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第一章 魔法使いが助けた子供
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魔法使いが帰ってきた。いつもより厳しい顔つきで。
「お、お帰りなさい……」
怯える声には応えず、どかりと椅子に腰を下ろす。そして、子供の顔を無言で眺める。
(何か、なにかしちゃったっけ?!)
聞こうにも、鋭く細められた視線に身体が竦む。子供はなんとか、及び腰で近付いていく。
「あ、あのぉ「お前」はい!」
背筋を伸ばした子供へ、どこか冷たい声が落とされた。
「まだ何も、思い出さないのか」
「えっ」
「思い出さないなりに、何か感じるものは?」
その言葉、声、瞳の先。自分を見てはいるが、その後ろに問いかけるような。
そう思えた途端、
(何か、分かったんだ)
子供の目の前が暗くなる。
(この人を、怒らせるような。ボクに関係あるのは、この人を不快にさせる事なんだ)
「……」
俯いた子供へ向けられる、魔法使いの眼差し。帯びた憂いは、子供には見えていない。
「……まあ、思い出せないならそれでもいい」
むしろそちらの方が良いとも思える。それは言わずに、立ち上がる。
「帰って早々、悪かったね」
ぐるりと見回し、今更に細部の確認をする。頭から飛んでいたのだ、血が上りすぎて。
「そうだ、君に一つ提案……あ?」
足音。遠くなる気配。振り向くともう、小さな姿は消えていた。
「…………は」
半分開いた扉から、事態は容易に想像出来た。
「あの馬鹿?!」
◇◇◇
「はぁっはぁっ……ぅぐっ、はぁっ……」
飛び出してしまった。あの家から、あの人の前から。
「うぐぇっ……ふぅっ、うぅ……」
泣きながら歩く。先ほどまでは走っていたけれど、木の根に躓いて足を捻ってしまった。足の痛みと湧き上がる寂しさとに、余計涙が出る。
(なにしてんだろ。……何がしたいんだろ)
あの暖かい場所から逃げ出して。もう帰れない。帰ったらまた不快にさせる。
(やだ……そんなの……これ以上……)
あの、美しく、優しい魔法使い。何だかんだ言いながら、家においてくれたひと。気に掛けてくれたひと。
その目に嫌悪の色が映り、静かに自分を見据えていた。
(嫌われたくない……)
だからといって今、自分は何を目指しているのか。闇雲に、ただ、逃げているだけ。
「……はぁっ……はぁっ…………ま、ほぅ……」
結局教えてもらえなかったな。言葉が、木々のざわめきにかき消される。
「は……つか、れた……」
呟き、引きずっていた足を止めてしまう。なんだかどうでもよくなって、そのままごろりと、仰向けに寝転がった。拍子に足首が痛む。恐らく腫れているだろうと、どこか他人事のように考える。
〈──おや? お前は誰だ?〉
「……え?」
耳元で突然響いた声に、子供は目を丸くした。
〈へえ、綺麗な瞳ね〉
〈全くだ。夜明けの空か、はたまた海か〉
「え? え??」
起き上がり、声の主を探す。しかし姿は捉えられず、楽しげなそれは増えるばかり。
〈……たまげた。こいつはもしかして〉
〈え? ……本当だ!〉
〈真の管理者!〉
〈真の者が見つかった!〉
声は幾重にも重なり、共鳴し、子供の頭をわんわんと揺らす。
(なに? 何の話? まことのかんりしゃ?)
