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11 救い 2
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ちびの僕が窓から覗く町並みは中世ヨーロッパを思わせる風情だ。
故郷に戻ってから家から出たことは無く、できれば町を歩いて見て廻りたいけれど、今はそれより兄さんの方が大事だ。
思ったよりも馬車の振動が少ないのは高級車であることと、タイニーが僕の為に敷き詰めたクッションのおかげだろう。
軽快に進んでいた馬車が五十分程走って徐々に速度を落とし、ゆっくりと停車した。
御者が扉を開けてくれてタイニーが先に降り、僕の手を支えて下ろしてくれる。
ここが騎士団員の寮かぁ……。
高い塀と木に囲まれ、正面の門からも建物は見えない。
「ルスラン様、お疲れではありませんか?」
「だいじょーぶ」
ここは六つの部に分かれた騎士団の、六つの寮の内の一つ。ギルシュ兄さんが住んでいる所で、長男のラスカー兄さんは別の寮らしい。
すぐに門の横にある守衛所から年嵩の女性が出てきて門を開けてくれる。
「ノーヴァ様ですね。どうぞお入り下さい」
「有り難うございます」
タイニーが守衛さんの差し出した帳面にサインして返し、僕の手を取って歩き出す。
「しゅえいさん?」
「はい。彼女も元は騎士だったのですよ」
成る程、どうりでキビキビした動きだった。
「すごいね。つよそう」
「ふふ、そうですね。さ、前を向いて歩いて下さい。私の手を離さないように」
「はーい。にーにどこかな……」
敷地内を屋根の付いた道が走っていて、そこを通れば雨に濡れずにそれぞれの建物に行き来できるようになっているみたい。
たしかタイニーは元軍人って言ってたはずだから、騎士の施設なんて知らないと思うんだけど、すたすた進んで行く。
「じぃじ、ここしってるの?」
「……まぁ……色々ありまして」
なんか聞いちゃいけない事だったんだろうか。沈黙すると怖い気がして目に付いたものを指さして聞いてみる。
「あれ、なーに?」
「あれは共同で使う施設がある建物でしょう。食堂、厨房、談話室、浴室などの共同棟ですね」
「じゃあ、あっちは?」
今度は奥にある二階建ての建物を指さす。
「あれが騎士達が寝泊まりしている部屋がある建物、宿舎棟ですよ。ギルシュ様のお部屋がある所です」
あそこが今の兄さんの家なのかぁ。結構小さいから騎士の数ってそう多くないんだな。
「あれと同じ建物があと三棟あるんですよ」
訂正。やっぱり町を守る騎士様はそれなりの人数が必要みたい。
その宿舎棟に行くんだと思っていたら、タイニーはその前を通り過ぎて行く。
「じぃじ、あっちちがうの?」
「ギルシュ様はこの時間、訓練中とのことです。あれが訓練場ですね」
屋根の無い木で組まれた円形の建造物…コロッセオ?
このまま真っ直ぐ進めば四角く開いた入り口から訓練場に入れるんだろう。僕たちは円の壁際沿いに付いている階段を上っていく。
登り切るとやはり形状は中世ヨーロッパのコロッセオに似た作りだ。階段状の客席から下の訓練場を見下ろせる。
「実戦を想定した訓練の危険性と能力判断の観察を考えて、このような形になっております」
今まさに剣と盾を装備した騎士二人が打ち合いをしている。
そうだよね、いくら騎士ばっかりでも日頃生活している中、剣だの槍だのが飛んできたりしたら危ないもんね。
一番下の段に座っている人が要所要所で声を掛けてる。アドバイスかな?多分上官だろう。
「よし、そこまで!次!」
全身から湯気を立てている騎士達が上官に一礼して下がっていく。
「ルスラン様、怖くはありませんか?もし無理でしたら……」
「だいじょーぶ。にーにもくるんでしょう?ぼく、みたい」
「実はギルシュ様には本日伺うことはお伝えしていないのです。どうやら外出が多いらしく…確実にいらっしゃる時といえば訓練くらいで」
伝えると逃げちゃうってことなんだな。
「ですから気分が悪くなったら無理なさらず、すぐに仰ってくださいね」
「うん」
距離が離れているからなのか、恐怖は感じない。
次に入ってきた二人の内一人は見覚えのある赤毛。
兄さんだ!
