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33 友達
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屋上から部屋に戻って、勉強していて、
「あ、マシュマロが来ます」
「え、マジ?」
「はい。ほら、散歩から帰って来たじゃないですか。それで、涼を知らないから、知らない人の匂いが気になったのでは?」
「いや、そうじゃなくて、なんで分かるん──」
アウッ、と控えめに鳴かれた。
「どうします? 会いますか? マシュマロは会いたいみたいですけど」
「はあ、いい、けど……だから、なんで分かるんだよ?」
涼をそのままに、ドアを薄く開ける。マシュマロはきちんとお座りしていた。
「無視か」
「説明しますので。マシュマロ、良いよ」
と、ドアを全開に。マシュマロはスルリと中へ。で。
「お、わ」
座っていた涼は、マシュマロに、ほぼゼロ距離まで詰められた。
「で、説明しますね。来るのが分かったのは、足音がしたから。会いたいんだと思ったのは、マシュマロが自分の存在を知らせ、かつ、礼儀正しく振る舞おうと頑張っているからです」
「こ、この、状態は……?」
「あなたを信頼しても大丈夫かを、見極めているのかと」
「……どうすりゃ、信頼して貰えんだ?」
ワフッ! とマシュマロが鳴いた。
「は、ま、ちょ、」
マシュマロが、涼の匂いを嗅いで、周りを回って、また嗅いで。
「判定し始めましたので、信頼し始めていますね。もともとマシュマロは人懐っこい子なので、完全に信頼して貰えると、被さってきたり、舐めてきたりします」
「えー……これは、被さられてんの?」
胡座になっていた涼の足の上に完全に乗り、頭を肩に預けている。そして、尻尾を振っている。
「八割くらい、ですかね」
「はあ……」
涼は、私を見たり、マシュマロを見たり。
と、またマシュマロが鳴いて、
「お、なに、なになになに?」
涼に体重をかけているらしい。
「抱っこして欲しいみたいです。してみます?」
「したこと、ないんだけど……?」
「少しだけ、立ち上がりかける、て、出来ます?」
「えーと」
少し動いた涼に、マシュマロは甘える声を出し、縋り付く。
「それで、そのままマシュマロの背中とお尻の辺りに、腕を回して下さい。位置はマシュマロが調節します」
「はあ……」
奇妙な顔をしながらも、涼は言った通りに動いてくれる。マシュマロはモゾモゾと動き、止まった。
「そのまま、立ち上がれますか? あ、マシュマロの体重は、27kgほどです」
「や、て、みる……」
涼はゆっくり立ち上がり、マシュマロを抱えたまま、しっかりと立った。
「あとは重心を安定させて下さい。以上です」
「……出来てる?」
「マシュマロがめちゃくちゃ尻尾振ってます。喜んでます」
「そうなん……?」
「そうです。ちょっとそのままでいてもらえますか? 動画とかを撮りたいんですが」
「あ、ああ、どうぞ」
ローテーブルのスマホを持ち、カメラを起動させ、動画を撮っていく。途中途中で写真も撮る。
「マシュマロ、高いよね。眺めいいでしょ。お父さんより背が高いんだよ。その人」
「え、そうなん?」
「父の身長は175です」
「はあ。あの、大樹、くん、が、背ぇ高いから、男はみんな高いのかと」
「家族の中で一番背が高いのは、大樹ですね」
「そうなん、おっおぉう……」
マシュマロが涼にスリスリしている。
「もう、95%くらい信頼されたのでは? ちょっとマシュマロの名前を呼んでみて下さい」
「あー、マシュマロ?」
一鳴き。
「マシュマロ」
また鳴く。
「マシュマロー」
マシュマロが、完全に甘えた声になった。
「懐かれましたね」
「マジか」
「また来てくださる時に、時々構ってあげてくれませんか? マシュマロが喜ぶので」
「はあ、分かった」
「じゃ、マシュマロ、そろそろ涼から下りようね」
動画を撮ったままマシュマロへ近付く。
「ゆっくり、中腰になれますか?」
「おお」
涼はその通り動いてくれて、マシュマロの、足先が床につく。
「腕を、そっと、離していって下さい」
そうっと離されると、マシュマロは、自分から離れていって、床にお座りした。
「はい。ありがとうございます」
動画を止める。
「この、先は、どうすりゃ良い?」
「それはこちらで」
スマホをポケットへ仕舞い、
「マシュマロー来てー」
片膝を立てて腕を広げれば、マシュマロはワウワウ鳴きながら飛び込んで来た。
「いい子だね。マシュマロはお利口さん」
首元をワシャワシャ撫でながら、立ち上がる。
