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本編
74 終わりと、それから
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それから、異常同調の修復作業は、てつ抜きでやる事になった。
てつはそれを聞いてちょっと牙を剥いたけど、安静にして欲しくてなんとか留め置いた。
私と遠野さんと、二人だけで各地の亀裂を回る。三十三支部では海江田さんに、
『無事で良かった。ホントビビった』
『お騒がせしました。五体満足です』
そう言ったら少しだけ笑ってくれた。苦笑い混じりだったけど。
遠野さんは、天遠乃さんが戻ってからまた調子が狂ったのか、気を張ってるようなそれでいて弛むような、妙な揺らめきをするように。
『あの、大丈夫ですか?』
『何がですか?』
『……』
本当に大丈夫なんだろうか。
コンコン、とノックの音。
「はい?」
今日分の、異常同調の修復作業を終えててつの部屋に来たばかりの私は、そのままドアに振り返った。
「あ! 華珠貴です! お見舞いに来ました! 美緒もいます!」
てつに向き直る。
「昨日も来たろう」
けど、追い返せとは言わない。
「良いって事ね」
返事が来ないので良いという事だ。
入れたくなければ即座に「用はねぇ」と言うのがてつなので、そう判断する。
木製に見えるけど、本当の材質はいまいち分からないドアを開けると。
「てつさん杏さんこんにちは!」
元気溌剌な華珠貴さんと、ぺこりと頭を下げる美緒さん。どちらも人の姿だ。
「華珠貴、もう少し静かに」
言われて、ハッと口に手をやる華珠貴さん。
「大丈夫ですよ」
言いながら二人を招き入れる。
「てつさん、ここにいるのは今日までなんですよね? 明日から相手して貰えますか?」
華珠貴さんは素早くてつに寄り、そんな事を言う。
「気が乗らねぇ」
「やってみれば案外乗るかも!」
「……」
華珠貴さんは、早くてつと手合わせ? をしたいらしい。こうして連日誘いに来る。
「あ、そういえば」
そんな中、美緒さんがぽつりと零した。
「杏さん、てつさんと何かありました?」
「え?」
何かとは。
「いえ、色々あったのは承知していますが、その……」
なんだか言いよどんで、私とてつを見る。
「繋がりが……無くなってる、ような……」
繋がり?
「あ! ずっと感じてた違和感、それだったんですね!」
すっきりした! と狼の上で、いつの間にか黒猫になった華珠貴さんが跳ねる。
「え? どういう事ですか?」
ちょっと話が、繋がりが無くなる?
そもそも繋がりとは……ぁ。
もしやそれは、螢介さんの事?
「あ、それはそうかも知れないです」
螢介さんの事なら、その通りだ。もう居なくなってしまった人。その人と重なっていた私達。
「……あの、大丈夫なんですか? これから」
「え?」
疑問が解けた、と思ったら美緒さんはさらに心配そうな顔をする。
「あ、そっか」
華珠貴さんもてつの背から降りながら、うんうんと頷く。
「もうお腹に入れないって事ですもんね」
「え?」
反射的にてつを見る。
てつはさっきから伏せっぱなしで、目も閉じて無言のまま。
「でも、入れないとどんな問題が起こるんでしょう?」
「いや、え?」
「それは、うーん。私達は人間の生活とあまり馴染みがないけど……」
は、話が、
「まっ、その、待って下さい?」
「あ、すみません」
気付いたように口に手を当て、美緒は言葉を止めた。
「……てつ?」
またそっちに向き直ると。
「…………チッ」
何故か舌打ちをされた。
え、てか、それ。本当って事?
「ねぇ、美緒」
猫のまま、華珠貴さんがタタタとこっちに駆け寄ってきて。
「言っちゃダメだったりしたんじゃない?」
こそっとそんな事を言う。
「そ、そうかも……ご機嫌を損ねてしまった……」
またこそこそと、美緒さんも答える。
そ、……そうなのか? そうなんですか?