二人は武器を持っていない。
「始め!」
号令で二人はそれぞれ構えて間合いを取る。
牽制し合うように拳を打ち合うが、じれた相手がぐっと間合いを詰め左拳を打つ。兄さんは右でガードするが、ぐらりとふらついた。
「?!」
タイニーが反応した。何に?
すかさず次々と打ち込む相手に両腕でガードし、そのまま体を前へ押しだし相手の体を離しながら右拳を打ち込む。
「軽い」
思わず、という風にタイニーがつぶやいた。
実際相手はさほどダメージを受けていない。
打ち込まれた相手はカッときて猛烈に連打してくる。
三発目が兄さんの左頬に入って以降はボコボコに殴られる。
「にーに……」
なんかおかしくない?
「ギルシュ様…」
タイニーの表情も曇っている。
「じぃじ、にーにが……」
「……ギルシュ様は……わざと打たれているようですね」
そんな!なんで?
その後も一見打ち合っている様に見えても、兄さんの打ち込みは軽いし、相手の打撃にはわざとガードを外している。
いくら頑強な竜族と言っても相手も竜族なんだから、平気な訳は無い。
「にーに……やめて……」
どうしてこんなこと。兄さん、痛いでしょ?
「……これが初めてではないでしょう。顔や体の痣は昨日今日で出来たものでは無いですね」
言われてよく見ると、兄さんの全身に赤黒い痣が散らばっている。
連打でふらついた所にこめかみに一発。
「にーに!!」
思わず立ち上がって叫ぶ。
あんなに打たれてふらついていたのに、声に反応して僕を見る目は強かった。
「にーに!」
「どうして……ルスラン」
地面に手をついたまま、ぎりりと土を握りしめる。
上官が右手を挙げる。
「止め!ノーヴァ、後で部屋へ来い。話を聞く」
やはり上官の目にも兄さんの態度は分かったらしく、声が厳しい。
けど兄さんは無言で無視して走って訓練場を出て行ってしまう。
「じぃじ!」
「失礼いたします」
タイニーは僕の意図を瞬時に理解し、抱き上げ階段を駆け下りた。
僕を抱いて走っているとは思えないスピートで兄さんを追いかける。
「ギルシュ様!」
「にーに!」
呼びかけに足を止めた兄さんはゆっくり振り返る。
「……タイニー……何故ルスランをこんな所へ!」
「にーに!ぼくがおねがいしたの!」
「ルスラン」
僕をみる兄さんの顔はとても辛そうだ。兄さんがそんな顔する必要は無いって言いたい。話がしたい。
「にーに、ぼくと」
「俺に近づくな!」
兄さんの所へ行こうとした体がビクっと固まる。
「俺はお前を傷付ける…その気はなくても……俺の意思を無視して……」
「にーにはわるくないってしってる。ぼくわかってるよ!」
「違う!俺は駄目なんだよ!お前に……お前の側には……」
「にーにぃぃ!!」
止める間もなく後ろの高い塀を駆け上がり、向こう側へ消えてしまった。
さすがのタイニーも僕を守りながら塀を越えた兄さんを追いかける事は出来ず、守衛さんの所でサインして馬車で邸へ戻る。
「むぅ」
「ルスラン様、今日のお昼はサンドウィッチですよ。大好きな卵たっぷりの」
「むぅ」
「オレンジジュースもお飲み下さいね。果物にも栄養がありますから」
「むぅ!」
わざとスルーしているタイニーに抗議の声を上げる。
帰ってきてから暖かいサンルームで腕を組み、唸りながら考えている僕をさらっと無視して昼食の用意をしているタイニーは、自分からは話を振りたくないんだろう。
「お野菜も良いですがお肉も食べるよう頑張って下さい。こちらは牛肉ではなく豚のハムにしましたから」
「にーに、にげたよね」
「………」
やっぱりその件か、って顔は予想通り。出来れば言わないで欲しかったって思ってるでしょ。
「ぼくをもうきらいなのかな」
「それは違います!」
うぉう!凄い勢いで返してきた。
「天地がひっくり返っても、それだけは無いと言い切れます。ありえません」
タイニーってこんな熱い人だったかな?ちょっと引く。
「じゃあ、なんでかな」
しまった、って顔も見逃さないよ。