「すげぇな……俺でも少し、重く感じたぞ……?」
「慣れてますので。重心の位置がコツです」
頭を舐められながら言う。
「あ、ああ、マジで舐めるんだ……」
「涼も、2、3回会えば、舐めてくると思いますよ。嫌なら嫌だと言えば、やめてくれますし、大抵」
「大抵……?」
「マシュマロのテンションが上がった時とかですね。ビシッと言わないと、我に返りません」
「はあ……で、化粧品を、気にしてる、と」
「そうです」
「どこのやつ?」
「メーカーですか? ものによりますね。あとでお見せしましょうか?」
「……いいのか」
「男性がメイクするのも、別に珍しくないですしね。では、私はマシュマロを、リビングへ連れていきますので。ちょっと待ってて下さい」
そのまま、マシュマロに呼びかけながら、リビングへ。祖父母へ渡し、あとを頼み、洗面台から化粧水と乳液を取り、戻る。
「おまたせしました」
「お、おお……早かったな」
涼はそのままの姿勢でいた。
「そうですかね。あと、これが、犬の口に入っても大丈夫だという化粧水と乳液です」
「お、おお……」
それらを、ローテーブルに置く。
「マシュマロの毛がついちゃってますよね。取る道具を出しますので、ちょっと待って下さい」
クローゼットを開け、コロコロを取り出し、蓋を外し、紙を新しくしてから「どうぞ」と持ち手を向けて差し出す。
「おお……」
涼がコロコロを受け取ったのを確認して、クローゼットを大きく広げ、中にある全身鏡を見せる。
「これで確認しながら、毛を取っていってください」
「分かった」
で、終わり、背中側もチェックして、今度は私の番だ。コロコロと動かして、粗方取って。
「はい。失礼しました。ご自宅に戻ってからも、チェックをお願いします」
コロコロを戻し、クローゼットの中の引き出しを開けつつ言う。
「それから、化粧品についてなんですが。このバッグに、化粧水と乳液以外、全部入ってます」
取り出した黒のバッグを、渡す。
「えっと……」
「開けて、そのテーブルに広げていいですよ。それともしましょうか」
「頼む」
「では、失礼して」
バッグを受け取り、教材を少しどかし、そこに中身を出し、どれがどれ、何が何、と、説明していく。
「で、以上です。参考になりましたか?」
「なった」
「なら良かったです。……そういえば、涼、その髪型なんですが」
ものを仕舞いつつ、
「保育園の写真では、サラッとしてましたよね? 髪質が変わったんですか? それともセットですか?」
「あ、あー、この、はねてるっぽいクセ毛な。セットでもなんでもない。あー……小学校の、3年、くらいだったか。だんだんこうなりだしてさ。だから、光海が言ったみたいに、髪質が変わったんだと思う」
「そうだったんですね」
「俺も、聞いていいか」
「なんですか?」
片付け終わり、バッグの口を閉じる。
「そのさ、保育園の卒園の写真。今より髪長くて、なんか、それこそセットされてたじゃん。なんで今は、その髪型?」
その髪型。肩を越す程度の長さで、編み込みなんかもしていない、これ。
「ああ、楽なので」
「楽て」
「この髪、サラサラなのは良いんですけど、サラサラ過ぎて、卒園の時みたいな髪にするの、苦労するんです。あれ、ガッチガチに固めてあるんですよ。長さは、あんまり長いと、さっきのヘアオイルも沢山消費してしまいますし、そもそも手入れが大変で。ベッティーナさん、マリアちゃんのお姉さんの髪、覚えてますか?」
「……ああ、すんごい長かったな」
「あそこまで、とは言いませんが、やっぱり長いと大変なので。けど、マリアちゃんみたいな長さも、どうにもピンと来なくてですね。で、この長さに落ち着きました。バッグ、戻してきますね」
バッグを引き出しに戻し、クローゼットを閉め、振り返ったら。
涼がリュックをごそごそしていた。
「どうしました? あ、そろそろ時間なので、帰りますか?」
「……や、それも、あるんだけど……これ」
出されたのは、また、カメリアの箱。
「中身は、アレだからな。俺の作ったやつだからな。……一応、家に行く時、持ってくって、言ったから。いつ出せばいいか、迷ったけど」
それは、つまり。
「バナナカップケーキですか?! あの?!」
「……そーだけど。あの、て」
「い、いただいても良いんですか……?」
「そのために作ったんだけど」
「ありがとうございます! いただきます!」
勢いよく、両手を差し出してしまった。
「まあ、喜んでくれるなら、作り手冥利に尽きる」
涼は、私の手の上に、そっと箱を置いてくれた。そこで、気付く。体育祭の時より、箱、大きいな?