この声は何の声だ。一体何について喋っているんだ。
〈今日は最高の日だ!〉
〈難が去れば運が来る!〉
〈皆にも早くこのことを……そうだ、仮の管理者〉
声が、低まった。
〈仮の者。あれはもう要らない〉
〈そうだ、要らない。糧に〉
〈主の糧に〉
何か、恐ろしいものが感じられた。子供の呼吸は浅くなり、身体が勝手に震え出す。
(今度は、何を……)
「見つけた! ……なんだこれ?!」
「?!」
その声に肩が跳ね、身体の強張りは逆に解けた。
「何でこんなに集まって……」
魔法使い。けれど、その声が自分に向いてないと気付くと、子供は恐々後ろを向いた。
〈仮の管理者よ〉
〈見つけたのだ。真の者を〉
また声が木霊する。こちらへ歩いてくる魔法使いは、見えない何かへ顔を向け、声に応えた。
「……ああ、だから集まってたのか」
〈この者が真の管理者だ〉
「?!」
一際近くで声がした。けれどやはり、子供にその姿は見えない。
「あの、なんの、はなし……」
戸惑う子供に声は応えず、魔法使いは浅く息を吐いた。
〈まだ未成熟〉
〈しかし管理するには問題はない〉
〈お前なんぞよりよほど良い〉
〈お前はもう要らない〉
青と金を、瞬かせる。何が要らないか、それだけは理解できた。
「……そう。まあ、だろうとは思ってたよ」
髪を混ぜ、魔法使いはそれに頷く。赤と銀が霧を散らした。
「そうだね。問題も区切りがついたことだし……君」
「へっ」
しゃがみ、子供と目線を合わせた魔法使いは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「ぁ……」
「提案がある。魔法使いにならないか? ……いや、君ならより凄い存在になれるな」
「え?」
それを聞き、木々や風や、あの声達が騒ぎ始める。
〈何を言う仮の者!〉
〈提案だと? 決定事項だ!〉
〈お前に何か言う資格はない!〉
「静かにしろ。決めるのは真の者だ」
一段低く響いた声に、辺りは一瞬にして静まり返る。
「は、あの」
「ごめんよ。要するに、この山の【管理者】にならないかという話だ」
呆けた顔の子供へ、魔法使いは話を続ける。
「君はだな、この山の主が呼んだんだ。いや、色々重なって助けたと言っても良いかな」
顎に手を当て、選ぶように言葉を紡ぐ。
「ここの『魔法使い』……管理者は、長らく仮の者が担っていて……あぁ、そもそもだが」
魔法使いとは、生命を司る『主』の補佐。この山の主は、
「君を助けた、君が引っかかってた大木だよ」
「は、ぁ」
「そして君は【真の者】だ。仮ではなく真の管理者に……アタシなんかよりずっと上手く補佐役になれる。君は」
魔法使いになるために、ここに来たのかも知れないね。
「で、どうする?」
「へ」
「その魔法使いに、なりたいかい?」
穏やかな顔に覗き込まれる。
【魔法使い】。目の前の、自分を助けてくれたひと。
「う、ん……」
こくり、と頷いた子供へ、自身も頷き返す。
「分かった。じゃあ」
その頭を軽く撫で、魔法使いは立ち上がり、
「アタシは、晴れてお役御免ってワケだ」
見惚れるような笑顔で、そう言った。
「え、なん、なんで……?」
「そういう決まりだからね。主の補佐は『ひとり』。これは変えられない」
そこまで言って、魔法使いの目が、子供の足に向く。
「……あぁまた。捻ったね?」
再びしゃがんで、そこに手をかざす。何事か呟くと、痛みはすぐに消え去った。
「応急処置だ。戻ったら自分でちゃんとしなよ」
「あ、ありが……え?」
その額に、目の前の額がつけられた。
「は……ぅあ?!」
額を通して、膨大な情報が流れ込んでくる。意識が押し流され、眩暈を起こし、子供は倒れそうになった。
「ぅ、ぁ……」
「おっと」
魔法使いは子供を支え、いつかのように背を軽く叩く。
「急でごめんよ。少ししたらそれも収まるだろうから」
そして立ち上がり、森の奥へと行ってしまう。
「ぇ? ……! まっ待って……っ!」
追いかけようと立ち上がり、足と頭の痛みに呻いた。
「無理をしないで休んでな。足だって気を抜くとまた捻るよ?」
「ま、待って……! なんで、ボクどうすれはいいの?!」
ひらひらと手を振る魔法使いは、振り返らずに声だけ返す。