「……お兄様は成人、大人ですから何か問題があっても自分で解決するよう努力するものです……」
「にーに、くるしそうだった」
「………」
「ぼく、にーにがすき」
「………」
「にーにとはなしたい」
「はぁ……」
タイニーが両手で顔を覆った時点で僕の勝ちだよね。
たっぷりお昼寝をして備えた僕は防寒対策もばっちりで夜の町へと繰り出した。
遊びじゃ無くて。
貴族の馬車で下町では目立つから辻馬車を呼びタイニーと酒場へ向かう。
やっぱりタイニーは兄さんの最近の動向を調べて把握していたらしい。
今日は父さんの帰りも遅いから丁度いい。居たら絶対邸を出してもらえなかっただろうし。
最近父さんは忙しい。僕が戻って以来心配して毎日早く帰って来てくれていたから、仕事が山積みで。行方不明中も休みを取って探してくれていたそうだし。
安全性で言えば多分大丈夫だと思う。でなきゃタイニーがOKしてくれないだろう。出来る家令はとっても心強い。
タイニーに抱かれた僕は彼の黒いコートの内側に収まっているから、夜道では誰も三歳児に気付かない。
何軒か店内を確かめてみたけど空振り。今日はこの辺りには来ていないんだろうか。
そう思った時、ガラスが割れる音が暗闇に響いた。
「……ルスラン様、お顔を出さないように」
小さく告げて素早く裏道へ廻る。細い道に大きな影が四つ。足下には三つ転がっている。
「にーに」
「お静かに」
タイニーは僕というお荷物を背負っ……抱っこしているから、極力もめ事に加わらないよう気配を殺している。僕はそんな芸当無理だけど。
目を凝らすと兄さんは酔っ払い男二人に挟まれてボロボロだ。もう一つの影は女性みたい。
多分兄さんはまた自分を傷付けているんだ。
訓練場の時みたいに何度も殴られるけど反撃といえる行動は取らない。片方の酔っ払いが女性の腕を乱暴に引き寄せ連れて行こうとする。
それに気付いた兄さんが後ろから腕を回して首を締め上げる。女性は男の腕を振りほどいて逃げ出した。
首を絞められた男は崩れ落ちたが、兄さんの体もぐらついて片膝を付いてしまった。
「にーに!!」
僕が叫んだと同時に残りの酔っ払いが後ろに仰け反って倒れた。
タイニーが兄さんに駆け寄り両手で兄さんの腰を押さえる。
「動いてはいけません、ギルシュ様。どうか、ルスラン様の為にお願いいたします」
「にーに……」
「ルスラン……」
兄さんの腰にナイフが刺さっている。
壁に凭れながら兄さんが僕に手を伸ばしてきた。咄嗟にタイニーのコートから飛び出して手を握る。
「にーに、にーに!」
「俺は……お前を泣かせてばかりだな……」
僕が掴んだ兄さんの手を頬に当ててぽろぽろ泣いている間に、タイニーはマフラーを胴に巻き付けナイフが動いて出血が酷くならないよう固定した。
酔っ払い男の左胸に刺さっていた何かを引き抜きブーツに収める。
「さ、参りましょう。別の輩に絡まれてはたまりませんからね」
なんと小柄なタイニーが身長も高くて筋肉もがっつり付いている兄さんを担いで小走り。僕は必死に後をついて行こうとして、右腕で小脇に抱えられた。
大通りの手前に待たせていた辻馬車に乗り込み急いで邸に向かう。
当然そんな状態の兄さんを見て父さんは般若のような顔をしたけど、使用人を診療所に馬で迎えに行かせてファンネル先生を連れてこさせた。
先生は「老人を早馬に乗せるなんて!」とぷんぷん怒ってた。
重傷の兄さんにも「馬鹿みたいに動くんじゃないぞ!馬鹿じゃないならな!ったくどうしたら天下の騎士がナイフで脇腹なんて刺されるんだ、この馬鹿が!」と、兄さんが馬鹿かそうじゃないのかよく分からない事を言い残して帰って行った。
寝込みをたたき起こされて不機嫌だったのかも。
兄さんの部屋のドアを開けて覗き、静かに入り込む。
兄さんの部屋は全てがモノトーンで纏まっていて、家具もシンプルなデザインの物ばかり。寝室のドアを開けて顔を出すと兄さんが右腕を胸に乗せて寝ていた。
