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第十五話 直阜の戦い その二
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張石軍の右軍は、本陣から走ってきた伝令兵が伝えた指示通りに、後退して山間の谷道に陣取った。そこで、敵を迎え撃とうというのである。
「ここは何としても守り通すのだ! でなければ中央の本隊がやられる!」
右軍を率いる范章という将は、冷えた汗を流していた。思っていたより、敵が強い。張石軍とて、何度かの戦いを経てきており、もう素人の寄せ集めなどではない。だが、敵の強さはそれを大幅に上回っているのである。特に、自軍の騎兵隊などは、ほぼ壊滅状態となってしまっていた。
「仮面の騎兵……」
原因は、噂の騎兵である。自軍は仮面の騎兵が戦場に姿を現したことを把握して以来、全力を以てそれを討ち取ろうと兵を向けた。だが、矢は躱され、戟兵は馬上からの騎射で一方的に射殺され、味方の騎兵も彼に攻撃を集中させたが、その全ては巧みな馬さばきによって回避され、それによってできた隙を敵につけ込まれ一気に崩壊に追い込まれた。
だが、今陣取っている場所であれば、騎兵は縦横無尽に動き回れない。重装歩兵を並べて守りを固め、弩兵による斉射を加えれば討ち取れるはずだ。
やがて、右軍の目の前に、敵左軍の戟兵が姿を現した。拒馬柵がその行く手を阻み、その足を鈍らせている間に、弩兵が敵に斉射を加えた。右軍の矢の残弾には、あまり余裕はない。だが、使い惜しみをした結果この地が抜かれでもしたら、本末転倒である。
「さぁ来い。仮面の騎兵め。その首を貰ってやるぞ」
今まで噂の騎兵を恐れていた范章であったが、狭い谷道によって左右を守られていることで、彼を討ち取る自身が湧いてきた。前に出てくれば、弩兵の斉射の餌食になるだけだ。その時を、今か今かと待ち望んでいた。
やがて、馬蹄の音を鳴らしながら、敵騎兵が姿を現した。とうとう来たか、と范章は思った。
「弩兵構え! 敵を全て射抜くのだ!」
向かってくる騎兵に向かって、弩兵が矢の斉射を行った。何人かの騎兵が矢に貫かれて落馬し、矢を警戒してか他の騎兵は馬首を返して後方に退き距離を取った。射撃の終わった弩兵が引っ込み、矢の装填を済ませた新たな弩兵が前方に出て、敵の突撃に備える。だが、そこに、一人の敵騎兵が、猛然と突撃を敢行してきた。
「馬鹿め……これでは弩兵の餌食だ」
弩兵はそちらへ矢先を向け、引き金を引いた。突っ込んでくる騎兵に向かって、矢が一直線に飛んでいく。その時であった。
「何!?」
その騎兵は、素早く馬首を右に向け、斜面を登ることで矢を回避した。その斜面の上で、騎兵は矢を引き絞った。
「な……」
右軍の兵士は、その騎兵の顔を見て、恐怖に見舞われた。目元は黒い仮面に覆われている。そこにいたのは、噂になっている仮面の騎兵その人であった。
右軍の兵士たちの注意がそちらを向いた隙に、弩兵を避けて後方に退いた騎兵が再び突撃を敢行した。それに呼応するように、仮面の騎兵も矢を放ちながら斜面を駆け下り、右軍の側面を攻撃した。二方向からの攻撃に慌てふためている間に、弩兵も、重装歩兵も、矢を射かけられて倒されてゆく。
「も、もう駄目だ! 退却!」
もう、手勢は僅かしかいない。范章はそれらをまとめて戦場を離脱しようとした。だが、その判断がすでに遅かったことは、逃走を始めた范章の背後から馬蹄の音が聞こえてきたことで思い知った。
「無念……」
范章は、自らの首に白刃を押し当て、地面に倒れ伏した。彼の部下たちも同様に自刃し、張石軍の右軍はこれによって完全敗北したのであった。
「このまま、張石の首を取る! 者共続け!」
仮面の騎兵が叫ぶ。後ろに続く騎兵たちは、鬨の声を上げながら、彼の後ろについて馬を走らせた。
その頃、張石率いる中央軍は、徐々に敵を押し始めていた。その一番の要因が、田管率いる騎兵隊の活躍である。敵の疲労もあってか、田管隊は敵騎兵を圧倒し、その殆どを撃滅していた。精鋭揃いの王敖軍を相手によくぞここまで、と、指揮官用の馬車の中の張石も舌を巻いている。
その張石の所へ、伝令の兵が走ってきた。
「伝令! 右軍破られました! 敵がこちらへ来ます!」
「何だと!」
早い。早すぎる。張石も張舜も、二人して同じことを思った。あの狭い谷道に陣取れば、敵も容易には抜けなかったはずだ。敵が右軍を攻めあぐねているその間に自分たちは正面の敵を破り、右軍に救援の兵を振り向けるという算段は、ものの見事に崩されたのである。
「田管隊をそちらに回そう。彼ならきっと負けない」
「ううむ、そうだな」
張舜の言う通り、張石は田管の元へ伝令を走らせた。
その頃、すでに仮面の騎兵率いる騎兵隊は、張石の中央軍の間近に迫っていた。仮面の孔から覗く碧眼は、獲物を狙う虎の目のように敵軍を捉えている。
風が吹き寄せ、甲の後ろから垂れる銀の三つ編みが揺れた。晴れていた空は、鉛色の雲に覆われ始めている。
「狙うは大将首! 突撃せよ!」
