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白薔薇姫の物語
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昔のむかし、昔の話。
ある国に、ひとりのお姫様が生まれました。
光をはじく程の真っ白な髪を持ち、薔薇のように可愛らしかった姫は、「白薔薇姫」と呼ばれました。
姫は国の皆に愛され、白薔薇の名の如く瑞々しく、たおやかに美しく成長しました。
姫はとても優しく、誰にでも、それこそ人以外にも好かれました。森に赴けば動物たちに、川や水辺に赴けば魚たちに歓迎され、帰ろうとすると彼らはこの世の終わりのように悲しみます。
ある日のこと、白薔薇姫は森の動物たちと花畑におりました。
「白薔薇姫、何をしているの?」
ウサギが聞くと、姫は柔らかに微笑みます。
「お花の冠を作っているの。ほら」
そう言って、花々を沢山あしらった冠をウサギの頭に載せました。
「お花畑をつけているみたいだ!」
「ふふ、冠ではなくて首飾りになってしまったわね」
頭を抜け、花の飾り襟をつけたようなウサギに、白薔薇姫は笑いかけました。
「うわあ、いいないいな、姫の冠!」
リスたちが集まって、姫の膝の上で言います。
「姫、姫、ぼくたちにも!」
「わたしたちにも!」
「ええ。みんなで作りましょう? きっと楽しいわ」
リスたちは大喜びで、それぞれ気に入った花を摘みにいきます。
「ねえ白薔薇姫、明日はお城で舞踏会があるんでしょう」
横でくつろいでいたシカが言いました。
「姫は舞踏会で何をするの?」
「踊ったり、お話したりするの。色んな人と会うのよ」
ウサギが首を傾げました。
「そしたら明日は会えないの?」
「えー!」
ウサギの言葉を聞いたリスたちが叫びながら戻ってきます。
「白薔薇姫、会えないの?」
「いやだよ、そんなのいや」
ぽろぽろ涙を零すリスたちを一匹ずつ撫でてやりながら、姫は宥めるように言いました。
「でも、その次の日なら会えるわ。それまで待っていてね」
泣きながらも頷くリスたちの横で、ウサギとシカも悲しげな目をしています。
「あなた達もよ、待っていてね。会いに行くから」
ウサギとシカも撫でてやり、皆の冠を作って、白薔薇姫はお城へ帰って行きました。
次の日、白薔薇姫は舞踏会の支度をしながら、いつもと違う煌めきを感じていました。
(なにかしら? 今日は景色が違って見えるわ)
周りの召使いに聞いても、王様とお后様に聞いても、誰も何も知りません。
姫は首を傾げたまま、舞踏会が始まりました。
白薔薇姫の姿を目にすると、誰もが感嘆のため息を吐きました。姫はその場の誰よりも美しく、荒れ野に咲く一輪の薔薇のようです。
その見事な白く輝く髪は細工物のように結い上げられ、シャンデリアの煌めきも霞むようです。纏うドレスも一等美しく、けれど姫の美しさに寄り添うように薔薇の花弁の襞が揺れています。
「皆様、ご機嫌よう」
その小さく形の良い唇から紡がれる声も、皆を夢心地にさせました。神に愛された姿で、神が創りし楽の音を響かせる姫に、誰もが引きつけられました。
皆は我先にと姫に挨拶をし、ダンスを申し込みました。姫も愛らしい笑顔でそれに応えます。
(けれど、この胸の囁きはなにかしら? 温かくて、心地良くて……素晴らしいことが待ってるような)
「姫よ、何か気になるのかい?」
「お父様……なんだか良いことがあるような気がして」
「先程も言っていたな。今日は何か、特別な日だったろうか……」
王様が首をひねったその時、招待客の名が読み上げられました。
「おお、姫、隣の国の王子だよ。聡明で勇敢で、民にも気を向ける素晴らしい若者だ」
白薔薇姫はそれを聞きながらも、入ってきたばかりの青年から目が離せませんでした。
(ああ、やっと分かったわ。この方を、私は……!)
