竜の歌

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23 五歳児の試練 11

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 午後はサンルームで生物図鑑を楽しんでいると、もの凄い音がしてバタバタと慌ただしくエルノア兄様が飛び込んできた。
「エル兄様、どうしたの?そんなに急い……」
 僕が言い終わる前に掬うように抱き上げられて足早に二階に運ばれる。
 兄様が僕を落とすとは思わないけれど、このスピードにはやっぱり怖さを感じる。
 心の中で「ひーっ!」と叫びながら兄様にしがみつく。
 僕を抱いているとは思えない素早さで自身の部屋に入り、居間のソファーに座り込んでさらにむぎゅうと僕を抱きしめたエル兄様は、無言で僕の胸元に顔を埋めて深呼吸。
 僕は兄様の足を跨ぐかたちで膝立ちだけど、兄様の腕に支えられているから辛くはない。
 エルノア兄様は僕と少しでも離れているとしばらくこんな風に呼吸を整える。自分の中の不安を消していくように。
 そんな風に思うと悲しい気分になって兄様の頭を包み込むようにして抱き込む。
「エル兄様、落ち着いた?」
 呼吸のピッチが緩やかになってきたから大分安定してきたんじゃないかな。
 顔の角度をちょびっと上向きにして僕を見る兄様に「お帰りなさい」とおでこにキスを落とす。
「ただいま。ただいまただいまただいま!」
 帰ってきたご主人に飛びついた犬のようにエル兄様が下から僕の顔にキスを返してくる。
 副音声でクーンクーンと鳴き声が聞こえてきそうだ。
「二人きりの時にルスランに誕生日の贈り物を渡したかったのに、学校休めなかった。早く帰りたかった」
 僕のお腹に縋り付き顔の左側を埋めて目を瞑って拗ねた顔をする。ぴったりくっついたりイヤイヤをするみたいにぐりぐり顔を擦りつけたりを繰り返されて、くすぐったい。
「贈り物?」
「ん……これ」
 もそもそと顔は離さないままズボンのポケットから何かを取り出す。
 僕へと差し出された手のひらには丸いガラス玉のような物。金色のチェーンが付いていて金具があるから多分ネックレスかな?
「有り難う、エルノア兄様。これは首飾り?」
「うん」
 真珠くらいの大きさの玉は真っ黒で何なのかは分からない。
「これ、ガラス?」
「外側は」
「内側は?」
「……」
 えー。何か怖いんですけど。
 とはいえ、せっかく兄様がくれた物なので首に掛けてみる。
「ん?」
 今なんか光ったような気がするんだけど……。
 玉は真っ黒で模様も無い。気のせいだろうか。
「大事にするね。兄様?」
 僕の胴体にしがみついたままじぃーっと見上げている。
 『待て』中の犬のようだ。
「有り難う兄様。嬉しい」
 おでこ、両頬、唇にありがとうを込めてキスをする。
 ぐずるように、でも嬉しそうに「んんーっ」とお腹に顔をぐりぐりする兄様が可愛くて、つい頭を撫でてしてしまう。
 小さな声でもっと、と強請る兄様に吹き出して、冗談まじりに「よしよし」と言いながら撫で撫で。
 エル兄様は笑顔で気持ちよさそうに目を瞑っていた。