「頭ん中が整理されれば分かってくるさ。周りも……優しいだろうし、ここでの生活もぐんと楽になるはずだ」
〈当たり前だ〉
〈真の管理者だぞ〉
〈お前とは違うんだ〉
無慈悲な声達は、呆れたようにそう零した。
「やだ! ボク、何も教わってない! あなたから何も教えてもらってない!」
魔法使いは答えない。
「ねえ! 弟子にしてって言ったのに!」
その姿は遠くなり、やがて消えた。
「やだ、やだ……置いてかないで……」
うずくまり、消え入りそうな声が霧に溶けていく。
〈どうしてあれがいいんだ〉
〈まだ未成熟だ。精神も不安定なのさ〉
〈あれはちゃんと、主の糧に成りに行ったか?〉
その言葉に、子供は顔を上げる。
〈ああ、向かってる〉
頭の痛みが引いてきて、だんだんと思考も回り始める。
〈これが少しでも、主のためになれば良いが〉
立ち上がる。足の痛みなど気にならなかった。
〈無いよりはましだろう〉
下げっぱなしの袋の中。これについて、聞きそびれたままだった。けれど、今は聞く必要もない。
〈それもそうか〉
「……ねえ」
〈管理者、どうした〉
今まで声しか聞こえなかったもの達。その、見えた姿は幻想のようだった。
人の姿をした、人でないもの。妖精とでも言えそうな、薄く蒼に煌めき透ける彼らは、この山そのもの。
けど今はそんなこと、どうだっていい。
「連れてって下さい。主の所に」
子どの言葉に、彼らは顔を見合わせる。
〈今は、どうだろう〉
〈あまり宜しくないのでは?〉
〈あれのことが済んでからなら……〉
それを聞き、子供はとびきりの笑顔を向けた。
「そんなの関係ありません。今の管理者はボクだ」
けして大きな声ではない。しかしそれだけで、周りは身を引いた。
〈い、や……真の者よ〉
「なに?」
〈あれ程度に……〉
「それ以上言うと消し飛ばします」
天使の微笑みを浮かべるその口から、悪魔のような言葉が紡がれる。
「消し飛ばすじゃ無いんでした、自然に還します。主のためになりますよ?」
その圧に誰もが震え上がり、凍り付いたように動けない。
これが『真の者』の力。片鱗でこれほどの……。
「管理者はボクです。未成熟であろうとなかろうと。あの人のもとへ連れて行って下さい」
さもなければ、どうしてくれよう?
〈ひぃっ?!〉
〈連れて行く! 今すぐ!〉
〈直ちに!〉
「っうわあ!」
一気に集まった彼らに担がれ、子供は空に浮かぶ。
〈すみません管理者様!〉
〈申し訳ありません!〉
完全に恐れをなした声に、子供は少しだけ肩を竦めた。
「はい、じゃあお願いします。なるべく早く」
〈はい只今!〉
〈帚星のように!〉
「わああ?!」
風圧に仰け反りかけ、ちょっとやりすぎた、と子供は思った。
◇◇◇
「あー、飛ぶのも億劫になるとは」
それでもなんとか追い付かれなかったと、魔法使いは胸をなで下ろす。
「ま、来るとも思わないけど。万が一もある」
そして見上げる主は、また僅かに力を失ったように見えた。
「……今まで沢山力をお貸し頂き、有り難う御座いました。この命、少しでも貴方に行き渡りますよう」
輝く幹に手を当てる。その身体が光り出す。
(こんな風に逝くとは思わなかったな。アタシも誰か、生け贄を探すかと思ったけど)
あの子供は、来るべくしてここに来たんだろう。魔法使いになりたいとまで言って。
「何をどこまでお分かりなのか、主」
大木は応えない。代わりに、あの子供の声が聞こえた気がした。
(死に際の何とかってヤツか?)
そういえば、と、消えかかった意識で思う。
(結局、あの子は自分のことが分からず終いになったのか)
輝く粒子になった身体が、僅かに力んだ。話せなかったのは心残りだが、子供に聞かせるには酷なものだ。そう思い直し、また主へと意識を戻す。
(まあ、知りたくなったら、自力で調べるなりするだろう)
もう少しで自分は消える。還る。主と共に、あの管理者を見守ろう──
「無視しないでってばあ!」
「?!」
目の前に、生命溢れる光が舞った。
「お、お帰りなさい……」
怯える声には応えず、どかりと椅子に腰を下ろす。そして、子供の顔を無言で眺める。
(何か、なにかしちゃったっけ?!)