「あの、これ、何個……」
「6つ。ホントは9つ作ろうかと思ったけど、俺はプロじゃねぇし。だから、こう、間を取って? 6つにした」
「お気遣いまでしていただき、ありがとうございます……!」
「…………なあ、光海」
? なんか、涼の雰囲気が、変わったな?
「はい」
「俺のこと、どう思ってる?」
どう?
「良い人だと。あと、努力をする人だと、思ってます」
「じゃあ、俺とお前は、どういう関係?」
なんか、なんか圧があるな。ガンを飛ばされる圧とは違うけど、圧なことには、変わりない。
「え……と……友達? でしょうか?」
「友達、な。どのくらいの?」
「どのくらい、とは」
「三木や百合根と同じくらいの、友達?」
「え、それは、ベクトルが違います」
「なんそれ」
なんそれて。
「マリアちゃんも桜ちゃんも、友達なのは、そうですけど。マリアちゃんはマリアちゃんであって、桜ちゃんは桜ちゃんです。違う人間です。ですから、ベクトルが違うと」
「……友達では、ある訳だ?」
「です」
「……はー分かった。俺、頑張るわ」
圧が消えた、と思っていたら、涼はもう、片付けを終えていて。
「じゃ、帰る」
リュックを背負って、立ち上がっていた。
「あ、お見送りします」
「どうも」
そして、玄関先で。
「カメリアのは、別の日な。今日もう、あんま在庫、残ってないだろうし」
「いえ、そんな、あれをいただいたのに……」
「それはそれ、これはこれ。じゃ、帰る」
涼はそのままスタスタと、帰って行ってしまった。
……なんだろう。悪いことした気分だ。
◇
「はー……大人気ない」
ベッドに座った橋本涼は、あえてそれを、口にした。
名前を呼ぶ、仲になれたのに。
自分の作ったそれを見て喜ぶ顔が、眼差しが。胸の奥を、ざらつかせた。
嫉妬している。自分に。橋本涼は、そう思う。
だから、あんなことを言ってしまった。
自分をどう思っているか。自分とはどういう関係か。
「友達、ね」
前進していなくはない。けれども自分は、友達では、ありたくない。
嫌われたくはないけれど、このままでは、埒が明かないとも、思う。
友達。友達以上、恋人未満。恋人。
光海と、どういう接し方をすれば、この、グラデーションの位置を、変えられるのか。
そんなことをぐるぐると考えていたら、光海から、通知が来た。
こんなことを思っていても、──思っているからこそ、繋がっていられることを、安堵してしまう。
そして、開いて。
マシュマロの画像と動画が送られてきたことは、まあ分かったが。その後の文章に、橋本涼は、また、呻く羽目になった。
『すみません、涼。あなたのことは、良い人で、努力をして頑張っている人だと、その認識は変わりませんが、涼は、大切な人であって、大事な存在だと、思っています。それは本当です。なので、あの時の言葉で気分を害してしまったなら、謝ります。すみません』
「……ホントに大人気ない……」
橋本涼は、自分に言って。
『光海が謝ることじゃない。ありがとう』
と、なんとかそれだけ送った。
「あ、マシュマロが来ます」
「え、マジ?」
「はい。ほら、散歩から帰って来たじゃないですか。それで、涼を知らないから、知らない人の匂いが気になったのでは?」
「いや、そうじゃなくて、なんで分かるん──」
アウッ、と控えめに鳴かれた。
「どうします? 会いますか? マシュマロは会いたいみたいですけど」
「はあ、いい、けど……だから、なんで分かるんだよ?」
涼をそのままに、ドアを薄く開ける。マシュマロはきちんとお座りしていた。
「無視か」
「説明しますので。マシュマロ、良いよ」
と、ドアを全開に。マシュマロはスルリと中へ。で。
「お、わ」
座っていた涼は、マシュマロに、ほぼゼロ距離まで詰められた。
「で、説明しますね。来るのが分かったのは、足音がしたから。会いたいんだと思ったのは、マシュマロが自分の存在を知らせ、かつ、礼儀正しく振る舞おうと頑張っているからです」
「こ、この、状態は……?」
