もし、僕が、私が、あの日、あの時、あの場所で

伊能こし餡

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矢野鷹斗の場合

あいつのサドルをグラウンドのど真ん中に埋めてやろう

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「・・・・・・くん! 鷹斗くん!」
「・・・・・・・・・・・・ん?」

  過去に思いを馳せているうちに、ついつい自分の世界に浸ってしまっていたようだ。

  今日が最後の日だと分かっているのに、『今』 より『過去』 にばかり意識が向いてしまうのはどうしてだろう。

「ほら、鷹斗くんの好きなスープ冷めちゃうよ」

  いつも二人で駄弁っていた喫茶店。高校の時は毎週のようにここに通ってはどうでも良い話で一日を終えたりしていたものだ。

「ああ、本当だ。もったいない」

  そう生返事をしてなるべく上品に、かき玉やらニンジンやらが入ったスープを音も立てずに飲み干す。チラリとまりさんの方を見ると、俺がスープを飲む様子をニコニコしながらジーッと見つめていた。
  ・・・・・・なんだ、その、そんなに見られると少し照れるな。 

  俺とまりさんは特にここ、今日も座っている窓際の席が一番お気に入りだ。ここから見えるマロニエの並木がたまらないくらい好きだった。

「ね、さっき何考えてたの?」

  興味津々、と言った様子で俺の顔を覗きこんできた。

「秘密、何て考えてたと思う?」

  まさか「まりさんとの思い出だよ」 なんて言ったらイジられるに決まってる。

「知ってる? 質問に質問で返しちゃダメなんだよ。昔誰かがそう言ってた」
「それ俺が言ったんだよ」
「あー! そうだそうだ! あの時鷹斗くんが言ってたんだった!」

  あの時、と言うのはもしかしてさっき俺が思い出していた記憶と同じ時だろうか。もしそうだとしたら、ちょっと、いや、もの凄く嬉しい。

  この店も懐かしいなあ、高校を卒業してからは一回も来てないや。天井にぶら下がった暗めな電灯も、上手いのか下手なのか分からない水彩画も、やたらとお洒落なジャズ音楽も、全てが懐かしい。

「ねえ、私と鷹斗くんって、ここでどんなこと話してたっけ?」
「ここで? うーん・・・・・・」

  言われてみると、何を話してたかなんてことはほぼほぼ覚えていない。ただそれでも、『楽しかった』 と言う感情だけは確かに覚えている。

「覚えてない、って顔じゃん。やっぱり私との時間は記憶にも残らないかー」
「そ、そんなことない! ほら、あれ、まりさんに向かって気持ち悪いだのなんだの言ってた奴にいたずらしてそれで盛り上がったやつ! あれは覚えてる!」
「あー! あったあった! 鷹斗くんがあいつのサドルをグラウンドに埋めたやつでしょ? あれは傑作! 腹がよじれるくらい笑った!」

  まりさんは手を叩きながら大笑いした。俺も久々にその出来事を思い出してあの頃みたいに笑う。

  その出来事と言うのはこうだ。

  まりさんはその明るい性格から、常にクラスの輪の中心にいた。みんなを先頭で引っ張りながらみんなと一緒に笑う、言わば理想のリーダーのような存在だった。しかしそれを気に食わない奴もやっぱりいるわけで、ある日、一人のクラスメイトがまりさんに向かって『いつも仮面を被ってて気持ち悪いんだよ、クソ女』 とみんなの前で言い放ったのだ。

  クラスのみんなは当然怒った。そのうちの数人はそいつに向かってもっと酷い暴言を浴びせた。平和主義を語る連中がそれを静止して、まりさんと仲の良い女子は涙を堪えるまりさんを必死に励ましていた。

  その光景を、大半の連中は見ているだけ。当然俺も見ているだけだった。

  ただ、まりさんの悲しそうな表情を見ると俺の中で静かに、沸々と怒りの感情が沸き起こった。

<あいつは絶対に許さない>

  その後まりさんに『あいつに仕返ししてやろうか?』 と問うと『平和的にやっちゃって』 と言われたので、自転車通学だったそいつのサドルだけ盗って、グラウンドのど真ん中に埋めてやった。そのままそいつがどうなったのかも見ずに、まりさんとそそくさと帰ったので反応は楽しめなかったのだが、サドルだけを埋めるという俺の謎発想に、まりさんは終始笑っていた。

「いやー、普通サドル盗って埋めるなんて発想出てこないよ! 鷹斗くん、犯罪者の素質あったかもね!」
「まりさんだって結構ノリノリだったくせに何言ってんのさ」

  あぁ、いつまでもこの日が続かないかなぁ。こんな楽しいひと時が、ずっとずっと永遠に続かないかなぁ。なんならこの瞬間に、時が止まってしまわないかなぁ。
  そうなればまりさんは誰とも結婚することもない。俺と二人の時間を永遠に共有したまま、静かに朽ちていく。

  そんなの、素敵じゃないか。
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