「損ねるか、その程度で」
呆れたように言いながら、てつがむくりと頭を起こした。
「てめぇら、俺を何だと思っていやがる」
溜め息と一緒に身体も起こし、大きなそれをのそりと動かす。
二、三歩ですぐ目の前。見上げるその姿は、恐ろしいというよりも荘厳な感じがある。
「……それで、てつ」
「あ?」
「入れなくなったって、ホント?」
「…………あぁ」
ほんの僅かに視線を逸らされた。
珍しく、分かりやすい態度をとるな。
「なんで言って、まあそれはいいか。……あ、え? それなら」
どこか居心地の悪そうな狼に見下ろされながら、ふと思った事が口から出た。
「記憶も、戻ってるんだよね?」
「そうだな」
「身体も全部戻って、なら」
そもそもの。
「目的達成されてない? てつの」
それにまた、深い青緑が細められ。
「…………そうだな」
低く、ぽつりと呟くように、肯定された。
ならば、と考えた結果。
「い、良いんですか?」
「本当に大丈夫なんですか?」
「……そんなに駄目そうに見えます?」
てつは異界へ帰る事になった。
そしてそれを聞いて不安そうにする華珠貴さんと美緒さん。何故。
「まあ、当人同士が良いと言っているんだから、良いのだろうけどねぇ」
微笑むような、呆れもあるような、そんな顔で鈴音さんも言う。
「……フン」
今は、鈴音さん達の所へ挨拶に来ている。
てつに次いで、異界のひととして色々関わりがあったひと達。彼女達は当分ここ、第二十五支部に留まらなければならない。
だから、少し何か言われるかも、なんて考えたりもしたけど。
「あたし達に言える事はないしねぇ」
「まあねぇ、けどねぇ」
なんか違う空気を感じる。
周りの猫さん方も、てつが帰れる事よりも「だとしてマジで帰るの?」みたいなリアクションをする。
てつが帰る事、というよりも、それによって起こる何かしらが気になる、みたいな。けどそれを詳しくは語ってくれない。
「ま、深く聞くのは野暮ってもんさ。止めとくよ」
「はあ……」
野暮なの?
「じゃあね」
「……あぁ」
「では、行きましょうか。てつさん」
遠野さんに先導され、無言で通路を進むてつ。この先に『異界へ行くための通り道』を通るための空間、とかいうものがあるそうな。
私はそこまでの道を見送るだけ。
なんかあっという間だった。
特例措置、迅速な対処、になるんだとか。そのほとんども、私ではなく遠野さんの仕事であり、手続きで。
その時に遠野さんにも『良いんですか?』とか言われたけど。
『放りっぱなしだからな。様子見はしなきゃあいけねぇ』
『……ああ』
私は準備の間もいくつか亀裂を閉じ、『かれら』を還して。
……これが終われば、私もここを去るんだろうか。
「……」
そんな思いも抱きながら、通路を曲がる金色の、ふさふさの尾の先が消えるまでそこにいた。
消えてからも、しばらくはそこにいた。
あれから、夏も過ぎて、少し肌寒くなって。
結局のところ、私は今も超自然対策委員会に在籍している。
ただの人でなくなった私は、人間としての扱いと怪異としての扱いを半々で受けることになった。
そしてそのまま本部に籍を変えられそうになったらしいけど、第二十五支部の人達と天遠乃さんの力によって、それは無しになったそうで。
今のところ、てつが居なくなったくらいで生活には変わりがない。むしろ戻ったと言った方が近い。
仕事内容は穏便なものが多くなったし、死にかける事もなくなったし。
『え?! 帰った?!』
芽依にもてつの事を話したら、また随分と驚かれたし。
何で皆そんなにあり得ない、みたいなカオになるのか。
『え? 戻ってくる、の? 里帰り的な?』
『ううん。本当に帰った』
『うそぉ……』
そんなに?
「……ふぅ」
なんとはなしに、溜め息が漏れる。
歩きながら見上げれば、夜空にぽっかりと浮かぶ月。
遅めな時間帯だけど、家の甘味が切れてコンビニに向かっているところなのだ。
「十五夜……は、もう過ぎたか」
独り呟く。
けど、綺麗な月だ。風も、なんだか心地いい。
「十五夜……月見か」
「そうそう」
「過ぎたって事は、あれから三月ほどか?」
「あれから? ……え?」
思わず足を止める。警戒じゃなく、驚きで。
普通に受け答えしちゃったけど、今、ものっすごい聞き覚えある声が?