「あなたを信頼しても大丈夫かを、見極めているのかと」
「……どうすりゃ、信頼して貰えんだ?」
ワフッ! とマシュマロが鳴いた。
「は、ま、ちょ、」
マシュマロが、涼の匂いを嗅いで、周りを回って、また嗅いで。
「判定し始めましたので、信頼し始めていますね。もともとマシュマロは人懐っこい子なので、完全に信頼して貰えると、被さってきたり、舐めてきたりします」
「えー……これは、被さられてんの?」
胡座になっていた涼の足の上に完全に乗り、頭を肩に預けている。そして、尻尾を振っている。
「八割くらい、ですかね」
「はあ……」
涼は、私を見たり、マシュマロを見たり。
と、またマシュマロが鳴いて、
「お、なに、なになになに?」
涼に体重をかけているらしい。
「抱っこして欲しいみたいです。してみます?」
「したこと、ないんだけど……?」
「少しだけ、立ち上がりかける、て、出来ます?」
「えーと」
少し動いた涼に、マシュマロは甘える声を出し、縋り付く。
「それで、そのままマシュマロの背中とお尻の辺りに、腕を回して下さい。位置はマシュマロが調節します」
「はあ……」
奇妙な顔をしながらも、涼は言った通りに動いてくれる。マシュマロはモゾモゾと動き、止まった。
「そのまま、立ち上がれますか? あ、マシュマロの体重は、27kgほどです」
「や、て、みる……」
涼はゆっくり立ち上がり、マシュマロを抱えたまま、しっかりと立った。
「あとは重心を安定させて下さい。以上です」
「……出来てる?」
「マシュマロがめちゃくちゃ尻尾振ってます。喜んでます」
「そうなん……?」
「そうです。ちょっとそのままでいてもらえますか? 動画とかを撮りたいんですが」
「あ、ああ、どうぞ」
ローテーブルのスマホを持ち、カメラを起動させ、動画を撮っていく。途中途中で写真も撮る。
「マシュマロ、高いよね。眺めいいでしょ。お父さんより背が高いんだよ。その人」
「え、そうなん?」
「父の身長は175です」
「はあ。あの、大樹、くん、が、背ぇ高いから、男はみんな高いのかと」
「家族の中で一番背が高いのは、大樹ですね」
「そうなん、おっおぉう……」
マシュマロが涼にスリスリしている。
「もう、95%くらい信頼されたのでは? ちょっとマシュマロの名前を呼んでみて下さい」
「あー、マシュマロ?」
一鳴き。
「マシュマロ」
また鳴く。
「マシュマロー」
マシュマロが、完全に甘えた声になった。
「懐かれましたね」
「マジか」
「また来てくださる時に、時々構ってあげてくれませんか? マシュマロが喜ぶので」
「はあ、分かった」
「じゃ、マシュマロ、そろそろ涼から下りようね」
動画を撮ったままマシュマロへ近付く。
「ゆっくり、中腰になれますか?」
「おお」
涼はその通り動いてくれて、マシュマロの、足先が床につく。
「腕を、そっと、離していって下さい」
そうっと離されると、マシュマロは、自分から離れていって、床にお座りした。
「はい。ありがとうございます」
動画を止める。
「この、先は、どうすりゃ良い?」
「それはこちらで」
スマホをポケットへ仕舞い、
「マシュマロー来てー」
片膝を立てて腕を広げれば、マシュマロはワウワウ鳴きながら飛び込んで来た。
「いい子だね。マシュマロはお利口さん」
首元をワシャワシャ撫でながら、立ち上がる。
「すげぇな……俺でも少し、重く感じたぞ……?」
「慣れてますので。重心の位置がコツです」
頭を舐められながら言う。
「あ、ああ、マジで舐めるんだ……」
「涼も、2、3回会えば、舐めてくると思いますよ。嫌なら嫌だと言えば、やめてくれますし、大抵」
「大抵……?」
「マシュマロのテンションが上がった時とかですね。ビシッと言わないと、我に返りません」
「はあ……で、化粧品を、気にしてる、と」
「そうです」
「どこのやつ?」
「メーカーですか? ものによりますね。あとでお見せしましょうか?」
「……いいのか」
