早馬によって突然成梁にもたらされた。
「魯軍、蔡との国境線に向けて西進中! 数五十万!」
張石にとって、まさに寝耳に水の出来事であった。梁としては、蔡に向けて可及的速やかに中央軍を派遣せねばならなくなった。何しろ五十万という大軍である。蔡国軍のみでは、津波に押し流されるが如くに覆滅されよう。
勿論、魯の不穏な動き自体は密偵によってもたらされてはいた。だが、梁の朝廷は政治体制を固めるための諸事に気を取られてしまっていたのである。
さらに、梁にとって非常に喜ばしくない報が、続けざまに届けられた。
「南普軍、西普軍北上!」
東の魯とほぼ時を同じくして、西においても兵事が起こったのである。
夷門関以西の普の旧領は三分割され、公孫業を北部、黄歓を西部、董籍を南部地域にそれぞれ封国した。その三国はそれぞれ北普、西普、南普と呼ばれるようになった。その、董籍の南普軍と黄歓の西普軍が、公孫業の封国である北普に侵攻したのである。
この、東西の兵事は、偶然でも、独立したものでもなく、水面下で連携したものであった。
董籍は張石軍に当初から付き従っていた重臣であるが、今現在の立場は危ういものであった。張石の息子で、董籍とは何かと意見を異にしていた張舜が、太子に立てられたからだ。張舜が張石の後を継いで帝位に就けば、自分の身がどうなるか知ったものではない。現に、南普の地は成梁から遠く離れている上に、内陸の辺鄙な土地でもある。王として封国する、などとはいうが、体の良い左遷ではないのか……董籍の心中では、不安が募っていた。
そこで、とうとう彼は、叛意を抱いた。張石を帝位から除こう、という考えに至ったのである。
董籍は、かねてより張石と対立していた呉子明に密使を送り、接近を図った。さらに南普同様の辺鄙な土地に封じられた黄歓をも抱き込もうとした。これは見事に成功し、水面下で対梁大同盟が結成されたのである。
宋商の後継である呉子明、張石軍の重臣であった董籍、元普将の黄歓、異なる背景を持つ三者が共謀して、打倒張石の兵を挙げたのであった。
董籍は、直接兵を東に向けて梁を攻撃するのではなく、まず公孫業の北普を速やかに叩いて沈黙させることに決めた。公孫業は張石に恭順であり、北普を放置したまま東進して梁に攻め込めば、北普軍によって後方を脅かされると踏んだからだ。公孫業の元に使者を送って抱き込むことも考えたが、彼らに計画を悟られて準備を整えられると面倒である、と考えて、奇襲に踏み切ったのである。
南普軍十六万、西普軍十六万の計三十二万の軍が、北普の領内になだれ込んだ。
「董籍、黄歓、この期に及んで天下を乱すか」
自ら兵を率いて迎撃に向かった公孫業は、馬上で一人呟いた。湿り気のある冷風に煽られて、跨がる馬が身震いしている。
「ようし、者共、我に続け!」
将帥が馬を走らせると、麾下の兵たちもそれに続く。普の大地は再び戦乱に揺れ、地鳴りを響かせていた。
田管が、張石への返答――彼の娘にして張舜の姉、張香を嫁に迎えるか否か――を渋っている間に、天下は俄かに騒乱の様相を呈し始めていたのであった。
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