「なんだ?」
さっきまでの風とは違う、なんだかふわりとした空気が降りてきた。
それと一緒に、月に照らされ淡く光る巨体も。
「……は?」
「あ?」
左の家の屋根から降りてきた狼は、怪訝そうに首を傾げる。
「何を呆けた面してやがる」
目をしばたたく。消えない。近付いて触ってみる。もふもふ。
「……さっきから何だ」
「…………なにゆえ、ここに」
変な口調になってしまった。
「……てめぇ、本当に」
試しに、少し力を使ってみる。……あぁ、この揺らぎはてつだ。
「……ハァ」
残念なものを見る目をしながら首を振るこの狼は、本物。
「って、ちょっと。なんでそんな反応されなきゃなんないの」
「いぃ、気にすんな」
「するわ。ていうか帰ったんじゃないの? なんでここにいるの」
「帰ったぞ。案の定荒らされまくってたからな、巣くってたヤツらを蹴散らして、二度と手ぇ出さねぇよう教え込ませてからこっちに戻ってきた」
どう教え込ませたんだろう。いや、それよりも。
「え? じゃあ、元から、それが終わればこっちに戻ってくる気だったの?」
「……あぁ」
「言ってよ! 軽く今生の別れくらいに思ってたのに!」
「誰が戻らねぇなんて言った?」
……、そう来るか。
「言ってくれる……あ?!」
そもそもこんな、住宅街で悠長に話し込むなんて危険だ。誰かに見られでもしたら!
「今度は何だ」
「てつ、入っ……入れないんだった……!」
えぇと、支部、遠野さん、連絡!
「わたわたと……もう少し落ち着け」
誰のせいだと。
どこか面白がるような声音のてつにちょっと睨みを利かせながら、スマホを取り出す。
「連絡して誰かに来てもらうからね。この状況、私の手に余る」
「そうかい」
「あと、誰か来そうだったら教え──」
「あっちから来るぞ。人間が一人、まだこっちにゃ気付いてねぇな」
なんというタイミングだよ!
「え、ちょ、──あぁもう! あっちの公園行くよ! デカい滑り台の下ならなんとか……!」
てつを追い立てるようにして、走り出す。
「隠れんのは性に合わねぇんだがな」
「合わなくとも! 今は! してもらいます!」
「ハァ、しょうがねぇ」
なんかちょっとムカつく!
終
てつはそれを聞いてちょっと牙を剥いたけど、安静にして欲しくてなんとか留め置いた。
私と遠野さんと、二人だけで各地の亀裂を回る。三十三支部では海江田さんに、
『無事で良かった。ホントビビった』
『お騒がせしました。五体満足です』
そう言ったら少しだけ笑ってくれた。苦笑い混じりだったけど。
遠野さんは、天遠乃さんが戻ってからまた調子が狂ったのか、気を張ってるようなそれでいて弛むような、妙な揺らめきをするように。
『あの、大丈夫ですか?』
『何がですか?』
『……』
本当に大丈夫なんだろうか。
コンコン、とノックの音。
「はい?」
今日分の、異常同調の修復作業を終えててつの部屋に来たばかりの私は、そのままドアに振り返った。
「あ! 華珠貴です! お見舞いに来ました! 美緒もいます!」
てつに向き直る。
「昨日も来たろう」
けど、追い返せとは言わない。
「良いって事ね」
返事が来ないので良いという事だ。
入れたくなければ即座に「用はねぇ」と言うのがてつなので、そう判断する。
木製に見えるけど、本当の材質はいまいち分からないドアを開けると。
「てつさん杏さんこんにちは!」
元気溌剌な華珠貴さんと、ぺこりと頭を下げる美緒さん。どちらも人の姿だ。
「華珠貴、もう少し静かに」
言われて、ハッと口に手をやる華珠貴さん。
「大丈夫ですよ」
言いながら二人を招き入れる。
「てつさん、ここにいるのは今日までなんですよね? 明日から相手して貰えますか?」
華珠貴さんは素早くてつに寄り、そんな事を言う。
「気が乗らねぇ」
「やってみれば案外乗るかも!」
「……」
華珠貴さんは、早くてつと手合わせ? をしたいらしい。こうして連日誘いに来る。
「あ、そういえば」
そんな中、美緒さんがぽつりと零した。
「杏さん、てつさんと何かありました?」
「え?」
何かとは。
「いえ、色々あったのは承知していますが、その……」
なんだか言いよどんで、私とてつを見る。
「繋がりが……無くなってる、ような……」
繋がり?
