115 / 130
その百十五
しおりを挟む
※※※
「さて、と。洗濯物も終わったし、掃除もしといたから少しゆっくり出来るわね」
ふうー、と大きく息を吐きながら、私、川端由美子はお父さんの部下が旅行のお土産に買ってきたというおせんべいに手を伸ばし、一人のんびりリビングでくつろぎながら、テレビから流れる情報番組を観始める。
「あら? この話って……」
聞き覚えのある名前。私はおせんべいにかじりつくのを一旦止め、じっとテレビに集中する。
『えー、それでは、新宿区内の書店にて販売されている、今話題の写真集について店長に伺いたいと思います』『宜しくお願い致します』
『で、どうですか? 昨今写真集というのは中々売れないと聞いていますが』
『そうですねえ。ただ今回の写真集は、新人なのに映画の主演をする、という点と、学校内での自然な装いと言いますか、飾らない普段の様子まで接写されている、とても珍しい写真集という点が、事前に話題になっていた事もあって、思ったより売れ行きは順調ですね』
『ところでどこに陳列……っと、入口正面、入ってすぐにありました。……これですね。(柊美久。飾らない素顔)。発売当初から売れ行きが絶好調、というこの写真集。さすが目立つところにおいてありますねー……』
「はー。柊さん凄いわねえ」
やっぱり柊さんの話だったわ。私はただただ感心しながらテレビを観てしまう。
しかしまあ、今テレビでこうやって特集されてるこの子が、つい先日家に来て泊まっていったのよねぇ。CM観た時もびっくりしたけど、写真集まで出すなんて。しかもそろそろ映画の撮影が始まるらしいのよね? それがまたなんと主役だなんて。まあ確かに、現実離れした美貌だったけれど、まさか芸能人になるなんて思わないじゃない。
ああそうか。私、有名人のお知り合いって事になるのよねぇ。柊さんに確認してご近所さんに自慢していいかどうか、聞いてみなくっちゃいけないかも。
あ。そう言えば確か、悠斗が柊さんの事彼女だって言ってたわよね。大丈夫なのかしら? それってスキャンダルなんじゃないの?
……え? あんた誰って? ああ、そうね。川端じゃ分からないわよね。武智由美子。そう。悠斗の母親。川端は私の旧姓。
今日もいつものようにこうやって、用事済ませてお昼の報道番組観てる最中。これが私の日常。姉の佐和は既に東京に戻ってるし、お父さんは仕事だからこの時間は一人なのよね。私もパートに出てる日もあるけど、それは趣味みたいなものでお金稼ぎが目的じゃないから、半分専業主婦みたいなものなのよね。お父さんの収入だけでやっていけるから。
でもそのうち、悠斗もこの家出ていくのよね……。明日から十一月だから、あの子が大学受かって一人暮らし始めるたとしたら、後五ヶ月くらいかしら? そうなったら寂しくなるわねえ。お父さんと二人きりになっちゃうから。あの子のお弁当の用意とか洗濯とかしなくて済むのは助かるけど。もう空手はやってないから道着洗う必要もないんだけれど。
手が空く事を実感したら、その時こそ寂しさを感じるのかもね。
「さて。そろそろ夕飯のための買い出しに行こうかしら」
感傷に浸ってても仕方ない。私は買い出しに出かけるため、テレビを消して出かける支度をし家の外に出る。家の近くの街路樹から落ちてくる枯れ葉が、最近家の前を散らかすようになってきた。もう秋も深まってきたわねえ。風も冷たいし。
少し身震いしながら、自転車を家の外に出そうと玄関から出たところで、私はふと、家の角から人影が伸びているのに気づいた。……誰かしら? もしかして不審者? 強盗とかだったらどうしよう?
警戒しながらそーっと覗くと、そこには、茶髪で黒縁メガネのとても可愛らしい女の子が、何だか困った様子で立っていた。
「えーと、……どちら様? うちに何か用かしら?」「あ、えと、お久しぶりです」
その可愛い子は私に気づくと、ハッとして気まずそうに頭を下げた。 お久しぶり? ……私こんな可愛い子、会った事あるかしら?