聞こうにも、鋭く細められた視線に身体が竦む。子供はなんとか、及び腰で近付いていく。
「あ、あのぉ「お前」はい!」
背筋を伸ばした子供へ、どこか冷たい声が落とされた。
「まだ何も、思い出さないのか」
「えっ」
「思い出さないなりに、何か感じるものは?」
その言葉、声、瞳の先。自分を見てはいるが、その後ろに問いかけるような。
そう思えた途端、
(何か、分かったんだ)
子供の目の前が暗くなる。
(この人を、怒らせるような。ボクに関係あるのは、この人を不快にさせる事なんだ)
「……」
俯いた子供へ向けられる、魔法使いの眼差し。帯びた憂いは、子供には見えていない。
「……まあ、思い出せないならそれでもいい」
むしろそちらの方が良いとも思える。それは言わずに、立ち上がる。
「帰って早々、悪かったね」
ぐるりと見回し、今更に細部の確認をする。頭から飛んでいたのだ、血が上りすぎて。
「そうだ、君に一つ提案……あ?」
足音。遠くなる気配。振り向くともう、小さな姿は消えていた。
「…………は」
半分開いた扉から、事態は容易に想像出来た。
「あの馬鹿?!」
◇◇◇
「はぁっはぁっ……ぅぐっ、はぁっ……」
飛び出してしまった。あの家から、あの人の前から。
「うぐぇっ……ふぅっ、うぅ……」
泣きながら歩く。先ほどまでは走っていたけれど、木の根に躓いて足を捻ってしまった。足の痛みと湧き上がる寂しさとに、余計涙が出る。
(なにしてんだろ。……何がしたいんだろ)
あの暖かい場所から逃げ出して。もう帰れない。帰ったらまた不快にさせる。
(やだ……そんなの……これ以上……)
あの、美しく、優しい魔法使い。何だかんだ言いながら、家においてくれたひと。気に掛けてくれたひと。
その目に嫌悪の色が映り、静かに自分を見据えていた。
(嫌われたくない……)
だからといって今、自分は何を目指しているのか。闇雲に、ただ、逃げているだけ。
「……はぁっ……はぁっ…………ま、ほぅ……」
結局教えてもらえなかったな。言葉が、木々のざわめきにかき消される。
「は……つか、れた……」
呟き、引きずっていた足を止めてしまう。なんだかどうでもよくなって、そのままごろりと、仰向けに寝転がった。拍子に足首が痛む。恐らく腫れているだろうと、どこか他人事のように考える。
〈──おや? お前は誰だ?〉
「……え?」
耳元で突然響いた声に、子供は目を丸くした。
〈へえ、綺麗な瞳ね〉
〈全くだ。夜明けの空か、はたまた海か〉
「え? え??」
起き上がり、声の主を探す。しかし姿は捉えられず、楽しげなそれは増えるばかり。
〈……たまげた。こいつはもしかして〉
〈え? ……本当だ!〉
〈真の管理者!〉
〈真の者が見つかった!〉
声は幾重にも重なり、共鳴し、子供の頭をわんわんと揺らす。
(なに? 何の話? まことのかんりしゃ?)