「あ! ずっと感じてた違和感、それだったんですね!」
すっきりした! と狼の上で、いつの間にか黒猫になった華珠貴さんが跳ねる。
「え? どういう事ですか?」
ちょっと話が、繋がりが無くなる?
そもそも繋がりとは……ぁ。
もしやそれは、螢介さんの事?
「あ、それはそうかも知れないです」
螢介さんの事なら、その通りだ。もう居なくなってしまった人。その人と重なっていた私達。
「……あの、大丈夫なんですか? これから」
「え?」
疑問が解けた、と思ったら美緒さんはさらに心配そうな顔をする。
「あ、そっか」
華珠貴さんもてつの背から降りながら、うんうんと頷く。
「もうお腹に入れないって事ですもんね」
「え?」
反射的にてつを見る。
てつはさっきから伏せっぱなしで、目も閉じて無言のまま。
「でも、入れないとどんな問題が起こるんでしょう?」
「いや、え?」
「それは、うーん。私達は人間の生活とあまり馴染みがないけど……」
は、話が、
「まっ、その、待って下さい?」
「あ、すみません」
気付いたように口に手を当て、美緒は言葉を止めた。
「……てつ?」
またそっちに向き直ると。
「…………チッ」
何故か舌打ちをされた。
え、てか、それ。本当って事?
「ねぇ、美緒」
猫のまま、華珠貴さんがタタタとこっちに駆け寄ってきて。
「言っちゃダメだったりしたんじゃない?」
こそっとそんな事を言う。
「そ、そうかも……ご機嫌を損ねてしまった……」
またこそこそと、美緒さんも答える。
そ、……そうなのか? そうなんですか?
「損ねるか、その程度で」
呆れたように言いながら、てつがむくりと頭を起こした。
「てめぇら、俺を何だと思っていやがる」
溜め息と一緒に身体も起こし、大きなそれをのそりと動かす。
二、三歩ですぐ目の前。見上げるその姿は、恐ろしいというよりも荘厳な感じがある。
「……それで、てつ」
「あ?」
「入れなくなったって、ホント?」
「…………あぁ」
ほんの僅かに視線を逸らされた。
珍しく、分かりやすい態度をとるな。
「なんで言って、まあそれはいいか。……あ、え? それなら」
どこか居心地の悪そうな狼に見下ろされながら、ふと思った事が口から出た。
「記憶も、戻ってるんだよね?」
「そうだな」
「身体も全部戻って、なら」
そもそもの。
「目的達成されてない? てつの」
それにまた、深い青緑が細められ。
「…………そうだな」
低く、ぽつりと呟くように、肯定された。
ならば、と考えた結果。
「い、良いんですか?」
「本当に大丈夫なんですか?」
「……そんなに駄目そうに見えます?」
てつは異界へ帰る事になった。
そしてそれを聞いて不安そうにする華珠貴さんと美緒さん。何故。
「まあ、当人同士が良いと言っているんだから、良いのだろうけどねぇ」
微笑むような、呆れもあるような、そんな顔で鈴音さんも言う。
「……フン」
今は、鈴音さん達の所へ挨拶に来ている。
てつに次いで、異界のひととして色々関わりがあったひと達。彼女達は当分ここ、第二十五支部に留まらなければならない。
だから、少し何か言われるかも、なんて考えたりもしたけど。
「あたし達に言える事はないしねぇ」
「まあねぇ、けどねぇ」
なんか違う空気を感じる。
周りの猫さん方も、てつが帰れる事よりも「だとしてマジで帰るの?」みたいなリアクションをする。
てつが帰る事、というよりも、それによって起こる何かしらが気になる、みたいな。けどそれを詳しくは語ってくれない。
「ま、深く聞くのは野暮ってもんさ。止めとくよ」
「はあ……」
野暮なの?