 夕方六時、父様が帰って来た。
 エル兄様を引き剥がし、階段を下りて一階の玄関まで迎えに行く。
 僕が邸に戻って来てから玄関脇に手洗いが取り付けられた。
 綺麗なデザインの大理石製の手洗い器で周りとも違和感が無いように工夫されている。
 僕の為に病気を持ち込まないよう、此所で手洗いとうがいが出来るようにしてくれたのだ。
 手洗い中の父様に後ろから抱き付く。
「お帰りなさいパパ!」
「こーら、階段を駆け下りたら危ないだろう、ルゥ。ただいま」
 だって待ちきれなかったんだ。
「パパ、お誕生日の贈り物にお願い事聞いてくれるんでしょう?」
「約束したけど、え、今かい?」
「うん、今! 実は……僕ユランに会いたい!」
「え」
 案の定、父様はいい顔しなかった。
 だから誕生日まで我慢したんだよねー。
 ユランは決して穏やかな動物とは言えないから過保護な父様の許可は中々得られないだろうと思って、奥の手として誕生日までとっておいた。
「今だったら父様も居るし、一緒なら安心でしょう? お願い聞いてくれるって約束してくれたよね?」
「……パパの側を離れない?」
「うん!」
「勝手に手を出したり、触ったりしない?」
「うん、うん!」
 お願い、お願い、と目で訴えて縋り付く。
「ユランは危ない生き物だからね。十分気を付けるんだよ」
「はーい!」
 やったー!
 そのまま玄関から外へ出て一緒に厩舎へ向かう。
 嬉しくて繋いだ手をブンブン振っていると父様が苦笑いしながら注意事項を上げていく
「ルゥ、ご機嫌だね。でも厩舎では大きな声を出したり、手足をバタバタしたりしちゃいけないよ。ユランは機嫌が悪くなると何をするか分からないからね。こんなに小さくて可愛らしいルゥなんて……いや、例えでも言いたくないな……」
 過保護極まれり。父様、子供にはきちんと注意しないと。
「動物は音や衝撃に敏感だものね。僕静かにするし、無闇に近づいたりしない。ユランはとても気難しいんでしょう?」
 兄様からプレゼントしてもらった図鑑にもユランは載っていて、平均的な大きさや性格など色々情報が姿絵付きで書いてあった。
 内容通りか確かめる良いチャンスだ。
 厩舎の前まで行くとユランのお世話担当のシムさんが水を運んでいる。
「旦那様? どうかされましたか?」
 さっき帰宅してユランを預けた父様が再び戻って来たのを不思議に思ったのだろう。慌てて駆け寄ってくる。
「ああ、問題ない。シム、ルスランにユランを見せてやってくれないか」
「えぇ! 坊ちゃんにですか?」
「大丈夫、私が付いているから」
「はあ……」
 シムさんは目の周り以外は髭で覆われた熊さんみたいな人で、料理長の息子さんだ。
 お父さんは(竜族では)小柄だけど、シムさんは家族で一番高身長のエルノア兄様よりもさらに十センチメートル程大きい。
 でもその目は凄く優しそうで、だから動物たちも彼の言うことをきくのかなと思う。
 水桶を運ぶシムさんの後について厩舎に入っていく。
 ユランは二頭だけなのに中はとても広い。五十平米以上はあるだろう。一頭分ずつ柵で区切られた範囲でも二十平米はあるわけで、掃除が大変だろうなと思う。
 飼育係が作業する通路側にいた一頭はなんとシルバー色。もう一頭は隅の方に居るからここから遠い。
「こっちが雌のユランでラスカー達の騎乗用だ」
「す、ごい綺麗……」
 シルバーというか、ステンレス?無駄の無い筋肉が硬質な感じの鱗に覆われていて体がとても綺麗だ。
 僕の言葉に「あら、あなた見る目あるわね」って感じで遥か上部から見つめてくる。
「これはまだ性格が大人しい方だから大丈夫だと思うんだが」
 父様がちらりを視線を送った先、黒っぽいユランがいつの間にかこちらに近づいてきていて、じぃぃっと見ている。
「かっ……こいい……」
 ガンメタブラック! 超格好いい!
 うわー! うわぁー!!
「あれは雄で私の騎乗用だ。白よりこの黒の方が大きくて……」
 気付けばガンメタブラックが至近距離にいて、僕の右腕の袖をパクリと銜えた。
「あ、食べられちゃった。ははは」
 父様にも散々注意するように言われて図鑑にも危険動物として書かれていたが、近くでみるとお目々が大きく睫バサバサで結構可愛い。
 不機嫌な時はブーブー鳴くそうだけど静かだし、僕のことすごい見てくるんだけど。
「君の羽すっごく格好いいね。肌はツヤツヤで男前だし」
 馬に似た面長な顔を撫でる。おおっ! 意外と柔らかい鱗!
「ルゥ!」
「坊ちゃん!」
 父様とシムさんが小声で叫ぶという器用な事をするけど大人しいユランの様子に驚きながらも落ち着きを取り戻した。
「パパ、この子凄く良い子だよ、ほら」
 下げてきたユランの顔にほっぺをくっつけても暴れないしブーブー言わない。
 二人は無言で呆然としている。
「ところでこの子達名前はなんていうの?」
「名前?」
 今度は二人してキョトン顔。
「え? 名前無いの?」
「無いよ」
 ……なんでだろう。
 ギルシュ兄様といい、父様といい……。
 何故か竜族って名前を付けるって感覚が無いんだよね。
「じゃあ僕がつけても良い?」
「ああ、別に構わないが」
 父様に了承してもらったのでこちらにも聞いてみる。
「僕が君の名付け親になっても良い?」
「ウヒヒッ」
 よし、じゃあどうしようかな。
「男の子の君は……テツってどう?」
「ヒーン」
 決まりだね。
「じゃあ、女の子」
 もう一頭の方へ行こうとしたらまたもや袖を銜えられる。
「おーい、離して。あっち行きたいから」
「ブー」
 あ、駄目だって。えー。
「ちょっと、もう……おーい、かわいこちゃーん、君はスズでどう?スズちゃーん」
 あ、ウィンクしてくれた。決まり-。
「信じられん……」
「信じられない……」
 固まっている父様とシムさんは置いておいて、明日から朝はこの子達の顔を見に来ようかなと頭の中で仲良くなる方法を考えてみる。
 観察日記とかつけてみようかなぁ。