この声は何の声だ。一体何について喋っているんだ。
〈今日は最高の日だ!〉
〈難が去れば運が来る!〉
〈皆にも早くこのことを……そうだ、仮の管理者〉
声が、低まった。
〈仮の者。あれはもう要らない〉
〈そうだ、要らない。糧に〉
〈主の糧に〉
何か、恐ろしいものが感じられた。子供の呼吸は浅くなり、身体が勝手に震え出す。
(今度は、何を……)
「見つけた! ……なんだこれ?!」
「?!」
その声に肩が跳ね、身体の強張りは逆に解けた。
「何でこんなに集まって……」
魔法使い。けれど、その声が自分に向いてないと気付くと、子供は恐々後ろを向いた。
〈仮の管理者よ〉
〈見つけたのだ。真の者を〉
また声が木霊する。こちらへ歩いてくる魔法使いは、見えない何かへ顔を向け、声に応えた。
「……ああ、だから集まってたのか」
〈この者が真の管理者だ〉
「?!」
一際近くで声がした。けれどやはり、子供にその姿は見えない。
「あの、なんの、はなし……」
戸惑う子供に声は応えず、魔法使いは浅く息を吐いた。
〈まだ未成熟〉
〈しかし管理するには問題はない〉
〈お前なんぞよりよほど良い〉
〈お前はもう要らない〉
青と金を、瞬かせる。何が要らないか、それだけは理解できた。
「……そう。まあ、だろうとは思ってたよ」
髪を混ぜ、魔法使いはそれに頷く。赤と銀が霧を散らした。
「そうだね。問題も区切りがついたことだし……君」
「へっ」
しゃがみ、子供と目線を合わせた魔法使いは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「ぁ……」
「提案がある。魔法使いにならないか? ……いや、君ならより凄い存在になれるな」
「え?」
それを聞き、木々や風や、あの声達が騒ぎ始める。
〈何を言う仮の者!〉
〈提案だと? 決定事項だ!〉
〈お前に何か言う資格はない!〉
「静かにしろ。決めるのは真の者だ」
一段低く響いた声に、辺りは一瞬にして静まり返る。
「は、あの」
「ごめんよ。要するに、この山の【管理者】にならないかという話だ」
呆けた顔の子供へ、魔法使いは話を続ける。
「君はだな、この山の主が呼んだんだ。いや、色々重なって助けたと言っても良いかな」
顎に手を当て、選ぶように言葉を紡ぐ。
「ここの『魔法使い』……管理者は、長らく仮の者が担っていて……あぁ、そもそもだが」
魔法使いとは、生命を司る『主』の補佐。この山の主は、
「君を助けた、君が引っかかってた大木だよ」
「は、ぁ」
「そして君は【真の者】だ。仮ではなく真の管理者に……アタシなんかよりずっと上手く補佐役になれる。君は」
魔法使いになるために、ここに来たのかも知れないね。
「で、どうする?」
「へ」
「その魔法使いに、なりたいかい?」
穏やかな顔に覗き込まれる。
【魔法使い】。目の前の、自分を助けてくれたひと。
「う、ん……」
こくり、と頷いた子供へ、自身も頷き返す。
「分かった。じゃあ」
その頭を軽く撫で、魔法使いは立ち上がり、
「アタシは、晴れてお役御免ってワケだ」
見惚れるような笑顔で、そう言った。
「え、なん、なんで……?」
「そういう決まりだからね。主の補佐は『ひとり』。これは変えられない」
そこまで言って、魔法使いの目が、子供の足に向く。
「……あぁまた。捻ったね?」
再びしゃがんで、そこに手をかざす。何事か呟くと、痛みはすぐに消え去った。
「応急処置だ。戻ったら自分でちゃんとしなよ」
「あ、ありが……え?」
その額に、目の前の額がつけられた。
「は……ぅあ?!」
額を通して、膨大な情報が流れ込んでくる。意識が押し流され、眩暈を起こし、子供は倒れそうになった。
「ぅ、ぁ……」
「おっと」
魔法使いは子供を支え、いつかのように背を軽く叩く。
「急でごめんよ。少ししたらそれも収まるだろうから」
そして立ち上がり、森の奥へと行ってしまう。
「ぇ? ……! まっ待って……っ!」
追いかけようと立ち上がり、足と頭の痛みに呻いた。
「無理をしないで休んでな。足だって気を抜くとまた捻るよ?」
「ま、待って……! なんで、ボクどうすれはいいの?!」
