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1 目の前で飲まれた

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「これが、『ソレ』なのか」

 渡されたばかりの依頼品を、若葉色の瞳で見つめ、その依頼主であるこの街の聖騎士、ディアン・ウォーカーは確かめるように言う。

「そうですよ。ご要望通りの『惚れ薬』です。強力で、即効性があるものを。ちゃんとお金は頂きましたから、手は抜いていませんよ」

 彼にそう説明するのは、街外れの森の近くに住む、一人の女性魔法使い。
 名前を、メアリー・オルコットという。
 師匠からの推薦を受け、魔法使い協会から正式に『魔法使い』として認定され、独り立ちして二年目の彼女は、

『……失恋、したんだ。恥ずかしい話だが、もう、今にも死にそうで、新たに恋に縋るしか、乗り切る道を思い描けない。惚れ薬を作ってくれないか、自分で飲むから』

 という依頼を、彼から受けた。その依頼内容に若干驚いたが、ディアンは常連の一人であり、結構値が張る料金を一括前払いしてもらったことも合わさって、メアリーはその惚れ薬を張り切って作り、渡した。
 というのが、今の場面だ。

「……分かった。ありがとう」
「いえ。それではどうぞ、今後ともご贔屓、に……ウォーカーさん?」

 小瓶の栓を抜いたディアンを見て、メアリーが眉をひそめるのと同時に、ディアンは小瓶を煽る。

「ちょっ、何してるんです?! 即効性があると言いましたよね?!」

 慌てたメアリーがそれを止める前に、ディアンの喉が、コクリと動く。

「……本当に、ブルーベリーの味なんだな」

 姿勢を戻し、空の小瓶を眺めながら、惚れ薬の味の感想を感慨深く言うディアン。の様子を見ながら、メアリーは呆れた顔をする。

「……その要望も、あなたからのモノでしょう。どうするんです? 自覚しているか分かりませんが、今、ここに居るのは、ウォーカーさんと私だけですから、私に惚れてしまっているんですよ? 何考えてんですか?」

 怒ったように言い、濃い青紫の瞳を向ける先で、

「何を考えてるか、か。君のことを考えてるよ、メアリー。好きだという自覚もちゃんとある」

 この街──アンドレアスに来たばかりの頃の契約時以外に口にしたことのない、ファーストネームで自分を呼び、その自分を愛おしそうに見つめながら微笑むディアンを見て、メアリーは大きなため息を吐いた。

「そうですか……。……また失恋することになると思いますけど、そこは良いんですか? 効能を打ち消す薬を作りましょうか? お金は頂きますけど」
「いや、大丈夫だ。絶対に君を振り向かせてみせる。ヒュートラケスとリルディニアに誓って」

 最高神と愛の女神の名前まで口にして、楽しそうに言うディアンに、薬はちゃんと効果を発揮しているようだ、と、メアリーは遠く思った。

 ◇

 メアリーの店をあとにしたディアンは、道すがら、考える。
 どうすれば彼女を、振り向かせることが出来るのか。──どうすれば、今度こそ。
 メアリーがこの街、アンドレアスに店を構えることになった一年半前のことを思い出す。
 この地に根を下ろす魔法使いを、神の代わりに見届けるという仕事で、ディアンは聖騎士として契約の場に立ち合う役目を任され、メアリーと顔を合わせた。

『はじめまして。メアリー・オルコットと申します。この街、アンドレアスに貢献できるよう、尽力しますので、どうぞ、よろしくお願いします』

 ウェーブのかかった、腰までのピンクの髪と、熟したブルーベリーを思わせる、濃い青紫の瞳。
 十六になるという彼女は、愛らしい顔に緊張を滲ませ、けれど、彼女なりの精一杯の笑顔で、そう言った。
 その姿に目を奪われ、そのまま呆けてしまい、

『……あの……?』

 愛らしく首を傾ける仕草にまた見惚れかけ、ハッと我に返って、

『っ、いや、すまない。自分はベルガー領アンドレアスの聖騎士、ディアン・ウォーカーという』

 ディアンは姿勢を正し、右手の拳を心臓の位置に当てて左手で剣の柄を握るという、聖騎士の礼の形を取り、

『この地に根を下ろす魔法使い、メアリー・オルコット殿。あなたへ、感謝と、祝福を。そしてあなたが、この地に長く留まってくれることを願って』

 決められた通りの口上を述べ──名前を呼んだ時に心臓が跳ねた気がした──立会人としてそのまま、契約がきちんと交わされるのを見届けた。
 そして、メアリーの姿が頭から離れないまま、その日の他の仕事を終え、仲間に酒場へと誘われ、行く、と伝えたら、それなりに驚かれた。