近づいて顔を覗き込む。
「お前はあんな場所に行ったら駄目だ」
やっぱり起きてたか。
「にーにもだめ」
僕の言葉にふっっと息で笑って目を開ける。でも天井を見つめたままでこっちを向いてくれない。
「お前が大事なんだ。大切にしたい、傷付けたくない、でも……無理なんだ」
「にーに、やさしいよ。むりじゃないよ、ぼくにーに、すきだもん」
「ルスラン……」
泣きそうに歪んだ兄さんの顔にたまらない気分になる
「にーにともっといっしょにいたい」
「ルスラン」
「おはなししたい、おでかけしたり、あそんだり」
「ルスラン!」
血を吐くような声に続けられなくなる。
「本当に自分でも制御出来ないんだ……理性が本能に負けるみたいに……お前にだけは……嫌われたくは無い」
兄さんの様子からこれはただ単に「性格」ってことで片付けられる事じゃないんじゃないかと思えてきた。
なんでなのかとか、どうすれば良いのかとか、分からないけれど、今僕が出来ることはある。
掛け布団を捲って兄さんの左側に潜り込む。刺されたのは右側だから、僕が蹴飛ばして傷が開くなんてことは無いだろう。
「ルスラン、おまっ、何やって……」
「ぐー……。ぼくねたからきこえない」
ぴったりくっついて、僕は離れませんと意思表示する。
口がまわらない分態度で示さないとね。
「……お前は……」
諦めた兄さんは左腕を僕の頭の下から回して抱き寄せてくれた。
頭のてっぺんにキスしてくれたお返しにお休みのキスを左ほっぺに返す。
二人で一緒に眠った。
故郷に戻ってから家から出たことは無く、できれば町を歩いて見て廻りたいけれど、今はそれより兄さんの方が大事だ。
思ったよりも馬車の振動が少ないのは高級車であることと、タイニーが僕の為に敷き詰めたクッションのおかげだろう。
軽快に進んでいた馬車が五十分程走って徐々に速度を落とし、ゆっくりと停車した。
御者が扉を開けてくれてタイニーが先に降り、僕の手を支えて下ろしてくれる。
ここが騎士団員の寮かぁ……。
高い塀と木に囲まれ、正面の門からも建物は見えない。
「ルスラン様、お疲れではありませんか?」
「だいじょーぶ」
ここは六つの部に分かれた騎士団の、六つの寮の内の一つ。ギルシュ兄さんが住んでいる所で、長男のラスカー兄さんは別の寮らしい。
すぐに門の横にある守衛所から年嵩の女性が出てきて門を開けてくれる。
「ノーヴァ様ですね。どうぞお入り下さい」
「有り難うございます」
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「ふふ、そうですね。さ、前を向いて歩いて下さい。私の手を離さないように」
「はーい。にーにどこかな……」
敷地内を屋根の付いた道が走っていて、そこを通れば雨に濡れずにそれぞれの建物に行き来できるようになっているみたい。
たしかタイニーは元軍人って言ってたはずだから、騎士の施設なんて知らないと思うんだけど、すたすた進んで行く。
「じぃじ、ここしってるの?」
「……まぁ……色々ありまして」
なんか聞いちゃいけない事だったんだろうか。沈黙すると怖い気がして目に付いたものを指さして聞いてみる。
「あれ、なーに?」
「あれは共同で使う施設がある建物でしょう。食堂、厨房、談話室、浴室などの共同棟ですね」
「じゃあ、あっちは?」
今度は奥にある二階建ての建物を指さす。
「あれが騎士達が寝泊まりしている部屋がある建物、宿舎棟ですよ。ギルシュ様のお部屋がある所です」
あそこが今の兄さんの家なのかぁ。結構小さいから騎士の数ってそう多くないんだな。
「あれと同じ建物があと三棟あるんですよ」
訂正。やっぱり町を守る騎士様はそれなりの人数が必要みたい。
その宿舎棟に行くんだと思っていたら、タイニーはその前を通り過ぎて行く。
「じぃじ、あっちちがうの?」
「ギルシュ様はこの時間、訓練中とのことです。あれが訓練場ですね」
屋根の無い木で組まれた円形の建造物…コロッセオ?
