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第二十三話 策謀少年の怯え

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「よく来てくれたね。歓迎するよ」
「はい、中々こうして腰を落ち着けてお会いすることはできませんでしたから……」
 田管は、張石の屋敷を訪れて張舜と会っていた。以前はよく夜中に寝台に潜り込んできていた張舜だが、ここ最近は戦い続きであった故に、軍議でしか顔を合わせていない。
 張舜の顔には、流石に疲れが見て取れた。戦いの間、常に彼はその頭を働かせて策を練り、敵を出し抜こうとしていたのであるから当然と言えば当然である。帷幄《いあく》の中で謀略を巡らすことの気苦労というのは、前線で命を懸けながら戦うのとはまた違ったものがある。
 とはいえ、その憔悴しょうすいは、彼に陰性の美を与えているように見えた。今の彼は、以前にも増して、何とも言えぬ麗しさを湛えている。胸を患い苦しがっていた美姫の姿に男たちが夢中になったという故事があるが、そういったものに心惹かれる心境が、今ならよく分かろうものである。
「田管さまにも大分苦労をかけたね。暫くは兵と共に英気を養うといいよ」
「ありがたく存じます」
「と言いつつ、実は頼み事があるんだけど……」
「はい、何でございましょう」
 途端に、張舜は恥じらうような表情を見せた。もじもじしながら口ごもる張舜の姿を見ると、彼が子どもであるということを再確認させられる。
「あのね……その……今日からまた一緒に寝てほしいなあ、なんて……」
「ああ、そのようなことでしたら勿論協力させていただきます」
 そうして、その日、田管は張舜の部屋で寝ることとなった。勿論、以前と同じように、二人して同じ寝台で眠ることとなっている。やや手狭ではあるが、張舜が小柄であることと、田管もそこまで大男ではない故に、それほど窮屈さは感じなかった。
「うう……怖い……怖いよ……」
 寝床の中で、張舜は田管の寝巻の袖を固く握りながら震えていた。明らかに、何かに怯えている。
「どうなされましたか」
「あの時……敵の騎兵に弓で狙われた時、君が助けてくれなかったら僕は死んでいた……その時のことを今でも思い出すんだ……」
 張舜が話しているあの時、というのは、敵に本陣が襲われた直阜の戦いでのことだと、田管はすぐに察した。田管隊の到着が少しでも遅れていれば、敵の騎兵——それは例の、仮面を着けた者であった——は間違いなく張石と張舜の命を奪っていただろう。その時のことを思い出して、この少年は恐怖に震えているのだ。
「私がお守り致します。ですからご安心を」
「うん……」
 張舜は、袖を握る手の力を強めた。

 その日から、田管は張石の屋敷の、張舜の部屋で寝泊まりすることとなった。同じ寝台で眠っていることは言うに及ばない。
 張舜は、存外に寝つきの良い少年であった。初めの夜では怯えて震えながら袖を握ってきた張舜も、二日目からは、田管が眠りに就くよりも早く、可愛らしい寝息を立て始めた。
 昼間は次の戦の準備で忙しい。であるから、田管と張舜が顔を合わせるのは、早くとも夕方以降になる。そこから眠るまでが、張舜と田管の蜜月の時間であった。尤も、二人の会話と言えば、騎兵隊の訓練の成果であるとか、これからの張石軍の行く末であるとか、そういった真面目な話題ばかりであるのだが。

「孟桃殿」
 それから数日後、田管は孟桃の所を訪ねた。
約定やくじょうの通り、璧玉と黄金をお持ちしました」
 田管は携えてきた木箱を開け、布の包みを取り払った。そこには一対の璧玉が収められている。さらに二つ目の箱を開け、中に入っている金塊を見せた。
「でも、それを受け取ってしまったら、わたくしは貴方さまを手に入れられないのでしょう?」
「それは……」
 田管の視線は、無意識に足元へ向けられた。
「私は天下国家のために戦わねばならぬ身です。婚姻の話はその後でなければ」
 普を倒し、梁を建てる。それがいつになるかはまだ分からない。それまで待てというのは、乙女から若く麗しい時期を投げ捨てさせるのと同じである。それに気づいた田管は、言った後で心苦しい気分になった。
「ですから、どうにかこれをお受けいただきたいのです」
「……分かりました」
 孟桃は、全てを諦めたような表情で、田管の差し出した箱を受け取った。
 去っていく田管の背を眺めながら、孟桃は彼と一度別れてから再会するまでのことを想起した。
 呉同なる男は、血眼になって田管の逃走に手を貸した者を捜査し始めた。このままでは、自分の身が危ない。そう思ったが、結局捜査の手が孟桃に伸びることはなかった。呉子明軍は敗戦続きで、寿延を放棄してしまったからだ。これによって、田管逃走の件は有耶無耶になった。孟桃とその父母は軍隊による略奪から逃れるために、親類を頼って一旦寿延を離れた。そして最近、再び寿延に戻ってきたのである。
 まさか、自らの想い人と再び会えるとは思っていなかった。彼の姿を見た時、孟桃は心中に陽光が差したかのような気分であった。心の内側の恋情の猛火は、ここに再び燃え上がったのである。けれども、彼はどうやら妻を娶る気などないようであった。
「いくらでもお待ち致します……」
 彼と結ばれる可能性が、潰えたわけではない。彼が死にさえしなければ、嫁にもらってくれるかも知れない。そのためなら、若い時分を無為に過ごすことになっても、彼を待とう。孟桃はそう思ったのであった。
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