煌めく形の良い目を見開いて王子を見つめる姫を、また王子も見つめていました。
お互いに何かに捕まえられたかのように動きを止め、焦げ付かんばかりに見つめ合い、そうして漸く、王子の足が動きました。
「本日は、お招き頂きありがとうございます」
隣の国の王子が王様へと挨拶をします。その美しく勇ましい姿をすぐそばで眺められることに、姫は喜びを覚えました。けれど、澄み渡る瞳が自分を映していないことに、苦痛を覚えました。
王様への挨拶を終え、王子が姫に顔を向けると、姫の心に春の訪れを寿ぐ鳥達のような喜びが再び広がりました。
「……初めまして」
「……ぁ、初めまして……」
王子の、低く心地良い声と優しく気高い姿を前にして、白薔薇姫は美しい声を震わせました。
何故だか上手く言葉が出てきません。王子もさっきとは打って変わって、紡ぐ言葉を探りながら話しているようでした。
けれども、二人の瞳は互いを映し、二人の声は互いを捕らえ、どちらも離すことはありません。
「私と、踊って下さいませんか?」
王子の差し出す手に、姫は自分の手を重ねました。
「はい、喜んで」
ステップを踏みながら、姫と王子は見つめ合います。どちらも一言も発しません。話さなくても、互いの想いは既に伝わっているのです。
二人のダンスはその日の誰よりも美しく、優雅で、見ている者達を魅了しました。若く聡明な王子と美しい白薔薇姫の話は、瞬く間に広がりました。
澄んだ水と陽の光を得て、大輪の白薔薇が咲き誇ったと。
舞踏会から明けて、白薔薇姫は森の動物たちに会いに来ました。
「あ、姫!」
「白薔薇姫!」
待ち構えていた動物たちは、一斉に姫を取り囲みます。
「姫、会えなくて寂しかったよ」
「舞踏会どうだった?」
姫が切り株に腰掛けると、リスたちが早速膝の上に乗ってきました。
「あのね」
姫の声に、皆静かにして聴き入ります。
「私、運命の人に出逢ったの」
風が木々の間を抜け、葉擦れの音が響きました。
「運命、の人?」
「そうなの! 昨日の舞踏会で会ったんだけれど、とても素晴らしい方なの!」
姫は手を組んで、顔をほころばせます。
「隣の国の王子様なのだけれど、とても優しくて、聡明で、お父様も良い方だって仰ってるの」
「……そうなの」
姫が見ると、ウサギもリスもシカも、動物たちは皆さっきまでと違った静けさを持っていました。
「……姫、他のお話しない?」
「うん。舞踏会じゃないお話が良い!」
「そうだ! 綺麗な石を見に行こう! 前と違うところだよ」
動物たちはまた一斉に、姫に口々に言いました。
「みんな?」
「ほら、姫、行こう」
「分かったわ。分かったから」
その日動物たちは姫を、クマの背に乗せたり魚たちに会わせたり、色んな場所へ連れて行きました。
まもなく、白薔薇姫と隣の国の王子は婚約をしました。姫と王子は手紙のやり取りをしたり、お互いに会いに行ったり、仲を深めていきました。
そして、白薔薇姫が森や川に行くことは少なくなりました。
「ごめんね。お輿入れの準備があって、もう帰らなくちゃ行けないの」
「もう帰っちゃうの?」
「姫、まだ行かないで。もっと一緒にいようよ」
ウサギが泣きそうな顔で、姫のドレスの裾を掴みます。シカだって悲しそうに頭をすり寄せます。
「ごめんなさい、また来るから」
姫は動物たちを宥めようとしますが、今日は誰もが離してくれません。
「姫はその王子が大事なんだ! ぼくたちはもう大事じゃないんだ!」
リスの叫びに、動物たちの泣き声は一層大きくなりました。
「そんなことはないわ。今までもこれからも、みんなとっても大事よ。大切に思ってるわ」
「じゃあ、また前みたく会いに来てくれる?」
「ずっと、ずうっと一緒にいられる?」
「それは……」
動物たちは顔を上げ、白薔薇姫の言葉を待ちます。
「…………ごめんなさい、出来なくなるわ」
「なんで!」
「もう少ししたら、隣の国へ嫁ぐの。だから」
「白薔薇姫の嘘つき!」
「白薔薇姫なんてもう知らない!」
動物たちは姫に背を向け、森の奥へ消えてゆきます。
「ああ! 待って! 待ってみんな!」