「え! ルスラン、黒に触ったの?」
「うん、凄く良い子だったよ。ユランってそんなに乱暴な子じゃないんだね」
「いや、それは無い」
 エル兄様のベッドの中でお腹に抱き付かれた状態でウキウキと報告する。
「父さん以外が近づくと滅茶苦茶威嚇してくる」
「ブーブー?」
「ブーブー」
 あれかな、父様以外の男性は受け付けないんじゃないかな。自分で言うのもなんだけど、僕はおとこって感じじゃないし、小動物って認識なんじゃないかな?
「でも名前考えてあげたら喜んでたよ。黒はテツ、白はスズなの」
「なにそれ……ずるい」
 ずるいって、兄様も名前考えたかったのかな。
「何でルスランに名付けてもらえるの?ずるいよ、俺もルスランに名付けてもらいたかった」
 いや、そう言われましても。兄様より僕の方が後に産まれたんですし。
「兄様、僕エルノアって名前凄く好きだよ。あ、でも名前が好きって言うよりも兄様が好きだから良く思えるのかも?」
 ん? なんか卵が先か鶏が先かみたいになっちゃった?
「ルスラン……好き」
 ま、いっか。兄様を好きな事には変わりないし。
 兄様のお蔭でお腹ぬくぬくで眠りに着いた。



 朝のテツとスズへの挨拶と餌遣りのお手伝いという仕事が加わって、誕生日以降僕の生活も結構忙しくなった。時々ファビオとイシスが遊びに来てくれたり、教会へはパンを焼いて持って行き子供達に賛美歌を教えて貰ったり。もちろん自宅学習もしっかりやらないといけない。
 そんな忙しい毎日でも、ラスカー兄様へのお手紙は週に一通は必ず送る。
 ラスカー兄様からのお返事は最初は僕と同じ位の頻度で返してくれたんだけど、最近は僕が三通送って兄様が一通返してくれるかどうかって感じだ。
 前は月に二回は邸に帰ってきてくれていたのに、誕生日を境に兄様の仕事が忙しくなり、四ヶ月以上経ってもまだ会えない。
 勉強が休みの土曜日、最後に会った青い顔のラス兄様を思い出しながら兄様の手紙を読み返す。間隔が空くにつれて文章も短くなっていった。
 手紙も書けない程忙しいならまた体調を崩してしまうんじゃないだろうか。
 兄様がドラグーンだと分かっていてもやっぱり心配になってしまう。
 繰り返し読んでいる内に手紙に違和感を感じた。
 あれ?ちょっと待って。
 一番新しい手紙と誕生日に届いた手紙じゃ筆跡が……違う。
 これも、これも、これも……。
「ルスラン様、ラスカー様からお手紙が届きましたよ」
 急いで部屋の扉を開けてニアから手紙を受け取る。
「ありがとう」
 心臓がドクドクいってる。嫌な予感がする。
 庭に面する掃き出し窓まで行き手紙をあけようとする。震える指でなかなか開封出来ず焦って便箋が少し破れてしまった。

「嘘……うそ、うそうそうそ!」

『ラスカー様 病院にて意識不明』

 ラスカー兄様!!
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