※※※
十一月の最初の土曜、私が通っていた学校で文化祭が行われる。
そこで私は映画のPRをする予定。その準備とかがあるから早めに私や恩田さん、そして映画関係者の面々と共に、ここK市に久々に戻ってきた、ここは私が産まれ育ち過ごした場所。上杉さんが運転する車の窓から見えるこの駅の周りは沢山思い出がある。特に、武智君と待ち合わせした思い出とか。そう言えば明歩とだって、あそこで待ち合わせして、武智君や三浦君が出場した空手の大会見に行ったんだよね。ああ、懐かしいな。あの時は本当、楽しかった。
他にも、車の中から街の様子を眺めながらあれこれ懐かしむ私。隣に座る恩田さんは相変わらず手帳とにらめっこしてるけど。街路樹は既に赤や黄色に彩られ、時折、木枯らしが枯れ葉を舞い上げる様を見ると、季節は秋から冬に向かう頃なんだなあ、と感傷に浸ってしまう。
……そう言えば武智君、私と沢山思い出を作りたいって言ってたなあ。こんな風の強い晩秋の日、武智君と二人、寒さに震えながら手を繋ぎ、どこかデート出来たらどんなに幸せだろう。そして少ししたら十二月になって、クリスマスがやってくる。本当は、恋人同士となった武智君と、その日は二人で過ごしたい。
だって高校生活最後のクリスマスだから。だけど、それはきっと叶わない夢。だから、武智君には心底申し訳ないって思ってる。
主演が決まり稽古は厳しさを増してきていて、私もついていくのが精一杯の日々。しかも写真集まで発売され、イベントで書店周りしていて以前より一層忙しい毎日を過ごしてる。いつも消耗しきって疲れてしまって、帰って直ぐ泥のように眠ってる。だからここ最近はずっと、武智君に電話できていない。
だから今日、私がK市に戻ってくる事を伝えられてない。文化祭に出る事はずっと前に言ってたけど、今日戻ってきてる事、武智君は知らないはず。だからせめて、こっちでほんの少し時間を見つけて、公衆電話探して連絡したいとは思ってるんだけど。
「そういえば美久。一旦家に戻るのよね?」「あ、はい。さすがにそろそろ冬支度が必要ですから。親に指示して送って貰うより、自分で見て持って帰りたい物もありますし」
私の返答に恩田さんが、それはそうね、と頷く。
そう。私はここK市に戻ってきたタイミングで、家に帰って自分の冬服等を取りに帰りたい、と申し出ていた。それについては恩田さんも了承済だけど、恩田さんは映画関係者との打ち合わせで忙しいので、代わりに上杉さん家までが同行する事になってる。
未だ私のスマホは取られたままだから、恩田さんは上杉さんに私の家の連絡先と住所を事前に伝えてる。そして既に上杉さんは、私の両親に連絡済だと言ってた。だから私と上杉さんが一緒に家に行っても両親は驚かないだろう。
少ししてから、上杉さんが運転する車は、K市内にあるホテルの入口前に一旦停まった。そこで恩田さんが降りる。
「じゃあ上杉。後は宜しくね」「かしこまりました」
軽く会釈して恩田さんはホテルの中に入っていく。
そうだ! ホテルには必ず公衆電話が設置されてるはずだ。それに気づいた私も慌てて降りようとしたけど、上杉さんは直ぐに車を出してしまいそれは叶わなかった。
「じゃあ美久。このまま美久の家まで送るね」「え?」
「どうしたの? 家に行くんでしょ?」「あ、は、はい。そうですね。……お願いします」
私の返事に不思議そうな顔をしながらも、上杉さんはそのまま車をホテルから表の車道に出した。あーしまったあ! 直接家に行ってしまえば公衆電話が探せないじゃない。ホテルの中にならきっとあるはずなのに。トイレとか何か理由を作って、恩田さんと降りれば良かったのに。家の固定電話を使おうにも、きっと両親に悟られるだろうし。
でも、よくよく考えたら今はまだお昼二時半。だから武智君は今授業中だ。今電話したところで武智君は出られないよね。だけど、私から電話があった事は分かるはずだから、もし出なくても電話出来てたら気づいてくれてたかも知れない。
失敗したなあ。はあ、と上杉さんに悟られないよう、小さくため息をついてしまう。
後悔しながら再び車窓を眺め始めると……、あ、バイトしてた喫茶店の前を通り過ぎた。それから武智君と二人で疋田美里に変装して一緒に帰ったあの道を車がなぞっていく。
武智君との沢山の思い出が再び溢れ出してきた。
ああ、武智君、会いたいよ。もうずっと声も聞いてないから尚更会いたくなってきちゃった。忙しさのせいでずっと思い出さないようにしていた武智君への想い。勿論ずっと忘れる事はない。スマホが手元にないから、武智君と一緒に撮った写真さえ無かったけど、それでも、思い出はずっと心の中に、強く残ってる。