「男性がメイクするのも、別に珍しくないですしね。では、私はマシュマロを、リビングへ連れていきますので。ちょっと待ってて下さい」
そのまま、マシュマロに呼びかけながら、リビングへ。祖父母へ渡し、あとを頼み、洗面台から化粧水と乳液を取り、戻る。
「おまたせしました」
「お、おお……早かったな」
涼はそのままの姿勢でいた。
「そうですかね。あと、これが、犬の口に入っても大丈夫だという化粧水と乳液です」
「お、おお……」
それらを、ローテーブルに置く。
「マシュマロの毛がついちゃってますよね。取る道具を出しますので、ちょっと待って下さい」
クローゼットを開け、コロコロを取り出し、蓋を外し、紙を新しくしてから「どうぞ」と持ち手を向けて差し出す。
「おお……」
涼がコロコロを受け取ったのを確認して、クローゼットを大きく広げ、中にある全身鏡を見せる。
「これで確認しながら、毛を取っていってください」
「分かった」
で、終わり、背中側もチェックして、今度は私の番だ。コロコロと動かして、粗方取って。
「はい。失礼しました。ご自宅に戻ってからも、チェックをお願いします」
コロコロを戻し、クローゼットの中の引き出しを開けつつ言う。
「それから、化粧品についてなんですが。このバッグに、化粧水と乳液以外、全部入ってます」
取り出した黒のバッグを、渡す。
「えっと……」
「開けて、そのテーブルに広げていいですよ。それともしましょうか」
「頼む」
「では、失礼して」
バッグを受け取り、教材を少しどかし、そこに中身を出し、どれがどれ、何が何、と、説明していく。
「で、以上です。参考になりましたか?」
「なった」
「なら良かったです。……そういえば、涼、その髪型なんですが」
ものを仕舞いつつ、
「保育園の写真では、サラッとしてましたよね? 髪質が変わったんですか? それともセットですか?」
「あ、あー、この、はねてるっぽいクセ毛な。セットでもなんでもない。あー……小学校の、3年、くらいだったか。だんだんこうなりだしてさ。だから、光海が言ったみたいに、髪質が変わったんだと思う」
「そうだったんですね」
「俺も、聞いていいか」
「なんですか?」
片付け終わり、バッグの口を閉じる。
「そのさ、保育園の卒園の写真。今より髪長くて、なんか、それこそセットされてたじゃん。なんで今は、その髪型?」
その髪型。肩を越す程度の長さで、編み込みなんかもしていない、これ。
「ああ、楽なので」
「楽て」
「この髪、サラサラなのは良いんですけど、サラサラ過ぎて、卒園の時みたいな髪にするの、苦労するんです。あれ、ガッチガチに固めてあるんですよ。長さは、あんまり長いと、さっきのヘアオイルも沢山消費してしまいますし、そもそも手入れが大変で。ベッティーナさん、マリアちゃんのお姉さんの髪、覚えてますか?」
「……ああ、すんごい長かったな」
「あそこまで、とは言いませんが、やっぱり長いと大変なので。けど、マリアちゃんみたいな長さも、どうにもピンと来なくてですね。で、この長さに落ち着きました。バッグ、戻してきますね」
バッグを引き出しに戻し、クローゼットを閉め、振り返ったら。
涼がリュックをごそごそしていた。
「どうしました? あ、そろそろ時間なので、帰りますか?」
「……や、それも、あるんだけど……これ」
出されたのは、また、カメリアの箱。
「中身は、アレだからな。俺の作ったやつだからな。……一応、家に行く時、持ってくって、言ったから。いつ出せばいいか、迷ったけど」
それは、つまり。
「バナナカップケーキですか?! あの?!」
「……そーだけど。あの、て」
「い、いただいても良いんですか……?」
「そのために作ったんだけど」
「ありがとうございます! いただきます!」
勢いよく、両手を差し出してしまった。
「まあ、喜んでくれるなら、作り手冥利に尽きる」
涼は、私の手の上に、そっと箱を置いてくれた。そこで、気付く。体育祭の時より、箱、大きいな?