呼ぶ声に振り返りもせず、森の中には姫だけが残されました。
それから森の生き物たちは、姫の前に姿を見せなくなりました。
「みんな、みんな……ごめんなさい……」
涙に濡れる白薔薇姫の頬を、大きな手が優しく包みました。
「君が悲しいと、私も悲しいよ。ほら、顔を上げて」
隣の国の王子が、慈しみに溢れた眼差しをして言いました。
「愛しい白薔薇。私の姫、ここにもあなたを愛するものがいることを忘れないでくれ」
明日は輿入れの日。盛大なお祝いと共に見送られ、白薔薇姫は隣の国で結婚式を挙げます。そのために王子は姫を迎えにきたのでした。
けれど、姫の顔は晴れません。
「……そうね……でも……」
もう随分顔を見ていない彼らのことが、姫の頭から離れないのです。
「それなら、会いに行こう」
「え?」
王子は姫の手を引いて言いました。
「もしかしたら、顔を見せてくれるかも知れない。このまま会わずに別れるよりも、良いと思わないか?」
「でも、出てきてくれるかしら」
不安げな白薔薇姫に、王子は優しく言いました。
「出てきてくれるさ。あなたのことが大好きなんだから」
「……分かったわ」
王子と共に森へ行くと、姫は木々の向こうの、暗く繁った奥の方へ呼びかけました。
「みんな、みんな! 姿を見せて。お話がしたいの」
森は風もなく、姫の透き通った声は吸い込まれていくようでした。
「みんな、あの時は傷付けてごめんなさい。……少しでいいから、姿を、見せて……」
姫の震える肩を、王子が引き寄せます。
「…………姫、それ、だれ?」
小さな声が、響きました。
声のした方を振り向くと、茂みの下からウサギが顔を出しました。
「ああ!」
姫が駆け寄ると、ウサギは茂みから抜け出し、足元まで寄ってきました。
「もう会えないかと思っていたわ!」
姫がしゃがんでウサギを抱き寄せると、ウサギも姫の腕の中で言いました。
「ぼくも、姫と話せて嬉しい」
「……ずるいや! お前ばっかり!」
「そうだよ! わたしだって!」
あちこちの茂みや木の上から声がして、リスやウサギやシカやクマや、沢山の動物たちが出てきました。
「ああ、みんな!」
「姫、寂しかったよお!」
「姫、姫!」
動物たちに代わる代わる顔を寄せられ、腕に飛び込まれ、白薔薇姫は暖かな気持ちになりました。
「姫、そのひと、だれ?」
動物たちが少し落ち着いたあと、一頭のシカが言いました。
「そうね、紹介がまだだったわね」
姫が振り向くと、王子もそばまで来てしゃがみました。
「この方が、隣の国の王子様。前に話した方よ」
「初めまして」
動物たちに囲まれた中で、王子は真っ直ぐ声を出しました。
「私ね、明日、この方の所へ嫁ぐの。だから、最後にみんなに会えて良かった」
「……最後?」
「最後って」
リスたちが戸惑ったような声を上げます。
「また前みたいに森に来るんだよね?」
「姫とずっと一緒にいられるんだよね?」
他の動物たちも口々に言ってきます。
「それは……」
「ねえ、そうだと言って」
「姫!」
動物たちの声を聞きながら、姫はどう言うべきか迷いました。
「…………ああ! 嘘つき! 姫の嘘つき!」
「もう会えなくて良いんだ!」
「ぼくたちはどうでも良いんだ!」
動物たちの叫び声が、ごうごうと唸るように響きます。
「そんな、みんな!」
「駄目だ危ない!」
王子が姫の手を引いて、動物たちから離れようとします。
「ああ! 連れていかれる!」
「姫が行ってしまう!」
「いやだ! 姫なんか、姫なんか」
「本物の白薔薇になってしまえ!」
動物たちの声が木々の間に吸い込まれると、白薔薇姫は、美しい白薔薇の木になっていました。
「……なんてことだ……」
王子はその場に膝をつき、輝くように咲き誇る白い薔薇の花を見つめました。
「ああ、姫、姫」
「白薔薇姫、なんで」
王子が辺りを見回すと、動物たちの姿はどこにも見当たりません。
「姫、姫、ひめ……」
ただ悲しげな声だけが、幾つも幾つも、重なるように木霊していました。
王子は兵と共に辺りをくまなく探しましたが、白薔薇姫も、動物たちも、誰も見つけられませんでした。