ひらひらと手を振る魔法使いは、振り返らずに声だけ返す。
「頭ん中が整理されれば分かってくるさ。周りも……優しいだろうし、ここでの生活もぐんと楽になるはずだ」
〈当たり前だ〉
〈真の管理者だぞ〉
〈お前とは違うんだ〉
無慈悲な声達は、呆れたようにそう零した。
「やだ! ボク、何も教わってない! あなたから何も教えてもらってない!」
魔法使いは答えない。
「ねえ! 弟子にしてって言ったのに!」
その姿は遠くなり、やがて消えた。
「やだ、やだ……置いてかないで……」
うずくまり、消え入りそうな声が霧に溶けていく。
〈どうしてあれがいいんだ〉
〈まだ未成熟だ。精神も不安定なのさ〉
〈あれはちゃんと、主の糧に成りに行ったか?〉
その言葉に、子供は顔を上げる。
〈ああ、向かってる〉
頭の痛みが引いてきて、だんだんと思考も回り始める。
〈これが少しでも、主のためになれば良いが〉
立ち上がる。足の痛みなど気にならなかった。
〈無いよりはましだろう〉
下げっぱなしの袋の中。これについて、聞きそびれたままだった。けれど、今は聞く必要もない。
〈それもそうか〉
「……ねえ」
〈管理者、どうした〉
今まで声しか聞こえなかったもの達。その、見えた姿は幻想のようだった。
人の姿をした、人でないもの。妖精とでも言えそうな、薄く蒼に煌めき透ける彼らは、この山そのもの。
けど今はそんなこと、どうだっていい。
「連れてって下さい。主の所に」
子どの言葉に、彼らは顔を見合わせる。
〈今は、どうだろう〉
〈あまり宜しくないのでは?〉
〈あれのことが済んでからなら……〉
それを聞き、子供はとびきりの笑顔を向けた。
「そんなの関係ありません。今の管理者はボクだ」
けして大きな声ではない。しかしそれだけで、周りは身を引いた。
〈い、や……真の者よ〉
「なに?」
〈あれ程度に……〉
「それ以上言うと消し飛ばします」
天使の微笑みを浮かべるその口から、悪魔のような言葉が紡がれる。
「消し飛ばすじゃ無いんでした、自然に還します。主のためになりますよ?」
その圧に誰もが震え上がり、凍り付いたように動けない。
これが『真の者』の力。片鱗でこれほどの……。
「管理者はボクです。未成熟であろうとなかろうと。あの人のもとへ連れて行って下さい」
さもなければ、どうしてくれよう?
〈ひぃっ?!〉
〈連れて行く! 今すぐ!〉
〈直ちに!〉
「っうわあ!」
一気に集まった彼らに担がれ、子供は空に浮かぶ。
〈すみません管理者様!〉
〈申し訳ありません!〉
完全に恐れをなした声に、子供は少しだけ肩を竦めた。
「はい、じゃあお願いします。なるべく早く」
〈はい只今!〉
〈帚星のように!〉
「わああ?!」
風圧に仰け反りかけ、ちょっとやりすぎた、と子供は思った。
◇◇◇
「あー、飛ぶのも億劫になるとは」
それでもなんとか追い付かれなかったと、魔法使いは胸をなで下ろす。
「ま、来るとも思わないけど。万が一もある」
そして見上げる主は、また僅かに力を失ったように見えた。
「……今まで沢山力をお貸し頂き、有り難う御座いました。この命、少しでも貴方に行き渡りますよう」
輝く幹に手を当てる。その身体が光り出す。
(こんな風に逝くとは思わなかったな。アタシも誰か、生け贄を探すかと思ったけど)
あの子供は、来るべくしてここに来たんだろう。魔法使いになりたいとまで言って。
「何をどこまでお分かりなのか、主」
大木は応えない。代わりに、あの子供の声が聞こえた気がした。
(死に際の何とかってヤツか?)
そういえば、と、消えかかった意識で思う。
(結局、あの子は自分のことが分からず終いになったのか)
輝く粒子になった身体が、僅かに力んだ。話せなかったのは心残りだが、子供に聞かせるには酷なものだ。そう思い直し、また主へと意識を戻す。
(まあ、知りたくなったら、自力で調べるなりするだろう)
もう少しで自分は消える。還る。主と共に、あの管理者を見守ろう──
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