ふと、遠くを見てみると、廃寺の高台が微かに見える。あの場所は今でもとても印象に残ってる。だってあそこは、私にとってとても大事な夏の思い出があるから。疋田美里が私だったとバレたあの日。武智君に告白され心臓が激しく鼓動した事は、ずっと忘れるわけがない。
「……」
もう抑えきれられない。……決めた。私逃げよう。武智君に会うために。
そう決心したところで家に着いた。近くの道横に車を停めた上杉さんが、着いたよ、と声をかける。私は、はい、と一言返事してから車を降りた。
でもずっと、鼓動が激しくなり手汗をかいてる。今から上杉さんや両親の目を盗み逃げ出そうと目論んでるから。……変装セットは、よし、私が今が抱えてるトートバッグの中に入ってる。因みに私がスマホを持ってないという事と、以前みたいに休みがなく一人で出歩く事がないのもあって、ウイッグにGPSが着いてないのは事前に知ってる。
先に上杉さんが私の家のチャイムを鳴らすとお母さんが出てきた。私も上杉さんの後ろからお母さんにただいま、と声をかけると、お母さんはお帰りと返事し、上杉さんのご迷惑になるから、さっさと荷物纏めてらっしゃい、と言いながら、私と上杉さんを家の中に誘う。家に入り私が二階の部屋に向かおうとすると、上杉さんは下のリビングに母親と共に向かった。どうやら私が上の部屋で荷物を纏めている間、上杉さんはリビングにいるみたい。お父さんこの時間、仕事でいない。
これはチャンスだ。私は緊張したからか、つばを飲み込む。そして早速二階の自分の部屋に入る。まずはとりあえず、本当に必要な冬物の上着や寝間着、他に下着等を別の大きなバッグに積める。それから下に降りてリビングの上杉さんに声をかけた。
「上杉さん。荷物多いんで車のトランクに入れたいんですけど」「ああ、了解。これキーね。開け方分かるよね?」
はい、と私は返事し、一人上杉さんが停めてる車の元に行き、トランクを開け荷物をしまった。それからそーっと音を立てないよう玄関を開け、車のキーを玄関に置き、そしてまたゆっくり音を忍ばせ玄関のドアを閉めた。
そして早速茶髪ボブのウイッグと黒縁メガネを装着し、私はわき目も降らず一目散に走り出した。
走りながらどこへ向かうか考える……でも、何処に向かえばいいだろう? 今は昼過ぎで武智君どころか明歩もきっと学校だろうし。この時間、私の身を隠せるような信用できる人のところって……。
そうだ。喫茶店のマスターなら。……でも、仕事の邪魔になるかも知れない。
そこでハッと、とある場所を思い出した私。でも、お邪魔にならないかな? そこなら行った事あるから覚えてるし。
「……もし不在だったり、不可能だったら、その時こそマスターのところに行こう」そう不安を感じつつも、とりあえず私はその思い付いた場所、武智君の家に向かった。
「さて、と。洗濯物も終わったし、掃除もしといたから少しゆっくり出来るわね」
ふうー、と大きく息を吐きながら、私、川端由美子はお父さんの部下が旅行のお土産に買ってきたというおせんべいに手を伸ばし、一人のんびりリビングでくつろぎながら、テレビから流れる情報番組を観始める。
「あら? この話って……」
聞き覚えのある名前。私はおせんべいにかじりつくのを一旦止め、じっとテレビに集中する。
『えー、それでは、新宿区内の書店にて販売されている、今話題の写真集について店長に伺いたいと思います』『宜しくお願い致します』
『で、どうですか? 昨今写真集というのは中々売れないと聞いていますが』
『そうですねえ。ただ今回の写真集は、新人なのに映画の主演をする、という点と、学校内での自然な装いと言いますか、飾らない普段の様子まで接写されている、とても珍しい写真集という点が、事前に話題になっていた事もあって、思ったより売れ行きは順調ですね』
『ところでどこに陳列……っと、入口正面、入ってすぐにありました。……これですね。(柊美久。飾らない素顔)。発売当初から売れ行きが絶好調、というこの写真集。さすが目立つところにおいてありますねー……』
「はー。柊さん凄いわねえ」
やっぱり柊さんの話だったわ。私はただただ感心しながらテレビを観てしまう。
しかしまあ、今テレビでこうやって特集されてるこの子が、つい先日家に来て泊まっていったのよねぇ。CM観た時もびっくりしたけど、写真集まで出すなんて。しかもそろそろ映画の撮影が始まるらしいのよね? それがまたなんと主役だなんて。まあ確かに、現実離れした美貌だったけれど、まさか芸能人になるなんて思わないじゃない。
ああそうか。私、有名人のお知り合いって事になるのよねぇ。柊さんに確認してご近所さんに自慢していいかどうか、聞いてみなくっちゃいけないかも。
あ。そう言えば確か、悠斗が柊さんの事彼女だって言ってたわよね。大丈夫なのかしら? それってスキャンダルなんじゃないの?