薔薇になった姫のことを王様もお后様も酷く嘆き悲しみ、国中誰もが涙に暮れました。隣の国の王子も見る影もないほどにやつれ、自分の国に戻ってからも、その哀しみが消えることはありませんでした。
誰からも愛され、その愛故に、森に閉じ込められた悲劇の姫。
今でも動物たちは、白薔薇姫の様子を見に、森の中を駆けてゆきます。
風が泣いているように聞こえるのは、姫を想った動物たちが、哀しみの声を上げているから。
鬱蒼とした森の中で、輝くような白い薔薇を見つけたら、それはきっと白薔薇姫の木なのでしょう。
ある国に、ひとりのお姫様が生まれました。
光をはじく程の真っ白な髪を持ち、薔薇のように可愛らしかった姫は、「白薔薇姫」と呼ばれました。
姫は国の皆に愛され、白薔薇の名の如く瑞々しく、たおやかに美しく成長しました。
姫はとても優しく、誰にでも、それこそ人以外にも好かれました。森に赴けば動物たちに、川や水辺に赴けば魚たちに歓迎され、帰ろうとすると彼らはこの世の終わりのように悲しみます。
ある日のこと、白薔薇姫は森の動物たちと花畑におりました。
「白薔薇姫、何をしているの?」
ウサギが聞くと、姫は柔らかに微笑みます。
「お花の冠を作っているの。ほら」
そう言って、花々を沢山あしらった冠をウサギの頭に載せました。
「お花畑をつけているみたいだ!」
「ふふ、冠ではなくて首飾りになってしまったわね」
頭を抜け、花の飾り襟をつけたようなウサギに、白薔薇姫は笑いかけました。
「うわあ、いいないいな、姫の冠!」
リスたちが集まって、姫の膝の上で言います。
「姫、姫、ぼくたちにも!」
「わたしたちにも!」
「ええ。みんなで作りましょう? きっと楽しいわ」
リスたちは大喜びで、それぞれ気に入った花を摘みにいきます。
「ねえ白薔薇姫、明日はお城で舞踏会があるんでしょう」
横でくつろいでいたシカが言いました。
「姫は舞踏会で何をするの?」
「踊ったり、お話したりするの。色んな人と会うのよ」
ウサギが首を傾げました。
「そしたら明日は会えないの?」
「えー!」
ウサギの言葉を聞いたリスたちが叫びながら戻ってきます。
「白薔薇姫、会えないの?」
「いやだよ、そんなのいや」
ぽろぽろ涙を零すリスたちを一匹ずつ撫でてやりながら、姫は宥めるように言いました。
「でも、その次の日なら会えるわ。それまで待っていてね」
泣きながらも頷くリスたちの横で、ウサギとシカも悲しげな目をしています。
「あなた達もよ、待っていてね。会いに行くから」
ウサギとシカも撫でてやり、皆の冠を作って、白薔薇姫はお城へ帰って行きました。
次の日、白薔薇姫は舞踏会の支度をしながら、いつもと違う煌めきを感じていました。
(なにかしら? 今日は景色が違って見えるわ)
周りの召使いに聞いても、王様とお后様に聞いても、誰も何も知りません。
姫は首を傾げたまま、舞踏会が始まりました。
白薔薇姫の姿を目にすると、誰もが感嘆のため息を吐きました。姫はその場の誰よりも美しく、荒れ野に咲く一輪の薔薇のようです。
その見事な白く輝く髪は細工物のように結い上げられ、シャンデリアの煌めきも霞むようです。纏うドレスも一等美しく、けれど姫の美しさに寄り添うように薔薇の花弁の襞が揺れています。
「皆様、ご機嫌よう」
その小さく形の良い唇から紡がれる声も、皆を夢心地にさせました。神に愛された姿で、神が創りし楽の音を響かせる姫に、誰もが引きつけられました。
皆は我先にと姫に挨拶をし、ダンスを申し込みました。姫も愛らしい笑顔でそれに応えます。
(けれど、この胸の囁きはなにかしら? 温かくて、心地良くて……素晴らしいことが待ってるような)
「姫よ、何か気になるのかい?」
「お父様……なんだか良いことがあるような気がして」
「先程も言っていたな。今日は何か、特別な日だったろうか……」
王様が首をひねったその時、招待客の名が読み上げられました。
「おお、姫、隣の国の王子だよ。聡明で勇敢で、民にも気を向ける素晴らしい若者だ」
白薔薇姫はそれを聞きながらも、入ってきたばかりの青年から目が離せませんでした。
(ああ、やっと分かったわ。この方を、私は……!)
