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最終章 現世の魔法があるところ
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あれから少しだけ月日が流れて、年の瀬は静かに終わり、学校は短い冬休みを終えて今日からまた始まる。私は休学することを止めて学校へ向かうために、玄関に腰掛け靴を履いていると母が眠たそうな目をこすりながら玄関へと現れた。
「それじゃぁ無理せずに頑張ってきてね。もう今の琴音なら心配しないけど、絶対に無理しちゃダメよ」
うん。と私はできる限りの笑みでそれに応えていってきますと玄関の扉を開けた。
今度こそお母さんもカフェに連れていってねー。と声が追いかけてきて、ハーイと私は返事をする。あれから復学する準備やお店の手伝いをしていて、母とカフェ・ノードでランチを過ごすという約束は先延ばしになっていた。でもこれから先に楽しみがまたあるとも思えると心は弾む。
一月に入るとこの街に吹く風は冷たさを増して、肌を刺すように強い。
路面は凍りつき霜もまた川べりを白く染めている。空気は透き通って空は夏よりもずっと青く見える。そしてしばらく歩き坂道を登るとそこには校舎と広がる運動場が目に入った。
かつては逃げ出したくなるほど高くそびえていた校舎が今ではとても小さい。
ミーナさんと再びカフェ・ノードで働き始めて、しばらくして何も変わらずに西賀茂倶楽部の面々は現れた。ランチを共にして他愛もない会話に花を咲かせた。
そして黄昏時をすぎると仕事を終えた康夫さんと八重子さんが晩酌に訪れ、夜にはいつもの常連さんたちが顔を出す。意外にも奥手すぎるアールの恋愛相談を聞き、ソフマが笑い転げるのを見てイースがいつも静かにそれをたしなめていた。
ミアスはライブが決まったと私たちに教えてくれて私はミーナさんと共にライブハウスへ遊びに行き、最前列でコルが熱狂するのをくすくすしながら眺めているのは本当に楽しかった。
知らない世界はまだまだ目の前に広がっている。うつむいているばかりでは決して見えなかった世界だ。
夜の公園では月に一度タールーが猫の集会を開き、一度それを覗きにいった時にはここからすべてが始まったと、あらためて私は空に浮かぶ満月を見上げ、ニャァニャアと繰り広げられる猫の会議に耳をかたむけた。今までは決して知ることのなかった世界はこんなにも姿を変えるものだと不思議に思う。
それは今ではいつものような日々であっても、かつての私には思いも寄らない世界であった。
私はそんなことを思い出しながら、楽しい思いを胸に靴を履き替え今では遠い昔に思える、かつて逃げ出した教室へと階段を登る。廊下を歩く生徒がチラチラと私を遠目で見て何やら話している。
それすらもう気にならなかった。そんな言葉が流れて来る余地のないほど、私の心は満たされているから。
教室のドアを開けると、それぞれのグループにわかれていた教室いっぱいの生徒が声をひそめて私を見た。私は教室の中央を横切り右隅に置かれた私の席へと着きカバンを置く。
机の上にはまだ私を嘲り脅すような言葉が並べられていて、それを私はまず消した。
こんな単純なことなのに、今までできなかったのがおかしくて笑えた。
でもその時の私にとってこの教室が世界のすべてだったから、それも仕方がないと思える。そして私をいじめていたグループが教室の隅で遠巻きに私を見ているのに気がついた。
私は席を立ち上がり、そのグループへと足を進める。他の生徒たちは息をひそめて私を見ている。そのグループからいつもなら逃げ出したいほど恐ろしかったリーダー格の女が私の正面に立つ。広い世界の片隅にあるその姿が、ひどくちっぽけだ。
「なによ。何か言いたいことでもあるの?」
その言葉をしっかりと聞いて私は胸に手を触れるすぅっと私は息を吸う。そこにはもう私の魔法がある。
「あのさ。もう私のこといじめないでもらっていい?嫌だから」
たったそれだけの言葉も、まっすぐと相手に伝えればそれだけで効果はあるようだ。何を言ってんの?と視線をそらしながら見つめ続ける私からリーダー格の女は後ずさる。
その時チャイムの鳴る音がした。教室に入ってきた教師は何事かと一瞬目を丸めたが、何事もなかったように私が席へと戻ると、先生も私から目を背ける。
さて。これからだな。と私は一度目を閉じる。まだ私はこの世界ではたったひとりだ。だけど新しく知った世界には多くの友達がいる。
今はその事実だけで十分だった。
これからはミーナさんに負けないくらいにこの教室で私の世界を作ろうと思う。弱い私だからすぐにはうまくいかないかもしれない。でももしダメだったとしても私はひとりではない。
それがあの現世で生きる魔女から学んだことなのだ。
教室の端っこから視線を感じて見てみると、メガネをかけたおさげの女の子がホッとしたような表情で小さく私に手を振った。たった一歩踏み出すだけで世界は少しずつ広がるのだ。
それに私は魔女の隣で竜の背に乗り空を駆けた。それに比べたらこの教室は窮屈に感じる。
今度の休みにはまたミーナさんのお店に行こう。今度こそお母さんを連れて。