このまま真っ直ぐ進めば四角く開いた入り口から訓練場に入れるんだろう。僕たちは円の壁際沿いに付いている階段を上っていく。
登り切るとやはり形状は中世ヨーロッパのコロッセオに似た作りだ。階段状の客席から下の訓練場を見下ろせる。
「実戦を想定した訓練の危険性と能力判断の観察を考えて、このような形になっております」
今まさに剣と盾を装備した騎士二人が打ち合いをしている。
そうだよね、いくら騎士ばっかりでも日頃生活している中、剣だの槍だのが飛んできたりしたら危ないもんね。
一番下の段に座っている人が要所要所で声を掛けてる。アドバイスかな?多分上官だろう。
「よし、そこまで!次!」
全身から湯気を立てている騎士達が上官に一礼して下がっていく。
「ルスラン様、怖くはありませんか?もし無理でしたら……」
「だいじょーぶ。にーにもくるんでしょう?ぼく、みたい」
「実はギルシュ様には本日伺うことはお伝えしていないのです。どうやら外出が多いらしく…確実にいらっしゃる時といえば訓練くらいで」
伝えると逃げちゃうってことなんだな。
「ですから気分が悪くなったら無理なさらず、すぐに仰ってくださいね」
「うん」
距離が離れているからなのか、恐怖は感じない。
次に入ってきた二人の内一人は見覚えのある赤毛。
兄さんだ!
二人は武器を持っていない。
「始め!」
号令で二人はそれぞれ構えて間合いを取る。
牽制し合うように拳を打ち合うが、じれた相手がぐっと間合いを詰め左拳を打つ。兄さんは右でガードするが、ぐらりとふらついた。
「?!」
タイニーが反応した。何に?
すかさず次々と打ち込む相手に両腕でガードし、そのまま体を前へ押しだし相手の体を離しながら右拳を打ち込む。
「軽い」
思わず、という風にタイニーがつぶやいた。
実際相手はさほどダメージを受けていない。
打ち込まれた相手はカッときて猛烈に連打してくる。
三発目が兄さんの左頬に入って以降はボコボコに殴られる。
「にーに……」
なんかおかしくない?
「ギルシュ様…」
タイニーの表情も曇っている。
「じぃじ、にーにが……」
「……ギルシュ様は……わざと打たれているようですね」
そんな!なんで?
その後も一見打ち合っている様に見えても、兄さんの打ち込みは軽いし、相手の打撃にはわざとガードを外している。
いくら頑強な竜族と言っても相手も竜族なんだから、平気な訳は無い。
「にーに……やめて……」
どうしてこんなこと。兄さん、痛いでしょ?