仮面の騎兵、魏遼は、風を切って馬を走らせる。それに続いて、弓を携える騎兵たちが疾駆する。魏遼は馬の背の上で跳ねながら、矢筒から矢を取り出し、弓に番えた。
「ここは何としても守り通すのだ! でなければ中央の本隊がやられる!」
右軍を率いる范章という将は、冷えた汗を流していた。思っていたより、敵が強い。張石軍とて、何度かの戦いを経てきており、もう素人の寄せ集めなどではない。だが、敵の強さはそれを大幅に上回っているのである。特に、自軍の騎兵隊などは、ほぼ壊滅状態となってしまっていた。
「仮面の騎兵……」
原因は、噂の騎兵である。自軍は仮面の騎兵が戦場に姿を現したことを把握して以来、全力を以てそれを討ち取ろうと兵を向けた。だが、矢は躱され、戟兵は馬上からの騎射で一方的に射殺され、味方の騎兵も彼に攻撃を集中させたが、その全ては巧みな馬さばきによって回避され、それによってできた隙を敵につけ込まれ一気に崩壊に追い込まれた。
だが、今陣取っている場所であれば、騎兵は縦横無尽に動き回れない。重装歩兵を並べて守りを固め、弩兵による斉射を加えれば討ち取れるはずだ。
やがて、右軍の目の前に、敵左軍の戟兵が姿を現した。拒馬柵がその行く手を阻み、その足を鈍らせている間に、弩兵が敵に斉射を加えた。右軍の矢の残弾には、あまり余裕はない。だが、使い惜しみをした結果この地が抜かれでもしたら、本末転倒である。
「さぁ来い。仮面の騎兵め。その首を貰ってやるぞ」
今まで噂の騎兵を恐れていた范章であったが、狭い谷道によって左右を守られていることで、彼を討ち取る自身が湧いてきた。前に出てくれば、弩兵の斉射の餌食になるだけだ。その時を、今か今かと待ち望んでいた。
やがて、馬蹄の音を鳴らしながら、敵騎兵が姿を現した。とうとう来たか、と范章は思った。
「弩兵構え! 敵を全て射抜くのだ!」
向かってくる騎兵に向かって、弩兵が矢の斉射を行った。何人かの騎兵が矢に貫かれて落馬し、矢を警戒してか他の騎兵は馬首を返して後方に退き距離を取った。射撃の終わった弩兵が引っ込み、矢の装填を済ませた新たな弩兵が前方に出て、敵の突撃に備える。だが、そこに、一人の敵騎兵が、猛然と突撃を敢行してきた。
「馬鹿め……これでは弩兵の餌食だ」
弩兵はそちらへ矢先を向け、引き金を引いた。突っ込んでくる騎兵に向かって、矢が一直線に飛んでいく。その時であった。
「何!?」
その騎兵は、素早く馬首を右に向け、斜面を登ることで矢を回避した。その斜面の上で、騎兵は矢を引き絞った。
「な……」
右軍の兵士は、その騎兵の顔を見て、恐怖に見舞われた。目元は黒い仮面に覆われている。そこにいたのは、噂になっている仮面の騎兵その人であった。
右軍の兵士たちの注意がそちらを向いた隙に、弩兵を避けて後方に退いた騎兵が再び突撃を敢行した。それに呼応するように、仮面の騎兵も矢を放ちながら斜面を駆け下り、右軍の側面を攻撃した。二方向からの攻撃に慌てふためている間に、弩兵も、重装歩兵も、矢を射かけられて倒されてゆく。
「も、もう駄目だ! 退却!」
もう、手勢は僅かしかいない。范章はそれらをまとめて戦場を離脱しようとした。だが、その判断がすでに遅かったことは、逃走を始めた范章の背後から馬蹄の音が聞こえてきたことで思い知った。
「無念……」
范章は、自らの首に白刃を押し当て、地面に倒れ伏した。彼の部下たちも同様に自刃し、張石軍の右軍はこれによって完全敗北したのであった。
「このまま、張石の首を取る! 者共続け!」
仮面の騎兵が叫ぶ。後ろに続く騎兵たちは、鬨の声を上げながら、彼の後ろについて馬を走らせた。
その頃、張石率いる中央軍は、徐々に敵を押し始めていた。その一番の要因が、田管率いる騎兵隊の活躍である。敵の疲労もあってか、田管隊は敵騎兵を圧倒し、その殆どを撃滅していた。精鋭揃いの王敖軍を相手によくぞここまで、と、指揮官用の馬車の中の張石も舌を巻いている。
その張石の所へ、伝令の兵が走ってきた。
「伝令! 右軍破られました! 敵がこちらへ来ます!」
「何だと!」
早い。早すぎる。張石も張舜も、二人して同じことを思った。あの狭い谷道に陣取れば、敵も容易には抜けなかったはずだ。敵が右軍を攻めあぐねているその間に自分たちは正面の敵を破り、右軍に救援の兵を振り向けるという算段は、ものの見事に崩されたのである。
「田管隊をそちらに回そう。彼ならきっと負けない」
「ううむ、そうだな」
張舜の言う通り、張石は田管の元へ伝令を走らせた。
その頃、すでに仮面の騎兵率いる騎兵隊は、張石の中央軍の間近に迫っていた。仮面の孔から覗く碧眼は、獲物を狙う虎の目のように敵軍を捉えている。
風が吹き寄せ、甲の後ろから垂れる銀の三つ編みが揺れた。晴れていた空は、鉛色の雲に覆われ始めている。
「狙うは大将首! 突撃せよ!」
仮面の騎兵、魏遼は、風を切って馬を走らせる。それに続いて、弓を携える騎兵たちが疾駆する。魏遼は馬の背の上で跳ねながら、矢筒から矢を取り出し、弓に番えた。
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