「じゃあね」
「……あぁ」
「では、行きましょうか。てつさん」
遠野さんに先導され、無言で通路を進むてつ。この先に『異界へ行くための通り道』を通るための空間、とかいうものがあるそうな。
私はそこまでの道を見送るだけ。
なんかあっという間だった。
特例措置、迅速な対処、になるんだとか。そのほとんども、私ではなく遠野さんの仕事であり、手続きで。
その時に遠野さんにも『良いんですか?』とか言われたけど。
『放りっぱなしだからな。様子見はしなきゃあいけねぇ』
『……ああ』
私は準備の間もいくつか亀裂を閉じ、『かれら』を還して。
……これが終われば、私もここを去るんだろうか。
「……」
そんな思いも抱きながら、通路を曲がる金色の、ふさふさの尾の先が消えるまでそこにいた。
消えてからも、しばらくはそこにいた。
あれから、夏も過ぎて、少し肌寒くなって。
結局のところ、私は今も超自然対策委員会に在籍している。
ただの人でなくなった私は、人間としての扱いと怪異としての扱いを半々で受けることになった。
そしてそのまま本部に籍を変えられそうになったらしいけど、第二十五支部の人達と天遠乃さんの力によって、それは無しになったそうで。
今のところ、てつが居なくなったくらいで生活には変わりがない。むしろ戻ったと言った方が近い。
仕事内容は穏便なものが多くなったし、死にかける事もなくなったし。
『え?! 帰った?!』
芽依にもてつの事を話したら、また随分と驚かれたし。
何で皆そんなにあり得ない、みたいなカオになるのか。
『え? 戻ってくる、の? 里帰り的な?』
『ううん。本当に帰った』
『うそぉ……』
そんなに?
「……ふぅ」
なんとはなしに、溜め息が漏れる。
歩きながら見上げれば、夜空にぽっかりと浮かぶ月。
遅めな時間帯だけど、家の甘味が切れてコンビニに向かっているところなのだ。
「十五夜……は、もう過ぎたか」
独り呟く。
けど、綺麗な月だ。風も、なんだか心地いい。
「十五夜……月見か」
「そうそう」
「過ぎたって事は、あれから三月ほどか?」
「あれから? ……え?」
思わず足を止める。警戒じゃなく、驚きで。
普通に受け答えしちゃったけど、今、ものっすごい聞き覚えある声が?
「なんだ?」
さっきまでの風とは違う、なんだかふわりとした空気が降りてきた。
それと一緒に、月に照らされ淡く光る巨体も。
「……は?」
「あ?」
左の家の屋根から降りてきた狼は、怪訝そうに首を傾げる。
「何を呆けた面してやがる」
目をしばたたく。消えない。近付いて触ってみる。もふもふ。
「……さっきから何だ」
「…………なにゆえ、ここに」
変な口調になってしまった。
「……てめぇ、本当に」
試しに、少し力を使ってみる。……あぁ、この揺らぎはてつだ。
「……ハァ」
残念なものを見る目をしながら首を振るこの狼は、本物。
「って、ちょっと。なんでそんな反応されなきゃなんないの」
「いぃ、気にすんな」
「するわ。ていうか帰ったんじゃないの? なんでここにいるの」
「帰ったぞ。案の定荒らされまくってたからな、巣くってたヤツらを蹴散らして、二度と手ぇ出さねぇよう教え込ませてからこっちに戻ってきた」
どう教え込ませたんだろう。いや、それよりも。
「え? じゃあ、元から、それが終わればこっちに戻ってくる気だったの?」
「……あぁ」
「言ってよ! 軽く今生の別れくらいに思ってたのに!」
「誰が戻らねぇなんて言った?」
……、そう来るか。
「言ってくれる……あ?!」
そもそもこんな、住宅街で悠長に話し込むなんて危険だ。誰かに見られでもしたら!
「今度は何だ」
「てつ、入っ……入れないんだった……!」
えぇと、支部、遠野さん、連絡!
「わたわたと……もう少し落ち着け」
誰のせいだと。
どこか面白がるような声音のてつにちょっと睨みを利かせながら、スマホを取り出す。
「連絡して誰かに来てもらうからね。この状況、私の手に余る」
「そうかい」
「あと、誰か来そうだったら教え──」
「あっちから来るぞ。人間が一人、まだこっちにゃ気付いてねぇな」
なんというタイミングだよ!
「え、ちょ、──あぁもう! あっちの公園行くよ! デカい滑り台の下ならなんとか……!」
てつを追い立てるようにして、走り出す。
「隠れんのは性に合わねぇんだがな」
「合わなくとも! 今は! してもらいます!」
「ハァ、しょうがねぇ」
なんかちょっとムカつく!
終
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