『どうした? なんかあったか?』
『珍しいな。お前が祝祭日でもない日に、酒を飲もうとするなんて』

 声をかけておいて、とは、思ったが、仲間たちの疑問は至極当然に思えたので、ディアンは、こう言った。

『なぜだか、飲んだほうがいい気がした。……今日の俺は、どこかおかしいように思う』

 周りはそれに、軽く心配の言葉をかけながらも、ディアンを酒場へ連れて行く。
 そして、飲み始めてから本格的に、ディアンを心配し始めた。
 ザルの筈のディアンが、エールを三杯飲んだだけで、酔い始めたものだから。
 仲間たちに、本当にどうしたよ? と、聞かれて。

『……あること、……人が、頭から、離れない』

 赤い顔で呟いたディアンのそれに、周りは目を丸くし、

『え、なに? 夢見で神様でも現れた?』
『それだったら、とっくに司祭に話してる』
『じゃあなんだ? 恋でもしたか?』

 その一言に、ディアンは目を見開いた。

『……これは……恋……なのか……?』
『いや聞くなよ』
『何、誰だ? 堅物のお前の心を射止めたのは』
『射止め……られた、のか……?』

 これでは埒が明かないと、周りは若干呆れながら、ディアンに誰を思い浮かべてるだの、どう思っているだのと質問を投げる。
 ディアンは素直に、メアリーの話と、彼女の印象と、それがずっと頭から離れない、と話した。

『恋だ』
『恋だな』
二十歳はたちにして、初恋』
『しかも一目惚れと来たもんだ』
『……恋……なのか……』

 未だに自分のことを把握しきれていないディアンは、呆気に取られたように言う。
 周りはそれに、また呆れ、

『でもまあ、応援してるよ。頑張れ』
『色恋に疎すぎて不安な気もするけど、頑張れ』
『店の場所も分かってんだろ? 通えよ。頑張れ』
『とにかく頑張れ。頑張らないと実らない気がするから』

 仲間たちに、頑張れ頑張れと言われ、次第に酒の肴にされ、ディアンは酔った勢いのまま、メアリーがどれだけ魅力的かを力説しだし、皆で夜更けまで飲んだ。
 翌日は、二日酔いで頭痛がした。周りも同じようだった。
 仲間たちが堅物と言うように、自分が生真面目で色恋のたぐいを苦手としているという自覚のあるディアンは、それでもなんとか、メアリーとの距離を縮めようとした。仲間たちからのアドバイスを、聖騎士見習いの頃の教育のように受けながら。
 けれど、想いはいつも、ディアンの奥手な部分と不器用さと、ディアンを客として扱うメアリーの鉄壁さで、伝わらない。叶わない。
 そんな日々の中、想いを募らせていくディアンは、溢れそうなそれを、

『君は、この街に店を構えてくれたが、将来をどう考えているんだ?』

 そんな不器用な言葉で、零した。

『将来ですか? 店を大きくしていって、師匠に負けないくらいの数の弟子を取って、教育して、みんなを一人前の魔法使いに育てることですかね』
『……君のお師匠は、百を超える弟子を取ったと聞いたが』
『そうですよ? 私の目標は、師匠を超えることなんです。生涯を、魔法の研究と育成と周りへの貢献に捧げる。そんな人生を歩むつもりです』
『生涯……君は、その、お師匠のように、独身で過ごすということか?』
『そうですね。結婚する気も恋人を作る気もないですよ?』

 明るく、なんでもないように言うメアリーを見て、ディアンは、この想いは叶わないのだと、突きつけられた気がした。
 落ち込むディアンに、仲間たちは励ましの言葉をかけ、また皆で、二日酔いでガンガンと頭痛がするまで飲んだ。
 諦めよう。彼女の目標を応援しよう。
 ディアンは、そう気持ちを切り替え、日々を過ごし。
 だけれども、どうしても、メアリーとの将来を思い描いてしまう自分が居て。それを望む自分が居て。
 想いをかき消せないと悟ったディアンは、諦めた。
 ──諦めることを、諦めた。
 そしてどうすれば、メアリーは自分へと意識を向けてくれるかと、考えて。考えに考えて。
 思いついた策が、惚れ薬だった。
 もとから惚れているのだから、更に惚れるくらい、問題ない。それによって少しでも、自分に意識を傾けてくれれば、チラリとでも自分との未来を思い描いてくれれば。
 そうすれば、そこを糸口に、突破してみせる。
 そうして、メアリーへ惚れ薬の作成を──依頼内容も嘘ではないのだからと──依頼して、メアリーの目の前で惚れ薬を飲んだ。
 飲んでの、感想は。
 成る程、強力だ。
 それに尽きる。
 メアリーが、より愛おしく思えるのも。彼女のファーストネームを、淀みなく口にできるのも。今までの自分では考えられないような、聞いていると恥ずかしくなるような言葉をスラスラ言えるのも。
 今のこの思考回路だって、そうだ。
 メアリーへの贈り物、デートの誘い文句、なんなら求婚の言葉さえ、考えている自分がいる。

「君の作る薬は素晴らしいな。君は美しいだけじゃなく、魔法の才に溢れてるよ、メアリー」

 店でも口にしたそれを、ディアンはまた、呟いた。


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