……え? あんた誰って? ああ、そうね。川端じゃ分からないわよね。武智由美子。そう。悠斗の母親。川端は私の旧姓。
今日もいつものようにこうやって、用事済ませてお昼の報道番組観てる最中。これが私の日常。姉の佐和は既に東京に戻ってるし、お父さんは仕事だからこの時間は一人なのよね。私もパートに出てる日もあるけど、それは趣味みたいなものでお金稼ぎが目的じゃないから、半分専業主婦みたいなものなのよね。お父さんの収入だけでやっていけるから。
でもそのうち、悠斗もこの家出ていくのよね……。明日から十一月だから、あの子が大学受かって一人暮らし始めるたとしたら、後五ヶ月くらいかしら? そうなったら寂しくなるわねえ。お父さんと二人きりになっちゃうから。あの子のお弁当の用意とか洗濯とかしなくて済むのは助かるけど。もう空手はやってないから道着洗う必要もないんだけれど。
手が空く事を実感したら、その時こそ寂しさを感じるのかもね。
「さて。そろそろ夕飯のための買い出しに行こうかしら」
感傷に浸ってても仕方ない。私は買い出しに出かけるため、テレビを消して出かける支度をし家の外に出る。家の近くの街路樹から落ちてくる枯れ葉が、最近家の前を散らかすようになってきた。もう秋も深まってきたわねえ。風も冷たいし。
少し身震いしながら、自転車を家の外に出そうと玄関から出たところで、私はふと、家の角から人影が伸びているのに気づいた。……誰かしら? もしかして不審者? 強盗とかだったらどうしよう?
警戒しながらそーっと覗くと、そこには、茶髪で黒縁メガネのとても可愛らしい女の子が、何だか困った様子で立っていた。
「えーと、……どちら様? うちに何か用かしら?」「あ、えと、お久しぶりです」
その可愛い子は私に気づくと、ハッとして気まずそうに頭を下げた。 お久しぶり? ……私こんな可愛い子、会った事あるかしら?
※※※
十一月の最初の土曜、私が通っていた学校で文化祭が行われる。
そこで私は映画のPRをする予定。その準備とかがあるから早めに私や恩田さん、そして映画関係者の面々と共に、ここK市に久々に戻ってきた、ここは私が産まれ育ち過ごした場所。上杉さんが運転する車の窓から見えるこの駅の周りは沢山思い出がある。特に、武智君と待ち合わせした思い出とか。そう言えば明歩とだって、あそこで待ち合わせして、武智君や三浦君が出場した空手の大会見に行ったんだよね。ああ、懐かしいな。あの時は本当、楽しかった。
他にも、車の中から街の様子を眺めながらあれこれ懐かしむ私。隣に座る恩田さんは相変わらず手帳とにらめっこしてるけど。街路樹は既に赤や黄色に彩られ、時折、木枯らしが枯れ葉を舞い上げる様を見ると、季節は秋から冬に向かう頃なんだなあ、と感傷に浸ってしまう。
……そう言えば武智君、私と沢山思い出を作りたいって言ってたなあ。こんな風の強い晩秋の日、武智君と二人、寒さに震えながら手を繋ぎ、どこかデート出来たらどんなに幸せだろう。そして少ししたら十二月になって、クリスマスがやってくる。本当は、恋人同士となった武智君と、その日は二人で過ごしたい。
だって高校生活最後のクリスマスだから。だけど、それはきっと叶わない夢。だから、武智君には心底申し訳ないって思ってる。
主演が決まり稽古は厳しさを増してきていて、私もついていくのが精一杯の日々。しかも写真集まで発売され、イベントで書店周りしていて以前より一層忙しい毎日を過ごしてる。いつも消耗しきって疲れてしまって、帰って直ぐ泥のように眠ってる。だからここ最近はずっと、武智君に電話できていない。
だから今日、私がK市に戻ってくる事を伝えられてない。文化祭に出る事はずっと前に言ってたけど、今日戻ってきてる事、武智君は知らないはず。だからせめて、こっちでほんの少し時間を見つけて、公衆電話探して連絡したいとは思ってるんだけど。
「そういえば美久。一旦家に戻るのよね?」「あ、はい。さすがにそろそろ冬支度が必要ですから。親に指示して送って貰うより、自分で見て持って帰りたい物もありますし」
私の返答に恩田さんが、それはそうね、と頷く。
そう。私はここK市に戻ってきたタイミングで、家に帰って自分の冬服等を取りに帰りたい、と申し出ていた。それについては恩田さんも了承済だけど、恩田さんは映画関係者との打ち合わせで忙しいので、代わりに上杉さん家までが同行する事になってる。
未だ私のスマホは取られたままだから、恩田さんは上杉さんに私の家の連絡先と住所を事前に伝えてる。そして既に上杉さんは、私の両親に連絡済だと言ってた。だから私と上杉さんが一緒に家に行っても両親は驚かないだろう。
少ししてから、上杉さんが運転する車は、K市内にあるホテルの入口前に一旦停まった。そこで恩田さんが降りる。