煌めく形の良い目を見開いて王子を見つめる姫を、また王子も見つめていました。
お互いに何かに捕まえられたかのように動きを止め、焦げ付かんばかりに見つめ合い、そうして漸く、王子の足が動きました。
「本日は、お招き頂きありがとうございます」
隣の国の王子が王様へと挨拶をします。その美しく勇ましい姿をすぐそばで眺められることに、姫は喜びを覚えました。けれど、澄み渡る瞳が自分を映していないことに、苦痛を覚えました。
王様への挨拶を終え、王子が姫に顔を向けると、姫の心に春の訪れを寿ぐ鳥達のような喜びが再び広がりました。
「……初めまして」
「……ぁ、初めまして……」
王子の、低く心地良い声と優しく気高い姿を前にして、白薔薇姫は美しい声を震わせました。
何故だか上手く言葉が出てきません。王子もさっきとは打って変わって、紡ぐ言葉を探りながら話しているようでした。
けれども、二人の瞳は互いを映し、二人の声は互いを捕らえ、どちらも離すことはありません。
「私と、踊って下さいませんか?」
王子の差し出す手に、姫は自分の手を重ねました。
「はい、喜んで」
ステップを踏みながら、姫と王子は見つめ合います。どちらも一言も発しません。話さなくても、互いの想いは既に伝わっているのです。
二人のダンスはその日の誰よりも美しく、優雅で、見ている者達を魅了しました。若く聡明な王子と美しい白薔薇姫の話は、瞬く間に広がりました。
澄んだ水と陽の光を得て、大輪の白薔薇が咲き誇ったと。
舞踏会から明けて、白薔薇姫は森の動物たちに会いに来ました。
「あ、姫!」
「白薔薇姫!」
待ち構えていた動物たちは、一斉に姫を取り囲みます。
「姫、会えなくて寂しかったよ」
「舞踏会どうだった?」
姫が切り株に腰掛けると、リスたちが早速膝の上に乗ってきました。
「あのね」
姫の声に、皆静かにして聴き入ります。
「私、運命の人に出逢ったの」
風が木々の間を抜け、葉擦れの音が響きました。
「運命、の人?」
「そうなの! 昨日の舞踏会で会ったんだけれど、とても素晴らしい方なの!」
姫は手を組んで、顔をほころばせます。
「隣の国の王子様なのだけれど、とても優しくて、聡明で、お父様も良い方だって仰ってるの」
「……そうなの」
姫が見ると、ウサギもリスもシカも、動物たちは皆さっきまでと違った静けさを持っていました。
「……姫、他のお話しない?」
「うん。舞踏会じゃないお話が良い!」
「そうだ! 綺麗な石を見に行こう! 前と違うところだよ」
動物たちはまた一斉に、姫に口々に言いました。
「みんな?」
「ほら、姫、行こう」
「分かったわ。分かったから」
その日動物たちは姫を、クマの背に乗せたり魚たちに会わせたり、色んな場所へ連れて行きました。
まもなく、白薔薇姫と隣の国の王子は婚約をしました。姫と王子は手紙のやり取りをしたり、お互いに会いに行ったり、仲を深めていきました。
そして、白薔薇姫が森や川に行くことは少なくなりました。
「ごめんね。お輿入れの準備があって、もう帰らなくちゃ行けないの」
「もう帰っちゃうの?」
「姫、まだ行かないで。もっと一緒にいようよ」
ウサギが泣きそうな顔で、姫のドレスの裾を掴みます。シカだって悲しそうに頭をすり寄せます。
「ごめんなさい、また来るから」
姫は動物たちを宥めようとしますが、今日は誰もが離してくれません。
「姫はその王子が大事なんだ! ぼくたちはもう大事じゃないんだ!」
リスの叫びに、動物たちの泣き声は一層大きくなりました。
「そんなことはないわ。今までもこれからも、みんなとっても大事よ。大切に思ってるわ」
「じゃあ、また前みたく会いに来てくれる?」
「ずっと、ずうっと一緒にいられる?」
「それは……」
動物たちは顔を上げ、白薔薇姫の言葉を待ちます。
「…………ごめんなさい、出来なくなるわ」
「なんで!」
「もう少ししたら、隣の国へ嫁ぐの。だから」
「白薔薇姫の嘘つき!」
「白薔薇姫なんてもう知らない!」
動物たちは姫に背を向け、森の奥へ消えてゆきます。
「ああ! 待って! 待ってみんな!」
呼ぶ声に振り返りもせず、森の中には姫だけが残されました。
それから森の生き物たちは、姫の前に姿を見せなくなりました。
「みんな、みんな……ごめんなさい……」
涙に濡れる白薔薇姫の頬を、大きな手が優しく包みました。
「君が悲しいと、私も悲しいよ。ほら、顔を上げて」
隣の国の王子が、慈しみに溢れた眼差しをして言いました。