「……これが初めてではないでしょう。顔や体の痣は昨日今日で出来たものでは無いですね」
言われてよく見ると、兄さんの全身に赤黒い痣が散らばっている。
連打でふらついた所にこめかみに一発。
「にーに!!」
思わず立ち上がって叫ぶ。
あんなに打たれてふらついていたのに、声に反応して僕を見る目は強かった。
「にーに!」
「どうして……ルスラン」
地面に手をついたまま、ぎりりと土を握りしめる。
上官が右手を挙げる。
「止め!ノーヴァ、後で部屋へ来い。話を聞く」
やはり上官の目にも兄さんの態度は分かったらしく、声が厳しい。
けど兄さんは無言で無視して走って訓練場を出て行ってしまう。
「じぃじ!」
「失礼いたします」
タイニーは僕の意図を瞬時に理解し、抱き上げ階段を駆け下りた。
僕を抱いて走っているとは思えないスピートで兄さんを追いかける。
「ギルシュ様!」
「にーに!」
呼びかけに足を止めた兄さんはゆっくり振り返る。
「……タイニー……何故ルスランをこんな所へ!」
「にーに!ぼくがおねがいしたの!」
「ルスラン」
僕をみる兄さんの顔はとても辛そうだ。兄さんがそんな顔する必要は無いって言いたい。話がしたい。
「にーに、ぼくと」
「俺に近づくな!」
兄さんの所へ行こうとした体がビクっと固まる。
「俺はお前を傷付ける…その気はなくても……俺の意思を無視して……」
「にーにはわるくないってしってる。ぼくわかってるよ!」
「違う!俺は駄目なんだよ!お前に……お前の側には……」
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「むぅ」
「ルスラン様、今日のお昼はサンドウィッチですよ。大好きな卵たっぷりの」
「むぅ」
「オレンジジュースもお飲み下さいね。果物にも栄養がありますから」
「むぅ!」
わざとスルーしているタイニーに抗議の声を上げる。
帰ってきてから暖かいサンルームで腕を組み、唸りながら考えている僕をさらっと無視して昼食の用意をしているタイニーは、自分からは話を振りたくないんだろう。
「お野菜も良いですがお肉も食べるよう頑張って下さい。こちらは牛肉ではなく豚のハムにしましたから」
「にーに、にげたよね」
「………」
やっぱりその件か、って顔は予想通り。出来れば言わないで欲しかったって思ってるでしょ。
「ぼくをもうきらいなのかな」
「それは違います!」
うぉう!凄い勢いで返してきた。
「天地がひっくり返っても、それだけは無いと言い切れます。ありえません」
タイニーってこんな熱い人だったかな?ちょっと引く。
「じゃあ、なんでかな」
しまった、って顔も見逃さないよ。
「……お兄様は成人、大人ですから何か問題があっても自分で解決するよう努力するものです……」
「にーに、くるしそうだった」
「………」
「ぼく、にーにがすき」
「………」
「にーにとはなしたい」
「はぁ……」
タイニーが両手で顔を覆った時点で僕の勝ちだよね。
たっぷりお昼寝をして備えた僕は防寒対策もばっちりで夜の町へと繰り出した。
遊びじゃ無くて。
貴族の馬車で下町では目立つから辻馬車を呼びタイニーと酒場へ向かう。
やっぱりタイニーは兄さんの最近の動向を調べて把握していたらしい。
今日は父さんの帰りも遅いから丁度いい。居たら絶対邸を出してもらえなかっただろうし。
最近父さんは忙しい。僕が戻って以来心配して毎日早く帰って来てくれていたから、仕事が山積みで。行方不明中も休みを取って探してくれていたそうだし。
安全性で言えば多分大丈夫だと思う。でなきゃタイニーがOKしてくれないだろう。出来る家令はとっても心強い。
タイニーに抱かれた僕は彼の黒いコートの内側に収まっているから、夜道では誰も三歳児に気付かない。
何軒か店内を確かめてみたけど空振り。今日はこの辺りには来ていないんだろうか。
そう思った時、ガラスが割れる音が暗闇に響いた。
「……ルスラン様、お顔を出さないように」
小さく告げて素早く裏道へ廻る。細い道に大きな影が四つ。足下には三つ転がっている。
「にーに」
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目を凝らすと兄さんは酔っ払い男二人に挟まれてボロボロだ。もう一つの影は女性みたい。
多分兄さんはまた自分を傷付けているんだ。