「あの、これ、何個……」
「6つ。ホントは9つ作ろうかと思ったけど、俺はプロじゃねぇし。だから、こう、間を取って? 6つにした」
「お気遣いまでしていただき、ありがとうございます……!」
「…………なあ、光海」
? なんか、涼の雰囲気が、変わったな?
「はい」
「俺のこと、どう思ってる?」
どう?
「良い人だと。あと、努力をする人だと、思ってます」
「じゃあ、俺とお前は、どういう関係?」
なんか、なんか圧があるな。ガンを飛ばされる圧とは違うけど、圧なことには、変わりない。
「え……と……友達? でしょうか?」
「友達、な。どのくらいの?」
「どのくらい、とは」
「三木や百合根と同じくらいの、友達?」
「え、それは、ベクトルが違います」
「なんそれ」
なんそれて。
「マリアちゃんも桜ちゃんも、友達なのは、そうですけど。マリアちゃんはマリアちゃんであって、桜ちゃんは桜ちゃんです。違う人間です。ですから、ベクトルが違うと」
「……友達では、ある訳だ?」
「です」
「……はー分かった。俺、頑張るわ」
圧が消えた、と思っていたら、涼はもう、片付けを終えていて。
「じゃ、帰る」
リュックを背負って、立ち上がっていた。
「あ、お見送りします」
「どうも」
そして、玄関先で。
「カメリアのは、別の日な。今日もう、あんま在庫、残ってないだろうし」
「いえ、そんな、あれをいただいたのに……」
「それはそれ、これはこれ。じゃ、帰る」
涼はそのままスタスタと、帰って行ってしまった。
……なんだろう。悪いことした気分だ。
◇
「はー……大人気ない」
ベッドに座った橋本涼は、あえてそれを、口にした。
名前を呼ぶ、仲になれたのに。
自分の作ったそれを見て喜ぶ顔が、眼差しが。胸の奥を、ざらつかせた。
嫉妬している。自分に。橋本涼は、そう思う。
だから、あんなことを言ってしまった。
自分をどう思っているか。自分とはどういう関係か。
「友達、ね」
前進していなくはない。けれども自分は、友達では、ありたくない。
嫌われたくはないけれど、このままでは、埒が明かないとも、思う。
友達。友達以上、恋人未満。恋人。
光海と、どういう接し方をすれば、この、グラデーションの位置を、変えられるのか。
そんなことをぐるぐると考えていたら、光海から、通知が来た。
こんなことを思っていても、──思っているからこそ、繋がっていられることを、安堵してしまう。
そして、開いて。
マシュマロの画像と動画が送られてきたことは、まあ分かったが。その後の文章に、橋本涼は、また、呻く羽目になった。
『すみません、涼。あなたのことは、良い人で、努力をして頑張っている人だと、その認識は変わりませんが、涼は、大切な人であって、大事な存在だと、思っています。それは本当です。なので、あの時の言葉で気分を害してしまったなら、謝ります。すみません』
「……ホントに大人気ない……」
橋本涼は、自分に言って。
『光海が謝ることじゃない。ありがとう』
と、なんとかそれだけ送った。
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