「愛しい白薔薇。私の姫、ここにもあなたを愛するものがいることを忘れないでくれ」
明日は輿入れの日。盛大なお祝いと共に見送られ、白薔薇姫は隣の国で結婚式を挙げます。そのために王子は姫を迎えにきたのでした。
けれど、姫の顔は晴れません。
「……そうね……でも……」
もう随分顔を見ていない彼らのことが、姫の頭から離れないのです。
「それなら、会いに行こう」
「え?」
王子は姫の手を引いて言いました。
「もしかしたら、顔を見せてくれるかも知れない。このまま会わずに別れるよりも、良いと思わないか?」
「でも、出てきてくれるかしら」
不安げな白薔薇姫に、王子は優しく言いました。
「出てきてくれるさ。あなたのことが大好きなんだから」
「……分かったわ」
王子と共に森へ行くと、姫は木々の向こうの、暗く繁った奥の方へ呼びかけました。
「みんな、みんな! 姿を見せて。お話がしたいの」
森は風もなく、姫の透き通った声は吸い込まれていくようでした。
「みんな、あの時は傷付けてごめんなさい。……少しでいいから、姿を、見せて……」
姫の震える肩を、王子が引き寄せます。
「…………姫、それ、だれ?」
小さな声が、響きました。
声のした方を振り向くと、茂みの下からウサギが顔を出しました。
「ああ!」
姫が駆け寄ると、ウサギは茂みから抜け出し、足元まで寄ってきました。
「もう会えないかと思っていたわ!」
姫がしゃがんでウサギを抱き寄せると、ウサギも姫の腕の中で言いました。
「ぼくも、姫と話せて嬉しい」
「……ずるいや! お前ばっかり!」
「そうだよ! わたしだって!」
あちこちの茂みや木の上から声がして、リスやウサギやシカやクマや、沢山の動物たちが出てきました。
「ああ、みんな!」
「姫、寂しかったよお!」
「姫、姫!」
動物たちに代わる代わる顔を寄せられ、腕に飛び込まれ、白薔薇姫は暖かな気持ちになりました。
「姫、そのひと、だれ?」
動物たちが少し落ち着いたあと、一頭のシカが言いました。
「そうね、紹介がまだだったわね」
姫が振り向くと、王子もそばまで来てしゃがみました。
「この方が、隣の国の王子様。前に話した方よ」
「初めまして」
動物たちに囲まれた中で、王子は真っ直ぐ声を出しました。
「私ね、明日、この方の所へ嫁ぐの。だから、最後にみんなに会えて良かった」
「……最後?」
「最後って」
リスたちが戸惑ったような声を上げます。
「また前みたいに森に来るんだよね?」
「姫とずっと一緒にいられるんだよね?」
他の動物たちも口々に言ってきます。
「それは……」
「ねえ、そうだと言って」
「姫!」
動物たちの声を聞きながら、姫はどう言うべきか迷いました。
「…………ああ! 嘘つき! 姫の嘘つき!」
「もう会えなくて良いんだ!」
「ぼくたちはどうでも良いんだ!」
動物たちの叫び声が、ごうごうと唸るように響きます。
「そんな、みんな!」
「駄目だ危ない!」
王子が姫の手を引いて、動物たちから離れようとします。
「ああ! 連れていかれる!」
「姫が行ってしまう!」
「いやだ! 姫なんか、姫なんか」
「本物の白薔薇になってしまえ!」
動物たちの声が木々の間に吸い込まれると、白薔薇姫は、美しい白薔薇の木になっていました。
「……なんてことだ……」
王子はその場に膝をつき、輝くように咲き誇る白い薔薇の花を見つめました。
「ああ、姫、姫」
「白薔薇姫、なんで」
王子が辺りを見回すと、動物たちの姿はどこにも見当たりません。
「姫、姫、ひめ……」
ただ悲しげな声だけが、幾つも幾つも、重なるように木霊していました。
王子は兵と共に辺りをくまなく探しましたが、白薔薇姫も、動物たちも、誰も見つけられませんでした。
薔薇になった姫のことを王様もお后様も酷く嘆き悲しみ、国中誰もが涙に暮れました。隣の国の王子も見る影もないほどにやつれ、自分の国に戻ってからも、その哀しみが消えることはありませんでした。
誰からも愛され、その愛故に、森に閉じ込められた悲劇の姫。
今でも動物たちは、白薔薇姫の様子を見に、森の中を駆けてゆきます。
風が泣いているように聞こえるのは、姫を想った動物たちが、哀しみの声を上げているから。
鬱蒼とした森の中で、輝くような白い薔薇を見つけたら、それはきっと白薔薇姫の木なのでしょう。
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