いつものみんながいて、ミーナさんの魔法みたいな素敵な料理の香りがするあのカフェへ。
現世の魔女はそこにいて、現世の魔法もまたカフェ・ノードにあるのだから。
『現世の魔女がいるところ 了』
「それじゃぁ無理せずに頑張ってきてね。もう今の琴音なら心配しないけど、絶対に無理しちゃダメよ」
うん。と私はできる限りの笑みでそれに応えていってきますと玄関の扉を開けた。
今度こそお母さんもカフェに連れていってねー。と声が追いかけてきて、ハーイと私は返事をする。あれから復学する準備やお店の手伝いをしていて、母とカフェ・ノードでランチを過ごすという約束は先延ばしになっていた。でもこれから先に楽しみがまたあるとも思えると心は弾む。
一月に入るとこの街に吹く風は冷たさを増して、肌を刺すように強い。
路面は凍りつき霜もまた川べりを白く染めている。空気は透き通って空は夏よりもずっと青く見える。そしてしばらく歩き坂道を登るとそこには校舎と広がる運動場が目に入った。
かつては逃げ出したくなるほど高くそびえていた校舎が今ではとても小さい。
ミーナさんと再びカフェ・ノードで働き始めて、しばらくして何も変わらずに西賀茂倶楽部の面々は現れた。ランチを共にして他愛もない会話に花を咲かせた。
そして黄昏時をすぎると仕事を終えた康夫さんと八重子さんが晩酌に訪れ、夜にはいつもの常連さんたちが顔を出す。意外にも奥手すぎるアールの恋愛相談を聞き、ソフマが笑い転げるのを見てイースがいつも静かにそれをたしなめていた。
ミアスはライブが決まったと私たちに教えてくれて私はミーナさんと共にライブハウスへ遊びに行き、最前列でコルが熱狂するのをくすくすしながら眺めているのは本当に楽しかった。
知らない世界はまだまだ目の前に広がっている。うつむいているばかりでは決して見えなかった世界だ。
夜の公園では月に一度タールーが猫の集会を開き、一度それを覗きにいった時にはここからすべてが始まったと、あらためて私は空に浮かぶ満月を見上げ、ニャァニャアと繰り広げられる猫の会議に耳をかたむけた。今までは決して知ることのなかった世界はこんなにも姿を変えるものだと不思議に思う。
それは今ではいつものような日々であっても、かつての私には思いも寄らない世界であった。
私はそんなことを思い出しながら、楽しい思いを胸に靴を履き替え今では遠い昔に思える、かつて逃げ出した教室へと階段を登る。廊下を歩く生徒がチラチラと私を遠目で見て何やら話している。
それすらもう気にならなかった。そんな言葉が流れて来る余地のないほど、私の心は満たされているから。
教室のドアを開けると、それぞれのグループにわかれていた教室いっぱいの生徒が声をひそめて私を見た。私は教室の中央を横切り右隅に置かれた私の席へと着きカバンを置く。
机の上にはまだ私を嘲り脅すような言葉が並べられていて、それを私はまず消した。
こんな単純なことなのに、今までできなかったのがおかしくて笑えた。
でもその時の私にとってこの教室が世界のすべてだったから、それも仕方がないと思える。そして私をいじめていたグループが教室の隅で遠巻きに私を見ているのに気がついた。
私は席を立ち上がり、そのグループへと足を進める。他の生徒たちは息をひそめて私を見ている。そのグループからいつもなら逃げ出したいほど恐ろしかったリーダー格の女が私の正面に立つ。広い世界の片隅にあるその姿が、ひどくちっぽけだ。
「なによ。何か言いたいことでもあるの?」
その言葉をしっかりと聞いて私は胸に手を触れるすぅっと私は息を吸う。そこにはもう私の魔法がある。
「あのさ。もう私のこといじめないでもらっていい?嫌だから」
たったそれだけの言葉も、まっすぐと相手に伝えればそれだけで効果はあるようだ。何を言ってんの?と視線をそらしながら見つめ続ける私からリーダー格の女は後ずさる。
その時チャイムの鳴る音がした。教室に入ってきた教師は何事かと一瞬目を丸めたが、何事もなかったように私が席へと戻ると、先生も私から目を背ける。
さて。これからだな。と私は一度目を閉じる。まだ私はこの世界ではたったひとりだ。だけど新しく知った世界には多くの友達がいる。
今はその事実だけで十分だった。
これからはミーナさんに負けないくらいにこの教室で私の世界を作ろうと思う。弱い私だからすぐにはうまくいかないかもしれない。でももしダメだったとしても私はひとりではない。
それがあの現世で生きる魔女から学んだことなのだ。
教室の端っこから視線を感じて見てみると、メガネをかけたおさげの女の子がホッとしたような表情で小さく私に手を振った。たった一歩踏み出すだけで世界は少しずつ広がるのだ。
それに私は魔女の隣で竜の背に乗り空を駆けた。それに比べたらこの教室は窮屈に感じる。
今度の休みにはまたミーナさんのお店に行こう。今度こそお母さんを連れて。
いつものみんながいて、ミーナさんの魔法みたいな素敵な料理の香りがするあのカフェへ。
現世の魔女はそこにいて、現世の魔法もまたカフェ・ノードにあるのだから。
『現世の魔女がいるところ 了』
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