「じゃあ上杉。後は宜しくね」「かしこまりました」
軽く会釈して恩田さんはホテルの中に入っていく。
そうだ! ホテルには必ず公衆電話が設置されてるはずだ。それに気づいた私も慌てて降りようとしたけど、上杉さんは直ぐに車を出してしまいそれは叶わなかった。
「じゃあ美久。このまま美久の家まで送るね」「え?」
「どうしたの? 家に行くんでしょ?」「あ、は、はい。そうですね。……お願いします」
私の返事に不思議そうな顔をしながらも、上杉さんはそのまま車をホテルから表の車道に出した。あーしまったあ! 直接家に行ってしまえば公衆電話が探せないじゃない。ホテルの中にならきっとあるはずなのに。トイレとか何か理由を作って、恩田さんと降りれば良かったのに。家の固定電話を使おうにも、きっと両親に悟られるだろうし。
でも、よくよく考えたら今はまだお昼二時半。だから武智君は今授業中だ。今電話したところで武智君は出られないよね。だけど、私から電話があった事は分かるはずだから、もし出なくても電話出来てたら気づいてくれてたかも知れない。
失敗したなあ。はあ、と上杉さんに悟られないよう、小さくため息をついてしまう。
後悔しながら再び車窓を眺め始めると……、あ、バイトしてた喫茶店の前を通り過ぎた。それから武智君と二人で疋田美里に変装して一緒に帰ったあの道を車がなぞっていく。
武智君との沢山の思い出が再び溢れ出してきた。
ああ、武智君、会いたいよ。もうずっと声も聞いてないから尚更会いたくなってきちゃった。忙しさのせいでずっと思い出さないようにしていた武智君への想い。勿論ずっと忘れる事はない。スマホが手元にないから、武智君と一緒に撮った写真さえ無かったけど、それでも、思い出はずっと心の中に、強く残ってる。
ふと、遠くを見てみると、廃寺の高台が微かに見える。あの場所は今でもとても印象に残ってる。だってあそこは、私にとってとても大事な夏の思い出があるから。疋田美里が私だったとバレたあの日。武智君に告白され心臓が激しく鼓動した事は、ずっと忘れるわけがない。
「……」
もう抑えきれられない。……決めた。私逃げよう。武智君に会うために。
そう決心したところで家に着いた。近くの道横に車を停めた上杉さんが、着いたよ、と声をかける。私は、はい、と一言返事してから車を降りた。
でもずっと、鼓動が激しくなり手汗をかいてる。今から上杉さんや両親の目を盗み逃げ出そうと目論んでるから。……変装セットは、よし、私が今が抱えてるトートバッグの中に入ってる。因みに私がスマホを持ってないという事と、以前みたいに休みがなく一人で出歩く事がないのもあって、ウイッグにGPSが着いてないのは事前に知ってる。
先に上杉さんが私の家のチャイムを鳴らすとお母さんが出てきた。私も上杉さんの後ろからお母さんにただいま、と声をかけると、お母さんはお帰りと返事し、上杉さんのご迷惑になるから、さっさと荷物纏めてらっしゃい、と言いながら、私と上杉さんを家の中に誘う。家に入り私が二階の部屋に向かおうとすると、上杉さんは下のリビングに母親と共に向かった。どうやら私が上の部屋で荷物を纏めている間、上杉さんはリビングにいるみたい。お父さんこの時間、仕事でいない。
これはチャンスだ。私は緊張したからか、つばを飲み込む。そして早速二階の自分の部屋に入る。まずはとりあえず、本当に必要な冬物の上着や寝間着、他に下着等を別の大きなバッグに積める。それから下に降りてリビングの上杉さんに声をかけた。
「上杉さん。荷物多いんで車のトランクに入れたいんですけど」「ああ、了解。これキーね。開け方分かるよね?」
はい、と私は返事し、一人上杉さんが停めてる車の元に行き、トランクを開け荷物をしまった。それからそーっと音を立てないよう玄関を開け、車のキーを玄関に置き、そしてまたゆっくり音を忍ばせ玄関のドアを閉めた。
そして早速茶髪ボブのウイッグと黒縁メガネを装着し、私はわき目も降らず一目散に走り出した。
走りながらどこへ向かうか考える……でも、何処に向かえばいいだろう? 今は昼過ぎで武智君どころか明歩もきっと学校だろうし。この時間、私の身を隠せるような信用できる人のところって……。
そうだ。喫茶店のマスターなら。……でも、仕事の邪魔になるかも知れない。
そこでハッと、とある場所を思い出した私。でも、お邪魔にならないかな? そこなら行った事あるから覚えてるし。
「……もし不在だったり、不可能だったら、その時こそマスターのところに行こう」そう不安を感じつつも、とりあえず私はその思い付いた場所、武智君の家に向かった。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話