訓練場の時みたいに何度も殴られるけど反撃といえる行動は取らない。片方の酔っ払いが女性の腕を乱暴に引き寄せ連れて行こうとする。
それに気付いた兄さんが後ろから腕を回して首を締め上げる。女性は男の腕を振りほどいて逃げ出した。
首を絞められた男は崩れ落ちたが、兄さんの体もぐらついて片膝を付いてしまった。
「にーに!!」
僕が叫んだと同時に残りの酔っ払いが後ろに仰け反って倒れた。
タイニーが兄さんに駆け寄り両手で兄さんの腰を押さえる。
「動いてはいけません、ギルシュ様。どうか、ルスラン様の為にお願いいたします」
「にーに……」
「ルスラン……」
兄さんの腰にナイフが刺さっている。
壁に凭れながら兄さんが僕に手を伸ばしてきた。咄嗟にタイニーのコートから飛び出して手を握る。
「にーに、にーに!」
「俺は……お前を泣かせてばかりだな……」
僕が掴んだ兄さんの手を頬に当ててぽろぽろ泣いている間に、タイニーはマフラーを胴に巻き付けナイフが動いて出血が酷くならないよう固定した。
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なんと小柄なタイニーが身長も高くて筋肉もがっつり付いている兄さんを担いで小走り。僕は必死に後をついて行こうとして、右腕で小脇に抱えられた。
大通りの手前に待たせていた辻馬車に乗り込み急いで邸に向かう。
当然そんな状態の兄さんを見て父さんは般若のような顔をしたけど、使用人を診療所に馬で迎えに行かせてファンネル先生を連れてこさせた。
先生は「老人を早馬に乗せるなんて!」とぷんぷん怒ってた。
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寝込みをたたき起こされて不機嫌だったのかも。
兄さんの部屋のドアを開けて覗き、静かに入り込む。
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近づいて顔を覗き込む。
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やっぱり起きてたか。
「にーにもだめ」
僕の言葉にふっっと息で笑って目を開ける。でも天井を見つめたままでこっちを向いてくれない。
「お前が大事なんだ。大切にしたい、傷付けたくない、でも……無理なんだ」
「にーに、やさしいよ。むりじゃないよ、ぼくにーに、すきだもん」
「ルスラン……」
泣きそうに歪んだ兄さんの顔にたまらない気分になる
「にーにともっといっしょにいたい」
「ルスラン」
「おはなししたい、おでかけしたり、あそんだり」
「ルスラン!」
血を吐くような声に続けられなくなる。
「本当に自分でも制御出来ないんだ……理性が本能に負けるみたいに……お前にだけは……嫌われたくは無い」
兄さんの様子からこれはただ単に「性格」ってことで片付けられる事じゃないんじゃないかと思えてきた。
なんでなのかとか、どうすれば良いのかとか、分からないけれど、今僕が出来ることはある。
掛け布団を捲って兄さんの左側に潜り込む。刺されたのは右側だから、僕が蹴飛ばして傷が開くなんてことは無いだろう。
「ルスラン、おまっ、何やって……」
「ぐー……。ぼくねたからきこえない」
ぴったりくっついて、僕は離れませんと意思表示する。
口がまわらない分態度で示さないとね。
「……お前は……」
諦めた兄さんは左腕を僕の頭の下から回して抱き寄せてくれた。
頭のてっぺんにキスしてくれたお返しにお休みのキスを左ほっぺに返す。
二人で一緒に眠った。
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若干の胸くそが出てきます。
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主人公の兄になったなんて知らない
さつき
BL
レインは知らない弟があるゲームの主人公だったという事を
レインは知らないゲームでは自分が登場しなかった事を
レインは知らない自分が神に愛されている事を
表紙イラストは マサキさんの「キミの世界メーカー」で作成してお借りしています⬇ https://picrew.me/image_maker/54346
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