もし、僕が、私が、あの日、あの時、あの場所で

伊能こし餡

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????の場合

会いたい、ただそれだけ

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  ジリリリと目覚まし時計がけたたましい音を立てて私の寿命を縮めにくる。前時代的な音に懐かしさを覚えながら目覚ましを止める。そうそう、昔の時計は上にあるスイッチを押さないと永遠に鳴り続けてたなあ。

  「う~ん」

  ゆっくり伸びをすると自分の体が軽いことにビックリした。そういえば死ぬ前の数ヶ月はほとんどベッドの上から動いてなかったから、この頃の健康な体が軽いのはよくよく考えれば当たり前のことだ。

「・・・・・・顔洗お」

  ベッドから降りて洗面台の鏡の前に立つと、自分が自分でないような不思議な感覚に陥った。見慣れていたはずの二十代の頃の自分の姿はどうやら自分の記憶と僅かながら差異があるようだ。それと同時にさっきの変な空間での記憶が鮮明に脳裏に映る。

  顔を洗いながら一つずつ記憶を整理する。

  さっきのあの男は『私の手伝いをする』 と言っていた。それをそのまま信じるのなら今日は私があの人と会った最後の日になっているはず。どういう原理、とか、どうしてそんなことを、とか、そういうのはこの際どうでもいい。そもそも私は一回死んでいるのだから、こんなことでいちいち驚いていられない。私はただもう一度、あの人に会いたい。

  顔を洗ってサッパリしたところで部屋の隅に飾ってある壁掛け時計が六時半を指しているのを確認した。確か、約束の時間は九時半だったはず。いや、それより今日は本当にあの日なのだろうか?半信半疑のままテレビをつける。この時間なら朝のニュースでもやってるだろう。

『第七戦までもつれ込んだ日本シリーズ、日本一を決める最終戦は大熱戦となりました』

「わぁ、懐かしい」

  そうそう、この年は私が好きなダイエーホークスが日本一になったんだった。この頃のホークス強かったなぁ、なんて、束の間の感傷に浸る。と同時に、今日がやはりあの日なのだと分かりホッとした。私の記憶では、ホークスが日本一になって好きな人とも会えて最高の一日だったはずだからだ。

  厳密には最高の一日で、最悪の一日だった。この日が最高だったせいで私は死ぬまでの何十年間もこの最高の一日以下の人生を歩むことになったから。

「あの人を恨むよ、まったく」

  こんなこと言ったらこの当時の婚約者にこそ恨まれそうだが、まあ一番好きな人というわけではないし仕方ない。旦那は私を大事にしてくれたし、私も大事にしてた。夫婦なんてその事実さえあれば十分でしょう?

  とりあえず寝起きでお腹が減った。若い体というのは欲求に素直だ。この頃の私は何を食べていたかな。なんの気無しに冷蔵庫を開けると、そこはレトルト食品の山だった。

「うわぁ」

  こんな食生活をしてれば、そりゃ病気にもなるはずだ。野菜なんかどこにも見当たらない。冷蔵庫にはレトルトのカレーや炭酸飲料にお酒、冷凍庫はレンチンで食べれるパスタやチャーハンばっかり。どう考えても体に悪い。
  そういえば料理とかは結婚してから練習し始めたからこの頃はまだ包丁すら碌に扱えなかった。まったく、結婚とは偉大である。

  とりあえず今日を凌げれば良いのであまり美味しくない冷凍のパスタをレンチンして食べた。まだ技術がそこまで発達していない時代だからか、化学調味料の味が強い。こういう些細なところでも時代の変化が窺える。

「ごちそうさまでした」

  そう言って手を合わせるけれども、この頃の私にはこんな習慣あったかな。今日会うあの人は誰よりも私のことを知っているし、その上心配性だから些細な変化でも私に何かあったんじゃないかと勘繰かんぐってくると思う。
  流石に、行儀が良くなって疑われることはないだろうけど・・・・・・。

「さ、早めに化粧して待ち合わせ場所まで行って驚かせよっかな」

  アイラインを引きながら化粧が上手くなってることに気付く。やっぱりこういうのはやった数だけ上手くなるね。これなら当時より好印象を与えられるかも。
  さて、今日はきっと素晴らしい日になる。いや、素晴らしい日にしてみせる。午前八時、そう心に決めて家のドアを開けた。
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