水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。
そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。
凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。
「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」
「気にしない気にしない」
「いや、気にするに決まってるだろ」
ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様)
表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。
小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について
塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。
好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。
それはもうモテなかった。
何をどうやってもモテなかった。
呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。
そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて――
モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!?
最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。
これはラブコメじゃない!――と
<追記>
本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
約束へと続くストローク
葛城騰成
青春
競泳のオリンピック選手を目指している双子の幼馴染に誘われてスイミングスクールに通うようになった少女、金井紗希(かないさき)は、小学五年生になったある日、二人が転校してしまうことを知る。紗希は転校当日に双子の兄である橘柊一(たちばなしゅういち)に告白して両想いになった。
凄い選手になって紗希を迎えに来ることを誓った柊一と、柊一より先に凄い選手になって柊一を迎えに行くことを誓った紗希。その約束を胸に、二人は文通をして励まし合いながら、日々を過ごしていく。
時が経ち、水泳の名門校である立清学園(りっせいがくえん)に入学して高校生になった紗希は、女子100m自由形でインターハイで優勝することを決意する。
長年勝つことができないライバル、湾内璃子(わんないりこ)や、平泳ぎを得意とする中條彩乃(なかじょうあやの)、柊一と同じ学校に通う兄を持つ三島夕(みしまゆう)など、多くの仲間たちと関わる中で、紗希は選手としても人間としても成長していく。
絶好調かに思えたある日、紗希の下に「紗希と話がしたい」と書かれた柊一からの手紙が届く。柊一はかつて交わした約束を忘れてしまったのか? 数年ぶりの再会を果たした時、運命の歯車が大きく動き出す。
※表示画像は、SKIMAを通じて知様に描いていただきました。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
冴えない俺と美少女な彼女たちとの関係、複雑につき――― ~助けた小学生の姉たちはどうやらシスコンで、いつの間にかハーレム形成してました~
メディカルト
恋愛
「え……あの小学生のお姉さん……たち?」
俺、九十九恋は特筆して何か言えることもない普通の男子高校生だ。
学校からの帰り道、俺はスーパーの近くで泣く小学生の女の子を見つける。
その女の子は転んでしまったのか、怪我していた様子だったのですぐに応急処置を施したが、実は学校で有名な初風姉妹の末っ子とは知らずに―――。
少女への親切心がきっかけで始まる、コメディ系ハーレムストーリー。
……どうやら彼は鈍感なようです。
――――――――――――――――――――――――――――――
【作者より】
九十九恋の『恋』が、恋愛の『恋』と間違える可能性があるので、彼のことを指すときは『レン』と表記しています。
また、R15は保険です。
毎朝20時投稿!
【3月14日 更新再開 詳細は近況ボードで】
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる